逃走:後半カンベ視点
ナベリウスはレンを背中にしがみ付かせ、頭にリュカを乗せ、私を横抱きにして走り出した。
ライはククルアを。コウは店から出てきたキララを背負い「アウロさん、ロナさんを連れて車に走って!」と指示すると、走り出した。
「しゃおしゃおお」
ライがフィルマ語で何かを言うと、ナベリウスは道を曲がる。大通りから外れて長屋が多く建っている場所に出た。ナベリウスはその場に誰も居ない事を確認すると、勢いよく飛び、長屋の屋根に上がった。
「ひええっ」
「ううう」
「きゃ~」
ナベリウスの身体にしがみ付く私、レン、リュカがそれぞれ声を出す。
人間4人分の体重が掛かっているにも拘らず、ナベリウスが走り出しても長屋の屋根は軋むことはない。普通の板張りの屋根に見えるが、本当はとても頑丈なのだろうか?
ととん、と軽い足取りでまたナベリウスが飛び上がる。今度は木に乗り移った。だが、木はしなることなく静かに私達を受け止める。
ああ、屋根が頑丈だったのではなく、ナベリウスの身体捌きが特別なんだと理解した。
屋根や木を飛び移って行くので、あっという間に車を駐車している宿屋まで戻る事が出来た。
車の中まで連れて入られ、私達をダイネットに降ろすとナベリウスは狼に戻ってぶるぶると身体を振るった。
「面白かったー。またやってね」
リュカはきゃっきゃと笑いながらナベリウスに抱きついた。一方レンは私に抱きつき、ぐりぐりと額を私の腰に擦り付けながら甘えてくる。人見知りのレンにとって、急にナベリウスにおぶられたのは、ストレスだったようだ。
それから少ししてゼーゼーと肩で息をしながらアウロがロナを抱えて戻ってきた。
「急に車に走れと言われましたが、何かあったんですか?」
風魔法でロナを抱える負担は軽減させていたようだが、走ったので息が上がったのだろう。
アウロをダイネットに座らせ、冷蔵庫で冷やしたお茶を出した。
「それが、私も詳しくは解らないんですが……」
馬車に轢かれかけ、そこでカンベという自警団の男性に会った事を話す。
「コウ君がカンベさんに何かを話していたみたいなんですが、フィルマ語だったので私には内容はわからなくて」
「そうですか。まだコウさん達は戻ってきていないんですね」
「はい」
そう言えばあの子達の帰りが少し遅い。
ライ達がこの世界に来る切っ掛けとなった誘拐犯のこともあるので、心が段々とざわついてくる。
そろそろ迎えに行った方が良いのでは、と思ったタイミングで車のエントランスドアが開いた。
「あー、楽しかった」
顔をのぞかせたのはコウだった。彼の背中にいるキララは興奮しているようで、頬を紅潮させ目を輝かせている。
「コウ君お疲れ様。キララ、どうしたの?」
「映画みたいで面白かった!」
「お、おお?」
キララの勢いに思わず圧倒されてしまう。
「確かに面白かったよねー。家族以外の人間と本気の駆けっこって初めてかも」
コウは笑いながらキララを背中から降ろした。
「駆けっこ?」
「さっきのカンベって男いたでしょ?あいつが仲間の自警団に指示して追いかけてきたんで、撒いてきたんスよ」
コウにも冷えたお茶を出すと、彼は一気に呷った。
それから間もなくライも戻ってきてくれた。
「自警団員を攪乱してきたから、此処まで来ないと思います」
ライは背負っていたククルアを丁寧に下ろすと、コウからコップを受け取り、お茶を汲んで行儀よく飲んだ。
「ねえ、さっきは何で逃げたの?」
「あ、理由も言わずに逃げろって言ってすみませんでした」
コウは頭を掻くと、実は……と話し始めた。
「カンベって奴。あいつが俺とライ、レン、リュカ、ウララ先輩を保護するって言ってきたんですよ」
「保護?」
「若い末裔は公爵家から出てはいけないから、連れ戻すとか言ってました。アイツ、俺が子供だからって言い包めようとしてきたから、思いっきりケンカ腰で相手しちゃいました」
コウがクレームを付けているように見えたのは、抵抗していたからだったようだ。
私は彼らの保護者だと豪語しているのに、肝心なところで役に立てなくて本当に申し訳なく思う。
それにしても“若い末裔は公爵家から出てはいけない”か……。
つまり、ニホン公爵家に捕まれば自由に行動できなくなるということだろうか?
