ガビ子爵家令嬢:マレイン視点
怪我人は妙齢の、赤毛が特徴の女性だ。怪我の箇所は背中で、刃物による傷だった。
女性はアウロ殿により回復魔法を掛けられ、白い光の中で徐々に傷を癒していった。
『すまない……』
『構いませんよ』
治療を受ける女性の傍らで、童顔な黒髪の男性が深く頭を下げる。帯剣はしていないようだが、服装からして彼は騎士だろう。
ふっと白い光が消える。治療が終わった様だ。
出血量からして女性は深く斬られていたようだが、その傷は跡形もなく塞がっている。回復魔法とは凄いものだ。
『私は治療に精通するエルフではないので、傷を塞ぐことしか出来ません。流された血までは戻して差し上げられませんし、傷を塞ぐ前に黴菌が入っていれば病気になる可能性もありますので、必ずお医者さんに診てもらって下さい』
『承知した。貴方の応急処置に感謝する』
男性はもう一度頭を下げた。
アウロ殿はまた『構いませんよ』と言うと、立ち上がり、
『少し魔力を使い過ぎたので、休んできますね。後はよろしくお願いします』
そう言って荷馬車の方へ行ってしまった。
童顔の男性はマントを脱ぎ、女性の身体を包む。
女性は背中が斬られたので、長かったであろう赤色の髪の毛は歪に切られ、服も破けてしまっていた。それを隠してやりたかったのだろう。
彼は女性を馬車に乗せると、私に向き直った。
『ありがとうございました。何とお礼を言ったらよいのか……』
『必要ありません。騎士として当然の事をしたまでです』
まあ、アウロ殿は騎士ではないが。
男性は首を振る。
『そうは参りません。恩を受けておいて礼を欠けば、主人に叱られてしまいます』
『主人とは、怪我をされたあの女性のことですか?』
男性はまた首を振った。
『彼女は私の同僚です。私の主人は……』
そう言いながら彼が馬車の方に視線を向けたので、私も釣られて其方を見る。
すると、馬車の窓にぺたりと手を付けて、幼い少女が此方を見ていた。
ふわふわとした金髪で、ピンク色の目をした、とても可愛らしい少女だ。5歳くらいだろうか。
『マレインさーん』
ナギが薄い緑色の布を手に持ち、此方に走り寄ってくる。
『怪我をしたのが女性で、服が破れていると聞いたウララ殿がこれを、と』
そう言い、ナギは手に持った布を男性に渡す。女性もののワンピースだった。ウララ殿のものだろう。
男性は恐縮しながらも『助かります』と受け取った。
そしてすっと背を伸ばすと、胸に手を当て片足を引き、一礼する。
『あの荷馬車を見るに、貴殿らの主は有力な貴族の方とお見受け致します。……私はガビ子爵家に仕えるイーデ・ガビラ・サーと申します』
“あの”とナギが口を挟む。
『もしかしてイーデさん、女性ですか?』
『ナギ、このような時に何を馬鹿な事を』
窘める私を前に、イーデ殿は肯定した。
『はい。驚きました、初見で私を女だと見抜く方がいらっしゃるなんて』
な、何だと。
思わず彼……いや、彼女を凝視してしまう。
確かに童顔だとは思ったが……。髪型は男性騎士がするそれだし、声も男にしては高い方だが、別段不自然に思えるほどでは無かった。
『いや、俺が見抜いたんじゃなくて、シグラ殿が言っていたんですよ。怪我をした人もその傍らにいる人も。あと馬車に乗っている子供がいて、全員女性の気配だと』
気配、か。
ナギからシグラ殿は勇者だと聞いたが、勇者はそんなにも気配に敏感なのだろうか?敵に回すと厄介だな。
まあ、シグラ殿に関してはゴーアン様が身元を保証しているのだ、私がとやかく言うべきではないが。
『私はゴーアン侯爵家に仕えるマレイン・ゴーアンラ・サーと申します』
『同じく、ナギ・フラウ・サーと申します』
イーデ殿は目を見開き『ゴーアン侯爵家の……』と呟いた。
『それで、何があったんです?こうして我々に頼ってこられたんですし、事情ぐらいは勿論聞かせてくれますよね?』
ナギが問うと、イーデ殿は少し言い難そうにしたが『実は……』と話し始めた。ナギの図々しさはこういう所で役に立つ。
馬車に乗る幼子はガビ子爵のご息女で、マディア様と仰るそうだ。
