アイデンティティ:後半からカンベ視点
次の日の朝、5人の自警団の兵を従えた熟年の男性が車の前にやってきて、全員で頭を下げた。そして熟年の男性が「しゃおしゃお……」とのべつ話しだした。
深夜の手荒い訪問で神経をすり減らし、なおかつ寝不足気味なところに、マシンガンのように「しゃおしゃお」と言われても何も頭に入ってこない。フィルマ語だからそもそも理解できないのだと考える事すらも忘れていた。
なお、彼らとは、ライ達が張ってくれている檻の結界越しの対面である。見た限り、自警団員は結界を壊す虹色の十手を所持していないようなので、今は一先ず結界を壊すつもりはないのだろう。これなら新規の檻の結界を張らずに済むので、ライ達のこれ以上の消耗は避けられるようなので、ホッとした。
注意力散漫気味な私に、アウロが念話で【ゴーアン侯爵家とガビ子爵家に問い合わせたところ、我々の事はくれぐれも失礼のないようにお願いすると言われたみたいですよ】と教えてくれた。
特にゴーアン家からは“くれぐれも”を何度も念押しされたとか。
「しゃお」
熟年の男性はスッと私に手を差し出してきた。
【この街の代表者の屋敷に招待するので、御同行お願いします、と仰っています】
アウロの念話を聞いて、私は思わず顔を顰めた。
何の為にゴーアン家やガビ家の名前を出したと思っているのか。
ライが張ってくれている防音の結界の中に私が入ると、アウロも察してその中に入ってくれた。そして臨時の作戦会議を開く。
「マシンガントークが凄いですが、彼はどんな事を主に話しているんですか?」
「先程も念話で言いましたが、代表者の屋敷に来るようにと執拗に言ってきていますよ」
肩越しにちらりと自警団達を見る。彼らの表情は友好的でも敵対的でもなく、あくまで事務的なものでしかない。アウロに視線を戻す。
「屋敷に招待って……何か思惑があるんでしょうか」
「おそらくはあるでしょうね。どうしますか?ウララさん」
「侯爵家と子爵家の御威光に守られているうちは、此方の言い分が通ると思うんです。なので、この結界の外に出る必要は無いと思います」
シマネの代表者と顔見知りになりたいわけでもないので、人となりも知らない身分の高い者達の思惑に乗るのは避けた方が良いだろう。もしかしたら、何かに巻き込まれて取り返しのつかない事になるかもしれないし、そうなればシグラが傍に居ない今、私達は抵抗も出来ずに巻き込まれるしか出来なくなる。
それに、既にニホン公爵家の方でゴーアン家やガビ家と連絡を取ったと言う事は、ここで時間を稼げば、ゴーアン家やガビ家が何かしらの行動を起こしてくれるかもしれない。
特にゴーアン家の過剰反応を見るに、すぐにでも手を打ってくれそうな勢いだ。シグラがドラゴンだと知っているからだろうなあ……。身分証提示の際に敢えてシグラの名を出したが、今になって申し訳なさを感じる。
「同感です。では、一貫してお断りの方向で」
「はい、お願いします」
アウロの言葉に頷くが、すぐに「あ」と思い出した。
「宿屋に迷惑が掛からないようにしてくれと、注意してくれませんか?」
数名の自警団が集まっている段階で、既に迷惑料を払わなければいけないような状況だが、これ以上に酷くなる事は避けたい。
そう思ってアウロに言うと、彼はにこやかに笑って人差し指を立てた。その人差し指に輝くのは子爵から貰った指輪だった。
―――……ちらちらと子爵から貰った指輪を見せながらのアウロの交渉の結果、自警団は粘る事も無く引き下がってくれた。もっとも、納得したからというわけではなく、子爵の威光を無視して粘っても良いのか彼らでは判断出来ないからだろう。
「きっと、次はもっとお偉いさんが交渉に来るでしょうね」
「でしょうね」
はあ……と溜息を吐くと、アウロは馬車へ、私は車の中へ入った。
さて、この檻の結界を維持してくれているライとコウの好物を沢山作らないと。
■■■
『彼らは荷馬車から離れるのを拒否していると?』
茶室にて自警団の団長の報告を聞いたカエデ様は苛立ったような顔つきになられた。
