転移の魔石:(前半:ブネ視点)
ウララがなかなか私達の部屋に戻ってこないので、気配のある方へ行ってみると、彼女はレンとリュカの部屋に居た。
寝かしつけているうちに一緒に眠ってしまったのか、リュカのベッドの上で眠っている。
「ウララ」
小声で呼ぶが起きる様子は無い。きっと大学生やシグラ達の相手をして疲れたのだろう。
傍で眠っているリュカを起こさないようにウララを抱き上げ、そっと部屋を出る。
「うわ」
廊下に出ると、ライと出くわした。ライは驚いたような声を出した後、少し気まずげに視線をそらして私達の横を通り抜ける。食事をとらずに部屋にこもっていたので、台所に行くのだろう。
「ウララがお前用の食事を食卓に用意しているから、食べれるなら食べなさい」
「……わかった」
一瞬此方を見たライは何か言いたげな表情をしたが、すぐに顔を前に向けて廊下を歩いて行ってしまった。
追いかけて話を聞こうか迷ったものの、此方もウララを抱えたままなので、今は気が進まない。
結局明日の朝に聞けばいいかと思い、そのまま私は自分達の部屋へと向かった。
ベッドにウララを横たわらせ、ナイトテーブルの間接照明以外の明りを消す。
さて私も寝ようかとベッドに乗ると、その振動でウララが微かに声を漏らした。
「起こしたか?」
「あ……ごめん、また私寝てた?」
「リュカのベッドで寝ていた」
掛布団を手繰り寄せ、ウララの身体に掛ける。そして膨らんだ腹を撫でながら、彼女の唇に何度も何度も口付けた。
しかしキスの合間にウララに名を呼ばれ、唇を離す。
「ん……、どうした?」
「ウララちゃんに転移の魔石の事話したから、もしかしたら貸して欲しいって言われるかもしれないの」
シグラの番は日本に戻れなくなって困っており、我々が日本に移住した手段を訊いてきたそうだ。
転移の魔石とは、王城の……賢者召喚の儀式を行っている部屋の床の破片で、異世界を行き来できる力が宿っている。
儀式と言えば聞こえも良いが、端的に言えば異世界に通じる穴を作り、それを使って王子が異世界に侵入し、良さそうな人間を拉致する事だ。その穴を開ける魔法が長年床に染み込んでいき、いつしか魔石化したという。
賢者召喚の儀式では未来過去関係なく穴を開けられるらしいが、転移の魔石は未来や過去には行けない。別に未来過去に行きたいわけではないので、私達には十分だが。
「構わないんじゃないか?シグラとその番は魔石を悪用しないだろう」
「貸すのは良いんだけど、でも……」
「どうしたんだ?ウララ」
言い淀むので先を促せば、私の胸元に擦り寄って来た。……可愛い。
「私、明日にでもフィルマ王国に行ってこようかと思って。そうしたら転移の魔石は私が使う事になるから……」
「……どうして行くんだ?」
「リュカちゃんを誘拐したドラゴンのこと、フィルマ王国に問い合わせたら何か分かるんじゃないかと思って」
リュカが連れて行かれたのは過去のフィルマ王国だった。
それだけを聞けば、過去未来関係なく世界間を行き来出来る賢者召喚の儀式に似ているとは思う。
似てはいるが、ライはリュカが閉じ込められていたのは王城ではなく伯爵の屋敷だったと言っていた。そこに何か引っ掛かる。
「少し待て、ウララ」
「今回はシグラさんやウララちゃんが保護をしてくれたからよかったけど、犯人を捜さないとまたリュカちゃんが拐われるかもしれないでしょう?」
「ウララ、落ち着くんだ。犯人捜しは賛成だが、だからと言って君が行く必要はない」
「だって、ブネさんはこの世界に居て子供達を守らなきゃ。だったら、動けるのは私だけだよ。大丈夫、ブネルラにはビメさんもミクさんもいるし……」
「犯人のドラゴンは15年前の王国にリュカを拐ったんだ。ならば、犯人は15年前の世界に居るドラゴンの可能性がある。……それにシグラは金竜によってこの世界に飛ばされてきたと言っていたから、もしかしたらそれも関係してくるのかもしれない」
「なら、15年前のフィルマ王国に行く」
「絶対に許可しない」
15年前とは言え、私達とは違う道を辿っている世界なのだ。
何が起こるかわからない世界に私の大事なウララを行かせるわけにはいかない。
「仮にウララが行くなら、私も行く」
「駄目だよ、子供達は……」
「子供達も連れて行く」
「危険な場所に連れて行きたくない」
「危険だとはわかっているんだな。お願いだウララ、私の手が届く場所に居てくれ」
ウララは私や子供達を守る為なら何でもできてしまう女だ。だから、とても怖い。
加護を与えた者として“行くな”と命令をしたところで、効力は一時的なものだ。命令の効果が薄れたらすぐに行動をするだろう。
どうしたら良い……そう思いながら彼女の腹を擦っていると、はっと気づいた。
「今は君だけの身体じゃない」
情けないが、子供をだしに使わせてもらう。
思った通りウララは少し冷静さを取り戻してくれた。
「じゃあ、どうするの?」
「シグラに頼もう、ウララ」
「え……」
「転移の魔石を貸す代わりに、調査を頼むんだ」
ウララは少し考えた後、「何だかそういうの好きじゃないんだけど……」とぽつりと零した。君が相手の足元を見るような取引は嫌いなのはわかっているよ。
「好きじゃなくても良い」
反論しようとするウララを抱き込む。
