何かと比例して増える結界の数
「ごめんね、シグラ!」
起きるとすぐにシグラの後頭部が見え、瞬時に眠気が飛んでいった。
同衾を禁止していたので、彼は律儀にベッドの下に座って眠っていたのだ。
眠る前に簡易ベッドを用意してもらおうと思っていたのに、私は酒に酔ってさっさと眠ってしまったんだった……。
「腰とか背中痛いでしょ?マッサージしてあげるから、ベッドに上がって!」
「朝から煩いぞー…」
「キララもシグラの事もう少し考えてあげてよ。念話のイヤリングでルランさんに頼んだら、簡易ベッドなんかすぐに用意してくれたでしょ?」
キララはふぁあと欠伸をして、すまん眠くて忘れてたと呟いた。
慌てる私を見て不思議そうにしていたシグラだったが、意図する事は伝わったのか、先程まで私が眠っていた場所に腰を下ろした。
「うつ伏せになって、寝ころんで」
「うつぶせ?」
「ほら、キララみたいにして」
キララはまだ起きるのが嫌だとばかりに、枕に顔を押し付けてうつ伏せになっていた。
シグラはご丁寧に枕を手繰り寄せて顔を埋めた。そこまではマネしなくても良いんだけどなあ。
「じゃあ、ちょっと触るからね?」
「うん」
肩から腰に掛けてぐりぐりとシグラの背中を圧していく。
マッサージと言うより指圧だけど、結構効くってお父さんからは言われているから自信はある。
「痛かったら言ってね」
「だいじょうぶ」
シグラはくすぐったがりなのか、ふふふ、と笑っている。
彼が笑う度に長い髪の毛がパラパラと背中に垂れてきて、引っ張らないように掬う。
「後で髪の毛も結ってあげるね」
「うん」
髪の毛……、と考えてはっと気がつく。
「シグラ!その枕私の使ったやつ!」
昨日はお風呂も入らずに寝ちゃってるから、結構ヤバいやつ!
「うん」
「うん、じゃなくて別のにして!女の沽券にかかわるから!私、もっと良い匂いするから!」
べりっと枕を奪い取り、キララの方に枕を放り投げた。
■■■
朝食を食べ終え、紅茶を飲んで居る時だった。
「姉、ルランから伝言がきた」
「何て?」
「身分証の件で、あと3日くれって」
噴き出しそうになったので、意地で『ごくん』とお茶を飲み干した。
「身分証……、ルランさんに言ったの?」
デリケートな問題だから、慎重に行こうと思っていたんだけどなあ。
「どういう風に言ったの?」
「いや、何かあいつシグラの事を信奉してるみたいだったから。シグラにこの国を観光しても不自由ない身分証くれって言ってみた。ついでに姉はシグラに嫁いだ時点で家から縁切りをされ、私も姉に付いていったから同じく縁切りされて身分証が無いとか、ふわっとした感じで」
「納得してくれた?」
「大変でしたね、って言われた」
「他は?」
「姉の好物訊かれたから、昨日の昼に差し入れした天丼だって答えといた。」
姉の好物、天丼って言うの止めろ。好物だけどね!でももっと可愛くマカロンとか言ってほしい。
まあルランにどう思われようが構わないけどさ。ただしシグラは駄目。
「シグラ!私、もっと良い匂いするからね!」
「まだ言ってんの?」
こんこん、と扉をノックされる。
「おはようございます。シグラさん、ウララさん、キララさん」
「しゃお!」
入ってきたのはアウロとロナだった。
ロナはキララの方に走り寄ると隣に座り、テーブルの上のお菓子に手を伸ばした。
「昨日は騒がしかったですね」
「そうでしたか?」
私の言葉に、アウロは“おや”という顔をしてシグラの方を見る。そして苦笑して「私の勘違いでした」と手を振った。
何かあったのかな?
