朝惑い
結界の中にバチバチと雨の音が響く。シグラの手が覆ってくれているので、これでも雨が当たる量は少ないうちだとは思うけど、結構煩い。
シグラは大丈夫かなあ。車に戻ったらシャワーを浴びて温かくしないと、風邪ひいちゃうんじゃないかな。
声をかけたいけど、この煩さだと多分声が届かないだろう。
キララにシグラの着替えが入った鞄と共にランタンを持たせてもらったので、結界の中は明るいが、外は真っ暗だ。ただ、ある場所だけは淡く光っている。私達が向かうのは、その光の元だ。
「凄い……」
光の発生源の上空に行くと、流石に眩しい。
遠くで淡い光だなと思ったのは、水の壁が光を吸収していたからのようだ。
その水の壁というのも、これ津波だよね。これが広範囲に押し寄せたら、人間の街なんて一溜りもないだろう。
……ん?津波を使う竜?
何処かで聞いた覚えがあったような。うーん、頭が働かない。
光はどうやらドラゴンが発しているようだ。
「ひゃっ!?」
視界がいきなり真っ暗になる。あまりに眩しかったから、シグラが防視の結界を張ったのだろう。
「へ!?」
これまたいきなり音も聞こえなくなった。防音の結界まで張ったの?
ええ…、何だか怖い。ランタンがあるだけまだマシだけどさ。
「はあ……」
鞄を抱きしめながら、ころん、と寝転がる。
「シグラ、大丈夫かな。……シグラ……」
・
・
・
何だか、明るい。それに温かい。
すぐ耳元で人の寝息が聞こえるし、緩く抱きしめられているような感覚もある。
「……?」
目を開けると、白いシャツが見えた。
ぼーっとそれを見つめること数分。
―――私、どうしたんだっけ?
寝起きで頭が追い付かない。
確か昨日は……一度寝て起きて、シグラの様子を見てからまた寝て……何だったっけ。夢の中でキララが慌ててたっけ……。
キララ。
すーすー、という寝息はキララのもの?
ああ、私の事を抱き枕にしちゃってるんだね。
はあ…。
目の前のシャツに顔をくっつける。良い匂いがする。
「……?」
キララの匂いじゃないなあ。
でも知ってる匂いだなあ…誰だったっけ……
んー、誰だったっけ?
まあ良いや…好きな匂いだし……眠い……
・
・
・
「はっ!!」
ガバっと起き上がると、そこはバスコンの寝室だった。
「へ?夢?」
「うらら、おきた?」
シグラの声と共にカーテンが開けられる。
「おはよう、うらら」
髪の毛がぼさぼさのシグラが微笑みながら挨拶をしてくれる。服はきちんと着ているみたいだが、リボンタイはまだしていない。あ、そっか。私がまだワンピースを着ていないから……
「もしかして、私かなり寝過ごした?」
枕元に置いてある鞄からスマホを取り出すと、既に10時を回っていた。
―――嘘でしょ!?
慌てて寝室から出ようとしたら、眩暈がしてふらっと体が傾いた。
「きゅうにおきたら、あぶないよ」
「ご、ごめん」
シグラに抱き留められ、何とか階段に転がり落ちずに済んだ。
「起きたのか、姉」
ダイネットからひょいっとキララが顔を出した。
「ごめん、キララ。もう朝ごはん食べたよね?」
「食べたぞ。親父が作ってくれた」
「そっか。ごめん。それで、私昨日の事あまり覚えてないんだけど、何がどうなったんだっけ?」
「あー…姉、寝惚けてたもんなあ。昨日は真夜中に湖竜をどうにかしようとシグラが行ったんだけどさ、その時に姉を連れて行ったんだよ。確か深夜の2時くらいだったかな」
あー、うん。そこは朧げに覚えている。
「それで?」
「で、シグラが戻ってきたのは朝の8時ごろだった」
「結構時間が掛かったんだね…。そんなに強い相手だったの?」
ビメの時は案外あっさりと勝負が付いていたのに。
するとシグラがちょっと肩を落として「ごめんね」と謝って来た。
「しぐら、ねちゃった」
「え?」
「うらら、からだ、いたくない?べっどじゃない、ところで、ねちゃったから」
「どういう事?」
シグラに詳しく聞いたところ。
