視線の理由
「はあー……」
豪華な居間、豪華なバスタブ、豪華な寝室。確かに何不自由はないんだろうけど。
鍵とシグラの結界に守られたバスコンのシャワーを浴びながら、ホッと一息。
「私、もう此処に引き籠りたい……」
ほこほこと湯気を出しながらダイネットに行くと、そこには本を読むシグラがいた。
「うらら、つかれてる?」
「そうかも。ちょっと寝ていい?」
「いいよ」
まだ髪の毛は濡れていたが、気にせず寝室にダイブした。
ルランが王都へ旅立ってから3日が経つ。馬車で片道2週間掛かるそうで、まだまだ旅の途中だろう。
彼が居なくなった後も、小さな嫌がらせは多々あるものの、表立っての嫌がらせは無い。それだけ「くれぐれも失礼のないように」と言ったルランの言葉は重いものなのだろう。
ただ、視線はいつも感じる。
シグラが言うには、特定の誰かが監視しているのではなく、不特定多数の人間が気まぐれに此方をちらちらと見ているらしい。
珍しいからかな?
しかしキララやアウロにはそんな視線は感じないと断言された。どうやら私とシグラだけが見られているみたいだ。
視線の意味はわからないが、地味にこれが精神力を削っていく。
ちなみにフラウに滞在中は運転も家事もする必要はなく、時間があるのでこの世界の文字をアウロやシグラに教わっていた。
最終的にスラスラと喋れるように習得したいが、フラウに滞在中に挨拶などの日常的に使う簡単な単語、そして買い物に出ても戸惑わない程度の言い回しを覚えるのを目標にしていた。
そして今日も相変わらず視線を感じた。
イライラしていると周囲にも伝播してしまう。特にシグラは私の感情に敏感だ。なので、私は今日の勉強を中止にしてもらい、気分転換にバスコンへと来てしまった。流石にここまでは視線も追いかけてこなかった。
……まだお昼過ぎなのに、眠くて堪らない。
髪の毛に温かい風が当たる。シグラが魔法で乾かしてくれているのだろう。
目を薄らと開けると、寝室に通じる階段に腰掛けた彼の背中が見えた。
ぱらりとページを捲る音を聞きながら、また目を閉じた。
・
・
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次に目を開けた時は、既に夕暮れだった。
車内灯はつけておらず、夕陽に照らされただけの車内は仄暗い赤さに染まっていた。
すーすー、という寝息が聞こえる。
シグラは階段に座って壁に凭れて、眠っているようだ。
寝室から出るには階段に座るシグラを起こさないといけないが、気持ちよく眠っているようだし、起こすのは可哀想に思えた。
取り敢えず寝室の室内灯をつける。
彼が読んでいた本が寝室の入り口に置いてあったので、それを手に取って表紙をはぐった。
「……」
部屋の書斎から取って来た本なのか、私には読めない。
「……たまに、知ってる文字があるけど……やっぱりまだ全然読めないなあ」
しかし手持ち無沙汰なので、ぺらぺらと捲っていくと、差し絵のあるページに来た。
―――花の絵が描いてある……これは、薔薇の花かな
絵は点描で描かれていて、薄らと色も付いていてとても綺麗だ。
暫くそれを眺めてから、またぺらぺらとページを捲る。今度は大樹の絵が描いてあった。特徴ある葉っぱではないので、木の種類はちょっとわからない。
またページを捲る。すると、何か挟んであるページがあった。
栞とかの類ではなく、折りたたまれた紙のようだ。開くと、何か中二心をくすぐるような魔方陣が描いてあった。
―――後でキララに見せてあげようかな
絶対に喜びそうだ。
紙を本から除け、またページを捲る。
今度はデフォルメされたお姫様の絵が描いてある。
「……あのさ、今更だけどこれ何の本?」
『一昔前に流行った恋愛小説ですね』
「うわおっ!」
本からにゅるっとパルが出てきて、思わず声が出てしまった。
「ご、ごめんパルちゃん。独り言のつもりだったから」
『そうですか』
それだけ言うと、またにゅるんっと引っこんでいった。
「ん…、うらら?」
「あ、おはようシグラ。ごめんね、起こしちゃったね」
彼は目を擦り、少しぼーっとしながら私を見ている。そして何か思い出したように身体を震わせると、微笑んで私の髪の毛に指を絡ませた。
「おはよう、きょうも、うつくしいね」
「……それ、この恋愛小説に書いてあったの?」
わかっていてもドキドキしてしまうけど。
シグラは“ふふふ”と笑い、私の頬にキスをした。
「し、シグラ!」
「だめ、だった?にんげんの、つがいの、あいさつ」
しゅ、シュンとしないで…!
お、おのれ、異世界の恋愛小説め。余計な事を書いてドラゴンを惑わせおって!
「……ほ、頬なら良いよ。でも今度から、するなら声かけて」
「わかった。うらら、していい?」
「挨拶は一度でいいの!」
「……」
だから、シュンとしないで!
