イヤリング
【私はこの人以外とその、結婚、した覚えはないんですが】
正式にシグラと結婚した覚えもないんだけど、シグラにはちゃんと責任を取って貰うつもりだから問題は無いはずだ。
【ええ。ですからブネ様でしょう?】
【あの…ブネとは、もしかしてシグラの事でしょうか?】
ふと、シグラは両親に貰った名前は忘れたと言っていたのを思い出す。だから『シグラ』は私が付けた名前なのだ。
私の問いかけにルランは頷いた。
【その方の真名はブネ。数千年を生きる伝説の竜として伝記に記されている方です】
【数千…伝説?】
驚いて左隣のシグラの顔を見る。ちょっと不機嫌そうにしていたが、私と目が合うと嬉しそうに微笑んだ。このほわほわした人が伝説?
……ああ、そう言えば特異点だったっけ。そう言えば殺されかけたんだよね…、まだあれからそんなに時間が経っていないのに、私の中ではもうすっかりシグラへの恐怖心が無くなっている。人間って都合のいい生き物だなと思う。
「シグラ、シグラの本当の名前はブネっていうみたいだよ」
「しぐらは、しぐらだよ」
「…それで良いの?」
「うん」
何の躊躇も無く、笑顔で頷く。どうやら彼は『シグラ』という名前の方が良いようだ。
【ルランさん、シグラはシグラという呼びの方を気に入っているみたいで…】
“出来ればブネではなくシグラと呼んであげて下さい”と続けようとした時、シグラの腕が私の身体を捕まえた。
「し、シグラ?」
そのまま力任せにぐるんと運ばれ、シグラの右側の隣…ルランとはシグラを挟んだ位置に座らされる。
『しゃおおうお、しゃう』
『!』
シグラが何かを言うと、ルランは体をビクつかせていた。
【シグラは何と?】
【貴女に近づくなと……】
念話に集中しすぎて、ルランとかなり近い距離で見つめ合っていたことに気づいた。だからさっき少し不機嫌だったんだ。
―――それにイヤリングについての説明は念話で聞かされたのだ。つまり念話が通じないシグラはイヤリングの事もよくわかっていない筈だ。
【あの、ルランさん。シグラに念話のイヤリングの事を教えてあげてくれませんか?シグラが知らない手段で私が異性の方と喋るのは、彼に対して不誠実だと思うんです】
【わかりました】
ルランが口頭でシグラに説明を始めると、シグラの機嫌がさらに悪くなっていくが、やがて納得したのかこくりと一つ頷いた。
「シグラ?」
名前を呼ぶと、金色の目が此方を向く。
「うららに、ひつようなら、しかたない」
「……!」
その目が何処か悲し気に揺れているのを見て、思わずイヤリングを毟り取ってしまう。少し皮が剥けてしまったようでヒリヒリ痛い。
「どうしたんだ、姉」
「これ、嫌じゃなかったらキララが付けて。私とキララは一緒に居る事が多いから、私が付けていなくても支障ないと思うの」
妹の小さな手にイヤリングを渡すと、彼女は目をぱちぱちさせて、私の顔とイヤリングを交互に見た。
「男の人に貰ったアクセサリーを付けるのはシグラに悪いから」
「お、おおう。そう言うもんなのか?」
幸い、魔道具に興味のあったキララは喜々として自分の耳にそれを付ける。そしてすぐにイヤリングの石を指で弾いた。
「おおお!面白いなこれ!」
うーん、玩具にならなきゃ良いけど。何かごめんね、ルラン。
念話に夢中になったキララは、前のめりになりながらルランをじっと見つめている。私もこうなっていたのかな?だったらシグラが不機嫌になるのも仕方ないな……、そんな事を思っていると。
「ちが、でてる」
「ん?」
耳たぶにぬるっとした感触。その後、ちゅっとリップ音が耳元で聞こえた。
「……ん?」
ぱっと耳に手を当て、シグラの方を向くとあり得ないくらいに彼と顔が近かった。瞬時にキスをした光景が脳裏に蘇えり、顔がかああっと熱くなる。
「し、ぐら。今………舐めた?」
「いたくない?」
「痛い?え?」
耳に当てた私の手を、シグラの大きな手が被さる。
あ、ああ~、はい。イヤリングを無理やりとった時に出来た傷の手当をしてくれたのかー…。はああ…。
キララにばれないようにシグラの肩におでこを押し付けて一頻り悶えた後、努めて真面目な顔を作る。
「痛くないよ、ありがとう。でもね、今度からはする前に一言言ってくれたら嬉しい」
「わかった」
耳はすっかり痛みが無くなっている。
ドラゴンの血は怪我に良く効くらしいけど、唾液もそうなのかな?
とにかく、私には心臓に悪い治療法だなあ。
「姉」
キララが急に振り向いたので、びくんと体がはねた。い、今の見られてないよね?
「な、何?」
「今日はもう遅いから、詳しい話し合いは明日にしましょう。間もなく食事の準備が整いますから、此方でお待ち下さい。何か不便な事がありましたら、遠慮なくお申し付けください。だってさ」
ルランの方に目を向けると、少し疲れたような顔で此方を見ていた。
好奇心旺盛なキララに色々訊かれたんだろうなあ。お疲れ様です。
「わかりました、お世話になります。って伝えておいてくれる?」
「りょ」
伝言を聞いたルランとレオナは胸に手を当てて一礼すると、部屋から出て行った。
それと入れ違いで料理の乗ったワゴンを引いたメイドが部屋に入ってくる。
「うまそうな匂いだな」
「ねー」
かちゃかちゃと並べられて行く料理に、姉妹揃ってテンションは上がっていく。
レオナやルランと普通に会話したことで、何となく拉致監禁はないなと思えたから、気が緩んだせいもあるかもしれない。
この後、とんでもない事になるとも知らず、私は食前酒を煽ったのだった。




