翼の下:ライ視点
レンが馬車の二階部分に先程の2人の男を降ろす。元気な方の男はしきりに“血をくれ”と言っているが、もう少しだけ我慢してほしい。
「どうする、ライ」
「……どうするって言われても」
とにかく逃げなければならないので、適当に飛んではいるが、このままでは駄目だろう。
ちらりと下を見ると、そこは集落だった。結構な高度で飛んでいるとは言え、地上からはドラゴンが飛んでいると確認されるかもしれない。子供ドラゴンは狙われやすいのだ、出来るだけ目立たないようにしないと。
しかしあまりに高度が高すぎると、檻の結界を張っていない今は人間である先輩の身体は耐えられないし……。
「コウ、海に行こう」
「海?」
「集落よりも海の上空の方が人の目が無い」
「……ああ」
コウも下を見て、頷いた。
「日が昇る前に行かねえとな」
「そうだな」
「……それで、海ってどっちの方角にあんの?」
そう言えば知らない。南の辺境伯爵領が海の傍だったけど、そもそもどちらが南なのか、北なのかがよくわからない。地球と同じで月が沈んでいる方向が西で良いのだろうか?
『あの、ナベリウスさん、海に行くにはどちらに向かって行けば良いですか?』
悩むよりも訊いた方が良いだろうと思い、ナベリウスさんの方に目を向けると、チリっと炎が小さく爆ぜる音がした。
彼女は警戒しながら、ある一点を集中的に見つめていた。
『どうしたんですか?』
『……嫌な、臭いがする』
『アミーですか?でもアイツが居るのは、そっちの方角じゃないで……』
と、そこに鋭い風切り音が聞こえて来た。
嫌な予感でもしたのか、バスコンの隣を飛んでいたレンがコウの前に飛び出し、何かからコウを庇った。
「ギャンっ!!」
「レン!?」
その“何か”はレンの額に辺り、跳ね返ってバスコンの屋根にカランと音を立てて落ちた。それは溶けて変形した白い石だった。
石が当たったレンは脳震盪を起こしたようで、ぐらりとその身体が傾いた。
「レン!」
バスコンを持っているので両手がふさがっているコウは、首を思いきり伸ばし、落ち行くレンの翼を口で咥えた。レンを落とさずに済んだので、一先ずホッとする。しかし……
「攻撃されたのか?結界を張っているのに……!」
石が飛んできた方を見れば、物理反射と魔法反射の結界にソフトボールくらいの大きさの穴が開いているのが確認できた。
さっきの一発で貫通したのか!?
『ナベリウスさん、嫌な臭いって敵ですか?今度は何が来たんですか!?』
ガルルルルと唸り続けるナベリウスさんに訊くと、彼女は顔を顰めた。
『この臭いはアミーだ』
『でも、アミーは……』
『アミーの本体が来たんだ』
『本……体?』
言葉の意味を理解する前に、ぞわっと悪寒が走る。
そしてまた風切り音が聞こえた。
一瞬身体が竦んだが、今度は攻撃ではなく、僕らの目の前に大きな炎が現れた。
それは先程まで相手をしていた不気味な炎とは比べ物にならない程の威圧感がある、人間の形をした炎だった。
奴はにやりと笑う。
―――あれが、アミー……?
身体の奥から震えがきた。
敵が来たのだから怖がっている暇などないのに、身体が委縮してしまう。まるで蛇に睨まれた蛙のようだ。
「返せ!!!」
僕はすっかりその場の空気に飲まれていたが、コウの悲鳴のような声が聞こえ、我に返る。
そしてレンがアミーの炎に首を掴まれ、ぷらーんとしていているのが見えた。アミーはコウからレンを奪ったのだ!
ぎゃはははは、と奴は下品に笑った。
『こいつがブネのガキか?凄えー似てるなあ!!おっと!』
レンを取り戻そうとコウがブレスを吐こうとしたが、アミーはレンを盾にするように掲げた。
これでは手も足も出ない!
