逆転:シグラ視点
朝日が差してきた。
防視の結界を張っている筈だが、光が入って来ている。何か特殊な結界なのだろうか?
不思議に思っていると、ブネと賢者の気配が此方に近づいて来るのを感じたので、彼らを中に入れる為にまた檻の結界を張り直した。
やがて姿を現したブネは折り畳み机と大鍋を持っており、大鍋からは私のウララがいつも作る料理と同じ匂いが漂ってきた。その後ろから食器類を持ったエプロン姿の賢者も現れ、彼女はブネの前に出てくると「おはようございます」と私に挨拶をした後、深々とお辞儀をした。
「ブネさんからシグラさんが子供達を連れ戻してくれたと聞きました。本当に……本当にありがとうございました。それで朝食を……うわ、びっくりした。私がいる」
顔を上げた賢者は、私の手のひらで丸まって眠っているウララを見てびくりと体を震わせた。
まあ、驚くのも仕方ないか。
それに対して「お姉ちゃん、この黒髪お姉ちゃんはシグラの嫁だってさ」とキララ(大)が説明した。
キララ(大)は小さい自分を車の中で見つけてからは、ずっと私の傍に座ってキララ(小)の事を触ったり、頬をぷにぷに突いたりして遊んでいた。
その合間に私とも話をしたりしていたので、実はブネ達以上に彼女とは情報共有をしている状態だ。
「キララ、そこに居たんだね……って、小さいキララもいる!」
賢者は食器を落とさないように素早くエプロンのポケットからスマホを取り出し、パシャパシャと写真を撮りだした。
「可愛いー。小学生くらいだよね」
「髪の毛長かったのは小学生までだったからな。その写真、父さんに送ったら、びっくりするかな?お姉ちゃんに続いて私までいつの間にか子供が居たのか!って感じで」
「信じるわけないでしょ。まだ20代のキララにこんな大きな子供がいるわけないし」
彼女らはきゃっきゃとはしゃいでいたが、私とブネの視線に気づくと“こほん”と咳払いをした。
「……私、昨日は途中で眠っちゃったから事情をよく分かっていないんだけど……取りあえず“私”や“キララ”の事、起こさないの?」
「ああ、それがさあ。シグラから聞いたけど2人とも眠り薬で起きないらしいぞ。私がどれだけ触っても起きないから嘘じゃないと思う」
「え?」
話が長くなりそうだと感じたブネは、折り畳み机を設置してそこに大鍋と、賢者から食器を受け取りそれも置いた。
私はナベリウスとカエデの従者の話をブネと賢者にも聞かせると、二人は心配そうな顔になった。
「名のある精霊の加護を持つエルフが作った薬なら変な物ではないだろう。だが、出来るだけ早く目を覚まさせてやった方が良いぞ。人間は脆いゆえ、5日も寝かせるわけにはいかない」
「それなんだけど、らいたちの、なみだがほしいんだけど、くれる?」
私の言葉に、ブネと賢者は顔を見合わせる。
「涙で良いのか?……血の方が……」
「なみだで、だいじょうぶ」
恐らく子供ドラゴンの血であっても、少量なら加護は付かないだろうが、だからと言ってライ達に血を出させるのはウララも賢者も嫌がるだろう。
それをブネと賢者に伝えると、賢者は神妙そうに頷いた。
「そう言う事だったら、私、ライ君達のところに行ってきます。あ、その前に」
彼女は穴の方を見て、そして私に視線を戻した。
「今、穴に入れてるシグラさんの尻尾って、檻の結界で保護されていますよね」
「うん。そのあなのなかに、ずっとからだをいれてると、かたちが、たもてなく、なるからね」
賢者は顎に指を置く。
「つまり、結界自体は穴の中でも形を保てるんですよね?」
「んー……」
確かに結界は穴の中でも暫くは耐えているが、やはり徐々に形が保てなくなり、消える。
「完全に無事というわけではない。常に何重にも結界を張っていて、一枚が消える度に新しい結界を張るという作業をしているんだ。そうやって維持している」
ブネがそう言うと、賢者は「穴の中で結界が維持出来るというのが大事なの」と言った。
