日常の瓦解:ライ視点
少し時が遡ります。
誰も居なくなった美術室で、ボーっと窓の外、校庭を見ていた。
学校は夏休みに入り、部活の為に来ている学生がちらほらと歩いている。
「ライー」
呼ばれて廊下側の窓に振り向くと、僕とそっくりな顔が窓から顔をのぞかせていた。こいつは僕の双子の弟のコウだ。
「何しに来たんだよ、コウ。まだ吹奏楽部は終わってないだろ、サボってて良いのか?」
「今校内一周ランニング中なんだよ。早く終わらせたら逆にサボったって言われる」
吹奏楽部なのに、何でいつも走ってるんだろう。まあ別に僕には関係ないが。
「美術部は終わったのか?誰もいねえじゃん」
「うん。今日は夏祭りがあるだろ?顧問も部長もそっちに行きたいらしくて、弁当だけ食べて解散になった」
「適当すぎるだろ、お前らのとこ」
美術部は文芸部と競合するからか、部員が少なく、僕を入れても5人しかいない。だからか、とても気軽だ。
僕は美術部、コウは吹奏楽部に入っている。僕たちは人間の姿ではあるが本性はドラゴンなので、怖くて運動部には入れなかったのだ。人間離れした身体能力は、神童を通り越して解剖されるレベルだから。
画材を仕舞いながら、コウと他愛も無い話をする。
「俺、まだ弁当食ってないんだけど、から揚げ入ってた?」
「入ってたよ。卵焼きも入ってた」
「まじか、早く昼休憩にならねえかなあ」
トントントン、とコウがつま先で軽く廊下を蹴っている。
「そう言えば、吹奏楽部っていつ頃終わりそうなんだ?今日の夏祭りは、僕とお前でレンとリュカを連れて行ってやる約束しただろ。ちゃんと覚えてる?」
「覚えてるよ。終わるのは、いつも通りだったら3時くらいじゃないかな」
教室の時計を見ると、12時半だった。
「お、そろそろランニングに戻った方が良いかな」
コウはそう言うと窓から身を離した。
「部活が終わったらすぐに家に戻って来いよ。人見知りのレンもちっちゃいリュカも手が離せないんだから、僕一人じゃ荷が重い」
はいはい、と軽く返事をして、コウは走っていってしまった。
画材は大きな物は美術室に置き、クロッキー帳と筆記用具だけリュックサックに入れて、背負う。
昇降口に行くと「ライ君!」とまた声をかけられた。今度はコウじゃない、3人の女子だった。
「何?僕に用事?」
女子はもじもじしながら「あのね、あのね」とどもっている。
「きょ、今日暇かな?良かったら私達と一緒に夏祭りに行かない?」
「ああ、ごめん。弟達と行く約束してるから」
そう言うと、女子たちは断られるとは思っていなかったのか“ええっ”と驚いたような声を出した。
「私達と行ってくれないの?」
何だか泣かれそうな雰囲気になり、面倒だなあと内心愚痴る。
「今、母さんのお腹に子供がいるから、なるべく弟達の面倒は僕とコウでみているんだ」
そこまで言うと女子も納得したのか“なら仕方ないね”という空気になってくれた。
「でも凄いね。凄く年が離れてる兄弟になるね」
「そうかな?僕の母さんにも13歳差の妹がいるから、何とも思わないけど。それに間に兄弟もいるし」
人には言えないが、父親の方の兄弟となると、ミレニアムの歳の差だし。
「ライ君、弟と妹がいるんだっけ?兄弟多いね」
「それは僕も同意する」
「ライ君のお父さんって外国人なんでしょ?愛情表現とか凄そう」
きゃあきゃあと騒ぐ女子を前に、何とも冷めた気持ちになる。
アイツは外国人ではなくドラゴンだ。
子供としては両親の仲が良いのは嬉しい事だが、だからこそ一時でもアイツが母さん以外の女と番になっていた事を知った時には失望した。僕もドラゴンだから、番がどれだけ大切な存在なのかわかっているから、余計に。
女子と別れ、1人で校庭を歩く。
「ライー!」
校舎の3階から弁当箱を持ったコウが手を振っていた。
「吹奏楽も1時半前には終わるらしいから、ちょっと待っててってレンとリュカに言ってくれ」
「わかった!」
コウに返事をし、校門を出る。
いつもならバス停でバスを待つのだが、何だか走って帰りたい気分になったので、道を逸れて林へ入った。
人間のフリをする為にバス通学をしているが、こうして走った方が速い。
両親が山荘の管理人をしているので、僕の家は山の中にある。
あっという間に駆け上り、山荘の前へ出た。
庭ではレンとリュカがままごとをして遊んでいた。
「あ、ライ兄ちゃん」
レンが先に僕に気付き、駆け寄って来る。多分ままごとに辟易していたのだろう。
一方のリュカはレンが持ち場を離れたので、憤慨している。