「あれ?」
“あと一回なら良いよ”と言いかけた時、シグラが私の手元にある紙を見て声を上げた。
「それ、うらら、かいたの?」
例の魔方陣が描かれた紙だ。
「ん?違うよ。この本に挟んであっただけだよ。シグラはこれ何かわかるの?」
「あいむ、ほのお、うさぎ、ねずみ……」
シグラは魔方陣の記号を指さして次々と単語を口にする。
「これ、おまじない」
「何の?」
「……ねこ、よぶ」
「猫を呼ぶお呪い?」
そんなお呪いがあるんだ。猫好きにとっては垂涎の代物だわ。
シグラは魔方陣が描かれた紙を投げる。ひらひらと落ちる紙は発火し、一瞬で消え去ってしまう。
「えっと、燃えたけど…シグラが燃やした?」
「あれは、ちょっと、あぶないから」
猫を呼ぶお呪いが?
もしかして猫嫌いなのかな。あ、それともまた「やわらかい」と言って触るのが恐いのかも。
まあ、でも猫のような小動物を触るのが恐いって言うのは何となくわかる。特に子猫なんて、うっかり怪我をさせてしまいそうだし。…もしかして、シグラは私に対してもその心境なのかな。
【ウララさん、何処にいらっしゃいます?】
「わ?」
「どうしたの、うらら」
「あ、ううん。アウロさんから念話。私達がずっと此処に居たから、探してるみたい」
「……」
「シグラ?どうかした?」
黙ってしまった彼の顔を覗き込む。何かを逡巡しているようだ。
「うらら、そとに、でる?」
「外?ああ、このバスコンの?それは、まあ。お屋敷に部屋を用意してもらってるし」
「そう」
シグラは短く返事をし、私の腕を引いて抱き寄せた。
「ぜったいに、しぐらから、はなれないで」
「し、シグラ?」
私の身体を軽々と横抱きにすると、シグラは車外へ降りて行く。
するとすぐに女性の「きゃーっ」という悲鳴が聞こえてきた。悲鳴と言っても、憧れのアイドルを見てあげるような、歓声に近い声色のもの。それも一つではなく複数の悲鳴だ。
何事かと辺りを見回せば、物陰に隠れている人影がちらほら見えた。屋敷の窓からも視線を感じる。
私の精神力をごりごりと削ったあの視線達だ。
「な、何なの」
「にんげん、……5にん、こっちをみてる」
「何でそんなに私達の事を見てるんだろ?」
「しぐらも、わからない。……あ」
シグラはぴたりと足を止める。
前からナナーが歩いて来ているのが見えた。
「お噂通り、仲がよろしいですね」
「ちかよるな」
シグラがそう言うと、ナナーの足も止まった。
「おまえ、なぜ、そのすがたを、している」
「シグラ?」
私を抱く腕の力が少し強まった。
ナナーがくすくす笑い出す。
「流石にブネさんは騙せませんか。流石特異点ですね」
「シグラの名前……それに特異点って……!どういう事ですか、やはり最初からシグラのことがドラゴンだと知っていたんですか?」
「以前も言いましたが警戒御無用です。私は貴女方の敵ではありません」
ナナーは踵を返す。
「さあ、お屋敷へどうぞ。それにしても人の視線が多いですね」
彼女に付いていくのは正直嫌だったが、シグラは気にせずにスタスタと歩き出す。
「この視線の意味をナナーさんはご存知ですか?」
「ええ、よく知っていますよ。皆貴女方を見ているのです」
「監視ですか?」
ぴたりとナナーは止まる。そして驚いたような顔でこちらを振り向いた。
「まさか!思ったよりもウララさんは鈍感ですね。実に可愛らしい!彼女たちは貴女方のイチャイチャぶりを見ているだけです」
思わず吹き出しそうになったが、寸でで耐える。
それを見てナナーは楽しそうに笑った。
「最初の夜にロナさんがメイドに向かって啖呵をきったではないですか」
「啖呵?」
もしかして、トイレに行った時のあれだろうか。そう言えばまだパルに会話の内容を訊いていなかった。何か拙い事でもあったのかな。
「あの……参考程度に、どのような話だったかお訊きして良いですか」
「ああ、そうでしたね。ウララさんには此方の国の言葉はわからないんでした」
ナナーはいやらしい笑みを浮かべる。
「ウララはシグラと夫婦なの!シグラがね、ウララの為なら死んでも良いって!それでね、おはようのチューして、お買い物の時は手を繋いでスキップしてるの!夜は一緒にお風呂にはいって、お休みのチューして、同じお布団で一緒に眠るの!」
甲高過ぎて悲鳴にならない悲鳴が出た。
それを言ったの!?
してない!半分以上事実無根!!
それ、幸せ新婚夫婦のイメージだよね!!
あの子、思いっきりアニメと漫画に毒されてる!!
「ご、誤解です!記憶捏造してます!」
「そうですか?今だって抱き上げられているじゃないですか」
「くっ……!」
シグラの顔を見て、かーっと顔が熱くなる。
「し、シグラ。降ろして」
「だめ。あぶない」
ナナーは笑うのを止めない。
「ブネさんの言う事を聞いていた方が良いですよ、ウララさん。ただの人間である貴女にとってはこの屋敷は危なすぎますからね」




