不文律:(後半からパル視点)
「美味しい?」
「うん!」
「もっと欲しいぞ、姉!」
「肥えるよ、キララ」
にこにこ笑いながら返事をしたのがレンで、もっと欲しいとせがんだのはキララだ。
翌日、昼前に私達はガビ子爵の屋敷に着いた。子爵にはルランと騎士達が対応してくれる事になり、その間に手隙となった私はキララと約束していたパフェを作り、昼食後にそれを出した。
ダイネットでキララ・ロナ・ククルアは、うっとりとした表情でせっせとスプーンを動かしている。初顔のレンも夢中で食べているので、この子も甘い物は好きなようだ。
その様子を私とシグラはアウトドアチェアに座ってお茶を飲みながら見ていた。お茶菓子はパフェ作りで余ったケーキの切れ端だ。
ちなみにアウロは侍女を助けた事を子爵令嬢マディアに大層感謝され、ルラン達と共に屋敷の方へ連行されたので、此処には居ない。
「レンは甘い物好きなのか?苦手なら私が食ってやるから、遠慮するなよ」
「僕、甘い物好きだよ?」
人見知りをするレンだが、面倒見のいいキララは気にせず話しかけているので、徐々に打ち解けているようだ。言語が違うロナやククルアとはまだ視線を合わせるのを躊躇しているようだが、全員良い子なので、そのうちに仲良くなるだろう。
やがてパフェを食べ終えたレンは「ごちそうさまでした」と言って空になった容器をキッチンのシンクに置いてくれた。それはとても自然で、記憶を無くす前にいつもやっていた事なのだろう。
それを褒めると、レンはにこにこ笑って私の膝の上に乗って甘えてきた。可愛いなあ。
まるで子犬や子猫のようだなと、ほのぼのしながら頭を撫でる。髪質もシグラにそっくりだ。もう少し撫でていたかったが、少し不機嫌なシグラによってレンは回収されてしまった。
全員がパフェを平らげた後、キララとククルアはそのままダイネットで勉強を、ロナは作業の為に馬車へと行ってしまった。レンも小学校の2年生程度の知識があったので、掛け算の問題を作って与えた。すると傍にキララが居るからか、私やシグラが傍にいなくても大人しく勉強を始めてくれた。
少し手が空いた私はシグラと共に車の外に出て“ふう”と一息つこうとしたが―――
「うららー……」
今度はシグラがぐりぐりと全身で私にじゃれ付いてきた。シグラにとって、私に甘えてくるレンの事が、怒る程でもないのだが、それなりにストレスになっているのだろう。今夜はちゃんと添い寝をしてあげたいなあと思いながら、大きな背中を撫でた。
「それにしてもレン君って何者なんだろうね」
「んー……わからない。うららのせかいの、いきものでは、ないね」
「どうして?」
「まほうのかくが、あるから」
“ああ、そう言えばそうだったね”と私は頷く。
私の居た世界に魔法の核は無い。
「でも日本語を喋ってるんだよね。しかもこの国の言葉はわからないみたいだし」
「おやが、にほんごをしゃべる、けんじゃ、なのかもね。じょーじも、えいごを、しゃべってた」
英国出身の賢者を祖父に持つジョージは確かに英語を喋っていたが、この国の言葉も喋っていた。フィルマ王国で生きている以上、この国の言語を喋るのは当たり前だろう。
「このくにじゃなくて、たこくから、きたのかも、しれないし」
「あ、そうだよね。色々可能性はある……か」
シグラの言う様にレンが他国から来たのなら、この国の言葉が喋れなくても納得がいく。
他国でも賢者が召喚されていて、その子孫がこのフィルマ王国に流れ着いたと考えれば、自然だろう。
「レン君のお母さん達、何処にいるんだろうね。レン君は甘えん坊の可愛い子だから、今頃心配してそう」
「……あがれす、もっと、ほんきで、さがせないのか」
シグラが話しかけると、アガレスの溜息が聞こえた。
「骨が折れると言っておろうが。お主はええのう、シグラ。甘やかしてくれる嫁御がおるんじゃから」
「でも、アガレスさんはシグラの場所を探しだしたじゃないですか」
彼はシグラがペットの湖竜を苛めたと勘違いし、文句を言う為に私達の居場所を探しだしてきたのだ。
この世界のどこに居るか知れないシグラを探す事よりも、この周辺……少なくともガビ子爵領もしくはアルク伯爵領に居るであろう、レンの保護者を探すのは、ずっと簡単な事だと思えた。
だから、その考えを少しのオブラートに包んでアガレスに伝える。
「あのな、嫁御。儂は別に気配を探っておるわけじゃないんじゃぞ。生き物の会話を聞いてお主らを探り当てたにすぎん」
「そうなんですか?」
結構地道な手段だ。何だか探偵みたい。
「シグラはとんでもなく目立つんじゃよ。少し探ればすぐに、どこどこで紅竜が出たという情報が耳に入るんじゃ」
「え……」
―――あれだけ気を付けているのに、情報が流れているの?