「レンちゃん!赤ちゃんは、お布団部屋から出ちゃ駄目!」
「ずっとじっとしてるの、飽きたよリュカー……」
「リュカ、コウもすぐに帰ってくるから、その前にお片付けして夏祭りに行く準備しよう」
そう声を掛けると、怒っていたリュカは途端に嬉しそうに「お祭りー!」と声を上げた。単純だなあ。
僕の足にじゃれ付く弟と妹を連れて、リビングに顔を出すと、事務作業をしていた母さんに「おかえり」と声をかけられた。
「母さん、横になっていなくて大丈夫なの?それに、アイツは?母さんを一人にするなんて、珍しいね」
「お父さんをアイツなんて言わないの。遭難信号があったから、そっちに行ってるけど、すぐに戻ってくると思うよ」
部屋に行くと、リュックから空の弁当箱を取り出し、代わりにリュカの着替えと玩具、タオルを追加する。クロッキー帳と文房具は嵩張るものでもないし、入れておいたままで良いか。
「ねえねえ、コウちゃんはいつ帰ってくるの?」
母さんに浴衣を着せてもらい、嬉しそうにくるくる回りながらリュカが部屋に来た。
「終わるのは1時半って言ってたから……」
部屋の時計を見ると、1時を過ぎたところだった。バスで帰ってくるなら、2時頃になるだろう。
「あと1時間後かな」
「1時間後?それってどれくらい?」
「うーん、リュカが好きなラブキュアのアニメを2回見るくらい、でわかる?」
くるんっとリュカがレンの方を見る。
「レンちゃん、おままごとしよ!」
「ええ……別の遊びにしようよ。朝からずっと赤ちゃん役で飽きたよ、僕」
朝からしてたのか。凄いなレンの奴。
「じゃあ、森でドラゴンごっこして遊ぼ!」
山荘の傍には深い森があり、この一部にはアイツの防視の結界が張ってある。だから此処ではドラゴンの姿になっても大丈夫なのだ。
弁当箱を台所の流しに置くと、レンとリュカを連れて玄関を出た。リュカは一目散に森へと走って行ってしまった。
僕たちも森へ行くと、リュカは折角着ていた浴衣を脱ぎすて、ドラゴンになって飛び回っていた。この場に居るのは兄弟だけだとは言え、もう少し恥じらいを持ってほしいものだ。
「霧が出てきたよ、ライ兄ちゃん」
「本当だな」
この辺りでは珍しいものではない。そう思った、その時だった。
「!?」
「ひゃああッ!」
僕の知らないドラゴンが森の奥から急に現れ、リュカの首を噛んで捕まえてしまったのだ。
「リュカ!?」
「やあああっ!ライちゃああん!ママ、パパああ!!」
ドラゴンの周囲に濃い霧が立ち込め、その姿がぼやけていく。
“リュカが連れて行かれる!”
そう思って僕は後先考えずにその霧へと飛び込んだ。
そして気が付くと、懐かしい世界に来ていた。
車などは走っておらず、道路もアスファルトではなくレンガ畳だ。
僕は小学生になる前までブネルラという場所に住んでいたから、すぐにわかった。
ここは日本のある世界ではなく、ブネルラのある世界だと。
―――あああああんっ!!
リュカの泣き声が微かに聞こえて来る。
「リュカ……、リュカを探さないと!」
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・
・
リュカの泣き声を辿って行きついた場所で、時空の概念と出会い、知る事になる。
『この世界は、538年、8月の世界です。貴方達は何年後の未来から来ましたか?』
538年?……確か、僕がブネルラで生まれたのは540年だ。だから、此処は13年後の553年である筈なのに。
『……現在は番のウララさんと共にこの近辺にいる筈です……』
嘘だ。だって、アイツは……。アイツは王女を番にしたと言っていた!
ごくりと喉が動く。
僕たちは歴史が違う過去の世界に来てしまったらしい。
身体が震えだし、思わず妹を抱きしめる。
帰れるのだろうか?
僕一人なら我慢できるが、幼いリュカは駄目だ。元の世界に戻してあげないと、可哀想だ。
どうしよう……。
考えている間に、屋敷の中が慌ただしくなった。取り敢えずここから逃げないといけないと思い、半ばパニック状態で時空の概念の入ったガラス瓶をリュックに捻じ込み、リュカを抱いてガラス窓を破った。
「ママ、パパ」と不安げに泣くリュカの声が聞こえる。
―――アイツに会おう
もしかしたらアイツ……父さんにも僕たちを戻せる術がないかもしれない。でもせめてこの世界にいる母さんと父さんの元にリュカを連れて行きたい。
保護してくれと言ったら、母さんなら受け入れてくれる筈だ。だって、ドラゴンなんかを愛して夫にした女性なんだから。