そして少し思案した後、『わかった』と頷かれた。
『ゴーアン家とガビ家と揉め事を起こす事は避けたい。彼らの要求を全面的にのもう』
その言葉を聞いた団長は短く『はっ』と返事をすると、茶室から出て行った。
『カンベ叔父上、末裔は成人したての若い女性と、成人前の3人の男子、1人の女子だったか?』
カエデ様は防音の効果のある魔道具を起動させ、私に話しかけてこられた。
『はい。末裔様には供として腕の立つ女性が1人、成人前の男子1人が同行していました。そして途中でエルフの男と成人前の2人の女児が合流しました。確認はしていませんが、合流した女児達も末裔の可能性はあるかと思います』
『それらが件の荷馬車にいるのは間違いないな?』
『はい。確認致しました』
『全く……!』
カエデ様は下唇を噛む。
『若い末裔は濫りに外へ出てはならぬと家の者に言われているだろうに!』
ニホン公爵家では近年、婚姻を結んでいない若い賢者の末裔は濫りに家から出てはならぬという不文律が出来ていた。
これには、切実な理由がある。
ニホン公爵家は賢者の家系だ。
フィルマ王国では度々日本出身の賢者が召喚され、その賢者が婚姻して子供を成せば、それをニホン公爵で引き取ってきた。同郷の者を助けるという大義名分ではあるが、実際の所は新しい日本人の血が欲しいだけの行為である。
しかしここ最近では日本出身の賢者が召喚されず、新しい血が補充されない為に、直系でも日本人の血が薄れてきてしまっていた。その為、日本人としてのアイデンティティを保つために末裔同士の婚姻が盛んになっているのだ。
ニホン公爵の直系の娘で他家に嫁いだのは20数年前……私の姉のサクラコがゴーアン家に嫁いだ時まで遡らなければならない有様である。
また、王家との約束により賢者の直系のみに賢者の事を伝えるのを許されており、傍系や忠実な家臣達にすら賢者の事は秘匿とされている。その為、余計に直系は“日本人の血”に対して重きを置いているのだ。
私は今では公爵家の傍系だが、父が先代のニホン公爵だった。なので、世代交代前のまだ私が直系だった頃に父から賢者の話は聞いていた。
ちなみにカエデ様は今代のニホン公爵の次男であり、私とは叔父と甥の関係になる。
『それにしても“東洋人顔”なら間違いなくニホン公爵家の血を引いているだろうし、流暢に日本語を喋っていたのだろう?直系の娘……父上の隠し子だろうか?しかし、隠し子風情に日本語を教えるだろうか?それとも、御祖父上の子か?』
日本語を習えるのは直系だけだが……。
『それは有り得ません。今代の公爵様が爵位を引き継がれる際、母親の貴賤問わず先代の公爵様の子供は皆その場にいました。私も先代公爵様の三男としてその場に居ましたが、件の末裔様方は見かけませんでした』
『ではやはり父上の子供か。まさかとは思うが、兄上の子ではあるまい』
カエデ様の兄・ヒイラギ様は今年で25になられるので、少なくとも成人した子供がいるとは思えない。
『……そう言えば、その末裔と所縁のあるゴーアン家には叔母上が嫁いでいたな。その末裔は叔母上の子ではないのか?彼女から日本語の情報が漏れた可能性もあるだろう』
サクラコ姉上も先代の公爵の娘だったので、日本語は習っていた。しかし……
『王家との約束もありますし、公爵家の外に出る直系の者には秘密厳守の教育が徹底されております。まずあり得ないでしょう』
そもそもサクラコ姉上が娘を産んだとは聞いていない。
カエデ様は顎に指を掛け、思案される。
『まあ、此処で我らがあれやこれやと話しても仕方ない。その末裔達に話を聞かねば、何もわからないのだから。しかし何はともあれ、日本語を流暢に喋る若い末裔をニホン公爵領から出さずに済んだのは、手柄だったなカンベ』
『ありがとうございます』
お褒めのお言葉に頭を下げると、カエデ様は座布団から立ち上がられた。
『どちらに行かれるのですか?』
『荷馬車に籠城する末裔達に話を聞きに行くのだ。結界から出る事を拒否しているのなら、私が彼らの元へ行かねばならぬだろう?』




