虹色の玉の記憶:シグラ視点
『お……お前!どうして動けるんだ!』
『もしかして、精霊付きか、勇者の類か!』
特徴の無い、人間の雄が5人。焦げ臭い香炉を持っている雄は……代表者だと言っていた人間だ。
『その香……妖精香と言ったか。即刻止めろ』
『こいつ、若旦那の目当ての女の旦那だ!』
1人がそう叫ぶと、ほかの雄共が弾かれたように私に飛び掛かってくる。
『若旦那、こいつは俺らが押さえておきますから、早く女の所に!』
『お、おう。すまん!恩に着る!』
『首だ、首を絞めろ!』
『すまねえ!アンタには恨みはねえが、若旦那の為にここで伸びててくれ!』
『目当ての、女だと?』
香を持つあの雄は車に……ウララに向かって走りだす。できるだけ穏便に終わらせようと思ったが、私から番を奪おうとするなら―――
『殺す』
『うわあああ!?』
『熱いっ!ま、魔法だあああ!』
先ずは纏わりついていた雄共を炎で払う。そしてウララの傍に行こうとする雄に向けてブレスを吐こうとしたが……。
『ひいい!?』
耳をつんざく音と共に一瞬の閃光で辺りが照らされた。それと同時に、あの人間が立っていた地面が陥没し、私の視界から消える。
『抵抗はするな』
『この村を消したくなかったら、そこでじっとしてろよ、おっさん』
馬車の二階にいる筈のライとコウが結界の外に立っていた。
私が外に出る際に一度結界を解いたが、その隙に2人も外に出てきたようだ。
2人の周りには魔法の粒子が舞っていた。今のは彼らの魔法か。
『だ、誰か、誰か助けてくれ!殺される!!出してくれええ!』
『いやいや、加害者側がどうして被害者面してんだよ。それに俺らはおっさんのことを助けてやってるんだけど?』
『死にたくないなら、暫くはそこで待機しているんだ。今あの男の視界に入れば確実に殺されるぞ』
あの雄が動揺して落としたのか、穴の近くに香と小袋が転がっていた。香の方を踏んで火を消す。
『お前達が出ずとも私だけで対処出来た』
「いや、絶対ブレス吐こうとしたでしょ。村の地形が変わってたら流石にウララ先輩も気づくと思うよ。いらない心労かけさせたくないでしょ?」
『村まで消すつもりはなかった』
「今も頭に血が上ってるくせに。早くウララ先輩の所に戻って、冷静になった方がいいよ」
そう言うと、コウは私の背を押した。なんだか手慣れている気がした。
そんな私の考えがわかったのか、ライが「あっちでもアンタの暴走を止めるのは僕達の役目なんだ」と言った。
「シグラ」
アガレスの声がする。
「小袋が傍に落ちておらんか?その中に虹色の玉があるじゃろう」
『ああ。これがどうかしたのか』
香の傍にあった小袋を拾う。中には2つの虹色の玉が入っていた。
「それは人工的に作られた魔法の核じゃ。それを飲めば暫くの間は妖精草に惑わされる事はないと、人間共が言っておったぞ。この村に妖精香を持つ者が他に居ろうとも、嫁御にそれを飲ませればこれ以上煩わされることはないじゃろう」
便利ではあるが、胡散臭いものをウララに飲ませるのは気が引ける。
試しに一つ齧ってみると、微かに魔法の力を感じる事が出来た。毒のようなものは含まれていないようだが……。
反射的に吐きだした。
「どうしたんじゃ?毒でも入っておったか?」
『……いいや。しかし……』
何故か身体が受け付けない。
『……やはり、この人間が持っていたような物をウララには飲ませられない。そもそもこの傍で妖精香を焚かなければ良い話だ』
先程私に掴みかかってきた男達に目を向ける。奴らは腰が抜けたのか、その場に蹲っていた。
『貴様ら』
声を掛けると『ヒイイイっ』と情けない悲鳴を上げた。
『先程の狼藉はこれで許してやるが、次は無い。命が惜しければ、この周辺で妖精香を使う人間がいないか見張っておくことだ』
人間共は頻りに頷いているから、これで大丈夫だろう。
車に戻ると、シーツを巻いて身体を隠してはいるが、まだ調子が悪そうなウララに私の涙を舐めさせた。後でキララにも舐めさせた方がいいだろう。
私の涙を舐めたウララの目の焦点はすぐに合う。
「あ……」
彼女の顔はカーっと真っ赤になり、しかし次の瞬間にはサーっと血の気が引いたように真っ青になった。
「ごごごめ、ごめんなさいい!!」
彼女は寝室ですぐに姿勢を正し、何度も何度も私に頭を下げる。これは土下座というものだったか。
「どうしたの?」
「どうしたも、こうしたも……変な事してごめんなさい、嫌いにならないで下さい!」
「え……ええ……?」
「ああああ……恥ずかしいいいい……嫁入り前なのにいい……」
妖精草とウララは相性が悪いようだ。心の奥底から根絶したいと思った。
■■■
ふと気づいたら、見知らぬ部屋に立っていた。
確か、穴があったら入りたいと泣いていたウララの声を聞いて、レンが寝室に来たのだ。しかも眠っていたリュカも起きて……。母親(予定)のただならぬ声に、子供たちが敏感に反応したのだろう。それで、レンとリュカと3人でウララを宥めていた所までは覚えている。
うーん?と考えたが、ウララは何処にいるのだろうと辺りを見回す。
『わたくしの大事なお友達が貴方を怖がるの。下がりなさい、ブネ』
『承知した』
―――?
