シグラの抵抗
「アガレスさん、どうかしたんですか?キララはどうしました?」
急にアガレスからの応答がなくなった。多分アガレスはいつものように馬車の二階にいるだろうから、直接聞きに行こうかと一瞬思ったが……
すやすやと眠るシグラを見る。
私はここから離れる事は出来ない。
だ、大丈夫だよね?キララに何かあったなら、すぐにアガレスさんは教えてくれるよね……?
そんなことを思いつつ、ソワソワしていると―――
「先輩、今良いですか?」
「お姉ちゃーん」
エントランスの方からライとレンの声が聞こえた。
握っていたシグラの手を軽く撫でてから離し、掛け布団を直して二人の元へ向かう。
「どうかしたの?」
「教会から、“薬が用意できました”と持ってきてくれましたよ」
ドアのすぐ傍に立っていたライとレンがひょいっと身を退けると、此処に居る間に何かとお世話をしてくれているエルフの男性が現れた。彼の手のひらにはピルケースが乗っている。
男性に触れると異性を弾く結界が作動するので、私の代わりにライに受け取ってもらった。
受け取る際、何やら注意事項があるのか、エルフの男性は“しゃおしゃお”と薬を指さしながらライに何か伝えていた。
一通り話を聞いたライは私に向き直ると、「使い方なんですが」とピルケースの蓋に手をかけた。
「この丸薬を焚いてから、こっちのペースト状の薬を舌に塗―――……」
そう言いながらライがケースを開けると―――強烈な臭いがむわっと出てきて、彼は秒で蓋を閉めた。
「……強烈ですね」
「え……それをシグラに塗るの?」
「くさーい……」
レンは表情をくしゃくしゃにして手で鼻を抑えている。ライも顔を顰めているので、ある意味ドラゴンにも有効な薬ではあるようだけど……。
「まさか毒じゃ……って、あ、ごめんなさい。今のは用意してくれた教会の人にも、これを作ってくれた人にも失礼だったわ」
シグラに使う薬なので、おかしなものは使いたくないという気持ちはあるが、安易に毒ではないかと疑うのはかなり失礼だった。
およそ二週間ほど此処に滞在しているが、信徒達……特にブネルラのエルフのシグラへの愛情は本物だと思えた。そんな過保護なエルフが持ってきた薬なのだから、此処に来る前に数人がかりで毒見をしている筈だ。
「でもこれ、凄く臭いから車の中で使うのは止めた方が良いんじゃないの?もしも臭いがずーっと残ったら、寝る時に困るよ?」
レンの言葉も尤もだ。
「シグラを移動させよっか。申し訳ないけどライ君、シグラを寝室に運んだ時のように……あ、ううん、今回は担ぐんじゃなくて背負ってあげてくれる?」
シグラを寝室に運んでくれたのはライだ。寝室まで目と鼻の先だったので最初は私がシグラを運ぼうとしたのだけど、寝入ってしまった成人男性を運ぶのはとんでもなく大変だった。何とか彼の肩を抱いて立ち上がったものの、寝室へ続く階段を上るのに四苦八苦していた私に救いの手を差し伸べたのはライだった。その際、まるで荷物かのようにひょいっとシグラを肩に担ぎあげたのには流石に驚いたけど。
「運ぶくらいお安い御用ですが、移動させなくてもシグラさんとシグラさんに薬を処方する人だけを檻の結界で囲っちゃえば良いんじゃないですか?」
「それだと結界を解いた時に結局臭いが拡散されるんじゃないかな」
少し蓋を開けただけであれだけの臭いの暴力を発揮したのだから、処方する過程で檻の結界の中が臭い爆弾になるのは想像がつく。
「あー……、それもそうですね。じゃあ外に連れて行きますね」
そう言ってライは寝室に敷いてあるマットに片膝をついて中へと入った。
「「「あ」」」
私、ライ、レンの声が重なる。
ライがシグラの両脇に手を差し込んで引っ張ると、布団ごと動いたのだ。よく見ると、シグラがしっかりと布団を掴んでいた。
ライは脇から手を離すと、布団を掴むシグラの手だけを引っ張った。だが引き離そうとするとするだけ、シグラは抵抗し、遂には抱き枕のようにぎゅううっと掛け布団を抱きしめてしまった。
「どうします?」
手に負えないと白旗を上げたライが私に向き直った。
「仕方ないね、布団ごと連れて行ってくれる?」
布団に薬の臭いがついてしまうが、洗えば良いだけだ。
ライは頷くと再度シグラに向かって手を伸ばしたが……。
「「「あ」」」
また私達の声が重なった。
今度はシグラは自分に檻の結界を張ってしまっていたのだ。
結界のサイズは大きく、無理やり引っ張り出すには寝室の出入り口は狭かった。寝室から絶対に出たくないという意気込みが伝わってくる。
「うーん……眠るのが大好きな人だから、寝室から出たくないのかな」
「もしくは先輩の匂いがする場所から離れたくないのかも」
無意識下だから願望が駄々洩れなんだ、とライが呟く。
“願望”という言葉を耳にした私は思わず「ふふふ」と笑ってしまった。
結界の中で布団に顔を埋めてすやすや眠る彼が、とても可愛く見えたからだ。
「少し様子を見よっか。暫くしたら警戒を緩めて結界を解いてくれるかもしれないし」
「そうですね。どっちみち、僕らではシグラさんの結界は壊せませんし」
ライは踵を返してエントランスの方へと向かう。薬の効き目を見届けるためか薬を持ってきてくれたエルフが律儀に車の傍で待機しているので、薬を与えるのはもう少し時間をおいてからにすると言いに行ってくれたのだろう。
私は寝室前の階段に腰かけると、結界に触れた。
「これだとシグラに触れないなあ……」
そう呟いた瞬間、ふっ、と結界が消え、支えを失った私はそのまま寝室の中へと倒れた。
「え?」
何事かと身体を起こすと、廊下にいたレンが驚いたような顔をしていた。そのレンの姿は薄い膜越しに見えた。
私は檻の結界の中に入っていた。
シグラが一瞬だけ結界を解き、私を寝室に入れてから再度結界を張りなおしたようだ。
「え。え……え?」
結界をふにふにと触れる。柔らかいが、破れる気配はない。
これはもしかして出られないというやつでは?
レンがライを呼んできてくれて、そして私の現状を見たライが固まった。
「ど、どうしようライ君」
「え、ええええ……。ど、うしましょう、僕ではシグラさんの結界は……あ!ブエルさんを呼んできます!」
そう言うとライは慌てて車の外へ出て行った。




