ビメの用事
シャワーを浴びて装いを整えるとシグラを呼んだ。先程は何故か真っ赤になっていた彼だが、今は落ち着いているようだ。
……まさか私に海水が掛かって服が透けたから真っ赤になったのかな?いや、人間の身体に興味の無い彼に限ってそれはあり得ないか。
「頭から海水を被ったんだから、シグラもシャワー浴びてきて」
「……しぐらがでてくるまで、そとにでちゃ、だめだよ?」
「うん。お茶を飲んで待ってるから」
シャワールームの前にタオルとシグラの替えの服を用意すると、ダイネットに戻って“ふう”と一息ついた。
そしてふと、ビメが来たことを思いだす。何の用事で来たのか知らないが、彼女用の着替えを用意しておいた方がいいかもしれない。
殆どの服は別棟に持ち運んでいたが、海に行くので少し多めの着替えを準備していて良かった。
「……ん?」
青い生地のワンピースを取り出していると、外が騒がしくなっていることに気付いた。
どうしたんだろうと窓を見ると、砂浜にいた人達が慌てた様子で逃げて行っているようだった。
「え?何か起こったの?」
子供達は大丈夫だろうか?様子を見に行きたいが、シグラとの約束があるので外に出る事は出来ない。
不安に思っていると、アガレスの「嫁御ー」というのんびりとした声が聞こえて来た。
「ビメはそっちに行ったかのう?」
「あ、アガレスさん。はい、ビメさんに会いました。でも、その……」
「どうしたんじゃ?」
私とシグラは車に居て暫くは外に出られない事、そして車の外では海水浴客が騒ぎながら逃げているので、何かあったのかもしれないと言う事を伝えた。
アガレスは「ふむ」と相槌を打つ。
「よくわからんが、ちょいと周囲を探ってやろう」
「あ、ありがとうございます。キララ達の無事も確認して貰えませんか?」
「ちょっと待っておれ」
暫く沈黙の後、アガレスが「原因がわかったぞ」と話しかけてきた。
「ビメの奴がドラゴンの姿で来たのが原因みたいじゃのう。ああ、それとキララは無事じゃ。今テントを片して帰ってきておるぞ」
―――ビメかー……
うっかりしていた。
シグラの妹だと知っているので私達にとっては恐怖の対象ではないが、他の人からしたらドラゴンが現れたらそりゃ怖いわ。
「人間共に悪い事をしたのう。ビメには人間が怖がらぬ姿で行くように言うべきだったか。しかしドラゴンはプライドが高いゆえに自身が必要だと思わん限り、他の姿に擬態せぬからのう」
「その口ぶりだと、ビメさんを此処に寄越したのはアガレスさんですか?」
「うむ。ビメがシグラを探しておったからのう。血を分けてもらう代わりに情報をやったのじゃ」
砂漠で干からびてから調子が戻らない湖竜のクロに、アガレスはドラゴンの血を飲ませてやろうと思ったそうだ。そして血を気軽にくれる相手を探していると、シグラを探すビメを見つけた、と。
「血を貰う相手としてシグラには打診しなかったんですか?」
「あやつは嫁御の利になること以外はせぬ。それに今は嫁御だけじゃなくて子竜もおるじゃろう?血を儂の所に届ける為にそこから離れるのは嫌かと思ってのう」
結構思慮深いお爺ちゃんだ。
「クロの調子が戻ったら、そっちに遊びにいくでの。その時はきちんとクロに擬態させるゆえ、安心するがいい」
遊びに来るのは確定事項らしい。
「どうかしたの?うらら」
シャワールームから出てきたシグラに声をかけられた。
「あ、ううん。皆こっちに帰ってきてるみたいだから、迎えに行こ」
「わかった」
シグラと共に外へ出ると、眠っているレンとリュカを抱き上げているライと、テントやコンロなどの荷物を持ったコウとキララ達が歩いて来ていた。
「後片付け任せちゃってごめんね」
ライからリュカを受け取ろうとしたが「大丈夫」と言われた。
「こっちは良いので、ビメさんの方をどうにかして下さい」
