妖精草
今日は朝から乾いた破裂音が聞こえていた。
誕生日を祝う花火の音だろう。
「金持ちのやる事だよなー」
「伯爵だし、沢山お金持ってそうだよね」
所変わって庶民の私は折角のお休みで天気も良いので、今日は掃除の日と決めた。
ロナが廃村に転がっていた盥を使えるように直してくれると、アウロが精霊魔法でそれに水を入れてくれた。水が張られた盥に洗剤と汚れたシーツや大きめの衣類を投入して、妹達を呼ぶ。
「キララ、ロナちゃん。裸足で盥に入ってふみふみしてくれる?」
「おー、楽しそうだな」
「しゃお!」
「転ばないようにね」
盥の中で遊びだした妹達の傍で、私は手持ちのバケツに下着類や繊細なレースがついているような服を入れて、手洗い作業だ。
シグラとアウロには車内の大まかな掃除を頼み、ククルアには出来る範囲でいいので拭き掃除をしてもらう。馬車は昨日マレイン達が荷物整理をすると同時に掃除もしてくれたようなので、こちらはする必要はないだろう。
ルランやマレイン達を掃除に使うのは憚られたが、ルランが自分もなにかやりたいと申し出てくれて、それならばと騎士二人もそれに追従する形となった。
なので、ルランにはシグラ達と同じで車内の掃除を頼み、マレイン達には廃村から物干し台を見つけてきてくれるよう頼んだ。
キララとロナがきゃっきゃっと笑いながら水に浸かったシーツを踏む。その度に水飛沫が盥の外に散り、地面が濡れた。
「やり過ぎるとスカートが濡れるよー?」
「すぐ乾くから大丈夫だ」
「全く。調子に乗って転んでも知らないよ。……こっちは洗濯終了っと」
下着類はすぐに洗い終わり、それを持って車内に入りシャワールームへ。流石に男性の目がある外に下着を干す勇気は私には無い。
干し終えると、すぐにまた外へ出てキララ達の元へ行く。
「そろそろ濯ごうか。水を一旦全部外に出すよー」
洗濯物を籠に入れ、水だけになった盥をひっくり返そうとするが、これがまた当たり前だが重い。大きな盥自体が重いのに、それに水の重量が加わるので、女の私ではびくともしなかった。多分一般男性でも無理だろう。
「大丈夫か、姉」
「んんっ!駄目、無理。お相撲さんレベルじゃないと無理!」
「シグラならいけるんじゃないか?」
ヒリヒリする指を擦りながらシグラに頼もうと振り返るが、呼ぶ前に「しゃお!」とロナが盥に引っ付いた。
「おおおお?すげえ」
「ロナちゃん、凄い」
私の力ではビクともしなかった盥を、ロナが軽々とひっくり返す。
「しゃおおしゃお~」
「ロナは身体強化の魔法が使えるらしいぞ」
「魔法って凄いねえ」
えっへん、と得意そうな顔をするロナの頭をキララと2人で撫でた。
その後、アウロに追加の水を貰って濯ぎの作業も終え、洗濯物を絞っていると、木の棒を持った騎士達が戻って来た。
それと同時に、私の傍に男性の気配が近づいたのを感じ取ったのか、シグラはいそいそと車から降りて、私に引っ付いた。そんな彼を可愛いなあと思いながら、
「洗濯物を干すのはシグラに手伝ってもらうから、キララとロナちゃんは車の掃除してくれる?」
と妹達に担当場所を変えてもらった。
大きなシーツはシグラに頼み、私は服を干していく。
洗濯物の量はそれなりにあったが、騎士の二人も手伝ってくれたので、すぐに干し終わった。
まだ朝だが日差しは既にきつく、洗濯物もすぐに乾くだろう。
布団も干そうかな。ふかふかだと、夜は気持ちよく眠れるはずだ。
■■■
掃除も終わり、本格的に何もする事のなくなった午後。
折角天気が良いのだから、車の中でDVD鑑賞をする気にもなれずに、私とシグラとキララ、そしてロナとルランとナギで廃村を探検する事にした。
アウロは暑いのが苦手だからと、ククルアと共にエアコンの利いたバスコンでお留守番だ。
マレインは馬車の陰でアウトドアチェアに座って眠っていたので、誘うのは止めておいた。
「姉、あそこに何かの畑があるぞ。ふわふわして可愛い」
「本当だ。誰にも手入れされていないのに、植物って逞しいねえ」
でも土地が痩せて廃村になった筈なのに不思議だなあと思いながら、キララと一緒に畑に走り寄ると、ルランが慌てたような声を出した。
「?どうしたんだろう」
「あ、姉!」
キララの元に念話が来たのか、キララは足を止めた。
「あの草、臭いを嗅いだら幻覚を見せる草だってルランが言ってる」
