苦労人:ルラン視点
シグラ様の奥様とその妹君は『賢者』だった。
賢者は王子によって召喚された異世界人のことで、『還る』まで王子の相談相手として王宮で過ごされると学園で習った。奥様方に限っては、シグラ様と時空の概念に連れてこられたようだが。
俺は偶に王宮に登城するが、賢者をこの目で見た事はない。同じ異世界人ならば、きっと奥様のように清廉な人物なのだろうな。しかし…
―――錬金術師に会う事を望まれているが、奥様方をこのまま王宮に連れて行っても良いのだろうか?
還るまで王宮で過ごすと言う事は、言い換えれば王宮で監禁と言う事だ。
もしも奥様が賢者だとバレたら監禁され……るわけがないか。シグラ様が大暴れして王宮を壊しそうだ。
王宮の倒壊を防ぐためにも、やはり連れて行くのは止めた方が良い気がする。
シグラ様は、風呂から上がった妹君の髪を梳いている奥様を、とても優しい目で見ている。……昨夜屋敷で聖騎士3人を消し去った方と同一人物とは思えないな。
以前レオナがドラゴンは妻に隷属していて、妻の為なら自死すら厭わないと言っていたが、これを見ていると確かにそうだと思う。もっとも隷属しているようには見えないが。
かたたん、かたたん、と奥様が何かシグラ様に言っている。シグラ様も同じような言葉でそれに返事をしたかと思うと、奥様に背中を向けた。ああ、髪の毛を梳いてもらうのか。
これは隷属関係ではなく、お互いのお願いを聞き合っている、ただの仲の良い夫婦だろう。
妹君が念話の魔道具を付けているのを確認し、自分の耳に付いているそれを弾く。
【キララ殿、少々お訊ねしたい事があるのですが、よろしいでしょうか】
妹君はちょっとびくっとした後、此方を見た。
【何だ?もう寝るんだから手短にしろ】
【奥様は何故王宮にいる錬金術師に会いたいのでしょうか?】
奥様とは言葉が通じないゆえに、直接意思疎通ができない。考えの相違があっては困ると思った。
妹君ならば奥様が考えている事をよく知っているだろう。
【ドラゴンの血のことを訊ねに行くんだ】
【何故です?】
【…話せば長くなるんだが】
妹君が言うには、奥様と妹君は元の世界に戻りたいのだが、それには10年時間がかかると。しかもお二人が消えた瞬間に戻るとのこと。なのでこちらの世界で10年歳を重ねるのは、都合が悪いのだということだった。
そしてここでドラゴンの血の話が出てくる。ドラゴンの血は老化を止める作用があると。
確かに俺も『不老不死』の薬になると聞いたことはある。
しかしお二人は不老不死になりたいわけではないので、ドラゴンの血に詳しい錬金術師に話を聞きたいということだった。飲み過ぎたら俺のように『加護』がついて絶対服従を義務付けられてしまうからな。
だが、それなら。
【お二人が直接錬金術師に会わなくても、それは叶えられますよね】
【まあ、そうだな。どうせ言葉が通じない私達は錬金術師と会話ができんしな】
ホッとした。
それなら奥様方は安全なゴーアン領の何処かに居てもらって、俺が王都で錬金術師に訊きに行けば良いだけだ。
【ありがとうございました。参考になりました】
【おー。じゃあ私は寝るー…】
ぶつん、と通話が切れる。見れば、妹君は奥様に凭れ掛かってうとうとしている様子だった。
凭れ掛かられたせいで奥様は前のめりになり、シグラ様の背中にぶつかっていた。
『お湯気持ちよかった~』
パタン、という音と共にドワーフの少女がアウロ殿と共に此方にやってくる。
『ルランさん、お先でした。お風呂どうぞ』
『あ、はい』
俺が立つと、奥様がタオルと着替えを出してくれた。
『シグラさんの服なのでサイズは大丈夫でしょう、とウララさんが仰っています』
『あ、ありがとうございます』
シグラ様の服か……大切に着ないと後が恐いな。
『ルランさんもシャワーというものは初めてですよね。使い方説明しますね』
それにしても何だこの荷馬車は。
狭いが完全に部屋だ。
聞いたこともない音楽も流れているし、そもそも絵がチラチラと変わるあの箱はなんだ?
何故馬もいないのに走る?しかも速すぎる。風の魔道具でも付けているのか?
そして何より風呂もトイレもある。
国王陛下が長距離移動される際は湯殿車、御不浄車が馬車列に加わわる。風呂やトイレを一つの馬車に設置すると重すぎて馬が引けないからだ。
それを可能とする荷馬車。これが賢者たるゆえんか。
アウロ殿に教えて貰った蛇口を捻ると、如雨露のような注ぎ口から温水が降ってきた。
■■■
明るい室内灯が落とされ、オレンジ色の柔らかい灯りだけがついている。
俺は皆が食事をとった場所の椅子を展開させて作ったベッドを与えられている。
シグラ様がまさかの通路で眠られるということで、慌てて場所を変更させてほしいと願ったが、じろりと睨まれて『ウララに近寄るな』と威嚇された。
『ルラン』
寝ようと目をつぶった途端に声をかけられ、反射的に飛び起きる。
シグラ様は布団に寝そべったままだ。
『はい、どうなさいましたか?』
『訊ねたいことがある』
『俺でよろしければ、何なりと』
ごくりと喉が鳴る。答えられることなら良いんだが……。
『結婚とはどうすれば出来る?』
『は』
『ウララが私に結婚して欲しいと願った』
『……お二人は既に夫婦ですよね?』
『竜族での婚姻は終えている。人族での婚姻の仕方を訊きたいのだ』
ああ、そう言う事か。
『この世界では、庶民は自分達が住む土地の領主に願い出るだけです。貴族は国王陛下に願い出て、了承されれば、後は色々な契約書にサインをして完了です。結婚をしたことをお披露目する為のパーティーなどを開くこともあります。…しかし、奥様は異世界の方。此方とは仕来りも何も違うと思いますが』
此方の世界式で結婚を成されるなら、奥様方の身分証を発行するゴーアン侯爵…つまり、俺の父親が許可をすれば婚姻が成立するだろう。だが、それは奥様が願う結婚の形なのだろうか?
『ウララの世界に戻るのが先決か……』
『何かご懸案が?』
シグラ様は少し憂鬱そうだ。
『ウララは夫婦の話になると、顔を真っ赤にして甘露のような言葉を投げつけてくる』
……惚気だろうか。
『その顔と言葉を受けたら、私の胸に締め付ける様な痛みが走る。その衝撃を耐えているとウララが心配するのだ』
はあ、と溜息をつきながら『ウララを心配させたくない…』とぼやかれる。
奥様が言うシグラ様の調子が悪いというのは、もしかしてこれか。
明日も奥様がシグラ様の調子が悪いと心配されるなら、全く問題ありませんと進言しよう。




