アウロとロナ
父子を保護した次の朝。
漸く目が覚めたエルフのお父さんが、まだ顔色が悪いのに這うようにしてダイネットに降りてきた。
「この度は本当にありがとうございました」
「大丈夫ですよ。それよりまだ眠られた方が良いんじゃないですか?」
「いいえ、もう…これ以上は。戦う程の魔力はまだありませんが、下働きくらいはできます」
「いえいえ、本調子に戻るまでは」
「おい、いい加減腹が減ったぞ。そういうのは朝飯を食べてからにしてくれ」
遠慮しあうこの応酬は社会人ともなれば何度も体験することだけど、案外抜け出すのに苦労する。
上手い事話を終わらす手助けをしてくれたキララに「すぐに用意するね」と言って私はキッチンカウンターに立った。
シグラは私の傍に来たそうにしているけど、昨日食事の準備中は危ないから傍に来ちゃ駄目だよと言ったからか、私の方を見ているだけだ。邪魔をしないんだったら別に傍に来てくれても構わないんだけど……、うん。キララの目が恐いから暫くはこのままにしておこう。
カウンターの収納からベーコンとチーズと食パンを取りだし、そしてホットサンドメーカーもカウンターに置く。
今日はホットサンドにしようと思う。
「キララ、テーブルのとこにアウトドアチェア出しといて」
「りょ」
5人になったからダイネットのシートでは座りきらない。
それにしても、そろそろ本当に移動した方がいいなあ。私とキララで数週間はもつくらいの非常食は買いこんだけど、今はそこから3人増えたからね。
シグラの服も買ってあげたいし、というか、そもそもお金を稼がないといけない。
エルフのお父さんが山道の揺れを耐えれるようになったら動こう。
これからの行動について朝食の席で相談しようと思ったんだけど…。
「何ですか、これ…何ですかこれええ」
ガフガフガフ
エルフのお父さんは泣きながらホットサンドを食べ、女の子の方は昨日の夕飯の時と同じように無言で只管ホットサンドにガフガフと齧りついていた。
お腹凄く減ってたんだろうなあ…ちょっとホロリとくるよ。あれ…?でも女の子の方は昨日の夜にいっぱい食べてなかったっけ?
食後のお茶を出して漸くこれからの事を話そう…というところで、そう言えばまだ自己紹介をしていない事に気付いた私達。
「私はウララと言います。この子は妹のキララ。それで…この人が私の…お、夫のシグラです」
夫、と言う単語にキララが「おい」と口を挟んできたから、思わずぷいっと顔を逸らしてしまった。
シグラには責任はとってもらわないといけないし…そもそも本当の事だし…!
じとーっとこちらを見てくるキララの視線を感じつつ、「そちらは?」と父子に訊ねた。
「私は精霊ロノウェの守護する地から来たアウロと申します。此方は娘のロナ。亡くなった妻がドワーフで、ロナは彼女の血を色濃く受け継いだのでドワーフの能力を持っています」
アウロの見た目は人間でいうところの40代くらいで銀髪のちょっと疲れたサラリーマンのような風貌。娘のロナはくるくるとした茶髪で、キララより少し小さい女の子だ。
地球生まれの私的には、エルフとドワーフは仲が悪いと思っていたが、そうでもないのだろうか?
キララも同じような事を思ったようで、訊ねていた。
「仲が悪いというよりも、エルフはあまり他種族と交流を持たないのです。私も妻とは駆け落ちのような形で故郷を出てきました」
「そうだったんですか」
もともとエルフやドワーフは人族から偏見を持たれているそうだ。駆け落ちをして身元がしっかりしない彼らを雇ってくれる所は皆無で、仕方なく冒険者となり魔物を狩っていたそうだ。
「冒険者…冒険者ギルドとかあるのか」
キララが目を輝かせる。
「性格など関係なく腕っぷしの強い者が集まる場所ですから、キララさんやウララさんは近づかない方がよろしいですよ。妻はよくあそこに集まるならず者に絡まれていました。まあ、彼女は人族の男性以上に腕っぷしが強かったので、殴り合いで黙らせていましたが」
おお…近寄らないでおこう…
そんな強かった奥さんも、非衛生な場所でロナを産んだのが切っ掛けで病気になって亡くなってしまったそうだ。
「ロナを連れたままでは冒険者もできません。なので、仕事を探して放浪し漸くこちらの山岳地帯を拠点とされている流浪の民に雇っていただいたんですが…私が怪我をしたために荷馬車から降ろされてしまったんです」
「そうだったんですか」
ちらりと窓の外、昨夜シグラに屠られたペリュトンの死骸を見る。
「もしかしてペリュトンに…?」
私の視線を辿ったアウロが目を見開いた。
「あの残骸はペリュトンでしたか。ペリュトンは群れでないと襲ってはこない怪鳥でして、今回は数で押されてしまいまして」
あれって分類は鳥だったんですね。
まあここはペリュトンの生息地域。大きな群れと遭遇する事も多々あることだろう。
「アウロはペリュトンと戦って勝てるくらいの力をもっているのか?」
ふとキララがそんな事を尋ねた。
それに対し、アウロは首を振った。
「数頭なら…ですが、それ以上の数で来られると無理です」
「昨日言っていた精霊魔法で戦うのか?」
またまたキララの目が輝いている。妹はクールぶっているくせにファンタジーな事が大好きなのだ。
「はい。私はエルフですから」
「そう言えば言語知識を授けてもらった、と仰っていましたよね」
「精霊ロノウェは言語知識に精通している精霊です。戦闘に向いている力ではありませんが、異民族の方と交流するにはもってこいの力なんですよ」
「その魔法はこの人も出来ますか?」
隣に座っているシグラを指さすと、アウロは「いいえ」と首を振った。
「例外はありますが、精霊魔法は基本的にエルフにしか使えません。更に言えば、名前のある精霊の力は、その精霊が守護している地で生まれたエルフにしか使えないのです」
なるほど。
「名前の無い精霊の力ならエルフならどこの出身でも使えるのか?」
ワクワクが止まらないキララ。
「はい」
「炎や水を出したりできるのか?」
「やって見せましょうか」
そう言うとアウロはお茶のカップに手をかざし、何も無い空間から水を出して見せた。
水!