更に僕達の事も逃がすつもりはないのか、奴の炎がぐるりと僕達の周りを囲んだ。
『ハイハイハーイ。よく聞けよガキ共。お前らのパパには、ちょーっとばかし借りがあってな?』
おちゃらけたような口調だが、じわりじわりと嫌な威圧が増してくる。
『か……借り?』
『俺の身体を細切れにして封印しやがったんだよ!!』
周りを囲む炎の火力が一気に上がる。
『まあ、ブネはマヌケだからな。俺を全て封印したと勘違いしてたみたいだが、意識だけは聖騎士に移して逃げてやったがな!』
奴が声を張り上げる度に、レンの身体が振り回される。
『しかしよお!!乗っ取った聖騎士の身体を使ってブネの嫁をズタズタに犯して調教してやろうと思ったのによお!!別の雌と間違えてりゃ世話ねえわ!!』
一頻り怒鳴り散らした後、アミーはぐるんっと頭を回して、バスコンの方を見た。
『本物の嫁はあそこだろう?』
身体が強張った。心臓が嫌な音を立て始める。
『知ってるんだぜ?俺の身体の一部が見聞きした事は、俺とその身体が合体すれば全部共有されるからな。俺の身体は見てたぜえ?ブネが“どんくさそうな女”をだらしない顔つきで見てたのをなあ!』
更に炎の火力が上がる。魔法が効かない僕にもこの熱がわかるのだから、これは魔法ではないのだろう。つまり、魔法反射の結界では防げない炎なのだ。
―――車の中にいる先輩達の身が危ない
そう思い、翼を羽ばたかせ炎を追い払おうとするが、僕の力では炎はびくともしない。
どうしたら良いんだ……!
『ああー……、本当にダルいわー。張り切って調教した雌はブネの嫁じゃなくて、んでもって本当の嫁はどんくさそうな、あか抜けない雌ときた。正直そんな田舎くさい雌を犯してもテンション上がんねえんだよなー』
でも、ブネの悔しがる顔は見たいしな~などとアミーは芝居じみた振る舞いをする。
『そうだ!嫁を犯して身体引き裂いて、その周りにガキ共の首をちょん切って並べよう!それってテンション上がりそうだわ!なあなあ、どう思う?俺天才じゃね?』
『母さんを侮辱するな!悪趣味野郎!!』
我慢できなくなったコウが吐き捨てるように言った。そんなコウを、アミーはにやにやしながら見ている。
―――こいつ、愉しんでいる……!
怒れば怒るだけ、アミーを悦ばせるだけなのだ。しかし、僕はコウを止められなかった。
僕も怒りと悔しさで頭がいっぱいだったからだ。
『お前なんかに俺らは簡単には殺されてやらねえし、母さん……先輩には指一本触れさせねえ!!』
『弟すら奪い返せない奴のセリフかよ~』
激昂するコウに対して、アミーはケラケラ笑いながら玩具のようにレンの身体を振り回しだした。
『ドラゴンの身体って丈夫だよなあ。どんぐらいで千切れるかやってみっか』
『『止めろーー!!』』
僕とコウの叫び声と共に、ナベリウスさんが走りだした。
彼女は馬車を蹴り、一足飛びでレンの頭に着地する。
『レンを離せ、アミー』
『ああん?満身創痍の犬っころが何命令してんの?』
『な、ナベリウスさん!』
2人は一触即発状態になる。助けに入ってくれたのは嬉しいが、あんなところで名のある精霊同士が戦えば、レンはひとたまりもないだろう。
レンの事なんてお構いなしのアミーはもとより、脳筋のナベリウスさんがレンをどこまで気遣ってくれるか不安で仕方がない。
レンの頭の上でこれ以上むちゃくちゃな事をしないでくれ、そう叫ぼうとした、その時―――僕の目の前に膜の壁が出来た。
「……え……?」
アミーの炎であんなに熱かったのに、その熱も感じない。
何が起こった?
目をぱちくりさせながら、上を見上げると……
よく見知った、大きな体躯の紅竜がいた。
紅竜は、怒りに満ちた表情をしている。
「―――え?ええ?」
安堵や嬉しさよりも戸惑いがまず出てきた。
どうしてここに居るのか、都合のいい妄想ではなく現実なのかなど、色々な感情や考えがぐちゃぐちゃになって一気に頭に押し寄せる。
しかし感情はどうあれ、この紅竜の翼の下にいれば絶対に安全だと身体が知っているから、勝手に身体の力が抜け、僕は檻の結界の床にぺしょんっと転がり落ちた。
前を向けばコウも僕と同じように床に座り込み「何で……?」と呟いていた。
紅竜は僕達の入っている檻の結界を持ったまま、大口を開けてレンを持つアミーの炎に噛みつき、力任せに千切った。
アミーの手から離れたレンの身体を紅竜はすかさず口に咥えると、上へと飛翔する。
炎の腕を噛み千切られたアミーは発狂したように叫びながら追いかけて来ているが、紅竜はそれを無視し、そして……上空に漂う靄の中へと飛び込んでいった。




