眠り:シグラ視点
「リュカね、お兄ちゃん達が言ってたのを少し聞いてたの。ママは起きれなくなっちゃったって」
「どういうこと……?」
恐る恐る腕の中のウララに目を向ける。
苦しげな様子は無く、気持ちよさそうに眠っているだけに見えるが……そう言えば確かに起きる気配はない。
「それでね、アウロのおじちゃんから涙で治るって教えてもらったみたいで、お兄ちゃん達、頑張って泣こうとしてたよ」
「……なみだ……?」
涙といえば、妖精草や妖精香を思い出す。あの時と同じような状態なのだろうか。
私が行った時にウララ達はアミーに襲われていたが、奴の仕業か?
アウロに詳しく事情を聞かなければ。そう思っていると、車の外からブネの声が聞こえてきた。
≪シグラ、穴の管理を頼んでいいか。私は妻と子供達を部屋に連れて行って寝かせてやりたい≫
≪あ……、ああ≫
私はウララを横抱きにし、リュカを連れて車を出た。
車の傍には、私がこの世界に連れ帰った時と同じ体勢のまま、ドラゴンの姿のライ達が気を失っていた。
リュカはそんな兄達の姿に驚いたが、それ以上に少し離れた場所で穴の維持をしているブネを見つけて、目を真ん丸にした。
「パパがここにもいる!!」
“リュカが寂しいと思ったから、増えちゃったのかな……”などとぶつぶつ言いながら、更に近くの木の下で結界に包まれて眠っている未来のウララ……賢者を見て、もっと驚いていた。
「ママも2人いる!お腹も大きい!!」
リュカは私の傍から離れ、自分の母親の方に駆け寄って行く。そして檻の結界の膜をぺたぺた触りながら唇を尖らせた。
「パパ、結界解いて。ママに触りたい」
「ここでは危険だから駄目だ。リュカ、危ないから私が行くまでお前もそこに居なさい。……シグラ、穴の方を頼む」
「わかった」
私はウララに結界を張り、しっかりと抱きしめてブネと位置を交代する為に穴の方に近寄っていく。
私の腕の中で眠るウララの姿を見たブネは、懐かしそうに目を少し細めた。
≪私達の住処にお前の番の部屋を用意しよう≫
≪いいや、今はいい。彼女と離れたくないし、ベッドなら自前のものがある≫
≪そうか≫
穴へ腕を伸ばそうとして気付く。このまま腕を穴に入れてしまえば、ウララを抱きしめる事が出来ない。
≪どうした?≫
≪少し待ってくれ≫
ウララを抱えたまま擬態を解き、ドラゴンの姿に戻る。そしてウララを手のひらに寝かせると、私は後ろを向いて尻尾を穴に入れ、檻の結界をウララごと自身に張った。
ウララも眠るなら片腕で担がれるより手のひらに寝かされる方が良いだろう。
……まあ、ドラゴンの手だから、硬くて寝心地は悪いかもしれないが。
解放されたブネはまずは賢者の元へ行き、結界に包んだままの彼女を右腕に担いだ。それからライ、コウ、レンの方へ行き、怪我の有無を確かめてから彼らをまとめて檻の結界に入れてひょいと左腕で担ぎ上げた。子供達はドラゴンの姿なので、かなりの嵩になっていた。
「パパー、リュカも抱っこして」
「腕が両方ふさがっているから。自分で抱きつけるか?」
「うん」
ブネが腰を屈めればリュカは勝手知ったるや、ぴょんっとブネの胸元に飛びつき、ぎゅうっとしがみ付いた。彼らにとって、これが日常なのかもしれない。
≪ではシグラ、朝にまた来る≫
≪わかった≫
妻と子を無事に全員確保できたブネは、満足そうな笑みを浮かべてこの場を後にした。
あれが、そう遠くない未来の私か。
―――さて。
『アウロ、アウロ!訊きたい事がある!』
ウララに起こっている異変を訊こうと声を張り上げた。
だが、奴は姿を見せない。気配はあるので眠りが深いのか、もしくはアミーに襲われていたことを考えれば、気を失っているのかもしれない。
どうしようかと考えていると、アウロの代わりに別の奴が私の目の前に現れた。
『シグラ殿、こいつらはどうする?』
見覚えのない雄2人を小脇に抱えた人型のナベリウスだった。先程まで狼の姿だったのだろう、奴は全裸だ。ウララに“人間の女の裸を見るな”とお願いされているので、こいつに興味など微塵もないが顔を少しだけそむけた。
それにしても、怪我でもしているのか、ナベリウスが抱える雄達からは咽かえる程の血の臭いがする。
『それ以上ウララに近づくな』
血の臭いのせいでウララが悪夢を見てしまうかもしれない、それは断固として阻止だ。
雄達のうち片方は死にかけているようだ。そしてもう片方には意識があり、私を見て怯えていた。
『そんな死にかけの雄ではなく、アウロを連れてこい』
『アウロなら、魔力切れで馬車の中で伸びている』
魔力切れか。こればかりは私にはどうしようもないな。仕方ない、ナベリウスでいいか。
『貴様はウララの異変を知っているか?』
『異変?ああ、眠りから覚めないというあれか?』
『これはアミーの仕業か?』
『いいや、違う』
私を怯えながら見ていた雄が『そ、それなら……!』と会話に割り込んできた。
『末裔様方は散布した睡眠薬により、眠られている状態だと思います!』
何やら知っていそうな口ぶりだ。
『ナベリウス、その雄共はどうしたんだ』