昨夜シグラは湖竜を捕まえ、砂漠地帯まで捨てに行ったらしい。そこであまりに眠くて、結界を張って砂の上で眠ってしまったそうな。そして明るくなって慌てて私を連れてバスコンに戻って来たのだという。
「いや、謝るのは私の方だと思う。だって、私ずっと寝てたよね」
「うん。けっかいのなか、みたら、きもちよさそうに、ねてた」
「私一人だけごめんね、シグラ」
「ううん。うららみてたら、しぐらも、ねむくなっちゃって」
そう言うと、シグラは欠伸をした。
まだ寝足りないのだろう。
「シグラ、寝た方が良いよ?」
「だいじょうぶ」
「大丈夫じゃないから。そう言えばシャワーは浴びた?ずぶ濡れだったでしょ?」
何となく、彼を温めないと風邪をひくという考えだけは頭に残っていた。
「うん。かえってすぐ、あびた」
「じゃあ、この寝室使って」
私は寝室から出ると、シグラにそこへ入るよう背中を押した。
「う、うらら?」
「私はもう十分に寝たから、シグラ寝てて」
「いやだ。うららの、そばに、いたい」
「私はこの階段のところにいるから。さ、添い寝してあげるから、寝よう?」
「うらら、いやだ…!」
逃げようとするシグラを捕まえ、抱き込んだ。シグラは絶対に抵抗しないだろうと思ったが、やはり私の身体をひきはがす事はしなかった。
それから、ぽんぽん、と背中を叩いてやる。
「ううう…」
中々粘ったみたいだが、2分でその身体から力が抜けたのだった。
■■■
昨日の嵐が嘘のように、からりと空は晴れている。
アウロとルランは納屋の方で馬車の御一行の相手をしていて、ロナはバンクベッドで寝ているらしい。
「昨日の湖竜騒ぎで、暫くは道路が使えないだろうってルランが言ってたぞ」
階段に座って紅茶片手に雑誌を読んでいる傍らで、キララがスマホを操作しながら教えてくれた。
「スマホで何してるの?」
「ゲーム」
「オフラインで出来るゲームってあるんだ?」
「姉はゲームしないからなー」
キララの話に適当に返事をしながら、雑誌のページを捲る。
「なあ、姉はシグラに完全にころっといっちゃったのか?」
思わず紅茶を噴きそうになった。
「え?え?」
「だって、姉はもうシグラに触られる事、全然嫌がってないだろ」
顔が熱くなる。
「今朝、戻ってきた時だって」
「え。私、何かしてたの?」
「シグラは姉を抱きかかえて戻ってきたんだけど、その時姉はシグラの首に腕を回して思いっきり抱き付いて寝てた」
そ、
それは不可抗力!
「ついこの間までは、ちょっと触られただけで騒いでただろ」
「うううーん…いや、だってさあ。その……」
「シグラはどうなんだろうな?」
「ん?」
「ドラゴンの本能」
キララはじっと私を見ていた。
「私はな、本能って好きじゃない。だって……」
妹は不機嫌そうな顔で視線を落とす。
「駆け落ち女の親の言葉、今でも腹が立つ」
「忘れなよ、あんなの。キララが覚えていても何のメリットもないし」
「ううううー!」
お腹に衝撃がくる。キララも大きくなったなあ。
私のお腹に顔を埋めるキララの背中を撫でた。
―――より良い女に惹かれるのは男の本能だから仕方ないですよ
慰謝料などの話し合いの席で、マダオの浮気相手の両親に半笑いでそう言われた。当時は怒りを覚えたが、今では式場のキャンセル料と慰謝料600万で『まるでダメな男』を購入してくれたお得意様だと思えるようになっている。
そう思えるようになったのは、私を大事にしてくれるシグラのお蔭なんだろうね。
……でももしもシグラよりも強い雌が現れたら。シグラはマダオみたいに私を捨てるんだろうか。
シグラは私の事をどう思っているんだろう。
「……はあ……、嫌だなあ」
「お姉ちゃん?」
『責任』云々が無くても。
もう私はとっくにシグラ以外の人と結婚なんて、考えられなくなっている。
「私、シグラに捨てられたらもう一生独身で良いよ」
「えええー…」
「キララの子供に財産と全愛情を注ぐから」
「マジかー…」
カーテンを開けると、シグラは気持ち良さそうに眠っていた。




