迷子の少年
キララよりも幼く見える赤髪の男の子は、男達に囲まれて何度も蹴られていた。この街ではそれが日常風景なのか、通行人たちは特に気にする事もなく、男の子を救おうとする人間は居なかった。
そして1人の男が、手に持っていた瓶を振りかぶる。
「あ、危ない!」
男の子の頭にそれを叩きつける気だと考えに至った、その瞬間。
「ひぎゃッ!!」
男の子ではなく、成人男性の悲鳴が響いた。
男の持つ瓶は高温を浴びたように蕩けて歪に曲がり、男の手に絡みついていた。男は苦痛の声で叫びながら瓶を離そうと手を勢いよく振るが、くっついた瓶はとれない。
他の男達も仲間の惨状に気を取られ、その隙を付き、男の子は路地裏の方へと走りだした。
「し、シグラ!」
「うん」
シグラは私を抱き上げると、男の子の後を追って走り出す。
「今のアレ、シグラが何かしたの?」
「しぐらじゃないよ。しぐらなら、びんをとかさずに、けっかいをはる」
「そうだよね」と頷く。シグラは極力残酷なことはしない。特に私の前では。
瓶が離れずに騒ぐ男達を素通りし、路地裏へ入る。
そこは饐えた臭いが充満し、片方だけの靴や破けた衣類などが所々転がっているような場所だった。
たたたっと軽い音が聞こえる。あの男の子の足音だろう。
シグラは私を抱えたまま音もなく走り、あっという間に赤髪のあの男の子に追いついた。
「君ー、ちょっと待ってー!」
アガレスとシグラ情報では男の子は日本語を喋っているとの事だった。ならば私の言葉が通じる筈だと声を掛けると、思った通り男の子はハッとしたように立ち止まってくれた。
シグラに降ろしてもらい「君に訊きたい事があるんだけど」と男の子に話しかけると、彼はゆっくりと此方を振り向いた。
薄暗い路地裏で見た、その顔は。
「……シグラに、そっくり……」
髪の色も、顔も、目の色も。まるで子供の姿のシグラがそこに居るようだった。
少しぽかんとしてしまった。それは、シグラも同様だったようだ。
だからそこに隙が生じてしまった。
「うぇえええん!」
蜂蜜色の目に涙を浮かべ、男の子は私の胸に飛び込んできた。
「え……ええ!?」
ぐりぐりと胸に顔を押し付けられる。その仕草すらシグラに似ている。
いや、それよりも!
「異性を弾く結界が発動しない?」
まさか女の子だったのかな。ズボンを穿いていたから、てっきり……。
そう思っていると、シグラが男の子の首根っこを掴んでひょいっと持ちあげた。
「うららは、しぐらの、つがいだ。おすが、きやすく、さわるな」
「お、雄?やっぱり男の子?でも、だったら何で……?」
男の子はぐしゅぐしゅと涙や鼻水を垂らし、シグラの顔を見ている。そして手足をばたつかせ、シグラの首元に抱きついてしまった。
「うぇえええん!ごわがっだよおお!!」
流石のシグラも戸惑った様子を見せる。
「し、シグラ。知り合いの子?」
「しらない。うららは?」
「知らない……」
「でも、けっかいが、はつどう、しなかった」
異性を弾く結界だが、ウララに近しい血縁関係にある異性は弾かれないのだと、シグラが言う。
「うららの、おや、きょうだい、こどもは、はじかれないよ」
「そうなんだ……」
でもそうだよね、もしも私が男の子を身籠ったら困るもんね。
……で、この子は誰?
「シグラにそっくりなんだから、どちらかと言えば、私じゃなくてシグラと血縁関係にある子じゃないの?」
「それはないよ。あくまで、けっかいに、はじかれないのは、うららの、けつえんかんけい、だけだから」
私は男の子が一頻り泣き終えた頃に、恐る恐る声をかけた。
「落ち着いた?」
「……ん、ごめんなさい」
目をごしごしと擦りながら、男の子はぴょんっとシグラから飛び降りた。そして少し戸惑った様子で「あの、此処はどこですか?」と訊いてきた。
「此処はえーっと、ガビ子爵領の関所傍の街だよ」
「……どこ?海外?」
「ええっと、まずは君の名前を教えて貰って良いかな?私はウララと言うんだけど」
男の子はきょとんとした。そして難しそうな顔をする。
「名前、わからない……」
■■■
「あれ?シグラが分裂してる」
幸い、男の子は大人しい子だったので、私達は彼を連れたまま買い出しの続きをしていたのだが、そこでキララとアウロに鉢合わせた。
「迷子だよ、迷子。あの、アウロさん。交番……自警団のような所に届けた方が良いんでしょうか?どうもこの子には記憶が無いようなんですよ」
「自警団はありますが、犯罪ではない案件には取り合ってくれないと思います。迷子なら孤児院に預けるのが一般的ですね」
「この子を探している家族がいるなら、と思ったんですが」
「それなら、ギルドに話しておけばいいと思いますよ」
子供が迷子になったら、親はギルドに“迷子探し”を依頼するそうだ。
「しかしこの子は普通の人間ではないですね」
「え?」
「体内に魔法の核がある気配がします。種族が人間ならば勇者ですよ」
種族が人間ならば、か。ロナも見た目は完全に人間の女の子だけど種族はドワーフだし、シグラも人間ではなくドラゴンだ。もしかしたらこの子も人間ではないかもしれない。
「仮に人間ではないとしたら、何でしょうか?」
「うーん、そこまでは私にはわかりませんねえ」
本人に訊ねるのが一番なんですが、とアウロが言う。
「訊こうにも、生憎と自分の名前すらわからない状態ですからね」
「じゃあこいつの名前、シグラ2号で良いんじゃないか?」
「困っている子を揶揄うのは止めなさい、キララ」
無遠慮なキララ達の視線に耐えられなかったのか、男の子は泣きそうな顔で私の腰に抱きついてきた。
そしてそれをシグラがべりっと剥がす。
「うららに、なれなれしく、さわるな」
「……姉に懐いているのもシグラに似てるよなあ」
「でも、シグラにも懐いているんだよ?」
私から剥がされた男の子はそのままシグラの足に抱きついた。
外見がそっくりなので、まるで兄弟か親子に見える。
「呼び方がないと不便だし、適当で良いから何か付けるべきだろ。2号で良くないか?」
「こらキララ、適当とか言わないの。というか、持ち物に名前書いてないかな?」
「小学校に通ってる子供じゃあるまいし」
何気なく、男の子の服のタグを見る。
……あった。
「レンって書いてある」
「うわ、本当に書いてある。さてはコイツの母親、真面目だな」
「大家族かもしれないじゃん。兄弟が凄く多いんだよ、きっと」
「というか、片仮名じゃないか?これ」
キララの言葉に「あ」と気付いて、男の子・レンが日本語を喋る事をキララ達に説明した。
「日本語を喋る?え、マジか?お前、私の言っている事がわかるのか?」
キララがレンに問うと、レンはこくりと頷き、さっとシグラの後ろに隠れた。
「人見知りだな」
「私やシグラにはそんな事無いんだけどね。ね、レン君」
笑いかけると、レンはにっこりと笑い返してくれた。
「自分に似ているシグラには親しみが湧くのはわかるんだが、なんで姉に懐くんだろうな」
「もしかしたら、レン君のごく親しい人の顔が私に似ているのかもね」
それが心の底にあって、記憶はないが何となく親しみが湧くのかもしれない。