「シグラの事はフラウのゴーアン侯爵の別邸に紅竜が降り立ったという情報で途切れておったがな、代わりに別邸の使用人達の言葉からお主らが不思議な荷馬車で南へ行ったと知ってのう。後はその辺の野性の動物共から不思議な荷馬車の話を聞いて後を追ったわけじゃ。動物界隈では変な音と臭いを出す荷馬車じゃと話題になっておったぞ?」
動物と喋るお爺ちゃんって、なんだかメルヘンだなあ。
でも確かにその探索の仕方なら、普通の一般人を探し出すのは無理な話かもしれない。
ちょっと冷静になろう。
何だか、レンの事を助けようと思って、周りが見えなくなっていたかもしれない。そして冷静になると、アガレスの事情を考えずに自分本位な事ばかり言っていた事に気付く。
「すみません、アガレスさん。負担を掛けるような事を言ってしまって……」
「おお?うんうん、きちんと謝る事が出来る子は良い子じゃ。もっと無理難題を吹っ掛けて来る輩もおるでの、気にしておらんわい」
ひょっひょっひょっとアガレスは笑い声を上げた。
名のある精霊だから、色々な人に頼られているのだろう。とても気安い人柄だからと言って、調子に乗らない様にしないと。
「そう言えばお主ら、複数の精霊教会に狙われておるようじゃのう」
はっとする。
「何処でそれを聞いたんですか?」
「教会じゃな。あれは誰の教会じゃったかのう。とにかく、ドラゴンを番にした人間の娘を探し出せと言っておったぞ」
まあ、とアガレスは言葉を続ける。
「名のある精霊の指示ではない。エルフや信徒の人間共が言っておるだけじゃから、然程脅威は無いじゃろうが」
「そうなんですか?」
「だって、名のある精霊は別にドラゴンの素材も金も興味ないもん。それをごちゃごちゃ言うのは弱い存在だけじゃよ」
言われてみれば、そうかもしれない。
「しかしな、これからお主らが行く場所は知っておるのか?」
「南の紛争地ですか?」
「違う違う、通り道じゃよ。お主らの目的地を鑑みるに、次はプルソンルラという場所に行くのじゃろう?」
「そうなんですか?でも事前に聞かされたルートにプルソンルラという名の街は無かったかと思いますが」
事前に聞かされたと言っても、何某の貴族の領地を通るというような大まかな話だ。
細かい所はルランとマレインと前日に打ち合わせをして決定している。これは他貴族家領の情勢や道路状況により、ルート選択がかなり左右されるからだと説明を受けた。先日のアルク伯爵領の急な関所封鎖は珍しい事例だったが、領内でいきなり一揆が勃発して一部が紛争地になるということは結構ある話らしい。勿論その周辺の道は通れないので、迂回しなければならなくなる。
ちなみに事前に教えられたのは、ゴーアン侯爵領→アルク伯爵領→ガビ子爵領→ナダ子爵領→目的地のジュジ辺境伯爵領である。
地図も貰っているが、プルソンルラという名前は知らない。尤も、私はこの国の文字が読めないので、地図の名称は全てアウロに口頭で教えて貰っているので、彼がプルソンルラの事を黙っているだけかもしれないが。
「そこはな、名のある精霊プルソンの郷なんじゃよ」
「名のある精霊の?」
「シグラのブネルラと同じじゃな」
―――精霊プルソン
音楽をこよなく愛し、能力は秘密を知る事だそうだ。
「あやつには隠し事はできんぞ。そしてあやつの加護を持つエルフにもな。善良な者ばかりなら構わんが、金に目が眩んだエルフがおれば付き纏われる可能性がある。脅威では無くても、鬱陶しいじゃろうから、精々気を付ける事じゃ」
「……」
報せてくれるのは有り難いのだが、何とも気が滅入る話だ。
「だいじょうぶだよ、うらら。しぐらが、やっつけるから」
「平和的に行こう、シグラ」
