ウララの記憶:シグラ視点
身体の力が抜け、後ろに倒れそうになった身体を抱きとめる。一瞬触れただけだったが普通の人間であるウララには強い刺激だったらしく、気を失っていた。
その一方で彼女の魂は不審な動きを止めた。加護を与えようとしてくる者の脅威を完全に弾き飛ばしたようだ。
「大丈夫なの?」
ライとコウが心配そうな顔で彼女を見ている。
『魂は正常になった。触れたのは一瞬ゆえ私からウララに流れた記憶も大したものではないだろう』
私には数千年分の記憶があるが、今回共有されたのは精々1、2年程の記憶だろう。心を壊した時期も確かにあるが、9割は住処でごろごろしていただけの記憶なので害はないと思う。
それに古い記憶は沈殿し、上澄みにあるような新しい記憶が優先的に流れる筈だ。
「あのさ、その言い分だとシグラさん、最近うちの父さんと記憶共有したでしょ?その記憶が優先的にウララ先輩に流れてるんじゃない?」
『……!』
そう言えばそうだった。賢者のウララが泣いていたあの映像を思い出す。
あんな記憶を見せたら……!
腕の中で目を閉じたままのウララの顔を見た。その顔は今の所苦悶に歪んではいないが……。
ライとコウに眠るように言ってから、テーブルに置いていた光の魔石を持ってダイネットを後にした。
寝室で眠るキララとリュカの隣にレンを転がし、私はウララを抱えたまま階段に座った。
少しでもウララに異変があったら対処できるよう、彼女の顔をじっと見つめる。
「……」
私もウララからの記憶を4つ受け取った。
1つ目はウララの家族の事。ウララは母親に似ていると思った。
2つ目は私がビメにブレスを吐いた時の記憶。とてもウララに心配させていた事が発覚した。
3つ目はウララが複数の同性の友人と遊びに行っている記憶。ウララが楽しそうに笑っていたので、ほっこりした。
そして4つ目はウララの元婚約者とのやり取りの記憶―――
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書類の束が置かれた質素な机が並べてある部屋。日本でのウララの職場だと頭の中に浮かぶ。
「ウララちゃん、来週、修学旅行生のガイドだっけ。良いネタ仕入れとかないとねえ」
「そうなんですよ。九州の野球の強豪校らしいんですけど、それに絡めた話の方が良いでしょうか?それとも素人知識を聞かされるより、最近の流行りのアイドルの話題の方が良いでしょうか?」
アウロよりも老けた顔の雄がわははと笑った。この雄はウララの勤める会社の事務員で三木という名だとウララの知識から補足される。
「この前まで学生やってたウララちゃんの方が歳は近いんだし、オジさんのアドバイスは特に無いなあ。それにしても九州男児かー。ウララちゃんは押しに弱いから、口説いてきたら儂に言うんだよ。追い払ってやるからね」
「何言ってるんですか。無いですよ、そんなの」
ウララは笑いながら扉を開ける。
扉の先は四角い箱がいくつもある部屋で、ロッカールームだと補足される。此処で着替えをして家に帰るらしい。
ロッカーを開けると鏡があり、今よりも髪の毛が長いウララが映る。
しかし何だかいつも見ている彼女とは雰囲気が違う。そう思っていると、彼女は服を着替えだした。
「……あの客め……断じて私は太ってない、太ってない……」
そんな事をぼやきながら、私服のブラウスのボタンを留めていた。
次にコンパクトを取り出し、それを開けて柔らかそうな何かでパフパフと頬や鼻を叩きだした。その行為は化粧を直しているのだと補足される。化粧をしているから雰囲気が違ったのか。綺麗になる為の行為だという知識が頭に流れ込んでくるが、ウララの顔が化粧で隠れるので、あまり好ましいものには思えなかった。
鏡の下には何枚か写真が張りつけられていた。
ウララとキララが並んで写っている写真、動物の写真、ウララの友達の写真、ウェディングドレスのイラスト……そしてウララの婚約者の写真。
ウララは化粧を終えると、耳飾りを付けた。
これから、婚約者に会うのだとウララの記憶から伝わってくる。
ロッカールームから出たウララは先程の三木という事務員に「おめかししてるねー」と声をかけられた。
「ウララちゃん、9月だっけ?結婚式」
「はい」
「あと3か月後かー。今が一番ラブラブな時だなあ、わはは」
「あははは……、じゃあお先に失礼しますね」
「うん、お疲れ様」
ウララが建物から出ると、夜だった。ウララは躊躇なく暗い小道を歩きだす。まさかウララ一人でこの道を歩くのだろうか?