「今日はどうしますか?ここを発てるんでしょうか」
「それなんですが、身分証を発行してもらうのに3日掛かるみたいなんです」
「ほう。それは教会が発行するものでしょうか?」
私が聞いた話ではないので、キララを見る。
「え?すまん、ルランから何も聞いてない。今から訊いてみる」
キララはイヤリングを弾く。
「念話の魔道具ですか?これはまた質の良い物ですね」
「そうなんですか?」
アウロ曰く、質の悪い念話の魔道具は電話のように混線してしまうそうだ。たまにわざとそれを利用して、遊びで他人の会話を聞いたりする輩もいるらしい。
「自分の家で発行してもらうよう頼みました、って」
「では教会ではないんですね。それは何よりです。極力教会に関わらないようにしたいですから」
こんこん、とまたノックされる。
入ってきたのはレオナだった。
【おはようございます、奥様。昨夜は大変でしたが、あの後休まれましたでしょうか?】
念話が飛んでくる。そしてまた“昨夜の話”だ。流石に気になる。
「アウロさん、昨日何かあったんですか?」
「いえいえ、特には」
嘘臭いなあ。
【それはそうと、此方をどうぞ】
レオナは手紙とペーパーナイフが置かれた銀の盆を渡しに差し出してきた。手紙?多分私読めないよ。
まあ、一応私宛なら開封くらいは自分でしようかな。
ペーパーナイフで封を切り、手紙を出す。やっぱり読めない。何だろう、見た目はアラビア文字に似てるかな。
「アウロさん、これ読めますか?」
アウロに差し出すと少し顔を顰めながら「お茶会のお誘いですね」と教えてくれた。
「差出人は精霊オリアス教会ノルンラ支部の代表からです」
「教会ですか……」
はあ、と溜息。
「行くんですか、ウララさん」
「もともと身分証とコネ作りの為に彼らに手を貸したわけですから、行かないと言う選択肢は……」
「ルランさんと言う方と知り合えたのです。彼を頼った方がよろしいのでは?」
確かにルランは侯爵家の次男なので、地位はそれなりに上だろうけど……
「彼も教会の方なんですけどね」
私とアウロの相談事は日本語でしているので、レオナには通じていない。彼女は何処となく不安げにこちらを見ている。
と、そこにまたノックの音。
今度はルランだった。
「しゃおうお、しょあおうしょお」
彼は私達に一礼した後、少し責める様な口調でレオナに何かを話している。ちらりとアウロを見ると彼はこめかみに手を当てていた。頭が痛い話をしてるんだろうなあ。
「しゃおうしゃおおう」
隣のシグラが言葉を発した。
途端にルランとレオナはびくんと身を竦ませる。そして何度もぺこぺこと私達に頭を下げてきた。
何なの。
「全く話が見えないんですけど」
「……それがですねえ」
まず、ルランはやはりレオナを責めていたようだ。
“司祭様がお茶会でブネ様の奥様に何を訊くかは大体想像が付くが、止めるよう諌めるべきだ”
“昨日の聖騎士連中の二の舞になりたいのか”
……ということを言っていたそうだ。
ちなみにシグラは“ケンカなら外でやれ”と言ったそうだ。
「あの、さっきから『昨日』と言う言葉をよく聞くんですが」
「……シグラさんが隠しておきたいことなら、言うべきではないかと思いまして」
アウロの言葉を受けて、シグラを見る。彼は言い難そうにしていたが、やがて口を開いた。
「きのう、うらら、ゆうかいされかけた」
誘拐ーーー!
言ってよ、それ。凄く重要なことだからー。
呑気に酔っぱらって寝てた時に、そんなシリアスな事起きてたの?
「シグラが追い払ってくれたんだよね、シグラありがとう。怪我はしなかった?」
シグラは一瞬何かに堪える様な顔をしてから手を胸に当てて「うん」と答えた。
これ、怪我してるんじゃないの?
「シグラ、本当に大丈夫?胸が痛いの?」
「だいじょうぶ」
頬が少し赤いから、もしかしたら熱でもあるのかもしれない。ドラゴンも病気には勝てないのでは、と不安になる。
「ちなみに犯人は精霊アミー教会の聖騎士だったみたいです。あそこはチンピラのような者が多いんですよ。精霊アミーは隠された宝を発見する能力を持っていますので、精霊アミーが直々に力を貸したのか、それともアミーの加護を持つエルフが同行していたのか……。まあ、だからシグラさんの結界の中に居たウララさんのことも見つけられたのでしょうね」
「シグラの結界って所在地ぼやかす機能もあるんですか?」
「探知を妨害する結界というものがありましてね。それが今は張ってありますよ。何せ、ウララさんには沢山の種類の結界が張られてますから。初めは異性・物理・魔法・害意を持つ者を弾くという結界だけだったようですが、最近は日を追うごとに種類が増えていっているような気がします」
そうなの!?
されてる側の私はさっぱりなんだけど、これは由々しき問題ではなかろうか。そんな負担ばかりかけているから、調子を崩しているのかもしれない。




