お風呂:(前半:アウロ視点、後半:シグラ視点)
「初めまして、ブネの妻の伊豆ウララと申します」
ぺこっとご丁寧に頭を下げた茶髪の女性。
「あ、はい。ご丁寧にありがとうございます。私は精霊ロノウェの守護する地から来たアウロと申します」
私が名乗ると、目の前の女性は「ああ、ロノウェさんの」と微笑んだ。
「ロノウェ様をご存知で?」
「はい。ブネルラに居た頃にお世話になっておりました」
髪色以外は私の知るウララさんとそっくりなのに、初対面の人と喋っているという不思議な感覚だ。
私が魔力切れから目が覚めたのは今から1時間ほど前のこと。馬車で倒れたはずなのに、柔らかい草の上で目が覚めたので、一瞬混乱してしまった。
だが傍にシグラさんとコウさん、そしてルランさんまでがいたので、何とか取り乱さずに済んだ。
そして聞かされたのは15年後の未来……ライさん達の世界に来たという事だった。
それからシグラさんと合流してもなお彼の腕の中で眠り続けているウララさんを見て、涙は与えないのかと訊ねた。すると人間であるウララさんやキララさんには、シグラさんの涙は加護を与える危険があると教えられた。正直、いくらシグラさんの涙とは言え、涙一滴で加護は付かないと思うのだが、ウララさん限定で過保護な彼に反論はしないでおく。
ただ、ロナには涙を飲ませてあげて欲しいと頼んだ。ロナはドワーフで人間よりも耐性があるので、涙ではなく血の数滴であっても絶対に加護は付かない。そう説明すると、あっさりと血を貰う事が出来た。
そして昨日のお昼ぶりに目覚めたロナに朝食を食べさせていた時に、ライさん達のご両親がやって来て冒頭の会話となったのだった。
「呼び方をどうにかしないと、此方のウララさんと混同してしまいますね」
「そうですね。では私の事は名字の方を呼んでいただけますか?」
「ああ、伊豆さん、ですか」
「はい」
彼女、伊豆さんはにっこりと笑った。
「母さん、お客さんはどうしたの?」
コウさんが訊ねると「キララに任せて来たよ」と伊豆さんは答えた。
此処は未来の世界だ、伊豆さんやブネさんもいれば、キララさんだっている。やっぱり不思議な感覚だ。
「私のお腹が大きいから、小寺さん達が遠慮しちゃってね。キララにお姉ちゃんは居ない方が良いって追い出されちゃったの。それで、手が空いたからウララちゃんのお世話をしようと思ってこっちに来たの」
伊豆さんはブネさんを連れてシグラさんの元へ行くと、首を傾げた。
「お風呂とか着替えとか、されましたか?」
シグラさんは首を振る。
「ぬれたおるで、ふいただけ」
「よろしければ私がやりますよ。あ、でも誰かに手伝ってもらいたいかなあ。キララが居てくれたら丁度良かったんだけど……」
「では私の娘のロナに手伝わせましょう。ああ、小さいですがドワーフなので力持ちですよ」
ロナも先程まで眠っていたが、特に不調を訴えることなく、食事を食べ終えるとケロっとした顔をしていた。亡き妻に似てとても頼もしい、自慢の娘である。
意思疎通ができないと困るだろうと言う事で、ルランさんが魔道具の耳飾りをロナと伊豆さんに渡した。
伊豆さんは魔道具は初めてではないようで、戸惑う素振りも見せず、すんなりと装着していた。
「これキャンピングカーですよね。バスコンのようですが、シャワーが付いていたりするんですか?」
「付いていますよ。この車はウララさんの持ち物なので、伊豆さんも持っているのでは?」
「いいえ、私は持っていませんよ。キャンピングカーを買うかどうか迷ったことはあるんですが、その時は別の物を買いましたし。あの、この車のシャワールームを使わせてもらって良いですか?外でも別に構わないんですが、バスタオルで目隠しはしますが男性がいる場でお風呂なんて可哀想な気がしますし」
私はシグラさんの顔を見る。車はウララさんの持ち物なのでシグラさんは少し迷っている様子だったが、“男性が居る場で風呂”というキーワードが無視できなかったらしく頷いていた。
シグラさんが許可を出したのを見た伊豆さんは「ブネさん、」と彼女の伴侶を呼んだ。
ブネさんは手にツルツルとした布を持っていた。不思議そうに見ていると、伊豆さんが「これはポータブルバスタブと言って、組み立てるとバスタブになるんですよ」と教えてくれた。
本当に便利な物がある世界だ。魔法も魔石も無いので、私達の世界とは全く違う進化の仕方をしているのだろう。
伊豆さんがロナを連れて車の中へ入ると、続いてポータブルバスタブを持ったブネさんと、ウララさんを横抱きにしているシグラさんが車の中へ入って行った。
