写真:シグラ視点
―――「シグラ。髪の毛結ってあげるから、こっちに来て」
優しい木漏れ日の下で、櫛と髪ゴムを持ったウララがにこにこしながら立っていた。彼女の前には椅子が置かれている。
喜んで椅子に座ると、髪の毛を優しい手つきで梳かされ、結われていく。
「うらら、くびのりぼんも、むすんでくれる?」
「良いよ。今日は赤のストライプだよ」
後頭部に彼女の柔らかい胸が押し当てられる。ウララは背後から腕を回し、私を抱き込むようにしてリボンタイを結んでくれた。
「うらら……」
頭と心がほわほわする。
「今日も一日頑張ろうね」
ウララは私にきゅっと抱きつき、こめかみに柔らかい唇を押し当てた。朝の挨拶だ。私もしたくて、彼女の腕を引き寄せようとしたが……。
瞬きをすると、目の前からウララは消えて薄暗い天井があった。
『テレビ凄いな。でもこれが普及したら劇場が廃れるんじゃないか?』
『劇場には劇場の良さがありますし、大丈夫なのでは?』
『フィルマ王国に持って帰ったら売れるのでは……』
『電気が無いので無理ですよ』
『しかしウララは太陽で電気を作る装置を持っているのだろう?それであの荷馬車の中でルラン殿達はテレビを見ていたのだろう?』
ルランとジョージはこちらに背中を向けてテレビの前に座っていた。
私が上半身を起こせば気配で分かったのか、ルランが此方を向いた。
『あ、シグラ様、目がさめ…いてっ』
取り敢えずルランの頭を殴る。
『こいつにウララの情報を教えるな』
『す、すみません』
テレビの説明をしていて、その流れで車の事を少し話してしまったらしい。
向こうの世界の人間にウララが珍しい物を所有している事がバレたら面倒なことになる。そうルランに文句を言うと、ジョージは首を振った。
『俺はウララが不利になる事はしない。そんな事をしたら死んだ祖父様に怒られるからな』
『ウララが不利になるような事をすれば、貴様の祖父よりも先に私が貴様を消しに行く』
私が脅すと、ジョージはむっとした顔をした後、ふんっとそっぽを向いた。
ははは、とルランが苦笑する。
『あ、まだ学生は戻っていません。小寺殿はコンビニという雑貨店へ行きました』
『そうか』
時計を見れば、18時を過ぎたところだった。3時間程眠っていたようだ。
溜息が出た。
こんなに長くウララと離れるのは初めてだ。
『ウララ……大丈夫だろうか』
きっと私の結界は彼女から剥がれているだろう。
彼女の傍にはライとコウとレンとリュカがいるが、当てにするには彼らはまだ子供過ぎる。
……アウロの事は考えないようにしよう。ウララの傍に雄が居ると想像するだけで、暴走して時空に穴を開けそうになる。
ナベリウスはどうだ。奴に張った結界も解けているだろうから、今頃自由に動き回っている筈だ。
最近の奴からはウララに対する憎悪は殆ど無くなっていた。義理堅い種族ゆえに、施しを受ける度にウララを恨むことが出来なくなったのだろう。癪だが、当てに出来るのはナベリウスくらいか。
一度はウララの命を狙った存在に彼女を任せるのは賭けのようなものだ。しかし今の私はこれに縋る他ない。
ウララ……どうか無事でいて欲しい。
願うことしか出来ないのがもどかしい。
『貴様は……」
ジョージが何かを言いかけたので顔を上げると、奴と目が合った。
『何だ』
『……いいや、何でも無い。すまん、忘れろ』
奴は頭を振ると、またテレビの方に視線を向けた。
それからすぐに小寺が白い袋を持って帰って来た。
「ああ、シグラ君起きたんだね。珈琲飲むかい?夏だからホットじゃなくて冷たいやつだけど」
小寺は袋の中から冷えた缶コーヒーを取り出した。私やルランは予備知識で缶コーヒーを知っていたが、ジョージは初見なので目を輝かせながら缶を観察していた。
「あ、それでね。学生が3人戻って来ていたんだよ。全く、宿に戻って来たら一度僕の所に顔を見せなさいと言っていたんだけどね」
ドキリと胸が高鳴る。
「どこにいる?はやく……!」
『シグラ様、落ち着いて下さい。それ以上やると首が絞まります』
勢いのまま小寺の胸倉をつかんでしまったのを、ルランが止めに入った。
小寺はけほけほと咽た後「必死だねえ」と苦笑した。
「ちょっと待ってて。今呼んでくるから……と、ああ」
扉を開けた先に人間が立っていた。
「丁度良かった。三崎さん、スマホかタブレットを貸してくれないかな。僕のは壊れちゃってね」
その人間はウララぐらいの髪の長さの雌だった。
『あの女、さっき山に居た女じゃないか?』
『あ、そうですね。大丈夫でしょうか?ドラゴンの姿を見られましたが』
ジョージとルランの視線が私に刺さる。
面倒な人間には関わり合いたくないが、それ以上にウララに繋がる情報は欲しい。
『今は人間に擬態しているのだ、大丈夫だろう』
「あ」
雌は小寺越しに我々を見ると、目を大きく開いた。
擬態を見破られたのかと一瞬身構えたが、
「昼間の俳優さん達だ!え?小寺さんの知り合いだったんですか?」
雌はきゃあきゃあと言いながら我々の前に座り込んだ。
「ヤバっ!近くで見たら更に格好良いんだけど。しかももう一人増えてるし!赤い髪の人はさっきいませんでしたよね?あ、私三崎って言います!」
「写真撮って良いですか?」と雌……三崎はスマホをポケットから取り出した。……スマホ!
