序ー2話
「藤十郎はん! 川! 川がぁ!」
吉野が藤十郎にしがみつきながら、眼下に見える川を指差して喚き立てる。
「わぁってら! 少し強引な方法で止めるぞ!」
藤十郎はそう言うと、肩に担いでいた刀をクルリと回して逆手に持ち直す。
そして、崖の断面を見ながら何かを待っていた。
「落ちとる! 落ちとるぅぅぅ! 藤十郎はん! 早よぅ!」
吉野が急かすが、藤十郎は黙って崖を見つめつづけていた。
そのまま落ち続け、あと少しで川の水面に着くというところで突如藤十郎が崖に向かって刀を突き刺した。
その瞬間、先ほどまで落ちていく体の浮遊感は無くなり、ぶらりとぶら下がる感覚が吉野を覆った。
「と、止まったぁぁぁ。死ぬかと思いましたぇ」
「一応依頼人だからな。流石に殺しはしねぇよ」
藤十郎はそう言うと、川から出ている岩場を目掛けてひとっ飛びして着地すると、吉野をその場に降ろした。
「藤十郎はん、これで鬼は撒けましたかえ?」
「鬼は撒けただろうな」
「鬼は? 他に何がおるんどす?」
吉野が不思議そうに藤十郎に訊ねると、刺した刀を取って戻ってきた藤十郎が周囲を指差してきた。
「少し落ち着いて気配を探ってみろ、そこかしこに魍魎が居る。妖より格段に弱いとは言っても、これだけの数だ。骨が折れるぞ」
藤十郎に言われて吉野が気配を探ると、辺り一面には目に見えない魑魅から魍魎まで数十~百近く居るのだった。
「あぁ……、こない足場の悪い場所で戦うんどすか?」
「戦うしか無かろう。魑魅はどうとでもしておけばいいが、魍魎は退治しておかねば妖になるからな」
魑魅魍魎とは、魑魅という極小の人の体に悪さをするものと、魍魎という弱った人をエサにするものが居る。
この魑魅は人を弱らせるごとに大きくなり、魍魎となる。
魍魎になると、今度は人を死に至らしめて大きくなり妖へとなっていく。
倒魔師を生業としている藤十郎の役目は、本来的にはこの魑魅魍魎を倒し、妖にしない様に未然に防ぐことである。
「これはまた、えらいぎょうさんの魍魎どすな……」
「ぼやいても仕方ねぇだろ。それに水に濡れてねぇんだ。符呪術は使えるんだろ?」
藤十郎がそう言うと、吉野は胸元から数枚の紙切れを出して確認して頷く。
「水には濡れとりまへん。ただし……」
「時間を稼げだろ?」
「よぅよぅお分かりで助かりますぇ。ほな、あんじょうよろしゅうに」
吉野はそう言うと、紙切れに何事か呪文を唱えながら指で書きこんでいく。
彼女の指が触れた個所から、青白い光がほのかに灯る。
その間藤十郎は、吉野に近づく魍魎たちを刀で斬り捨て、威嚇しながら時間を稼ぐ。
「全く! 斬っても斬っても湧いてきやがる! 吉野! まだか!?」
藤十郎が叫ぶが、吉野は未だにブツブツと呪文を唱えながら返事をしてこない。
彼が焦れているのは、魍魎が捌き切れないという訳ではない。
ここで長引いて、またぞろ妖の食指が動きかねないことを危ぶんでいるのだ。
そんな藤十郎の心配をよそに、魍魎たちも攻勢を強めてくる。
特に吉野が危険だと気付いた魍魎が、先ほどから吉野を目掛けて特攻をかけてきているのだ。
「ちっ! そっちに行かせるか!」
藤十郎は、剣戟の合間を縫って突撃してくる妖を一匹、二匹と斬っていく。
だが、相手も少しは知恵のある個体も居り、藤十郎の打ち下ろしの隙を狙い吉野へと迫る。
だが、あと少しというところで藤十郎の切り返しに阻まれていた。
そんな鼻先をかすめそうな軌道を描いても、吉野は微動だにせず呪文を唱え続けていた。
ある種の信頼が無ければできない芸当と言える。
それから数分、周囲の敵と斬ったはったを繰り返した藤十郎に吉野が声をかける。
「いけますぇ、藤十郎はん!」
「よし! 遠慮なくぶっ放せ!」
藤十郎は、そう言うや否や吉野の立っている岩に張り付くようにくっついた。
それを合図に、吉野の掲げた呪符から光があふれ出る。
「急急如律令!」
その叫び声と同時にあふれ出た光が、周囲を一気に照らし出す。
その光とが広がるのと同時に、辺り一面にいた魑魅魍魎たちは、一瞬にして蒸発し姿を消していった。
「あいも変わらず辺り一面完全に浄化したな」
吉野の下から藤十郎が声をかける。
その声や痩せぎすな体は変わらない。
だが、手に持っていた刀だけは特大の大太刀から、普通の刀の大きさになっていた。
「あいも変わらず、よう縮みますなぁ」
「しょうがねぇだろ。正真正銘の妖刀なんだよ。妖気を全部吹っ飛ばされたらただの刀になっちまうさ。ただその妖刀の妖気を全部吹き飛ばす、ってのも大概だろ? 陰陽師ってのはそんなバケモン揃いなのか?」
「あてが特別なだけどす。遊女という仮の姿で京の治安を守る。あてら陰陽師はそういうもんどす」
そう言って藤十郎は、薬箱の横にさしていた鞘に刀を戻すと今度は吉野を肩に担いで走り出した。
目指すは一路、人里である。
「はぁ、いつもこないしてくれはったら楽やのに」
「甘えたこと言ってんな。こんなこと川の中だからしてやってるだけだ」
「藤十郎はんは、えろぉいけずやわ」
「うっせ! また肩に担ぐぞ?」
「あぅぅ、そっちの方がいけずやわ。堪忍しとおくれやす」
そんな事を、吉野と藤十郎が話しながら走ると、両側にあった崖が終わり川原が見え始めた。
「よし、あっからは自分で歩けよ?」
「もう少しくらいこのままでも罰はあたりまへんぇ?」
「妖気が無くて、俺がしんどいんだよ! それにもうあと少しで人里のはずだ。ここからは歩いていねぇとおかしいだろ」
藤十郎にそう言われた吉野は、渋々と言った様子で肩から飛び降りた。
吉野が下りたのを確認した藤十郎は、肩を回しながら話しかける。
「人里に着いて休憩したら、あれの準備頼むぞ」
「あれ? 人里でしはるんどすか? せやかて、人里には滅多に降りては……」
「来るんだよ。あいつは」
吉野の言葉を遮って藤十郎は、断言した。
そんな断言する藤十郎に、吉野はため息交じりに返事をした。
「ほんに、そういうことだけはよぅよぅ気ぃつきはるんどすな」
「あん? そう言うこと以外に何があるんだよ?」
「……、ありゃしまへんな。藤十郎はんには」
吉野があきれた様子を見せるが、何のことかとんと分からない藤十郎は、仏頂面になるだけだった。
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