15年後からの来訪者達:パル視点
私を囲う、透明な壁。ガラスの瓶のような物に閉じ込められているようだ。
壁を通り抜けようと試みるが、どうしても向こうへと行くことが出来ない。
どうやらこの瓶は異世界の時空で出来ているようだ。今の私に異世界へ干渉する力は無い。
私が今できる事はなんだろう。
瓶が透明なので、外を見る事は出来る。この瓶が置かれている場所は裕福な人間が住む屋敷の一室のようだ。
外では豪奢に着飾った女性と年老いた男が立っていて、私の方を見ている。
『このガラス瓶は何ですの?お祖父様』
『ああ、それは希少な物質が入っているからね。玩具にしては駄目だよ、私の可愛いプルクス』
声が聞こえる。どうやら、この瓶の中でも声でのやり取りは可能なようだ。
彼らの情報は私の知識内にある。
男性はムデック・アルクラ・アルク、現アルク伯爵。そして女性はプルクス・アルクラ・アルク。アルク伯爵の孫娘で、今日が23歳の誕生日。
プルクスさんは私の入った瓶にそこまで興味をもたなかったのか、祖父に窘められるとそれ以上私の方を見て来る事は無かった。
それにしても、困りました。
時空に干渉している者がいたので、それを止めようとしたら、逆に私が捕まってしまいました。
私を捕まえたのは、不思議な器具を持った男でした。
私の中にあの男の知識は無い。つまり、私がまだ観測していない人物……未来人の可能性がある。
未来人は異世界人であるウララさん達など比ではない程の厄介な異物。早々に対処しなければ、時空が歪んでしまう。
危険ではあるが、シグラさんに頼んで消してもらわなければならないかもしれない。
『ねえ、じゃあこちらの籠を、わたくしに下さいませんこと?とても綺麗だわ』
プルクスさんが私の真向かいにある5メートルはありそうな、とても大きな鳥籠に手を伸ばす。それには、くすんくすんと泣く幼体の竜が入れられていた。翼を閉じて身体を折りたたむようにして座っている為に2~3メートルほどに見えるが、実際はもっと大きいだろう。
竜の鱗は赤みを帯びた金色をしている。あの竜も私は見た事が無いので、恐らく未来人が未来から連れて来た竜なのだろう。
『すまないね、私の可愛いプルクス。この竜は餌なのだよ』
『餌?』
『その竜は雌なのだ。竜の雄はね、強い雌を見つけると寄ってくる習性があるのだよ。その寄って来た雄を狩り、素材を私達に捧げるのがこの竜の役目なのだ』
『この竜はお強いの?籠に入れられて泣いているのに?』
『今はまだ幼体ゆえに弱い存在だが、もう少し育てば最強の竜になるだろうと、アーヴィンが言っていたのだ』
アーヴィンとは、恐らく私を捕まえた未来人の名前だろう。
プルクスさんはムデックさんに肩を抱かれ、部屋から出るように促される。
『さあ、可愛いプルクス。お前への誕生日プレゼントは別室に用意してあるよ』
『まあ嬉しい!ありがとうございますわ、お祖父様!』
きゃあきゃあと楽しそうな声を出しながら、プルクスさんはムデックさんと共に部屋を出て行った。
ぱたん、と扉が閉まると、部屋の照明用の魔石の光がパッと消え、真っ暗となる。
そして竜の泣く声だけが部屋に響く。
「ママぁ……、パパぁ……、怖いよぉ……ライちゃぁん、レンちゃぁん……」
この幼体のドラゴンが最強になるとは、一体どういう事なのだろう。
『すみません、一つお訊ねしてよろしいでしょうか』
私が声を掛けると、鳥籠の中の彼女はびくりと身体を震わせた。
「だ、誰かいるの?」
『はい、貴女の前にある瓶の中に』
赤金のドラゴンは、金色の目でじっと此方を見て来る。
「リュカの言葉、わかるの?」
『私は時空の概念です。私の言葉は万物に通じます』
ひくっ、とドラゴン……リュカさんはしゃっくりを上げると、ああああん、と泣きだした。
「ここ、どこ?リュカね、ライちゃんとレンちゃんと遊んでたら、知らないオジさんに捕まっちゃったの」
『此処はフィルマ王国内のアルク伯爵領です』
「どこ、それ……。ああああん!ママぁ!パパぁ!」
それから暫く、リュカさんは何度も両親を呼びながら泣き続けた。
ドラゴンの幼体の泣き声はどれだけ離れていても親の頭に響くらしいが、親ドラゴンは現れない。リュカさんは未来から来たのだから、流石にその声は両親に届かないのだろう。
しかし、代わりにその泣き声を聞いてやってきた者がいた。
「リュカ!」
リュックサックを背負った金髪の人間の少年だ。10~15歳くらいだろうか、とても優しそうな顔をしている。その少年を見たリュカさんは、ぱあっと笑顔になった。
「ライちゃん!」
リュカさんはガシャン!と鳥籠の端に寄る。ライと呼ばれた金髪の少年はひょいと鳥籠が置いてある机に登ると、リュカさんに怪我の有無を訊いた。
