一方納屋では:ルラン視点
シグラ様と奥様がお戻りになった後、アウロ殿と納屋に来てみると、憔悴しきった男と女、そして身なりの良い男児がいた。男児は目を閉じているが、目の病気なのだろうか。
俺達に気がつくと、男は腰の剣を抜き、男児を守るように立つ。
『…私はゴーアン侯爵家次男、ルラン・フラウ・ゴーアンと申します』
『!』
俺が名を名乗ると、男と女はあからさまに挙動がおかしくなる。
何か引っかかるな。
あまり深入りしてはいけない気がする。
男は女の方を振り向き、何かしらの相談事をした後に、剣を仕舞い俺に頭を下げた。
そして女が男児の肩を抱いて前に来る。
『この方はサラック男爵…の甥御様で、ククルア・サラックラ・サラック様と仰います』
男児…ククルアは10歳前後だろう。恐らくこの女は乳母と言ったところか。
『貴殿らが乗ってきた馬車だが、昨夜の嵐に吹き飛ばされてしまったのはご存知か』
『え…!?』
男女は顔を青くする。
『どうしましょう…!』
『我々は嵐が去るのを精霊に祈るので精いっぱいで…』
動揺する大人二人に顔を向けたククルアは更に一歩踏み出し、俺に頭を下げた。
『ククルア・サラックラ・サラックと申します。昨夜は恐ろしい嵐でしたが、ゴーアン殿の方は被害はどうでしたか?』
歳の割に礼儀が良い。良いのだが、表情筋が仕事をしていないな。目を閉じているせいで表情が読みにくいのだろうか?
『私の方は結界がありましたので、被害などは特にありませんでした』
『それはよろしゅうございました』
男と女は俺の後ろに居るアウロ殿を見て納得したように頷く。エルフだからな、とでも思ったのだろう。
そして一呼吸置き、ククルアは言葉をつづける。
『申し訳ありませんが、我々をゴーアン殿の馬車に同乗させていただけませんか?少々急ぎの用事があるのです』
『それは…俺…私の一存では決めかねます。馬車は私の家が所有する物ではありませんので』
『では…』
『申し訳ありませんが、所有されている方は現在貴殿に対応できる状態ではないのです。昨夜の嵐で消耗されてしまい、今は眠っておられます』
脳裏にシグラ様にしがみ付いて目を閉じていた奥様の姿が浮かぶ。
シグラ様が威嚇をするので、詳しく奥様の様子を見ることは出来なかったが、怪我などは特に無く、ただ眠っているだけだとキララ殿は言っていた。
『ルランさん、』とアウロ殿に声をかけられ、意識を彼らに戻す。
『ククルア殿は食事はどうされましたか?』
『いえ、まだ。御恥ずかしながら、昨日の昼からは…』
『そうですか。我々の残りで申し訳ないが、よろしければ召しあがりませんか?パンとスープぐらいしか出せませんが』
アウロ殿に目配せすると、彼は頷いて納屋から出て行った。
納屋を見回すと、粗末な机と切株の椅子しかない。
無いよりはマシか。
俺はククルアの傍に立つ男に目を向ける。
『其方は、従者で?』
『紹介が遅れました。私の護衛のリューザと乳母のミラザです』
リューザは騎士らしく胸に手を当てて礼をし、ミラザは深々とお辞儀した。
リューザは30代前半の黒髪の男だ。身長は俺と同じくらいか、低いくらいか。
ミラザは40代の眼鏡をかけた御夫人で、茶髪を一つ括りにしている。
そしてククルア。
彼の髪の毛はくせ毛の金髪だ。目の色はわからないが、どことなく見覚えのある顔立ちだと思う。
何処で見たんだったか……。
教会ではない。王宮か?それとも何処かの家のパーティーだったか。
俺の探るような目に気づいたのか、ミラザがククルアを下がらせた。
『申し訳ありません、ゴーアン様。坊ちゃんはまだ幼いゆえにお疲れのようで…』
『ああ、すまない。知り合いにククルア殿と同じ年頃の御令嬢がいるもので、つい見てしまった』
ククルアは乳母を手で制し、俺にも『お気になさらず』と気遣ってくれる。……やはり子供っぽくない子供だ。性格が悪いわけではないので、そこは助かるが。
アウロ殿が精霊魔法を操りながらパンの入った籠とスープ鍋を持ってくる。
『…奥様は?』
『まだ寝ているようです。シグラさんが寝室の前に陣取っていましたから』
容易に想像がつくなあ。
給仕はミラザがするようなので、後は彼女に任せるとしよう。
彼らの食事が終わる頃に、キララ殿から念話が来た。
奥様が目を覚ましたらしい。だが、それと入れ違いにシグラ様が眠ってしまったらしい。
シグラ様が眠っている間に奥様を連れ出すことは出来ないな。
キララ殿は暇なのか、続けざまに念話を送ってくる。というより、これは念話を終了するのを忘れているだけかもしれない。
【マダオ、マジ殴る】【くっそ、あいつら絶対許さん】だとか、かなりご立腹の様子だ。
マダオって誰だ?
きっと奥様と会話なされているのだろう。その会話の中でマダオという人物が話題になっているんだろうな。
御令嬢の会話を盗み聞きするのは失礼だろうと、此方から念話を終わらせようとした時。
【お姉ちゃんには言えないけど、マダオの最大の功績はお姉ちゃんを捨てた事だよなあ。最大の過ちはお姉ちゃんを口説いて婚約までした事だけど】
指が止まった。
【うぉーい、まじかー。仮にシグラに捨てられても結婚諦めんなよなー。キスしたのかなあ?してたとしても、それくらいなら傷は浅いだろ】
【マダオのせいだよな。一回裏切られてるから、トラウマになってんだろこれ】
『……』
『どうしました、ルランさん』
『あ、いいえ』
今度こそイヤリングを握り、念話を終わらせた。
『今キララ殿から念話で奥様が起きられた事と、そしてシグラ様がお休みになられたことを報せてくれました』
アウロ殿は『そうですか』と軽く頷いた。
『シグラさんが寝てるなら、暫くはウララさんに近づかない方が良いですね』
『同感です…』
アウロ殿には申し訳ないが、会話が殆ど頭に入ってこない。
シグラ様の溺愛ぶりを見ても、奥様を捨てるとは到底思えないんだが、キララ殿は何故あんなことを。
いや、夫婦関係など当事者同士にしかわからない事もあるか。
それにしても、あんなに上品で美しい方を捨てる男がいるんだな。マダオという男か……。異世界とこの世界では美的感覚が違うのだろうか。
俺だったら、シグラ様程ではないが、断れないような夜会の招待状が来ない限り、奥様を極力屋敷から出さない自信がある。
……あり得ない事だろうが、仮にシグラ様が奥様を手放すのなら……
そこまで考えて、俺は頭を振った。