『ライ達が拾った。放置すれば片方は死ぬが、どうすればいい?』
ライ達の拾い物か。ならば、生かしておいた方が良いだろうか?ウララの状態の事にも詳しそうだし。
『貴様がウララに睡眠薬を盛ったのか?』
『いいえ。しかし、その睡眠薬を調合したのは私の部下で、精霊アスタロトの加護を持つエルフです』
『アスタロト?』
知らない名だ。しかしナベリウスには心当たりがあったようだ。
『シグラ殿、アスタロトはドラゴンを番にしている蛇女だ。私は昔、シグラ殿の番になる為に何が必要なのか訊こうと、その女の元へ行った事がある』
しかしアスタロトは毒に精通した者であり、同じく毒のブレスを吐く自分と反発し、争いになったとナベリウスは低い声で言った。この様子だとナベリウスはアスタロトという雌の事が相当嫌いなのだろう。
『その睡眠薬は時間経過で切れるものなのか?』
雄に訊けば、奴は『普段は解毒剤で起こすので、解毒剤なしだと5日は起きないと聞きました』と言った。
『5日だと?ウララが衰弱してしまう!解毒剤は何処だ!』
『解毒剤はカンベという男に破棄されました。睡眠薬を作ったエルフならば解毒剤が作れますが、それもカンベに連れ去られ、行方がわからず……』
『アスタロトの毒を受けた私にはわかるが、奴の加護を持つエルフが作った毒ならば、下手な解毒剤では効かないぞ、シグラ殿』
『……』
私の知人にブエルと言う奴がいるが、奴ならばウララの毒も解毒できるかもしれない。しかし、それよりも一番簡単で確実なのはアウロが指示したように、ライ達に泣いてもらう事だ。
今すぐにライ達を連れ戻し―――
“ふー……”、と自分自身を落ち着かせるために息を吐く。ウララの事になると我を忘れてしまいそうになる。
今ライ達を叩き起こしに行ったら、間違いなくブネに攻撃をされる。それに子供達に無理をさせたと知られれば、ウララにも賢者にも怒られる。更に私がこの場を離れれば、維持しているこの穴もふさがってしまうかもしれない。
冷静になれ、冷静に。
ウララはただ眠っているだけなのだ、まだ慌てる事態では無い。治すのは明日で良い。
明日、ライ達に涙をくれと頼めばいいのだ。
『シグラ殿の涙があれば治るだろう?』
ナベリウスは不思議そうにしていた。
『私の涙では、駄目なのだ』
『何故?』
『……貴様には関係のないことだ』
そうだ、ライ達に頼みごとをするのだから、ライ達が拾ってきた人間の手当てでもしてやろう。
『血をやる。何か器を持ってこい』
新たにここ一帯、私とウララを起点にナベリウス達や車までを入れた檻の結界を張り、私とウララだけを包んでいた結界は解いた。
それを見たナベリウスは一度頷くと、器を探しに車の中へ入って行った。
私の前でナベリウスに放置される格好となった雄2人を見る。意識のある方は『血を下さるのか』と泣いていた。
次に瀕死の方を見る。ウララとそう変わらない年頃の雄だった。
血をやれば恐らくこの雄にもルランと同じように加護が付くだろうが……まあ害にはならないだろう。
……加護か……。
私の手のひらで眠るウララに目を向けた。
加護が付くのは、何も血だけではない。
ブネの加護が賢者に付いていると聞いた際に、ついでにとブネから教えられた事がある。
―――血が一番効率が良いが、肉や体液など……加護を与える者の一部を一定以上の量摂取する事で、加護は付く。その摂取量はまちまちだが、与える方が強ければ強いだけ、与えられる方が弱ければ弱いだけ、あっという間に付く
ブネは、血以外のモノで加護を得た者を見たことがあるそうだ。私も、キララが水によって聖女の加護を得たのを知っている。
だから、私の涙でも加護が付く可能性は十分にあるということだ。
妖精草や妖精香の時は偶々付かなかっただけで、もしかしたら次は……と考えれば、迂闊にウララに私の涙を与えることは出来ない。
まあ、偶々でも私の涙で加護が付かなかったのだから、子供ドラゴンの涙なら確実に加護は付かないだろう。今回、ライ達が傍に居てくれて本当に良かった。
手のひらで眠るウララが寝がえりをうった。
やはりごつごつとした手が気になるのか、彼女はしきりに寝心地を確かめるようにすりすりと身体を擦り付けている。
彼女を見ていると胸のあたりがほわほわして無性に口づけをしたくなるが、これも唇同士のそれは自重しないといけないだろう。
「うらら、すきだよ」
指先で彼女の頭を撫で、そしてウララが眠っている時にしか口に出来ない言葉を言う。
私達は番だから、いつかはウララに加護がついてしまうだろう。しかしそれはウララが納得した上でなくてはならない。
それに私はウララに加護を与えた後の自分が怖かった。
先日もウララと加護の話になった時に加護を付ければウララに無茶な要求をしてしまうかもしれないと話したが、それは確信に近いものだった。
ブネを庇ったが為に致命傷を負ってしまった賢者の話をしている時のブネが脳裏に浮かぶ。
私は奴を見てゾっとした。
奴は泣いていたが、それと同時に心底嬉しそうな顔をしていたのだ。