それからすぐにシグラさんとブネさんは出て来た。元々彼らはバスタブの設置とウララさんを連れて行くだけの役割だったのだろう。
……シグラさんもブネさんもエントランスドアの傍に立ち、そこから離れる気はなさそうだ。威嚇されそうだから、近寄らないでおこう。
『お兄さん、ルランさんですよね?』
『そうだけど……たしか君はプルソンルラでシグラ様が保護をした子供だったね』
コウさんがルランさんに話しかけていた。そう言えばルランさんはライさんやコウさんを保護した時には我々と行動を共にしていたんだった。一方でライさんやコウさんはその時は気を失っていたので、ルランさんの事は知らない。
『俺はコウって言います。実は俺、この世界の人間だったんスけど、まあそれは今はどうでもよくて』
『?』
的を得ない言葉に、ルランさんは不思議そうな顔をして首を傾げた。私もよくわからないままに、彼らの会話に耳を傾ける。
『テランさんって人、知ってます?』
コウさんの口からテランさんの名が出て、ハッとした。そうだ、テランさんが合流したことをルランさんに教えてあげないと。
『テランは俺の弟だけど、どうして君がその名を知っているんだ?』
『俺ら向こうの世界でテランさんと合流したんスよ。今はー……ええっと、アウロさん。テランさんってどうなりました?』
此方に話を振られ、ルランさんも私の方を見た。
『馬車にいらっしゃいます。私同様、魔力切れで倒れています』
『え……倒れた?』
ルランさんはちらりとシグラさん達の方を見て、今は特に自分に用事は無いだろうと確認してから、再度私を見た。
『テランさんの所に行ってあげても良いと思いますよ』
そう言って背中を押すとルランさんはこくりと頷き、馬車の方へと足早に向かって行った。
それを見送ったコウさんは「確かにキラキラしてるなあ……」と呟いたのだった。
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車内からのちゃぷちゃぷという水音を耳に入れながら、ブネに“賢者の再起不能未遂話”の真相を聞いていた。
≪……つまり、賢者を再起不能にしかけたというのは、そう言う事か?≫
あまりにもマヌケすぎる話だが、私もウララに加護を与えるとタガが外れそうで笑えない。とはいえ、私には番の雌に絶対服従という縛りがあるので、ブネのようにウララを好き勝手に扱う事はできないとは思うが。
≪しかし、確かにこの話は子供達に聞かせない方が良いだろうな。ウララが壊れる≫
≪だろう?≫
ウララは恥ずかしがり屋だ。その気質は15年後の賢者も変わっていないとブネは言う。
≪そこがまた可愛いのだ。人前で少し悪戯すると、顔を真っ赤にしてな……≫
その言葉は聞き捨てならないな。
≪まさかとは思うが、今も加護を与えているのを良い事に、賢者に無体を働いているのではないだろうな?≫
賢者は私のウララではないが、それでもウララである事に違いは無い。辛い思いをしているのなら、何とかしてやりたい。
ブネは≪悪戯と言っても軽くじゃれつくだけだ≫と首を振った。
≪幸せにしてやりたい者を……ウララを命令で抑えつけるなど私には出来ない。ましてや無体など……≫
どうやら相当蜜月時の事がトラウマになっているようだ。ブネは憂鬱そうに溜息を吐き、言葉をつづけた。
≪加護を与えた者に絶対服従ゆえ、ウララは私の強い願いに反抗出来ない。なのでウララと会話するにもその加減を気にしなければならないのだが、慣れるまではかなり辛いぞ。お前もいずれはウララに加護を与えることになるのだ、覚悟しておいた方がいい≫
≪私はウララと番関係にあるゆえ、そこまで悲惨な事にはならないと思うが≫
≪番……≫
ブネは再度溜息を吐き、≪羨ましいものだ≫と呟いた。賢者と番関係になりたくて仕方がないのだろう。
私はすんなりとウララと番関係になれたので、ブネの苦しみはわからない。だが、想像は出来る。
やはりドラゴンにとって番関係は大事なものだ。他のドラゴンに愛しい存在を奪われる事がなくなるという安心感もある。
≪まあ、加護も悪い事ばかりではない。身体の頑丈さが爆発的に上がるからな。ただし、我らはドラゴンゆえ、我らの体液を大量に摂取させる事でウララを人間の理から外してしまう事になるが≫
理から外れる―――つまり、人間ではなくなると言う事だ。
≪血以外でもやはりそうなのか?≫
ドラゴンの唾液でも治癒効果はあるが、寿命を延ばすまでではないと思っていた。
≪……恐らくな。私のウララは私の血を飲んでいるから参考にはならんが、他の奴がそうだった≫
≪他の奴?≫
≪黄金姫だ。お前は会った事はあるか?≫




