別離:(前半・シグラ視点、後半・ライ視点)
≪そんなに結界を強化しなくとも、最初の檻の結界すら私には壊せなかったよ≫
金竜の戯言を聞く間も、車を守る結界は増えていく。ウララの身柄を他の雄が持っている限り、際限なく増えていくだろう。
≪番を返してもらおうか≫
≪大切に守っていると思ったら、貴殿の番がこの中にいるのか。大切なものならば交渉材料に使えると思ったが、とんだ拾い物だった≫
≪余程死にたいらしいな≫
金竜は上へと飛び、私もその後を追う。
嵐を齎す黒雲を抜けると、一点して穏やかな世界が広がっていた。
≪一つ、交渉しよう≫
金竜は左手で車を持ち、右手はゆっくりと大気をかき混ぜるような仕草を始めた。
≪キャリオーザ達を見逃してくれるなら、貴殿の番はこのままお返ししよう≫
金竜の話は聞かずに私はブレスの為に力を溜める。
≪……交渉決裂かな?≫
―――……後になってここで交渉に乗れば良かったと後悔することになる。
しかしこの時、ウララが他の雄の手の中にいるという事で、私は完全に頭に血が上っていた。そのせいで冷静な考えが出来なくなっていたのだ。
≪では、こうさせてもらおう≫
大気をかき混ぜていた右手が、異質な靄を出し始めた。
見たこともない靄……未知の攻撃か!
そんなものの傍にウララを置くわけにはいかない!!
まだ十分に力が溜まり切っていなかったが、金竜の頭に向けてブレスを吐いた。奴は何の結界も張っていなかったのか、適当なブレスでもその頭部を破壊する事が出来た。
しかし、奴が放った靄は消えなかった。
靄は大きくなり、ウララ達の乗る車を飲み込んだ。
≪ウララ!!≫
金竜の懐に飛び込み、靄に手を突っ込んだ。
≪これは……!≫
靄に手を入れた瞬間、空間が歪む。
私はこの感覚を知っている。これは、ウララ達の世界に行った時に体験した感覚だ。
―――この中に入ると別の世界に飛ばされるのか!ウララは……!
■■■
「ここ、何処だ?」
「さあ?」
馬車から降りてきたコウと2人で、ぐるりと辺りを見回す。森の中のだだっ広い空き地で、目安になるような建物は何も無いようだ。
「なあなあ、シグラさんが張った檻の結界が解けたってことは、どういう事だと思う?」
僕達(正しくは先輩)を守る為に何重にも張られた檻の結界は、僕達が靄の中に入ってすぐに消えてしまった。
結界が解けたという事は、シグラさんの身に何かあったのか、それとも……。
「車の中からずっとシグラさんの事を見てたけど、負けてる雰囲気はなかったし、無事だと思うけど」
「あの人は死なねえだろ。……そうじゃなくてさ、さっき黒い靄に突っ込まれただろ?その時の感覚が凄く覚えがあるものだったんだけど、ライはどう思う?」
「僕達が過去の世界に行った時の感覚と似てた気がする」
「だよな!」
僕が自分と同じ意見を持っていると知ってコウは嬉しそうにしたが、すぐに“はあ……”と溜息を吐いた。
もしかしたら僕達は別の世界に飛ばされたのかもしれない。
そしてこの世界にシグラさんがいないから、結界が解除されたのだと考えるのが正解だと思う。コウが父さんに過去の世界へ送られてきた時も、父さんの干渉が無くなった瞬間にコウを守る結界は消えたんだし。
「……僕が念のために檻の結界を張っておいて正解だったな」
「それな。ライが心配性で助かったわ」
何があるか分らなかったので、一応僕も車と馬車に檻の結界を張っていたのだ。未熟なので素早くは張れないが、時間を掛ければ車と馬車を包み込む程度なら張れる。
ちなみにこの世界に来た時、僕達は上空にいた。そしてすぐに落下したのだ。檻の結界がなければ、今頃大事故になっていただろう。
「先輩は?」
「気を失ってる。キララさんもな。レンとリュカは布団が掛けてあったから単に寝てるだけだと思うけど」
「ウララ先輩、記憶無くしたりしてないよな?」
過去に飛ばされた時にレンとリュカは記憶喪失になった。もしかしたら、今回の事で記憶を失う可能性がある。
「……わからない。何が切っ掛けで記憶を失うのかがわからないし。別の世界に飛ばされただけという条件なら、リュカが途中から急に記憶喪失になったのはおかしいと思うし……取り敢えず僕は記憶の方は大丈夫だ。コウは?」
「俺も大丈夫」
「ひいいいいい!!シグラさん、シグラさーん!!」
馬車の方から、アウロさんの悲鳴がした。
「どうしたんだろう」
コウと2人で駆けつけると、勢いよく馬車の後方の扉が開いた。
そこには白い狼が立っていた。白い狼から逃げるように、馬車の前方の扉からロナさんとククルアさんを抱えたアウロさんが降りてきた。
「アウロさん、この狼は?」
「な、ナベリウスさんです!!シグラさんの結界で閉じ込めていたのに、結界が急になくなって……!」
アウロさんの言葉を遮るように狼は遠吠えすると、車の方に向かって走り出した。
「ナベリウスさんはウララさんの命を狙っているんです!!」
「「はあ!?」」
“何で”と考える暇もないと判断し、僕は狼ごと包む形になってしまっている車に張った檻の結界を解除する。とにかく狼を車から遠ざけないと!