背中を撫でていた手を止め、ぽんぽんっと軽く叩いた。
シグラはふふふ、と笑う。レンに対するもやもやはすっかりと飛んで行ってしまったようだ。
「プルソンルラには行かないと思いますよ」
子爵家の屋敷から戻って来たアウロにプルソンルラのことを訊ねると、そう即答された。
「確かに近道になりますが、名のある精霊の郷には、その信徒以外は用事が無い場合はあまり立ち寄らない様にと言う不文律があるんですよ。まあエルフや人間にとっての不文律ですから、アガレスさんには関係の無い事でしょうが」
「そうなんですか?」
「信徒からすれば郷は聖域ですからね、関係者以外の立ち入りをとても嫌がります」
アウロは地図を取り出すと、現在地を指さし、そしてとある森を避けてぐるーりと迂回路を示した。
「恐らく、この道を通ると思いますよ」
「避けたこの森がプルソンルラですか?」
「ええ。ウララさんは迷い込まない方が良いですよ、名のある精霊プルソンの能力は……」
「秘密を知る事が出来るんですよね」
アガレスから聞いた事を言うと、アウロは頷いた。
「不文律が無くとも、ルランさんがわざわざそんな場所に行くとは思えませんが」
「それもそうですね」
シグラの加護を持つルランはシグラの味方だ。彼はシグラを煩わせることは決してしないだろう。
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あの夜……ライさんは私の入ったガラス瓶をリュックサックのペットポトルホルダーに捻じ込み、屋敷から脱出した。
窓から、豪快に。
プルクスさんの誕生日だったので花火が上がったり、至る所が賑やかだったのが幸いし、我々は逃げる事に成功したが、何だかこれからの道中が果てしなく心配になった一件であった。
そして今ライさんはリュカさんと手を繋いでアルク伯爵領の森を歩いているところだった。
「時空の概念。これからの事を相談したい」
『何でしょう』
「僕たちはブネの元に行きたい。それが叶わないなら、ブネルラに行く。それで参考までに此処からブネルラまでどれだけ距離があるか訊きたい」
『直線距離で2000キロ程ですね』
「遠いな……。僕はあまりドラゴンにはなりたくないんだけど……」
ライさんがぶつぶつと何かを言いながら、思案すること数分。「ブネルラは諦めよう」と一人で納得していた。
『ライさんは、ドラゴンなのですか?』
「妹がドラゴンなんだから、当たり前だろ」
『リュカさんはライさんの妹なのですか?』
顔も色も似ていないので、結びつける事が出来なかった。
ライさんはむすっとした声を出した。
「顔に関してはリュカは両親のどちらとも似ているが、僕はどちらにも似ていないからな」
「でもライちゃん、強いよ。パパも強いから、似てるよ」
リュカさんの無邪気な言葉に、ライさんは何とも言えないような顔をする。どうやら彼は父親の事を嫌っているようだ。
『ところでブネ……この世界ではシグラさんですが、彼に会ってどうするつもりですか?』
「癪だが保護を願う。僕だけなら一人でも良いんだが、リュカがいるから無理はできないから」
私としても未来人であるライさんとリュカさんには是非とも何の騒動も起こされずにお帰り頂くか、それが叶わないなら消えて頂くかして欲しい。それを思えば、シグラさんの元に連れて行くのが一番安全策かもしれない。
「それでブネ……いや、シグラだったか?……シグラさんの居場所の手がかりはないのか?」
『シグラさん達の目的地は南の紛争地傍の街です。予定通り進んでいるのでしたら、このアルク伯爵領からガビ子爵領を通り―――
―――今はプルソンルラにいる頃だと思います』




