全ては終わっていた:ゴーアン侯爵視点
魔道具経由でルランから『フラウに戻った』と報せを受けたのは、5日前…いや、既に日を跨いでいたから4日前だったか。
深夜だったが、使用人に悟られないように妻と三男のテラン、そして家令を秘密裏に書斎に呼んだ。
『旦那様、どうなさったの?』
深夜、眠っていたところを起こしたのだ、大変な事が出来したのではと、その場にいた皆は身を固くしていた。
『ルランがフラウに戻って来た』
『まあ!もうフラウに帰ってきたの?フラウはここから馬車で4日くらいね。あの子の様子を見に行ってよろしいですか?旦那様』
妻が喜色をあらわにするが『それは止めておけ』と首を振った。
『ルランはすぐに王都に向けて発つそうだ。フラウに行かず、其方で会った方が確実だろう』
妻は一転して少し残念そうな顔をした。
『ゴーアンラに一度戻って来れば良いのに。しかし、王都ならセランに連絡を入れないと』
『待ちなさい。君は前回、謎の怪文書をセランに送り付けただろう』
それは辺境地でルランが加わっていた聖騎士のチームが襲撃を受けたが何とか生還したという報せを受けた時のことだ。
その際、ルランが3人分の身分証発行を頼んできたので、私はそちらに手を取られてセランへの連絡は妻に任せた。しかし彼女はあまりにも動揺していたようで、本人ですら解読不明の文章を送りつけてしまったらしい。妻は少々落ち着きがないのが玉に瑕である。
『しかし父上。つい先日ルラン兄上からノルンラの街にいると連絡が来たばかりです。その報せは真に兄上からの物ですか?』
テランが困惑したような顔をする。確かにノルンラの街…ノルン辺境伯爵領からここゴーアン侯爵領内のフラウまでには険しい山道などがある為に、どんなに急いでも2カ月はかかる距離だ。それが1週間も掛からずにフラウに来るとは、俄かに信じられない。
私も最初はルランを騙った曲者かと思った。だが
『……可能なようだ。ルランは……ドラゴンと共にいるらしい』
ドラゴンの速度はよくわからないが、人類最速のペガサス騎士よりも早いと仮定すると、この短期間で来てしまうのも納得できた。
『ど、ドラゴン、ですか?父上』
テランが目を見開く。
『ルランが身分証の発行を頼んだだろう?あれはそのドラゴンとその身内のものだったようなのだ』
『身内……。少なくとも3頭のドラゴンがいると?』
その場が凍る。
『わからないが、少なくともそのドラゴンは敵対的ではない。ルランが瀕死の重傷だった所をそのドラゴンに助けられたそうだ。そして、加護を得たと』
妻が『まああ!』と興奮する。
『お礼を言わなければ!』
彼女にとってはドラゴンの脅威よりも息子を助けてもらった事の方が関心事のようだ。
『ドラゴン様はフラウに居ると仰いまして?それでしたら、すぐにゴーアンラにいらしていただきましょう。フラウは良い所ですが、あそこを管理なさってるゴーアンのご親戚はその限りではありませんもの』
確かに妻の言う通りだ。あそこを任せているロークは私の弟だ。奴はかなり素行が悪く、神官にすらなれなかった大ばか者だ。体裁の為に仕方なくカントリーハウスの管理人をさせているだけで、本当に困った奴なのだ。そして大ばか者はロークだけではなく、あれの娘も似たようなものだ。
数年前、奴の娘がセランの妻…当時は婚約者の御令嬢だったが…に魔獣を嗾ける愚行を犯したが、最後までシラを切り通したからな。
もしもロークやその家族がドラゴンの不興を買えば、どうなる?フラウどころかゴーアン…いや、この国が消し飛ぶかもしれない。
『私は早急にここを発ち、フラウに向かう。セランへの連絡と私の留守はテラン、お前に任せる。家令と協力してくれ』
『お任せ下さい、父上』
『わたくしもフラウに行ってよろしい?』
テランと家令が畏まっている傍で、妻がはしゃぐ。……彼女にこの情報を教えたのは失敗だったかもしれない。
『……ルランに会いに王都へ行かないのかね』
妻は『ええ!』と頷いた。
『ルランの事はセランに任せます。母として、息子を助けていただいたドラゴン様にお礼を言いたいのです』
手土産を用意しなければ!と私の話を最後まで聞かずに、妻は部屋を去っていった。
もう3人も息子を産んでいるのだし、もう少し落ち着いてほしいものだ。
■■■
そして、フラウに着いたのだが。
既にロークはやらかしていた。
果たしてこの4人の中にあのドラゴンがいるのだろうか。
一先ず人払いをして、部屋の扉を閉めた。
『私はラロン・ゴーアンラ・ゴーアン。ゴーアン侯爵家の14代目当主である』
年少の少女が『ルランお兄ちゃんのお父さん?』とエルフの男に問いかけている。
こほん、と咳ばらいを一つ。
『屋敷の者がした無礼、申し訳なかった。あの痴れ者には厳重な罰を下させていただく。それで堪えてはくれまいか』
エルフの男が『それで構いません』と頷いた。
『感謝する。それでだな……ドラゴン殿は何方であろうか?ドラゴンの夫妻がいらしていると聞いたが』
内心ハラハラしてエルフの男に問うと、この中にはいなかった。一先ず安心した。
『すまない。息子を助けていただいたと聞いたゆえ、礼をしたくてな。それに身分証の件もある』
身分証のことを話すと、エルフの男は“ああ”と頷いた。
『身分証の件でしたら、その黒髪の少女が3人のうちの一人ですよ』
ぎょっとしてベッドの上に座っている少女を見た。何の変哲もない、まだ社交界デビューを済ませていない令嬢のように見える。
『ど、ドラゴンなんだろうか』
『いいえ、人間です。ドラゴンの番の妹さんです』
『!』
最近、精霊教会で回っている『辺境伯爵領内にて人間の女を番にしたドラゴンを発見した』という情報が頭を過った。
まさかその情報は真実で、そのドラゴンがルランを助けた?