「幻覚を見せる?地球で言う所の大麻的な物かな?」
狐の尻尾のような、ふわふわとした穂の植物だ。
可愛いなあと思ったんだけど、あまり近寄らない方が良いだろう。キララの手を引いてシグラ達の方へ戻ろうとしたが……。
「あ、あれ」
ふらっとしてキララと一緒に尻もちをついてしまう。
「何か、身体に力が入らんぞ」
「私も……うわあ?」
ひょいっと姉妹揃ってシグラに抱きあげられた。
「だいじょうぶ?うらら」
「ご、ごめんね。何だか身体に力が入らなくって」
畑から遠ざかるにつれて、身体の調子は元に戻っていき、皆の所に戻る頃には正常になっていた。
もう大丈夫、とシグラに言って降ろしてもらう。
「あれは妖精草といって、神経に作用する成分を出しているらしい。あれの傍に行ったら幻覚が見え、更に近づいたら身体が動かなくなるんだって、ルランが言ってる」
好ましい幻覚を見せて生き物をおびき寄せると、体の自由を奪いその場に野垂れ死にさせ、その養分を糧とするそうだ。
性質の悪い事に、この幻覚には強烈な依存症があり、幸せな幻覚から覚めた後は悲しくて悲しくて仕方なくなるらしい。今回、私達はまだ軽い幻覚だったので、そこまで悲しい気持ちにはなっていない。
そんな凶悪な妖精草は土壌の良し悪しは関係ない植物なので、土地が痩せても繁茂するという。
今改めて畑を見ると、狐の尾のようなふわふわした穂の植物だった筈が、笹のような草になっていた。
しかもその植物の傍には白い骨がいくつも転がっていて、ぞわっと背筋が凍る。
「……もしかして私達、ふわふわした物が好きだから、可愛い穂の幻覚を見てたの?」
「怖っ!初見殺しか」
「妖精草の神経攻撃は魔法を使う者には効かんぞい。魔法を使えん者はシグラかドワーフのお嬢ちゃんから離れんようにするが良いぞ。ああ、焼いてはならんぞ、シグラ。焼くと成分が増幅するゆえ、妖精草を除去するのは氷漬けにせねばならん」
天の声だ。
「爺ちゃん、注意喚起が遅いぞ!」
「仕方がないじゃろうが。儂はお主らの声でしか状況がわからんのじゃからな」
ということで、私とキララがシグラと手を繋ぎ、ルランとナギがロナと手を繋ぐ格好になった。
「もう、妖精草が無い事を祈る」
「だね」
……その言葉がフラグになるとは。
・
・
・
「……何があったんです、この惨状」
拠点に戻ると、アウロが顔を引きつらせて出迎えてくれた。
「もう、散々だったんですよ……」
幻覚のせいで、ぐずぐずと鼻を鳴らしながら、私は辛うじて声を出す。一方、キララは元気に泣いている。
「うわああん、パフェ食いたいよ、姉ー!」
「パフェなら作ってあげる。それよりも私はシグラと結婚したいよ、シグラー……」
「うん。しようね、うらら。だから、なかないで」
現在私達はシグラに抱きかかえられている状態だ。
彼は両手が塞がっているので、頬擦りやキスで私を何とか慰めようとしてくれている。それに対して、また涙が溢れて来た。
「シグラー……」
「姉のはもう叶ってるじゃんか!犬、モフモフしたいー!」
「まだ結婚はしてないもん……犬は私もモフモフしたい……」
あの後、大規模な妖精草畑と遭遇し、逃げた先にも更に妖精草が……と、何度も何度も幻覚にやられてしまった。そのせいか中々正常な思考に戻れずに、今もシグラの腕の中で私とキララはボロボロと涙をこぼして泣いていた。
―――そして、ロナに手を繋がれていたルランとナギはと言うと
「しゃおおおおう、しゃおおう!」
見事にナギも幻覚にやられ、ロナに引き摺られながら絶賛男泣き中だ。
一方、ルランの方はロナに引っ張られてはいるが、自力で歩いている。シグラの加護のお陰なのか、顔色は最悪だったが泣き叫ぶほどの精神負荷は掛かっていないようだ。
そんな仲間達を見たマレインは、まず手早くナギに猿轡をして、その場に放置。次にルランの傍に行き、付き添いながら馬車へと入っていった。
ちなみにナギは美人の彼女が欲しいだの、なんだのと言って泣いていたとアガレスが教えてくれた。
きっと美人なお姉さんと遊ぶ幻覚でも見せられていたんだろう。
でも私だって泣きたい。丁度、指輪の交換をする幻覚を見ていた時に醒まされたものだから、もう悲しくて悲しくて……。
「シグラー……」
「なかないで、うらら。なかないで……」
「パフェ食べたいー!姉ー!」
シグラは私達を宥めながら、車の中に連れて行ってくれたのだった。