そう言うライは顔を真っ赤にしている。彼らの後ろを見ると、人間の姿になったビメが大きな袋を片手に持ち、裸で堂々と歩いてくるのが見えた。ライはドラゴンだが、人間社会で生きてきたからか、羞恥心は人間に近いものがあるようだ。
■■■
砂遊びをしていただけのレンは足だけを、水遊びをしていたリュカは私が抱えて簡単にシャワーを浴びさせた後、寝室に寝かせた。
「俺達は外でアウロさんに水浴びさせてもらうんで、シャワーはキララちゃん達が使ってよ」
ライとコウはシャツを脱ぐとアウロに精霊魔法で水を掛けてもらっていた。それを見てキララも「私もそれで良い」と言ったのだが、身体を冷やすと調子を崩すからとロナと一緒にシャワールームに押し込んでおいた。
「ライ君たちも家に戻ったらお風呂に入るんだよ。風邪をひいちゃうからね」
ライは素直に頷いたが、コウは笑いながら「そんな心配ご無用っスよ」と言った。
「俺らは父親に似て身体頑丈なんで」
「頑丈だからって、自分を適当に扱っては駄目だよ。必ずお風呂に入りな」
「えー……」
コウは面倒くさそうな様子だったが、シグラが「こう」と名を呼ぶと、彼はすぐに下手な作り笑いをし、「了解っス」と親指を立てた。
何だろう、コウってシグラには一目を置いているような感じがある。ドラゴンとしての序列でもあるのかな?
ライとコウは水浴びを終えると、タオルで身体を拭きながら馬車の二階へと上っていった。あそこが気に入ったみたいだ。
アウロは精霊魔法で今度は自分とククルアの足を洗うと、涼ませてほしいと言ってククルアと共に車の中へ入って行ってしまった。キララとロナに振り回されて、随分とお疲れの様子だ。車内はエアコンがきいているので、存分に休んでいただきたいところだ。
そして、この場に残ったのは私とシグラとビメ。ビメには私のワンピースを着せている。
シグラとビメはドラゴンの言葉で会話を始めた。私にはフィルマ王国の言葉もドラゴンの言葉もさっぱり理解できないので、どちらで会話をされても大差はない。その事をシグラもわかっているので、馴染みのあるドラゴンの言葉を使っているのだろう。
ビメは「あおあお」と言いながら、人間の頭の大きさくらいの壺を袋から取り出し、シグラの前に差し出した。
「……ビメさんは何て言っているの?」
「ちをもらいに、きたって」
「ち?」
教会で使う加護用の血だそうだ。
シグラを慕っているエルフ達や教会の面倒はビメがみているのだが、流石に加護を与える為の血はシグラの物でなければならない。
今までは血のストックが無くなる度に、住処で寝ているシグラの尻尾を勝手に切って血を確保していたらしい。眠りを妨げられて不機嫌なシグラに、威嚇なりブレスなりを吐かれ、命がけの作業だったようだ。
「そう言えばシグラはその、ブネルラに戻らなくても大丈夫なの?名のある精霊の力が満ちていないと、エルフは困るんでしょう?」
マルコシアスもそれがあって、自分の郷に戻らせたのだ。ずっと郷を留守にしていれば、ナベリウスのように“エルフも教会も失い、名のある精霊なのかよくわからない”という存在になるかもしれない。
まあ、そうなったところで、シグラにとっては痛くもかゆくもないことだろう。そもそも先日まで自分の教会がある事すら知らなかったのだし。
だが、シグラの帰りを待つエルフや聖騎士達の事は気の毒だと思う。
シグラは「たぶん、だいじょうぶ」と言った。
「しぐら、ずっとあそこでねてたから、しばらく、ちからは、きえないとおもうよ」
「暫く?」
「せんねん、くらい?」
「千年……」
人間はその暫くの間で平安時代から令和になるんだけどなあ。
遠い目になりかけたが、頭を振ってそれを堪えた。
「シグラの住処には一度行ったけど、シグラの教会にも行ってみたいね。シグラを慕ってるエルフとか聖騎士達とも会ってみたいし」
「うらら、あいたいの?」
「うん。シグラの味方なんだから、仲良くしたいし、大事にしたいなあ」
私が頷くと、シグラは手首を噛み切って壺の中に手を突っ込んだのだった。




