【4】
「もう! いいかげんアーノルドは、もうちょっと女の子の口説き方を考えなよね」
「いや、あれは口説いてるというわけじゃ」
「ちょっと、ねえ、あれ口説いてないんなら、世間話に女の子に体調を訊くとか、もっと悪いんだけど!?」
放課後、僕はステファンに叱られていた。
学内には貴族の生活に合わせてお茶会のできるサロンや遊戯室や図書室など色々な施設があるが、大体僕たちは授業が終わると自習室か修練場にいる。
修練場は一般学生と同じところを使うが、自習室は通常の自習室の隣にある王族専用の特別室を使う。
今日は学年末の試験も近いとあって、自習室だ。
イーサンもその周りの僕たちも、成績は上位から転落したことはない。
将来の王とその側近であれば、成績優秀であって当然の空気であるので、むしろ転落するわけにはいかない。
なので試験の前は皆真面目に勉強している。
特に体育会系脳筋のジェラルドは全般的に座学が苦手なので、試験前は必死だ。
ジェラルドは卒業後には騎士叙爵して騎士団に所属するので、剣術や体術の講義を多く選んでいるけれど、座学の受講数を零にはできない。
試験前の自習は、半分はジェラルドのためでもあった。
今もジェラルドは隣で必死に勉強している。
「ステファン、ジェラルドの邪魔になるから、静かにしてやってくれ」
それをだしにしてステファンの口撃からの回避を目論むと、ステファンは机の横まで来て、僕を蔑むように見下ろしてきた。
「ふぅーん……」
「ステファンだって、試験前だろう」
そもそも入学までにある程度の教育は受けている前提で、この世界水準ではこの学園は大学相当なので、まだ基礎教養のステファンだって試験内容はそこそこ高度だ。
もちろん一年先を行く専門課程の僕たちの方が大変だが。
他言語を専門課程で選べば、その古語までやる。
歴史学なんて、アレントゥール一国の歴史であれば基礎でも分厚い歴史書丸暗記前提で、専門課程で歴史を選択すると、他国の歴史書も丸暗記前提になる。
外交と政治をやるには近隣国の移り変わりと関わりを押さえておかなくてはならないので、僕も子どもの頃から外国語と歴史は叩き込まれてきた。
算学は思い出す前でも転生の恩恵が朧気ながらあったようで苦労しなかった分、歴史と他言語に時間を割けたのは幸いだった。
その辺りの子どもの頃からの積み重ねのおかげで、今成績の維持にさほど必死にならなくて済むのはありがたい。
イーサンと僕は致命的な不得意はないが、油断は良くない。
勉強はするに越したことはなかった。
芸術科目に強いルーカスも、他言語と歴史はともかく算学が足を引っ張っている。
文官として王の近くに侍るとなると、他言語と歴史と算学は外せないのだ。
試験前は、勉強するものだ……という空気で、ステファンの圧力を押し返してみる。
いや、僕としても、このままではいけないと思っている。
僕は三年次に上がればじきに十八だ。
乙女ゲームの始まる季節が迫っている。
レベッカの退場の期限も近づいている。
現時点で病の欠片も見受けられない彼女だが、だからこそ心配だ。
事故なら一瞬のことだからだ。
ならばもっと近くで、もっと長時間見張らなくてはならない。
今日の昼食の時から考えていたが、今のままの関係では駄目だ。
初めには表立って否定していたし、否定するのをやめた後もそんなつもりはなかったけれど、考えれば考えるほどそれしかないと思えてきた。
レベッカと恋人になる……彼女が自分の隣でにこにこ笑っているのを想像したら、それは悪くないんじゃないかと思えた。
笑っている彼女は可愛い。
顔立ちは平凡だとは思うが、平凡だって可愛い。
少なくともまだ見ぬヒロインより、彼女が隣にいる方がいい。
思えば、この二年来る日も来る日も彼女のことばかり考えてきた気がする。
彼女がこの舞台から退場してしまわないように、見続けてきた。
いまさら僕の力が及ばず彼女が倒れるようなことになったらと思えばゾッとするし、無事このままゲームが始まって彼女を見なくていいという日が来ても、その日の喪失感には今でさえ考え及ぶ。
僕は彼女のことを考えすぎたんだろう。
……彼女のことを考えていない自分がわからなくなってしまった。
これが恋かどうかはさておいて、僕はいまさらながらに自分の執着を自覚した。
ごめん、と内心で彼女に謝って、自分勝手ながら彼女を手に入れると決めたことを宣言する。
「今までは口説いているわけじゃなかったんだが、でも、これからはちゃんと彼女にアプローチしたいとは思ってる」
「ふうん?」
まだ隣に立っていたステファンが微妙な顔になった。
「本気になったってこと?」
「別に今までが遊びのつもりだったわけじゃないぞ」
「だってそうでしょ。ちゃんと口説くって言うんなら、結婚相手に考えてるってことじゃないの? 彼女、子爵令嬢だっけ? ディネイザンは侯爵でも一番上だから、格差婚になっちゃうんじゃない?」
「……さっきまで、口説き方の説教をされてた気がしたんだが」
「遊びだって口説くでしょ」
「彼女を遊び相手にするつもりはない」
ムッとして否定していると、いつの間にかイーサンもルーカスも、必死でペンを動かしていたジェラルドまで僕を見ていた。
「いいの? アーノルドの婚約には宰相閣下のご意向があるんじゃない?」
「ないよ」
これは本当にない。
今まだ、僕に婚約者はいない。
話が持ち上がっても、今日に至るまでまとまらなかった。
「どうせ少なくともイーサンが学園を卒業するまでは、僕らの年代のご令嬢とはなかなか話が進まない。皆まだ、イーサンのお手付き狙いなんだよ」
気心の知れた仲間しかいなければ、僕はイーサンのことも呼び捨てだ。
さすがに人目があるとできないが、僕たちは本当に子どもの頃からの付き合いだから。
他の三人は内々でも殿下と呼ぶようになったけど、イーサンは寂しがっていたから、どうにもならなくなるまでは僕はイーサンと呼び続けることにしている。
まあ、この友人たちに距離を開けられた寂しさが、イーサンがヒロインに距離を詰められて攻略される理由だったからね。
一人でも頑張れば攻略されないんなら、頑張ってみようってものだ。
「学生のうちならエリス嬢に成り代わることもできるかもしれないってね。そうでなくても第二妃とか愛妾とか……父もそれで、僕の縁談は諦めたんだ。自分で連れて来いって。皆、そうだろう?」
「はぁ!?」
愕然と合いの手を入れたのはイーサンだった。
知らなかったのか。
「なんだそれは……」
しかし、驚いただけにしては顔色が良くない。
「まあ、そうだな」
空気を読まずにジェラルドが頷いた。
そう、イーサンの取り巻きは皆そうだ。
それが乙女ゲームのための布石だとは考えたくないが、考えないではいられない。
「そうだったのか……」
イーサンは頭を抱えている。
……本当にどうした?