夕陽
集落に行くという男性を見送った私達は、急いでバスコンに乗り込んだ。
「どうします?」
私達が移動するのは夜からの予定だった。だが、襲撃場所になった此処に留まるのは拙い気がした。
「恐らく、あのならず者の生き残りが今も此処を見張っているでしょうね。早急に移動しないと面倒な事になりそうだ」
「しかし見張りが居る所で、シグラをドラゴンの姿にしたくありません」
今ならあのならず者達は、私達はただの巻き込まれた一般人として見ているだろう。だが、人間と番になっているドラゴンを見られると、私達が標的になってしまうかもしれない。
御落胤の命を狙うヤバい集団に目を付けられるのは、絶対に悪手だろう。
「だったら、ここから離れたところでシグラがドラゴンになって、偶然通りがかって連れ去りましたよ、って感じでこの車を持って行ってくれれば良いんじゃないか?ほら、鷹が兎を捕っていくみたいな感じで」
そう提案したキララに皆の目線が集まった。
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「シグラ、足痛くない?」
「だいじょうぶ。……ほんとう、だよ?」
道には土砂や薙ぎ倒された木の残骸の山が出来ていた。これは確かに道が復旧するには数週間はかかりそうだ。そんな道を私はシグラと歩いていた。そして、シグラは裸足だ。ルランがブーツを貸すと申し出てくれたのだが、サイズが合わなかった。
「うららも、だいじょうぶ?みち、あるきにくく、なってる」
そう言いながら、シグラは少しでも木の残骸があると、ひょいっと私を抱き上げる。危ない道を私に歩かせる気はないらしい。
「これくらい大丈夫だから!」
「だめ」
私達はキララの案を採用し、現在シグラとそのおまけの私は徒歩で移動中である。
「湖竜だったっけ」
「うん。りゅうぞくで、いちばん、ちいさい、どらごん」
「一番小さい…そう言えばパルちゃんが言ってたっけ。ワニに似たドラゴンがいるって」
それはドラゴンの血が必要だと言われた時の話だった。血を採取するならと、教えられたワニに似た一番小さなドラゴン。聞いた時も「無理」だと思ったけど、今なら言える。絶対に無理に決まってるでしょ、と。
薙ぎ倒された大木に視線をやる。
「私達、こんな規格外の事を起こすドラゴンの血を採って来いって言われてたんだ……」
随分と無茶ぶりをされたものだ。
「ち、なら、しぐらが、あげるよ?」
「あ、うん。今は良いの。ありがとう」
「うらら」
足元に瓦礫があったので、またもや、ひょいっと抱き上げられた。
「大丈夫だってば」
「だめ」
シグラは私を抱えたまま、ひょいひょいと瓦礫の道を歩いていく。そして平坦な道になり、降ろされる……と思ったら、ぴたりとシグラの足が止まった。
「どうかしたの?」
「へんな、やつらが、いる」
「え?」
きょろきょろと辺りを見回したが、特に人影はない。
「何処にいるの?」
「うしろ、みてて」
言われてシグラ越しに後ろを注視したが、特に何も―――
―――ギインっ!
見ていた向きの逆方向から鋭い音がして、反射的にそちらを向いた。だが、シグラが防視の結界を私に張ったのか、すぐに視界が真っ暗になり、何があったのか確認することは出来なかった。
「な、何?何の音だったの!?」
「おちついて、うらら。けっかい、あるから、だいじょうぶだよ」
「敵?敵なの?シグラ、ドラゴンだとバレては駄目!」
「うん。まほう、つかってみる」
その言葉を最後に、音も聞こえなくなる。
気を使ってもらっているのは分かるんだけど、これ怖い!真っ暗だし何も聞こえないし!
感じることのできる触感と嗅覚を頼りに、シグラにしがみ付き、その恐怖と不安に耐える。
やがて視界が開けた。
目の前にはシグラの首筋があった。
「て、敵は?」
「おいはらった」
「そう…」
私達の周りにはチラチラと光の粒子が舞っていた。魔法の名残なんだろうか?