「どこも怪我してない?」
「大丈夫だよ。リュカ、何処も怪我してないよ」
「そっか、良かった。じゃあ、ちょっと離れてな。今出してあげるから」
ライさんは鳥籠の格子に手を掛けると、「んっ!」と少し力み、格子を歪めてしまった。
その出来た隙間からリュカさんは出ようとしたが、まだ隙間が小さくて引っかかってしまう。
「人間の姿になりな、リュカ。服はリュックの中に入ってるから」
「うん」
煙を出しながらリュカさんは人間の5歳くらいの少女となる。鱗の色と同じ、キラキラと光る長い赤髪の少女だった。
「ライちゃん、ここ、どこ?ママは?レンちゃんは?」
リュカさんは籠から出て、ライさんに手伝ってもらいながらワンピースを着ていく。
「わからない。リュカが攫われたのを見て、僕も慌てて後を追ったから。でも僕たちが居なくなった事は皆が気付いてくれると思うから、すぐに迎えに来てくれるよ」
「うん」
『それはどうでしょう』
私が声を掛けると、ライさんはリュカさんを背に隠し、きょろきょろと辺りを見回しだす。穏やかな顔をしていると思ったが、警戒する目は鋭い。
「誰だ、何処にいる」
『私は時空の概念です。貴方の目の前の瓶に入れられています。貴方達は恐らく未来から来た存在ですので、いくら待っても両親は来ないでしょう』
ライさんはガラス瓶に視線を向けて顔を顰め「時空の概念?未来?」と呟く。
『この世界は、538年、8月の世界です。場所はフィルマ王国、アルク伯爵領の屋敷。貴方達の居た世界は何年の何月ですか?』
私の問いにリュカさんはきょとんとして、そしてライさんの顔を見た。
ライさんは少しの間黙っていたが、やがて口を開いた。
「僕がブネルラで生まれたのは540年だから、553年の筈だが……。でも今は地球に住んでいるから、この世界の暦は正確にはわからないんだ。しかし……ここがお前の言う通りの世界である証拠は?」
『ありません』
少し間を置き、ライさんは問いを変えた。
「お前が時空の概念である証拠は?」
『貴方しか知らない情報を開示しましょう。ただし、未来の事は私は知りませんので、それ以外の事をお訊ね下さい』
「……日本の総理大臣の苗字を言ってみろ」
『私が観測した時点での日本の総理大臣の苗字は“スオウ”です。注意事項としましては、時空から切り離された時点で私の情報は更新されていません。つまり、私が知る最新の情報は特異点が日本へ来た時の情報となります』
「特異点?」
『シグラという方です。ブネルラ山脈に棲む紅竜、ブネ、と言った方が通じるやもしれません』
ライさんはグッと表情を引き締めた。
そして、絞り出す様な声で「ブネは何処にいる」と訊いてきた。
「この時期ならば、王宮か?」
『いいえ、現在は7月の初めに番となったウララさんと共にこの近辺にいる筈です。私は此処に捕らえられる数日前まで、彼らと行動を供にしていました』
「は?何の冗談だ」
『はい?』
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―――ライさんが言うには、紅竜ブネは確かに538年の7月に番を得た。しかしそれは、ウララさんではなく、フィルマ王国の王女だという―――
ブネに挑んだ王女は多くのドラゴンの雄を携え、それらに文字通りの肉の盾にさせ、更に奥の手を使い、辛くも紅竜ブネを獲得する事ができたのだという。
そしてブネの番となった王女は世界を征服し、新世界の女王になることを望んだ。ブネの力をもってすれば容易い事だったろう。だが、彼女は女王になることは出来なかった。
計画の実行中に、紅竜ブネがフィルマ王国の賢者として異世界より召喚された女性に、恋をしてしまったのだ。
賢者はとても真面目で、そして何より争いを毛嫌いする性格だった。
計画の破綻を察知した王女は賢者を害そうとするが、賢者への恋心が膨れ上がっていたブネは本能の呪縛を振り切り、逆に王女にブレスを喰らわせてしまったという。
その後ブネは賢者を住処に連れ去り、半ば無理やりに婚姻関係を結んだらしい。その際、ブネを本能で縛る事はしたくないとして“番”にはならないと賢者は宣言したそうだ。
その賢者の名は“ウララ”。
愕然とした。
フィルマ王国には王女と呼ばれる女性は10名いるが、確かにその中に数名、野心的な人間がいると、私の知識にもある。しかし、私が知る限りではブネ……シグラさんはウララさん以外を番にした事はない。そもそも、今の時点で王女達とシグラさんの接点は皆無で、出会ってすらいないだろう。
―――これが真実ならば、過去が変わってしまっている……?