ハラハラしながら見ていると、やがて大通りに出た。多くの車が行き交う、うるさくてそれなりに明るい道だ。
ウララは歩道橋というものを歩き、そして手を上げた。
「丸出さん、お待たせしました」
「ウララ、会いたかったよ」
茶髪の雄が腕を広げてウララを抱きしめようとしたが、ウララはそれを慣れた様子で避けた。
「相変わらずつれないなあ。少しくらいは触らせてくれてもいいだろう?」
「結婚するまでは触らないというのが約束の筈です」
「俺は未来の夫だよ?3カ月くらい前借させてよー、じゃないと嫌いになっちゃうよー?良いの?」
雄はウララの肩を抱き寄せ、歩き出す。
ウララからイラッとした感情が伝わってくる。触るなと言ったばかりなのに、人の話を聞いていないのかと苛々しているようだ。だが、婚約者だし、怒るのも失礼なので我慢しなければならないという感情も伝わって来た。
「嫌いになっても良いのか」と雄は言うが、ウララの方がとっくにこの雄の事を嫌いになっているように感じた。
しかしこの雄は自分だけに選択権があると勘違いしているようだし、何故かウララもそのように振舞っている。何とも不思議な関係だ。
「……あの、何処に行くんですか?約束したカフェはあっちですけど」
「今日さ、嫌な事があったんだよね」
「……何かあったんですか?」
「俺の同僚が駅前の会社の社長令嬢と婚約したんだよ。社長令嬢だよ?凄くない?それなのに、その同僚が憂鬱そうな顔しちゃっててさあ。あ、写真も見せてもらったけどこれがまた美人なわけ。あんな美人、見た事ねえわってくらい」
「はあ」
ウララが指さした逆の道にずるずると連れて行かれそうになるので、ウララは踏ん張る。
「ウララさあ、愛しい俺の事を慰めようとか思わないの?酷いなあ」
「……すみません」
「嘘嘘、ウララは優しいよ。だから、俺の事慰めてくれるよね?……特別に奢ってあげるし」
雄が指さしたのは派手な装飾を施された建物だった。補足であれが如何わしいホテルだという事がわかる。
記憶の中の雄に殺意を覚えても仕方がないが、今すぐ存在を消しに行きたくて仕方ない。
「俺の事好きなんでしょ?愛してるよね?」
雄の声を聞きながら、ウララは鞄の中のスマホを操作した。フェイク着信の操作をしているらしい。
操作を終えると、すぐにけたたましい音が鳴り響く。
「すみません、電話です」
「電話ー?どうして無視してくれないの?俺と一緒に居るのに」
「会社からですので、そういう訳にはいきません」
「俺の事が大事なら今すぐ電源切ってよ。俺を尊重してよ。どうせ寿退社するんだから問題ないじゃん」
「では、丸出さんは私の事が大事ですか?」
ウララの反撃に、雄はきょとんとしたが、すぐに「勿論」と笑う。嘘だなとわかる軽薄な笑みだ。
「なら、私の唯一のお願いをきちんと守って下さい。私は貴方とお付き合いする時に、結婚前にべたべた触れられるのは嫌だと言った筈です。それでも良いと言ったのは貴方です」
「守ってるじゃないか、キスだってまだしてない」
「隙あらばしようとしてくるじゃないですか。そう言うのは守っていると言いません」
「ウララの事が大好きだから仕方ないだろ?ウララは俺の事好きじゃないの?酷いなあ傷つくなあ」
「論点のすり替えをしないで下さい」
雄は大袈裟な溜息を吐き、ウララを委縮させる。そしてウララの手首を強く握った。
「うっ……」
「良いから良いから。そういうの、本当めんどうだし。一回ヤッたらどうでも良くなるよ?」
「うちの従業員になにをしているんだね」
力任せに引きずり込まれそうになった所に、先程のウララの会社の事務員の雄が息を切らしてやって来た。
「三木さん!」
第三者が現れた事で雄は怯んだのか、手が離れた。その隙にウララは事務員の後ろに回り、雄と距離を開ける。
「大丈夫か、ウララちゃん。大通りを通った安田さんがウララちゃんが変な輩に絡まれてるのを見かけたって、事務所に連絡がきたんだよ」
安田……ウララの先輩で、この時間に丁度この辺りを通るバスの運転手だと補足される。
「ありがとうございます、助かりました。それであの、三木さん。急に仕事が出来た事にしてくれませんか?」
小声でウララが言うと、事務員は何となく察したのか、こくっと頷いた。
事務員はウララの方を向き「いけないじゃないか、伊豆君!」とウララに向かって怒号を飛ばした。
伊豆とは、ウララの苗字らしい。
「すみません、電話には気付いたのですが……」
「職業上、急な仕事が入る事があると言っただろう、電話にはすぐに出なさい!社会人としての基本だよ!」
「申し訳ありません」
ウララはぺこぺこと頭を下げ、そして雄に顔を向けた。
「すみませんが、仕事が入りましたので、今夜はお暇させていただきます」
「あ、ああ」
「また連絡します。では、失礼します」
「……ああ」
雄は叱られているウララにこれ以上食い下がる事はしなかった。
ウララは事務員と共にその場を後にした。
道すがら、事務員は「ウララちゃんさあ」と話しかけた。
「さっきのが婚約者なのかい?こう言っちゃなんだか、考え直した方が良いんじゃないかな」
「……私も悪い所はありますし……」
「儂はウララちゃんの親でも何でもないから、強くは言えないけどね。でも人の話を聞かない奴と一緒にいるのは、疲れるよ?」
「肝に、銘じておきます」
ウララは憂鬱そうに溜息を吐き、この記憶は途切れた。
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この記憶を受け取った時、頭を抱えたくなった。私とウララが出会って最初の頃、遠慮なく身体にべたべた触れて悲鳴を上げられた時の事を思い出したのだ。あの時は番だからと(多分)許されたし、今思えばあれが切っ掛けでウララも私を意識してくれるようになったが……。
ウララを煩わせた元婚約者の雄に思う事は色々とあるが、それ以上に時が戻るならウララの心を傷つけたであろう当時の自分を殴りに行きたいと切実に思った。
ウララのまつ毛がふるっと震える。
「うらら?だいじょうぶ?」
「……しぐら?」
問題なく目を覚ましてくれたウララにほっとしたが、彼女は数度瞬きをした後、涙をぼろぼろと零しだした。
「うらら!どうしたの?!」
まさかウララを傷つけるような記憶を彼女に渡してしまったのだろうか。
身体の傷は治せても、心の傷は治せない。どうすれば良いのか考えていると、ウララの腕が私の肩に回った。
「私が生きているうちは守ってあげるから」
「うらら?」
「もし私が死んでも人間の王女とだけは番になっては駄目だよ。絶対、駄目だよ」