「この水は飲めるのですか?」
「飲めますよ。水の精霊が作りだした水ですから、とても清らかなのです」
そう言うアウロはうっすらと汗をかいている。きっと、この水を出すのにも力が必要なのだろう。
「あの、少々ご相談が…。魔力が戻り次第でよろしいので、このバスコンに水を補充して欲しいのです」
「構いませんよ。しかし…」
アウロはぐるりと車内を見回す。
「とても豪華な内装の荷馬車ですが、貴女方は高貴な身分の方々なのでしょうか?」
「いや、一般庶民だぞ。まあ、この車はかなり値が張るが……」
そこまで言ってキララが私を見る。どこまで事情を話せばいいのか測りかねているのだろう。
魔法とかある世界なのだし、案外すんなり受け入れてくれるかもしれない。
それに此処はシグラの結界の中。害意を持つ者は入れないのだから、アウロもロナも無害だろうし。
「実は私達は此処とは違う世界から来ました」
「何と…!異世界の方々でしたか」
あれ?思ったよりもすんなり受け止められ、少し拍子抜けする。
「珍しいものではないのですか?」
「確かに珍しいとは思います。私もまだ会ったことはありませんし。しかし人族ではたまに時空の妖精に頼んで召喚儀式などしていますから、それなりの数は居ると聞きます」
時空の妖精?パルのことかな。
でも確かあの子は私達の事も『この異世界の存在とは違うので、叶うならすぐにでも元の世界に戻したい』とかなんとか言っていたような気がする。頼まれたからと言って、わざわざそんな異質な存在を連れてきたりするだろうか?
まあ軽油の件に関しては“パル自身が管理できているのなら構わない”というスタンスだったし、パルの裁量でできるなら良いのかな?
「召喚…!勇者とか聖女とか呼ぶやつか?」
おっと、キララがくいついた。中学生になったら中二病になりそうで、お姉ちゃんちょっと心配です。
「勇者や聖女が召喚されたとは聞きませんねえ。ただ、異世界の人間は色々な知識を持っているので『賢者』として召喚されているのですよ」
へーそうなんだ。
「チート無双できないのか…」
あーあ、キララがしょんぼりしちゃった。仕方ないよ、私たちだってここに来たからって凄い力が備わったわけでもなく私はごく普通の運転手兼バスガイドのままで…。…あ。
「アウロさん、この世界には本を読む習慣はありますか?」
「ありますよ。まあ、多少高価ですし文字を読めなければなりませんから、庶民には馴染みが無いでしょうが」
「どうした、姉よ」
「んー、私の知識を面白おかしくして本にしたら売れないかなって思っただけ」
私の知識、つまりご当地知識だ。バスガイドはガイドをする地域は勿論の事、お客さんの相手をする為にその時その時のお客さんの故郷の習慣、歴史などを勉強したりするから、上っ面の知識だけど都道府県網羅してる自信がある。歌だってお任せだよ。
「お金が必要なのですか?」
「ええ。生活費くらいですが」
アウロは少し考える素振りを見せる。
「確かに向こうの知識に興味を引かれる人間は大勢います。しかしそれをやるのでしたら、相当ぼやかした方が良いですよ。貴女方の存在がバレてしまいますからね」
「え…っと。やっぱりバレたら駄目な感じですかね」
アウロは「はて」と言う顔をした。
「召喚された場所からお逃げになって来たのではないのですか?これは聞いただけの話になりますが、賢者は一生を召喚した王宮の中で過ごすと言われていますが」
「「は?」」
何だか監禁フラグをさらりと聞いたしまった気がする。