ゴーアン侯爵夫妻
屋敷に入ると、そこには屋敷の使用人達が道を挟むように二列に分かれて並んでいて、一斉に頭を下げられた。
「しゃおおしゃ、しゃおおうんしゃ」
「……何て?」
「よんでくるから、まっててって」
誰を呼んでくるの?
無視をしては駄目な雰囲気なので、扉の前で大人しく待機をしていると、エントランスの階段から男性と女性が降りてきた。
「姉、あれがルランの親父だぞ。女の人の方は知らないけど」
「……あの女の人、さっきバスコンに居た人だ」
魔道具に慣れていなくて、余計なことまで言ってしまった自覚がある。ちょっと顔を合わせるのが恥ずかしいかなあ。
「……」
そしてシグラは何故か顔を少し顰めていた。
「しゃおしゃ、しゃおおしゃおしゃあ」
ルランの父親…ゴーアン侯爵が何か言うが、やはりさっぱりわからない。
シグラをちらりと見ると、彼は「あいさつ、おくれて、ごめんねって。ゆっくり、していってねって」と教えてくれた。
アウロの通訳と比べると、シグラの通訳はめちゃくちゃフレンドリーにきこえてしまう。
私の戸惑いに気付いたのか、侯爵は使用人の一人に命じて、ナナーを呼んでくれた。
「あ、奥様。大丈夫でしたか?何だか調子が悪かったようですが」
「そ、そのせつはどうも……。シグラのお陰で…その、回復しました」
その話題は今は止めて欲しい。頬が赤くなってしまうから。
ナナーは「では改めまして」とゴーアン侯爵に手を向けた。
「あの方はゴーアン侯爵家14代目当主でいらっしゃる、ラロン・ゴーアンラ・ゴーアン様です。ルラン様の御父上です。そしてそのお隣にいらっしゃる方は夫人のサクラコ・キョート・ゴーアン様です」
さ、サクラコ……桜子??それにキョートって。もしかして京都じゃないの?
「日本人みたいな名前だな」
キララがぽつりと言うと、それをナナーは「はい」と頷いた。
「サクラコ夫人は先代のニホン公爵の娘さんですからね」
ぎょっとして思わずシグラの腕を掴む。キララも私の腰に抱き付いていた。
「あれ?どうしてそんなリアクションをなさるんです?」
不思議そうにナナーは首を傾げた。
そ、そうだった。私達が異世界人だと言うのはシグラとアウロとロナとルランしか知らない。ここは平常心でいかないと、怪しまれてしまう。
「い、いいえ。キョートという街は知っている名前でしたので」
「ああ、確かに。ウララさんの名前はニホン領で聞いた事がありますね。キララさんの名前はあまり聞いた事ありませんが……もしかして故郷でしたか?」
「いいえ」
「キラキラネームで悪かったな……」
私の腰に顔を押し付けたまま、キララがぶすっとそんな事を言う。私の場合『雨雫』でウララと読ませるのはキラキラネームだと思うが、『麗』とか『うらら』なら一般的な名前だ。
「うらら、どうかした?」
しがみ付いて動揺のあまり震えている私に、シグラが心配そうな声を出す。
「な、何でもない。後で、話すね」
此処には日本語がわかるナナーがいる。話すわけにはいかない。
シグラは「うん」と優しく微笑むと、私の肩に手を回した。そして、私の怯えを見て文句の一つでも言いたかったのか、この国の言葉で抗議をした。
「しゃおしゃおう、しゃおしゃお」
「お、怒らないで下さいブネさん。私には奥様を苛めようという意図はないんですから」
「しゃしゃおう?」
「そもそも奥様が何に怯えているのか私は知りませんし。純粋に侯爵様ご夫婦はブネさん達に挨拶をしたかっただけですよ。さあ、お部屋に案内しますので、どうぞ」
ククルアを迎えに来ただけなのに、大事になってしまったな、とぼんやり思う。
しかしここで空気を読まずに“そんな事よりククルア君の所に連れて行けよ”など言うわけにはいかないだろう。
案内された部屋は豪華な調度品が飾られた部屋だった。
暖炉の前にソファセットがあり、そこに勧められる。
私達が座ると、侯爵夫妻も対面に座った。
「僭越ながら、私が防音の結界を張らせていただきますね」
パチン、とナナーが指を鳴らすと、黄色の結界が施された。
「シグラの結界とは色が違いますね」
「趣味です」
「しゅ、趣味ですか」
「冗談ですよ。透明だと、魔力を持たない方には結界が視えませんから、きちんと張られているか疑われるので、わざと可視化しているだけです」
指を鳴らすのも、いきなり張ると驚かせるので、敢えてするのだそうだ。
……正直、シグラにもそこは見習ってほしいかなあ。急に防視と防音を張られたら怖いんだよね。
それから暫くナナーを介しながらゴーアン侯爵夫妻と会話をした。
仕方ないとは思ったけど、やはりゴーアン侯爵にはシグラがドラゴンだと言うのはバレていた。
シグラを利用するようなことは決して考えないで欲しいと頼むと、顔を少し青くしながら頷いてくれた。
「ドラゴン、特にブネさんを利用しようなんて考えただけで世界が壊れますよ、奥様」
「しかし、教会側はシグラを狙っています。……シグラと言うより、私をですが」
ナナーは肩を竦める。
「人間は愚かですね。奥様に手を出した瞬間、ブネさんのブレス一発で終わりなのに」
はあ、と大袈裟に溜息を吐き、彼女は言葉を続ける。
「その事、ゴーアン侯爵様に伝えておきますか?教会に牽制して下さるかもしれませんよ?」
「しかし、妙な軋轢とかできたりしませんか?」
民衆の心の支えとなる宗教の影響力はかなり強いものだろう。この事で侯爵家に迷惑を掛ける事は申し訳ない。
「さて。まあ、ゴーアン侯爵様も愚かではないですから。出来ない事はしませんよ」
叶うのかは別として此処で侯爵に言うだけならタダですよ、とナナーが提案するので、お言葉に甘えて教会との事を侯爵に伝えて貰う事にした。
侯爵はナナーの話を聞いて、深く頷いた。
「どうやら、既に色々な精霊教会にブネさん達の事が知れ渡っているようですよ。人間の女性を番にしたドラゴンがいると」
「……そうですか。それにしても、精霊教会の種類って多いんですか?」
「ええ、まあ。名のある精霊には大抵それを敬う教会があるみたいですね。70は下らないかと」
「そんなに多いんですか?」
思ったよりも多くて、思わず腰が引ける。
「まあ、悲観的にならなくても大丈夫ですよ。教会と言っても、ブネさんに味方する精霊教会もありますから」
「?」
「……ロノウェ、アモンさん、ブエルさんともブネさんは友達でしたよね。あとはナベリウスさんとか…治癒系の能力持ちや狼や犬系の子とかグリフォン系の子はブネさんの知り合いだった筈ですし」
どうして彼女はここまでシグラの交友関係を知っているのだろう。
ちょっとモヤモヤする。
「まあ、殆どビメさんにブネさんの住処に投げ入れられた被害者なんですけどね」
―――それって強そうな雌をシグラの住処に投げ入れてたっていう
「つまり、全員女の子じゃないですか」
思わず不機嫌な声を出してしまったら、ナナーは笑った。
「良かったですね、ブネさん。奥様が嫉妬して下さっていますよ」