アルク伯爵のお孫様の誕生日を祝う為にやって来たそうだが、妖精のように可愛らしいマディア様を見てお孫様が憤慨したらしい。そして無礼をしたと難癖をつけられ、城から追い出されたそうだ。
その後、帰路の途中で執拗に山賊や傭兵に襲われ、マディア様に付いていた護衛達は散り散りとなり、今に至る、と。
関所が封鎖され付近の街も混乱していると知り、怪我人の事もあるので、一縷の望みを掛けて我らに声を掛けて来たのだという。貴族の傍には治癒が出来る精霊付きの人間かエルフが居る可能性が高いからだろう。
『えっと……お孫様って、ルラン様も言っていましたけど23歳ですよね。それが、あの幼女……あ、いいえ。マディア様に嫉妬されたのですか?』
『どうやら、誕生日の主役を差し置いて、マディア様が話題になるのが気に入らなかったようでして』
ま、まじか……とナギですら開いた口がふさがらない様子だ。
こんこんと馬車の窓を叩く音がする。
『どうされましたか?マディア様』
イーデ殿が微笑みながら扉を開けると、マディア様はふわっと馬車から降りてこられた。
そしてじっと私達を見上げ『メメを助けてくれて、ありがとう』と仰った。
メメとは、背中を斬られたあの女性の事だろう。
―――と、その時。
『!』
ビュッという音が聞こえ、咄嗟にマディア様とイーデ殿に覆いかぶさった。
マディア様の頭があった位置に鋭い風が通り抜け、後ろの馬車に一本の矢がビイインと刺さる。
『ナギ!曲者だ!ルラン様に伝えろ!』
『了解しました!』
ナギが魔道具のイヤリングを弾くと、すぐに我々の馬車からルラン様が降りてこられた。2日も無駄にした事で、馬車で予定の見直しをされていたのだ。
『マレイン!ナギ!怪我人達を連れて此方に来れるか!』
ルラン様の指示が飛ぶ。
そうだった。あの荷馬車と馬車、そしてその周囲には常時、魔法反射と物理反射の結界が張ってある!
『イーデ殿、援護いたしますので、マディア様を連れてあの荷馬車の方へ!ナギ、君はメメ殿を連れて行きなさい』
『了解しました!』
私は彼女らの盾になりながら、降ってくる矢を剣で落とす。
しかし弓兵の数が多く、矢を裁ききれず、いくつか私の身体をかすめて行く。
そこにルラン様が駆けつけ、まるで全ての矢の軌道が見えているかのように、的確に剣で矢を落としていった。
先日のペリュトン騒ぎの時にも思ったが、随分とお強くなられたものだ。
私はルラン様と共に荷馬車の傍に走り込んだ。
するとタイミングよく荷馬車の扉が開き、赤い髪が靡いた。
『シグラ様、騒がしくしてしまい申し訳ありません』
『敵意を持つ人間の気配は8つだ』
8人。
目視できるのは5人だ。あと3人、この廃村の何処かに隠れているということか。
『殺すのが一番手っ取り早いが、ウララの前だ、捕縛する』
そう言うや否や、目視できていた5人を1つの大きな檻の結界が飲み込んだ。
『シグラ様!その御姿で、この大きさの結界は御身体に負担が……!』
『この程度なら子細ない。残りの3人、捕まえ……』
シグラ殿の言葉が途切れる。
『どうかなさいましたか?やはり負担が……』
『違う。逃げたようだ』
逃げた?とルラン様が顔を顰めた。
『ルラン様、曲者はこの巨大な檻の結界を見て、怖気づいたんだと思いますよ』
メメ殿を背負ったナギが苦笑する。私もナギに同意だ。
多少なりとも戦闘を経験したことのある人間なら、この巨大な檻の結界を瞬時に張る者がいると知れば、怖気づく筈だ。命がけで任務をこなす騎士ならまだしも、山賊や金で雇われた傭兵などすぐに逃げるだろう。
―――現に、捕まえた曲者共の心は折れており、尋問する事もなく『アルク伯爵の依頼だ』と自白した。
シグラ殿は抵抗する気力も無い曲者5人を見て、大きな檻の結界を解除した。それをナギとイーデ殿と私で難なく捕縛する。
『こいつら、どうします?』
『関所近くの街に引き渡す……と言いたいところだが、今回は貴族間の問題に発展する可能性がある。ゴーアン様に指示を仰ぐべきだとルラン様に進言しよう』
荷馬車の方に目を向けると、シグラ殿が奥方に何かを言われているようだった。それをルラン様がおろおろとしながら見ている。
『本当、ルラン様とシグラ殿達はどういう関係なんでしょうね?』
『主人を詮索はするな、ナギ』