カンベはレンの結界に弾かれたが、あの時、私の手を掴んで連れて行こうとしたのかもしれない。
「保護とは良い言葉だけど、意思を尊重せずに連れて行って閉じ込めるのは拉致監禁だよね」
私の言葉に、コウが何度も頷く。
「あいつ、最初はウララ先輩が轢かれそうになった時に俺らの事を偶然見かけたって言ってたけど、話していくうちに、本当はそれより前に日本語のような物が聞こえたから、俺らの事を探していたって言いだしたんスよ。小さな嘘かもしれないけど、誤魔化す辺りが何か胡散臭いなーって思って」
「そうだったんだ。カンベという人は日本語が解るんだね」
カンベの“痛い”と言った言葉も聞き間違いではなかったのだろう。
此処は日本出身の賢者が作った領地なのだ、気軽に日本語で会話をしていたのは拙かったかもしれない。
「もうシマネから……というより、ニホン公爵領から出た方が良いかもね」
折角来たが、安心して外を歩けるような場所ではないなら、早急に出てしまった方が良いだろう。
私の意見にアウロ達も一様に頷き、同意してくれた。
「残念だな」
「仕方ないよ」
キララは唇を尖らせて不服そうにしていたが、こればかりはどうしようもない。
ゴーアン夫人が良い人だったから、少し油断していた。
でも彼女はどうしてニホン公爵家を頼れと言ったのだろう?彼女は別に私達を陥れるような事をする人ではないと思ったのに。
……まあ、ルラン達の歳を考えればゴーアン夫人はゴーアン家に嫁いで20年以上経つのだし、その間にニホン公爵家の内情が変わっていても、おかしくはないか。
当面の食料と雑貨を買い出しして、離れよう。
そう結論を出し、買い出しは(おそらく)顔を見られていないアウロとロナに任せる事にした。
「では、行ってきますね」
「はい。お願いします」
アウロを見送った後、私は皆の視線から逃れたくてトイレに行き、“はあ……”と溜息を吐いて壁に凭れ掛かった。
「金竜の情報、一つも掴めなかったなあ……」
シグラに繋がる道は、とても遠い。
■■■
街で不意に公爵家に伝わる秘密の言語を耳にし、それを喋っているのが成人したての十代後半と思しき女性1人、成人前の少年3人、幼女1人を確認した。
彼ら、特に十代後半の女性は公爵家に稀に現れる“東洋人顔”なので、間違いなく末裔様の一人だとわかった。しかし……公爵家にいらっしゃる末裔様の御顔と名前は全て熟知する私だが、それに該当する方はいらっしゃらない。
誰かの隠し子だろうか?
とにかく保護をしなければならないと思ったのだが……。
『くっ、見失ったか』
逃げる少年を追いかけたが、まるで追いつけなかった。少年は新たに現れた黒髪の少女をおぶさっていたのに、何と言う脚力か。
ああ、それにしても横っ腹が痛い。あの白銀の髪の女性は末裔様方の護衛だろう、彼女の蹴りはとんでもなく強烈だった。
痛む横っ腹を庇いながら、部下に指示を飛ばす。
先程の物取りのせいで人員が割かれていて少数なのが痛いな。
一度本部に戻り、カエデ様に報告した方が良いかもしれない。
しかし今日はカエデ様の傍を離れ、何かないかと街を彷徨った甲斐があった。
カエデ様はお世継ぎ候補から外されてシマネの代表者となられてまだ日が浅い。シマネは関所の街として抜群の統率力を求められる場所だ、この辺りで目立つ功績が必要なのだ。
末裔様を保護したとなると、公爵家に注目される筈だ。
しかし逆に見失ってしまえば、カエデ様の主導者としての能力を問われかねない。
失敗は許されない。
部下の一人を捕まえ、街の封鎖を指示する。本来なら私の権限では出来ないが緊急事態なのだ、事後報告で良いだろう。カエデ様もきっと許して下さる筈だ。