僕が結界を解除した瞬間、コウは地面に手を置いて魔法を叩き込んだ。狼が居る場所を陥没させて足止めしようと思ったのだろう。
だが狼は一足飛びで穴から飛び出してきた。
「くそっ!犬っころめ!」
「先輩に近づけさせるな!コウ!」
「わかってるよ!」
僕達は擬態を解くと、車に向かって走る狼・ナベリウス目掛けて突進した。
「ギャンッ!!」
子供とはいえドラゴン2頭分の頭突きで、ナベリウスは派手に吹き飛ばされた。これで車との距離を確保できた。
「アウロさん、僕達はシグラさんみたいに瞬時に檻の結界は張れないから、お願い出来ますか?」
馬車の方を振り向くと、アウロさんとロナさんはぽかーんとして僕達を見ていた。
ああ、そう言えば彼らには僕達がドラゴンだと言う事は知らせていなかったんだったっけ。後で説明しないと。
「ライ、この狼は強いぞ。俺らや多分アウロさんの結界でも破られる」
「じゃあ、ここで仕留めないといけないか。僕が足止めするから、コウはブレスの力を溜めろ」
「わかった」
シグラさんがわざわざ結界で閉じ込めていたのだから、殺してはいけない理由があるのかもしれない。しかし先輩の命を狙っているのなら、そんな悠長なことを言っている場合ではない。
初手は牽制の意味も込めてナベリウスに向けて威嚇する。だが、効いていないようだ。
「なら……!」
ナベリウスの胴に噛みつこうとしたが、避けられた。かなり素早い。
噛みついてそのまま飛んで遠くに捨てれば時間が稼げると思ったんだけど、無理か?
「だったら今度は範囲攻撃で……!」
魔法で雷を起こし、数十本の稲妻をナベリウスに降らせた。これなら逃げる隙間は無い。問題はナベリウスに魔法が通るかどうかだが……。
「うわッ」
ナベリウスはふるふると身震いして、雷を弾いた。
やはりかなり強い狼だ。
『その狼は紫のブレスを吐くの!気を付けて!!』
ロナさんの声が飛んできた。そしてその声に我に返ったのか、アウロさんも「ナベリウスさんは名のある精霊です!!」とナベリウスについての補足をしてきた。
「シグラさんの番になる為に、長い間鍛錬してきた方です!!絶対に油断しないで下さい!」
なるほど、だから先輩の命を狙っているのか。
僕の背後で大きな力の塊を感じた。コウが力を溜め終えたのだ。
ナベリウスもブレスの力を感じ取ったのか、素早くちょこまかと動き出す。流石のナベリウスもドラゴンブレスは脅威なのだろう。
しかしこのままだと狙いが定められない、どうすれば……。
「僕も戦う!」
「レン!?」
レンは車から飛び出してくるとすぐに擬態を解いた。
「ガウ!?」
一瞬だけナベリウスの動きが止まった。レンはシグラさんにそっくりだから、怯んだのかもしれない。
その隙を狙ってコウはブレスを吐いた―――
「ガァッ!!」
「くそっ、外した!」
ナベリウスは寸前で身体を捻り、ブレスを躱した。だが完全に躱したわけではなく、その背中と尾を焦がした。
怪我によってナベリウスが体勢を崩すのを見て、僕は再度彼女に向かって突進し、今度こそその胴体に噛みついた。
ギャウギャウと暴れて口元を引っかかれるが、我慢して飛び上がる。出来るだけ遠くに捨ててこようとすると、腹に激痛が走った。見れば紫色の靄が腹周りを覆っていた。
「ライ!そいつ、ブレス吐いたぞ!大丈夫か!」
これブレスか!
じくじくと化膿したような痛みが広がる。しかし、ここは我慢どころだ。
ナベリウスに噛みついているので返事が出来ないため、尻尾を大袈裟に振って“大丈夫だ”という合図をコウに送った。
「フー……フー……」
息をするのも辛い。だが、もう少しだけ我慢だ……!
ひと山越えようとした所で『おい』と話しかけられた。
『あの紅竜……それにお前らはブネ殿の知り合いか?』
……こいつ喋れたのか。