「何の魔法が使えたの?」
エルフでも精霊付きでもないシグラの魔法は、精霊魔法ではなく自立魔法だろうから、使える種類が限られている筈だ。
「ほのお、だったよ」
「炎?火の魔法が使えたんだね」
魔種の花が青白かったから、もしかしたら氷とかそういう系統の魔法だと思ったんだけど、炎だったのか。ブレスも火系の技みたいだし、これからもあまり魔法の出番はないのかもしれない。
そしてまた二人並んで歩きだす。知らない世界の、知らない魔物がいるかもしれない森の道。
シグラが隣に居るので怖いとは思わない。日本では見たことのない木や花を見ながら歩き、偶にシグラに抱えられた。
森が深くなった頃、シグラの足が止まる。
「そろそろ、どらごん、なるね」
「あ、うん」
スラックスは穿いてもらったまま、上着だけ脱いでもらってそれを預かった。
私の周り、閉塞感を感じない程度のゆとりを持たせて、膜が覆う。それに気を取られている間にシグラはドラゴンになったのか、彼の大きな手が私が入った檻の結界を持ちあげた。
「とぶよ。こわかったら、めをつむってて。……それとも、けっかい、はる?」
「張らなくて良いよ」
「わかった」
ぐんっと景色が変わる。
見上げていた木々が眼下に見える。既に日は傾きかけ、空は夕日に染まっていた。
「綺麗だね」
「きにいった?」
「うん」
シグラは更に上昇し、やがて雲よりも高い位置まで来てしまう。
「うわあ…」
朱色に染まった綿みたいな雲。
雲の量が少ないので雲海とはいかないが、それでも幻想的な光景だった。
「綺麗…」
ほう、と溜息が出る。
「うらら……」
「ん?うわ!」
急に結界の膜が無くなったかと思うと、次の瞬間には人の姿になったシグラに横抱きにされていた。
「し、シグラっ、ちょっ!何で!」
翼だけはドラゴンのままではあるが、ドラゴンから人の姿に戻った彼は勿論裸だ。流石に恥ずかしくてじたばたしていると、彼の舌が私の目じりを舐めた。
「シグラっ!」
「なかないで、うらら」
「え?泣く?」
自分の頬に手を当てると、そこは濡れていた。
「私、泣いてたの?」
「ごめんね、たかいところ、つれてきたから…」
「違うよ、怖くて泣いたんじゃないから!綺麗な夕陽が見れて、凄く嬉しいから!」
しゅんっとしてしまったシグラに、慌ててフォローをいれた。
しかし、その間もぽろぽろと涙が止まらず、自分自身の事なのに慌ててしまう。
「どうして、ないてるの?」
「どうしてだろ…。怖いとか、そいうのじゃないんだけど…」
景色に感動したから?確かに凄く綺麗だと思うけど……。
「うらら…」
シグラは私の濡れた頬と自分の頬を擦り合わせ、抱く力を少しだけ強くしてきた。
ドキドキするシチュエーションだけど、今は妙に安心感や充足感が湧いてくる。
「あ……そっか」
唐突に涙の理由がわかった。
「私、気絶する一歩手前だったみたい」
「う、うらら!?」
気付いた途端に、妙に可笑しくなって笑いが出てきた。
思えば、この世界に来てからはずっと大変だった。最初は何度も気絶をしてしまったけど、キララがいるんだから、しっかりしないといけないと自分を叱咤していた。
それに、アウロが気を利かせてくれたり、シグラが私に対して過保護なまでに気遣ってくれるから、致命的なショックを受ける事がなかった。だから、気絶するほどにはならなかったのだ。
でも、やはり負担は蓄積していく。
人が簡単に死んでしまう物騒なこの世界の事、教会の事、王族の事で色々といっぱいいっぱいだったのに、気付かないふりをして、そして今日は遂に人の断末魔の悲鳴まで聞いてしまった。シグラが追い払ったけど、軽く襲撃もされた。
「はあ……」
この涙は蓄積されたストレスを発散する為に流れているのだろう。
きっと夕陽が切っ掛けだ。夕陽は癒しの効果があるって、職場の人も言っていたし。
それに、此処には私とシグラしかいない。気持ちが緩んでしまったみたいだ。
はあ、とまた溜息が出た。
「頑張らないとと思って、気を張ってたみたい」
「うららは、やわらかいから、あまりむりしちゃ、だめ」
「シグラも無理はしないで。でも…何だか、夕陽で心が洗われた感じがする」
シグラの首に腕を回して、力いっぱい抱き付く。そして彼の首筋に擦り寄った。
「もう少しだけ、このままで居て」
それから夕陽が沈むまでの少しの間、シグラはずっとそのままでいてくれた。
涙が出なくなるまで泣いたからか、心はすっかり軽くなっていた。
……恥ずかしかったが、何度もシグラが目元を舐めてくれたから、目は腫れてはいない。
その後、闇が辺りを包んでからシグラは再度ドラゴンの姿になり、私にも檻の結界を張った。
「おりるよ。こわかったら、めをつむってて」
「うん」
シグラが滑空を始めると、すぐにバスコンが見えてきた。予めバスコンに張っておいた檻の結界を掴み、そして上昇する。
また雲の上に来たようだ。
バスコンの窓にはキララとロナが張り付いていて、私に手を振っていた。
呑気な子達だなあ、と思いつつ手を振り返す。
ああ、星が沢山見えて綺麗だなあ。
「シグラ…」
「なに?」
「私の傍に、ずっといて」




