ニホン公爵領シマネ
シマネの街の大通りを行き交う人々の三分の一は、着物や浴衣を身に付けている。着物は縫いやすいし、再現するのは簡単だから普及もしやすかったのだろう。
ただ、髪の毛は日本髪には結っておらず、髪色もピンク髪や紫髪、水色髪といった地球では見かけないカラーリングが多く、異世界だなと実感する。
「DVDで見た時代劇の世界によく似ていますねえ。でも、日本から来たばかりのウララさんが着ていた服とは違いますよね」
「この街の人が着ているのは着物と言って、日本の民族衣装なんです。私のいる時代の日本ではあまり普段着にしている人は見かけませんが、それでも偶に着たりしますよ」
「ああ、そう言えば以前見せてもらったスマホの写真に、着物を着ているウララさんがいましたっけ」
それはきっと成人式の時の写真だろうね。
「キララちゃん!出雲って彫られた木刀売ってる!」
「マジか!」
「しゃお?」
コウとキララとロナがはきゃっきゃとお土産屋さんを冷やかしだした。ククルアはロナに手を引かれているのだが、勢いに振り回されていて少し可哀想かもしれない。ちょっと注意した方が良いかなと思ったが「しゃおー」とアウロがロナに声を掛けたので、彼に任せればいいだろう。
―――それにしても、完全に修学旅行生だなあ
街散策前に子供達に渡したお小遣いを無駄に使わない事を祈ろう。
ぐるりと視線を巡らせる。
大通りに立ち並ぶ店は木造で、屋根は黒い瓦葺で統一されている。少し大通りから外れた場所には、長屋のような建物がいくつか見えた。もしかしたら、あれは民家かもしれない。
本当に日本だ。いや、正しくは時代劇で良く見る日本の街か。
「時代劇のセットを開放している映画のテーマパークみたいですね」
斜め前を歩いていたライが感心したようにそう呟いたので、私も「そうだね」と同意した。
「姉、姉ー!この店に入りたいぞー!」
前を行くキララ達が甘味処の前で手を振っている。
店の軒先に立て簾が立てかけられ、その陰で3人掛けの床机に浴衣を着た女性が2人で座ってかき氷を食べていた。夏真っ盛りの今、浴衣も相まってとても涼し気に見える。
「氷かー。レン君とリュカちゃんは食べれそう?冷たい物を食べてもお腹痛くならないかな?」
私のスカートを握って隣を歩いていたレンとリュカに訊くと「ブルーハワイ食べたい」「苺ミルク食べたい」とおねだりされた。ブルーハワイは多分無いだろうが、苺ミルクならあるだろう。
お店に入ると、ちょっとした座敷に通された。10人で大所帯だから、お店の人が気を使ってくれたのだろう。
私とアウロとナベリウスはあんみつを。キララとロナとコウとレンとリュカはかき氷を。ククルアとライはお団子のセットを注文し、ホーっと一息ついた。
気持ちの良い風が吹くと、何処からともなくちりんちりん、と風鈴の音がしてくる。
「スイカ食べたいなー」
「良いなあ、俺も食いたい。エアコンじゃなくて扇風機つけてさー」
「そう言えばドラゴンも暑かったらバテるのか?」
注文した品物を待つ間、キララとコウは座卓にほっぺを付けてぐでーっとしながら雑談をしだした。
「ドラゴンの姿なら暑さにも寒さにも強いんだけど、人間に擬態したら、それなりに人間に近い感じになるよー」
「そうなんだな」
「でも人間に擬態していても魔法は効かないけどね。兄弟喧嘩でライの魔法喰らった事あったけど、何とも無かったし。あ、庭は半壊したけど」
ドラゴンの兄弟喧嘩なんて、親御さんも大変だなあ。……ああ、未来の私か。
キララは座卓から上半身をがばっと起き上がらせ「魔法!」と目を輝かせた。
「そうだよな、ドラゴンだもんな。雑貨屋で人工魔種を買うぞ!」
「何それ」
「魔法を注ぐと成長して花が咲く種ですよ」
アウロの説明に、今度はリュカが反応した。
「お花が咲くの?お花屋さんくらい咲く?」
「種さえあれば結構簡単に咲きますよ。ただ、1人1人決まった花しか咲きませんが」
「リュカもやりたい!お花、いっぱい咲かせてお花屋さんになりたい!」
このタイミングで作務衣を着た店員さんがかき氷を持ってきてくれた。
キララとリュカは木苺のジャムと甘いミルクが掛かったかき氷、ロナとコウは柑橘系のジャムに甘いシロップの掛かったかき氷、レンは青い花のシロップが掛かったかき氷だ。
「あー……生き返るー。ロナ、後で少しだけ苺ミルクとレモンを交換しよう」
「しゃおー」
「じゃあ俺はレンとリュカと交換しようかな。レン、それ美味いか?」
「美味しいよ。ブルーハワイの味がする」
うーん、ブルーハワイって何味なんだろう。
少ししてからあんみつとお団子が配膳され、かき氷組から一斉にあんみつの餡子が盗られてしまった。
甘味処で少し涼むと、また散策を再開する。
キララは甘味処で言った通り、ロナを連れて魔種を買いに雑貨屋へ突撃していった。
それを苦笑しながらアウロが追う。
「キララは元気だなあ」
私も追おうとしたが、目の端に高札のようなものが見え、そちらに意識が向く。
傍に居たコウもそれに気が付いたようだ。
「あれって、時代劇でよく見る掲示板みたいなやつに似てますね」
「あれは高札って言うんだけど……」
ドラゴンの情報でも載っているのではないかと思ってしまい、引き寄せられるようにそちらに足が向いた。
「あ、危ないですよ先輩!」