「すまほ、かして!」
「え?あ、ああ。何だ、スマホ貸して欲しいのって、俳優さん達だったんだ」
三崎はきょとんとしてから、ほおっと息を吐いた。
「てっきり、小寺さんがいやらしい目的で女子大生のスマホを借りようとしてたのかと思った」
「ちょ、変な誤解止めて。僕が大学に居られなくなる」
小寺はあわあわしながら此方に来て座り、スマホを貸して欲しい理由を三崎に簡単に説明した。
「別に良いですよ。あ、でも一緒に写真撮って下さい」
三崎が私の胸に垂れかかってきたので、素早くルランと位置を交代した。そのせいで三崎は少し転びそうになったが、知った事ではない。
「赤い髪の俳優さんは撮影NGな方ですか?」
「三崎さん。彼には奥さんがいるらしいから、あまり馴れ馴れしくしたら駄目だよ」
「えっ、結婚してるんですか?でもまあ、写真くらい良いじゃないですか。奥さんもこの程度で怒りませんよ」
三崎が私に手を伸ばしてきたので、ルランを呼んだ。
『この雌の相手はお前がやれ。私には近づけさせるな』
『わかりました』
日本語なので会話の流れがいまいちわかっていないだろうが、ルランは頷くと、私と三崎の間に割って入り、三崎に向かってにこりと微笑んだ。
慣れてるな、こいつ。
三崎は相手は誰でも良いのか、ルランやジョージに見惚れながらカシャカシャとスマホで写真を撮っていた。
何枚か写真を撮った後、気が済んだのか、三崎は「ありがとうございました」と礼を言った。
「お陰で投稿がバズってます。へへへ」
「三崎さん、人物写真はSNSに載せない方がいいよ」
「え?でも俳優さんですよね。だったら……」
「いやいや、彼らは俳優じゃないよ、ね?」
小寺が自信なさげに此方を見てきたが、そんな会話に付き合う暇はない。
「すまほ、かして」
「あ、はいはい。操作は私がします。何を検索したいんでしたっけ」
「いずうらら。ばすがいど。さんそう」
「イズさんの漢字はわかります?」
「……ちょっと、まって」
漢字はよくわからないが、確か記憶の中でそれらしきものを見た。それはロッカールームの場面だ。ウララが開けたロッカーの扉に書いてあった文字と、鏡に映ったウララの胸元に合ったプレートは同じ文字だった。きっとあれは彼女の名前を表す日本の文字だったのだろう。
記憶を掘り起こしながら、紙に書く。
「えーっと……伊豆、かな。あと雨雫ってどういうことだろう」
小寺と三崎が暫し紙をじっと見た後、“あ、まさか”と小寺が声を上げた。
「字面だけキラキラネームってやつかな」
「……え、雨雫でウララって読むの?……なんで?雨はともかく、雫で何故“ララ”なの?」
小寺は「それは名付け親にしかわからないよ」と苦笑した。
三崎は「カタカナと漢字どっちで検索したほうが良いんだろう?」とぼやきながらスマホを操作しだした。
そしてすぐに「あ、検索に引っかかった」と呟いて画面を私に見せてくれた。
「山荘のブログと、後は修学旅行でバスガイドさんと写真撮ったぜーっていう男子高校生のSNSが引っかかったんだけど」
まずはSNSの方を見せられた。
「この人で間違いない感じですか?」
子供の雄3人に囲まれてにっこり笑っているのは、会社の制服を着たウララだった。
「うららだ!」
数時間ぶりに彼女の顔を見れて、顔が綻ぶ。
「へー、これが奥さんなんですね。……けしからんおっぱいをお持ちで……」
三崎は次に山荘のブログを開いた。
「あ……」
ブログには写真が何枚か掲載されており、殆どが山の様子や季節の花の写真だったが、たまに……
『シグラ様と奥様ですね』
私とウララが写った写真があった。