私の口が勝手に動いた。
命令をしたのは、見た事の無い人間の雌だった。だが、何故かアレが私の番だと認識する。
私の番はウララだけだ。意味が解らなかった。戸惑っていると、深紅のカーテンからバスローブを羽織った雄が現れる。やはり見たことのない顔の雄だが、アレがこの国の参議だと認識できた。
『王女殿下、魔獣を早く何処かへやって下さい。私は小心者ゆえ……』
『ほほほ、震えていらっしゃるの?すぐに妖精香を焚いてさしあげますわ、わたくしの可愛いアナタ』
雌はテーブルに置いてあった瓶を取り、その中から虹色の玉を手のひらに出した。
―――あの玉……
『さっさと行きなさい、ブネ。全く、愚図なんだから』
『失礼する』
番の雌に命じられ、部屋から出て行く。番の傍にいれば、多少なりとも幸福感を得る事が出来るが、離れれば嫌悪と怒りしかない。
それに今の私はウララを知っているからか、あの番の傍にいて得られる幸福感など、微々たるものに思えた。
ふう、と溜息が出る。
恐らくだが、これは未来の私の記憶だろう。
魂が繋がった時に情報を共有したが、要らぬものまで入って来ていたようだ。
必要ない記憶ゆえに今までは心の奥に沈殿していたが、あの虹色の玉を見たことで刺激されて、浮上してきたのだろう。
無駄に広い廊下を歩く。
気が付けば、とある一室の前に来ていた。この部屋は賢者の部屋だと認識できた。
賢者の部屋には常時鍵が掛かっているが、この鍵穴に合う鍵を私は持っている。
「あ、ドラゴンさん、こんにちは」
机に向かって何かを書いていた賢者がペンを置き、此方を向いた。ウララだった。
番の雌のせいで不快な気持ちになっていたので、すぐにでも彼女に飛びつきたかったが、記憶の中の『私』は動かない。
ウララは「ちょっと待っていて下さいね」と言い、また机に視線を戻した。
「なにを、かいている?」
「私の国の歴史です。王太子殿下が是非知りたいと言うものだから」
「おうたいし」
「勉強熱心なんですよ。忙しい方なのに、毎日話を聞きに来られて」
「まいにち」
「だからこうして紙に纏めれば、わざわざ此処に来なくても大丈夫になるでしょう?通訳のエルフさんは文字も読めるみたいですし」
「そうか」
私は机に向かうウララの背中をじっと見ている。
「うらら、おうたいし、まいにち、いやか」
「嫌とかではなく、疲れている人を見るのは心苦しいんです。此処に来る時間を無くせば、少しでも休めるでしょう?」
トントン、と書類を綺麗にまとめた。
「衣食住のお世話をされているのだから、これくらいしないと」
「なぜ?」
「落ち着かないからです。人の親切には報いないと、人として駄目になりそうで」
作業を終えたウララは立ち上がると、私に部屋の中央にあるテーブルセットの椅子に座る様に促した。
「今日は、どんなお茶を飲まれますか?」
「わからない。うらら、えらべ」
「じゃあ、紅茶にしましょう。今日は侍女さんとマドレーヌを作ってみまして。地球のお菓子なんですけど、味見してもらえますか?」
ウララは王太子や侍女に乞われるがまま、惜しみなく異世界の知識を伝えていた。
それは政治、歴史、理数学、料理、音楽、物語など多岐に渡った。
目の前でにこにこしているウララを見ていると、視界が暗転した。そしてまた私は廊下を歩いていた。
番の雌から命じられたお使いを済ませて、久しぶりにウララの元へ行く途中なのだと補足される。
『貴様ともあろう者が……自分が、何をしたのかわかっているのか!!』
賢者の部屋の前に鮮血が散っていた。
抜き身の剣を手に激昂している王太子、そして腹を抑えて呻く参議。あれは私の番の雌と共に居た雄だ。
参議の傍には虹色の玉が数個転がっていた。
駆け寄り、部屋の中を覗くと、泣いているウララがいた。彼女の前には、口から泡を吹いている侍女が横たわっていた。
参議はウララを手籠めにしようと妖精香を使ったそうだが、奴は肝心のウララの顔を知らなかった。
間違えて侍女を襲い、その間に王太子が駆けつけたらしい。
ウララはあまりにも真面目すぎた。
あまりにも多くの物を与えたがために、彼女を手に入れようと画策する者が現れたのだ。本来なら、王族と一部の臣下のみしか入ることのできなかった部屋に、慮外者の参議が侵入したのだ。
私は廊下に転がる虹色の玉を踏み潰す。
この事件の後、ウララは暫くの間誰とも会おうとしなくなった。
最悪だと思った。
今の私だから、わかる。貞操観念が強く暴力や血を嫌うウララにとって、さぞショックな出来事だっただろう。
そして更に最悪なのが、私の番の雌だ。
奴はその日の夜、自室でワインを飲みながら、ウララの人気が気に入らなかったのだと、上機嫌に口にした。
全てはコイツの差し金だったのだ。
殺してやりたくて仕方なかったが、記憶の中の私は動かない。
記憶を覗き見ている今の私だけが、目の前で高笑いする藤色の髪の女を睨み付けていた。




