【8】
「これから皆で修練場で鍛錬するんだ。エリスは今日はこのまま読書会かい?」
「そうなのですね……わたくし、見学に参りましてもよろしいのでしょうか……?」
エリス嬢はちらりと視線で取り巻き令嬢方を窺う。
令嬢たちはにこにこと頷いている。
あれからまた一頻りいちゃついてから、やっとイーサンは今日の予定に戻ることにしたようだ。
でも最後にエリス嬢をそれとなく誘うのを忘れない。
僕はすっかりやさぐれた気分でそれを聞き、渋い顔になるのを堪えていた。
二人の仲が良いのはいいことだとわかっていても、気持ちが荒む。
「では、わたくしたちも修練場へ参りますわ」
「ええ、皆様のご勇姿を見せてくださいませ」
取り巻き令嬢たちがエリス嬢の後押しをして、読書会は終了の様子だ。
じゃあ、レベッカも行くんだな……と思って、ふと考えついた。
試合形式での鍛錬だったら試合に注目が集まっているから、レベッカを誘って席を外しても目立たないだろう。
直球で迫ってみると決めた今、この勢いで、すぐ行動に移すべきだ。
最後の手段も視野に入れて……
「では、また後で」
エリス嬢が見に来てくれるとわかって、ご機嫌にイーサンはサロンを後にする。
僕たちも、その後ろについて移動だ。
エリス嬢と取り巻き令嬢たちは学園に雇われている従者や女中に指示をして、サロンを片づけさせてから修練場の方に来るだろう。
片づけをするのは彼女たちではないから、それほど遅れず、すぐに来ると思う。
そしてこのサロンは今日はエリス嬢たちが使うものとして押さえてあっただろうから、元々今日は他の人間が使う予定はないはずだ。
つまりここを使えば、人目を避けて話ができる。
「君」
サロンを出る際に、扉番をしている従者に声をかけた。
「後でこの部屋をもう一度使うから、他の者には使わせないでくれ」
「はい」
「僕が先に戻ってくるが、後から殿下方も来る」
「了解いたしました」
さて、場所は押さえた。
イーサンは気にせず先を行って、他の三人もついて行っているので、話しかけた分の遅れを取り戻すべく速足で追う。
追いながら、考えていた。
後は修練場で、上手くレベッカ一人と話をして、連れて来れるかか。
ああ、その後は、どうしようか……僕の箍が外れきると困るし、程々のところでイーサンたちに割り込んでもらうことにしようか。
「殿下」
「アーノルド?」
イーサンはエリス嬢にいいところを見せたいんだろう。
先に修練場に着いて、やはり見栄えのいい試合形式でやりたいと順番と審判の相談を始めていた。
「所用を思い出したので、僕は最初でもいいですか? その後、少し席を外します。もし帰るまでに僕が戻らなかったら、帰りがけにさきほどのサロンに寄ってください」
「わかった。ではアーノルドが一番最初だな。相手は」
イーサンが呼びかけると、すぐ修練場を使っていた他の学生から希望者がわらわら出た。
練習試合は五人の中だけじゃない。
僕は机の上が本領で剣術は嗜み程度なので、腕の立つジェラルドとやるよりずっと勝ちやすいからというのが見え見えだ。
ステファンは背も高くないし細身なのでやりやすいが、その分勝って当然的なところがある。
ルーカスは優男に見えて意外に鍛えているので、見た目より手こずる。
ジェラルドは言わずもがなで、鍛えているうえに剣は才能は本物だから正面から真っ当に勝つのは至難だ。
イーサンには、僕ら四人は気にしないが、普通だと勝とうと思うところから難しいらしい。
僕は背が高くて体付きもしっかりして見えるけど、実は筋金入りにインドア系というルーカスの逆なので、見た目よりは勝ちやすい。
勝ちやすくて努力したようにも見えるため、僕は練習試合の相手には希望者が多くてモテモテだ……こんなところでモテたくない。
次の試合の組み合わせを調整している間に、僕は最初の練習試合に臨む。
「――始め!」
審判のジェラルドの声が響いて、刃を潰した片手剣を振った。
某リア充への羨望からの行き場のない鬱憤と、やさぐれ気分による八つ当たりを剣に乗せて戦い、どうにかこうにか勝利を収めた。
そして僕の試合が終わった時、ちょうどエリス嬢と取り巻きの令嬢たちが修練場の囲み柵のところに着いたようだった。
僕は汗を拭き、エリス嬢へと近づいた。
気持ち的にはレベッカのところに行くのだが、エリス嬢を無視はできない。
「ちょうどよかった、今始まったところですよ。殿下は次の次かな」
「まあ、アーノルド様はもう終わられましたのね」
「ええ、僕はこれから休憩です」
軽く会話をして、見学席に誘導する。
エリス嬢は一番前に。
そして取り巻き令嬢方はその左右と後ろにつく。
この時、後ろにつくのはレベッカだ。
元々の取り巻き令嬢が左右定位置なのは、画面的な流れなのか。
今日もエリス嬢の後ろ側の席に落ち着いたレベッカを確認して、僕はそっとその横についた。
「少し話があるんだけど、いいかな」
声を潜めて、囁いた。
驚いたように目を瞠ってレベッカが、僕を軽く見上げる。
そして軽く首を傾げる。
世間話ではないということは察したのだろうが、見当はついていなさそうだ。
「なんでしょうか?」
エリス嬢と他の令嬢方は修練場の試合に気を取られていて、僕たちの話は聞いていないだろう。
でもここで核心に迫るのは避けて、さっき思いついたことを口にしてみる。
「僕と、結婚してもらえないだろうか。……偽装でいいんだけど」
「偽装結婚……?」
目が、零れ落ちんばかりに丸くなる。
し、と人差し指を唇に当てる。
「小さい声でね。それとも、もっと人の来ないところに行った方がいいかな」
前世の記憶だなんて正気を疑われそうな込み入った話は、やはり人の耳のないところがいいだろう。
そしてそれ以外の思惑もあって、ここから彼女を連れだして二人きりになりたかった。
「なんで、そんなことを」
だけど、僕の誘いより驚きの方が深かったようだ。
それはしょうがないか。
「君、普通にアプローチしても僕にまったく靡かないから」
「は……はい」
そしてちょっと本音が漏れてしまった。
「ねえ、レベッカ・イルマン、君、ずっと見ていたでしょう?」
いけないいけない。
誤魔化すために、更に迫ってみる。
「見ていただけじゃない。イーサン殿下とエリス様の仲を取り持っていたよね」
核心に迫るところを畳みかける。
「シナリオを変えたかったの?」
びっくり顔が、ちょっと可愛い。
でも、そろそろ何か反応してほしい。
「君は知っているんでしょう?」
でも、レベッカは迷うように視線を彷徨わせただけで、返事をしない。
「……人のいないところに行こうか?」
そして、そこでやっと返事があった。
「はい」
頷いた彼女をエスコートして立ち上がる。
修練場のこの喧騒の中では、僕たち二人が静かにここを離れたことには誰も気が付いていなさそうだった。