「私が、シグラに頼む。気に入らなくても、その気持ちは飲み込んでほしい」
「……わかりました」
ウララは私の首筋に額をくっつけ、ぐりぐりとじゃれついてきた。
「ブネさんに従う。我儘言ってごめんなさい。……私もわかってはいるんだけど……不安で」
「大丈夫だよ、ウララ。私の結界の中なら絶対に安全だから」
―――夏休みの間は山荘を休業して家族で家に引き籠ろうかな……
私の腕の中で安心して眠ったウララを抱きしめながら、そう思うのだった。
■■■
「賢者さん達は、転移の魔石を持っていて、それでフィルマ王国と日本を行き来しているんだって」
まずは賢者家族がフィルマ王国から日本にどうやって移住してきたかをシグラに伝えた。転移の魔石が賢者の儀式が行われる部屋の床であることも添えて。
「そんなもの、あるんだね。じくうのがいねんが、うるさそう」
「あはは……」
シグラは時空の概念に追いかけられたので、思うところがあるのだろう。
「私も賢者さんにパルちゃんの事を訊いたんだけどね……」
賢者はまだしも、ブネは異世界の生き物だ。時空の概念に目を付けられていないのかと訊いてみたが、賢者は時空の概念の事を詳しくは知らなかった。
曰く、「全てブネさんが対応してるみたいで」だそうだ。……まあ、ブネならパルを追い返すのはお手の物かもしれない。
「どちらにせよ、おうじょうに、いかなきゃ、だめだね?」
「そうなんだよね……しかも賢者召喚の儀式が行われる部屋だなんて、普通には忍び込められない場所だろうし」
「しぐらだったら、ちからずくで、いけるよ?」
「力ずくは駄目だよ。それに王城にはキャリオーザ王女がいるだろうし、シグラには近づいてほしくない」
キャリオーザ王女はブネを兵器にする為に番にしたのだから、シグラの事も狙ってくる筈だ。
シグラは心変わりするような人ではないが、王女に変な手を使われる可能性もあるわけで。
悶々と考えていると「ねえ、うらら」とシグラに話しかけられた。
「ぶねたちに、すこしのあいだだけ、ませきをかしてもらったら、どうかな?」
「え?」
「きららだけ、にほんにおくっていって、しぐらとうららで、あのあなをとおって、ぶねたちに、いしをかえしにいくの」
あの穴、と言って指さしたのは今シグラが維持している時空の穴だ。
つまり、
15年後の日本→(時空の穴使用)→私達がいたフィルマ王国→(転移の魔石使用)→ 日本・キララを実家に送って行く→(転移の魔石使用)→ 私達がいたフィルマ王国→(時空の穴使用)→15年後の日本・魔石返却
と言う事をシグラは言っているのだ。
これが可能ならキララだけでも元の世界へ送れる。……魔石返却をアウロやルランに託せば私もキララと同じタイミングで元の世界に戻る事は可能だが、流石にそれは無責任に思えるので、自分の手で魔石を返したい。
「でも貸してくれるかなあ?とても大事な物だよ」
この転移の魔石が無ければ、賢者達がフィルマ王国へ渡る事ができなくなる。
日本は子供達に教育を施すなら最適な場所かもしれないが、永遠に近い長寿のドラゴンが生きていける場所ではない。ライやコウの進路にもよるが、長くとも数十年後には賢者一家はまたフィルマ王国に渡る筈だ。
「だめもとで、おねがいしてみよう?」
「……そうだね」
彼に凭れながら頷いた。
とにかく、少しだけ展望が見えた気がする。
話がひと段落ついて、会話が途切れる。
「……」
途端に、シグラの息遣いと体温が気になってしまう。
「どうしたの、うらら。しんぞうが、どきどきしてる」
「ひっ!な、何でもない」
誤魔化すようにぶんぶんと大袈裟に頭を振った。
賢者に訊ねたのは転移の魔石の事だけではない。ドラゴンの妻や母としての話……そしてそれに付随してアンチエイジングの事も訊いたのだ。
―――まさか、あんな方法だなんて……!
最初、ドラゴンの血を飲んだことにより賢者は年を取らなくなったと聞いて、ちょっとがっかりした。
それは私はシグラの血を飲む予定は無かったからだ。
正直にその事を賢者に話すと、彼女は軽く笑った。
「血だけじゃないよ。ドラゴンの体液を大量に摂取して、不老になった人もいるよ」
「そうなんですか?」
「その人は黄金姫と言われていて、気が遠くなるほど昔にドラゴンと番になって子供を一人産んだんだけど、今でもずっと若い女性のままらしいよ」
黄金姫……ドラゴンと夫婦になった人間の女性がいるとルランから聞いた事があったけど、その人かな。ああ、子供を産んだんだなあ。それでずっと若いままって……と思い至ったところで、賢者が言いたいことを察してしまった。
「え、ええ……?あ、た、体液って……」
「私はブネさんの血を飲んだから身体が若いままなんだけど、それが無くても……ねえ?」
膨らんだ自身のお腹を撫でる賢者に、顔が赤くなった。
つまり、シグラと正しく夫婦であれば、自ずとアンチエイジング効果が発生する、と。
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賢者との話を思い出すと、更に顔が熱くなる。
「ほんとうにだいじょうぶ?ねつ、あるんじゃないの?」
「だ、大丈夫だよ!」
大丈夫だから、額同士をくっつけようとしないで欲しい!