「え?あ……」
高札は大通りを挟んだ反対側にあったので、ライの声に気が付いた時には歩道からはみ出てしまっていた。
慌てて歩道へ戻ろうとしたが、丁度その時、歩道で何かあったのか人混みが出来ていて、その人の波に押され車道の方へと転んでしまう。
「痛たた……ひえ!?」
ガラガラと車輪の音がしてそちらを向くと、馬車がすぐ眼前に迫っていた。
―――あ……
事故直前になると周りの景色がスローモーションになって見えると聞いたが、本当のことのようだ。
人混みから顔と腕を出して必死に此方に来ようとしているライが見えた。
そんなライを押しのけた見知らぬ誰かが、私の方に手を伸ばした。私も咄嗟にそちらに手を伸ばすが、届かない。
ブレる視界で千鳥格子柄の男性ものの着物が見えた気がしたが……すぐにドガッという人を蹴り飛ばしたような音がして……。
「しゃお~っ」
気が付くと私はナベリウスに横抱きにされ、歩道に戻っていた。
周りの景色も普通に戻っている。
ただ、事故になりかけたショックで、私の心臓はバクバクと忙しなく動き、身体も震えていた。
「大丈夫ですか、先輩!」
ナベリウスの傍にはライとレンとリュカが居て、心配そうに此方を見ていた。
「だ、大丈夫。ごめんね。あの、ありがとうございます、ナベリウスさん」
ナベリウスは私に怪我がない事を確かめると、にっこり笑って私を下ろしてくれた。
ライがもう一度「大丈夫ですか?」と声を掛けてくれた。
「顔色が悪いです。日差しもきついですし、もう車に戻りましょう、先輩」
「でも、キララ達が……」
「じゃあ、日陰で待っていましょう」
ライとナベリウスが巧みに人の波を避けて誘導してくれて、私は難なく道の端の木陰に置かれた床机に座る事ができた。
コウは人混みの中から「今の蹴り凄かったなあ」と言いながら私達の傍に歩いてきた。
「蹴り?」
「さっき、ウララ先輩を助けようとした男がいたんですけどね。ナベリウスさんが“邪魔だ!”って言って蹴り飛ばしたんですよ」
あれだよ、と言ってコウが指さす先に、上半身をゴミ箱に突っ込んでもがいている男性がいた。……着ている着物は千鳥格子柄だった。
「た、助けないと!あと謝らないと!」
後先考えずにがばっと勢いよく立ち上がると、途端に視界がぐにゃりと歪む。
た、立ちくらみだ。
肩にコウの手が置かれ、床机に再び座らされる。
「アレは俺らが何とかするから、ウララ先輩は大人しく座ってて。先輩に何かあったら俺らシグラさんに怒られるでしょ」
■■■
ライとコウが男性を救出し、私の前まで連れてきてくれた。
歳は30代くらいだろうか。筋骨隆々の男性だった。
ライの通訳によると、男性は自警団の隊員で、カンベという名だそうだ。
自警団の数名で物取りの犯人を追いこんでいた時に、私が車道に転んだのが見えて慌てて駆けつけてくれたそうだ。
ちなみにあの人混みはカンベ達の逮捕劇を見る為の野次馬の集まりだったらしく、カンベに感謝と謝罪をしようとした私に、「野次馬を作った原因は向こう。先輩が負い目を感じる必要は無い」とライが言った。
それでも私を助けようとしてくれたのは変わりないので、「ありがとうございました」とカンベに頭を下げる。
するとカンベも「しゃおしゃお」と言って私に頭を下げてくれた。ライが言うには、“周りに配慮した行動ができず、申し訳なかった”と言っているとのこと。
カンベは頭を掻きながら、爽やかな笑みを浮かべる。
「しゃおしゃお?しゃおしゃお……」
私に何か話掛けてきたが、すぐにコウが割り込んで「しゃおしゃお」とカンベに返事をした。
「怪我はないかと訊ねられたので、無いよとコウが返事をしました」
そっと耳元でライが教えてくれる。
フィルマ語はわからないから、申し訳ないけど私では会話が出来ない。
でも……
「しゃおしゃ、おうしゃおしゃおし……」
コウが結構長くカンベに何かを言っているけど、あれは何を言っているのだろう?
絶対に怪我の有無だけを訊かれて答えているだけではない気がする。それにカンベの様子もタジタジと言った感じだし。もしかしてクレームでも付けているのだろうか?それなら止めさせないと。
しかし、私がコウに声を掛ける前にライが「大丈夫です」と遮った。
「あれは丁寧にフラグを折っているだけです。それより、キララさん達が店から出てきたみたいなので、合流して車に戻りましょう、先輩」
「フラグ?何のフラグ?」
「何でも良いので、取り敢えず戻りましょう。そしてすぐにシマネの街から離れましょう」
「え?う、うん?」
強引にライに背中を押され、抵抗するのは無理だと思った私はカンベに会釈をすると、キララ達の方へ足を向ける。しかしすぐに
バチン!
「痛ッ!」
「え?」
結界が発動した感覚と、痛みを訴える男の声がしたので後ろを向くと、手を庇うカンベがいた。
どうやら彼は私に触れようとして、結界に弾かれたようだ。
「害意はなさそうだから、発動したのは多分異性を弾く結界ですね」
私の背中を押すライが冷たい表情でカンベを見る。
「異性を弾く結界?シグラが居ないのにどうして?」
目をぱちくりさせていると、私の隣でレンがどや顔をしていた。あ、レンが張ってくれたのは異性を弾く結界だったのね。
それにしても今、「痛い」という日本語が聞こえなかった?