いいや……ああ、なる程。そう言う事か。
ルランは聖騎士として任務にあたっていたんだったな。だからルランがドラゴンと接触した事を教会が知っていてもおかしい事ではないのか。
『ドラゴン…名はルランさんからお聞きになっていますか?』
『身分証を発行する際に『シグラ』『ウララ』『キララ』と聞いた』
エルフの男は少し逡巡している。何か拙い事でもあるのだろうか。
『すまないが、教えて貰えないだろうか。ドラゴン殿の名を』
エルフの男は咳払いをした。
『その方には2つの名があります。1つは今はシグラ、と名乗っていらっしゃるものです。奥様がお付けになられた名で、本人も気に入っているようです』
2つ?
『もう1つは?』
『それは……私の方からはちょっと』
有名なドラゴンだと言う事か?
『私はあまりドラゴンのことに詳しくはないので、聞いてもわからないと思うのだが』
だから遠慮なく教えてくれと言ってみたが、エルフの男は顔を逸らした。
『……お知りになりたいのでしたら、シグラさんご本人、もしくはシグラさんの奥様からどうぞ』
何だか怖くなって来た。
私の知るドラゴンは子供でも知っているレベルの2頭のみ。王家の黄金姫のドラゴンと、伝記に載るブネルラのドラゴンだけだ。
黄金姫のドラゴンは既にこの世にはいない。
そしてブネルラのドラゴンは霊峰ブネルラで眠っており、起きたと言う報告は聞いていない。
『私の知るドラゴンで生存しているのはブネルラのドラゴンだけだ』
それだけドラゴンに関しては無知なのだと言おうとしたが、それを告げる前に少女が『正解!すごーい』などと言いだした。
『こら!ロナ!!』
『……。』
聞こえなかったことにしたい。いや、きっと聞き間違いだろう。
伝記のドラゴンがこんな所にいる筈がない。
こほん、と咳払いをする。
『そ、れで。シグラ殿はどちらに?』
『シグラさんとその奥様は、ここの屋敷のお嬢さんと共に街へ行かれましたが』
自分の顔が青くなっているのがわかる。
ロークと並んでその娘も相当性質が悪いのだぞ!
ドラゴンの不興を買う前に、何としてでも一行を確保しなければ!!
『す、すぐに街へ降りるぞ!』
体裁など気にしている場合ではなく、護衛の騎士や使用人達と共に廊下を疾走する。その途中で妻に出くわした。
『あらあら、どうなさいましたの、旦那様』
『何でもない、君は部屋にいなさい』
『ドラゴン様に挨拶に行きたいの。どちらにいらっしゃいますの?』
『すまない、後にしてくれ』
しつこく聞いてくる妻を振り切り、エントランスを潜る。すると、丁度誰かが庭を横切るのが見えた。
鮮やかな赤毛の男だ。ぐったりとした女を横抱きにしているようだが、怪我でもしたのだろうか。
いや、そんな事よりも今はドラゴンの方だ。
背後から『旦那様ー』とのんびりした妻の声が聞こえてくるが、申し訳ないが今は無視だ。
『馬を!』
馬丁に馬を用意させると、騎乗し、護衛の騎士を引き連れながら街へ駆け下りていく。
すると既に異変は起きていた。民衆たちが奇妙に立ち尽くしていたのだ。
彼らの視線の先に急いで行くと……
『何だこれは……!!』
一等地に建つ屋敷が奇妙にも半分抉られていた。どのような魔法を使えば、このようなことになるのだ。
猛烈に嫌な予感がする。
馬を降りると、手近に居たやじ馬の男に声をかけた。
『君、すまないが此処で何があったんだ?』
『うぇ?ええっと、それが俺にもわからなくて。いきなりこのお屋敷を膜のようなものが覆ったかと思ったら、この有様で』
膜…?檻の結界か。
『ゴーアン侯!どうなさったんですか?』
エルフの女が此方にやってくるのが見えた。
『君は、通訳として雇った…』
『ナナーです。報告の手間が省けました!先程こちらの屋敷が爆発しました。しかし空気も通さないようにきっちりと檻の結界を張っていましたので、衝撃波や爆音による害などはございませんので、ご安心下さい。それと偶然にもカントリーハウスの管理人のお嬢様、ロロット様が居合わせてしまい……』
淡々とナナーは報告をするが、ロロットの名が出た瞬間に私は頭を振った。
『正直に言いなさい。これは、ドラゴン殿の仕業か?…ドラゴン夫妻が屋敷の娘と街に出た事は聞いている』
ナナーはきょとんとした顔をして。
『あ、ご存知でしたか。良かった…嘘の報告はやはり良心が咎めますから。はい、その通りです。ブネさんの仕業です。奥様に危害を加えられたのを怒ってしまいまして』
『……そうか』
このエルフ、完全にブネって言ったな……。