「ブネさん達はその穴が塞がらないようにする為に、自分の腕や尻尾を差し込んでいるんでしょう?なら、檻の結界を差し込んだ状態にできれば、ブネさん達がいなくても穴は維持出来るんじゃないかな?」
「「……」」
確かにそうかもしれない。
しかし一つ、問題がある。
「結界を張った者が結界の中にいなければ、結界は穴に吸い込まれるぞ、ウララ」
檻の結界は簡単に言えば外と内で干渉しあわない性質の結界だ。内で火を焚いても外に熱は伝わらないし、高い場所から結界を落としても中には衝撃が伝わらない。
しかし、結界を張った者だけは結界をコントロールすることができるので、それを利用して干渉することは可能だ。
つまり、結界を張っている私が結界の中で踏ん張っているので、結界はこの穴に吸い込まれていないのだ。まあ、力を制限される人間の姿とは違い、今はドラゴンの姿なので、踏ん張らずともただその場にいるだけで吸引力に勝っているが。
「確かに結界の中にはいなくちゃいけませんが、でも、ずっとその穴に腕なり尻尾なりを入れておく必要がないのであれば、幾分か身軽になると思いますよ」
賢者の言葉を聞いてブネの方を向くと、奴も此方を見ていた。
子供達の命が掛かっていたので、ブネは穴の維持に必死だっただろうから、楽をするという発想がまず無かったのだろう。
私も半日ぶりのウララとの再会ですっかり浮かれていたので、先程まで何も考えずに穴の維持をしていた。ウララ以外興味がないので、仕方ない。
≪……尻尾を抜く。ブネ、念のために警戒していてくれ≫
≪わかった≫
その場から立ち上がるとすんなりと尻尾は抜けた。
穴の中に入っている結界の一部は、尻尾の形のまま残っている。
そして穴は……特に変わりなく維持できているようだ。賢者が言った通り、穴の維持はこれで問題無いだろう。
≪人間に擬態するのか?≫
≪いいや、この姿のままいる。人間に戻ったら踏ん張らないといけなくなる≫
それはちょっと面倒だ。
≪それなら人間に擬態し、一部だけドラゴンに戻せばいい。この穴の吸引力程度それで十分だ≫
そう言えば、私と最初に遭った時にブネはドラゴンの翼を出していたか。
人間の姿の方がウララを抱きしめるのにも丁度いいし、そうしよう。
≪あ≫
“ウララ”で思い出したが、賢者が居るのについドラゴンの言葉で会話してしまっていた。
慌てて彼女に謝るが、特に気にしていないようで「よかったですね」と微笑んだ。
しかし―――
「ずっとその場にいるのは大変ですからね。……ねえ、ブネさん」
賢者の優しそうな雰囲気が一転する。
名を呼ばれたブネは瞬時に背筋を伸ばした。
「今度ブネさんがこの穴を維持する番になったら、絶対に山荘まで檻の結界で囲んでね?間違っても私一人を何処かに閉じ込めるなんて事、しないでね」
賢者はにこおっと笑う。笑っているのに何だか怖い。
ブネは顔を青くしながら「すまない」と謝った。
「一昨日はコウも帰ってこれなくなるし、青竜のこともあって……気が動転していて……」
「それはそうだけど、報連相は基本中の基本だって教えたよね。……私、本当に不安で怖かったんだから、次からは気を付けて欲しいの。わかった?ブネさん」
「……はい。……ごめんなさい、ごめんね、ウララ」
ブネの謝罪に賢者は途端に顔を赤くする。そして少し不満そうに唇を尖らせた。
「わ、私がアナタのその謝り方に弱いって知ってて言ってるでしょ!」
赤くなった顔を隠すように両手で覆い後ろを向くと、賢者はライ達の元へ行くために足早に去って行った。
そしてブネも「走らないでくれ、危ない」と追いかけて行ったのだった。
勿論、結界で彼女らの歩みを止めないように、丁寧に迅速に結界を張り替えたのは言うまでもない。
それにしても、加護を与えた者と与えられた者という関係なのに、主従関係が見事に逆転しているような……?




