それもきっと恋だから・1
「……ねえ、こんなところで何をしてるの?」
冷ややかな声に、彼女はびくっと飛び上がった。
廊下の角の向こうの様子を窺う彼女のことを近くの部屋に隠れて窺っていたわたしたちも、それに息を飲む。
ちょっと状況がわかりにくいだろうか。
廊下の角でその向こうの様子を窺う彼女……この女生徒が、おそらく乙女ゲームのヒロインさんである。
一方わたしたちは近くの部屋に潜み、ヒロイン(推定)の彼女を隠れて窺っていた。
わたしたちとは何者かと言うと、乙女ゲーム未登場のモブ女生徒であるわたしレベッカと、何故かゲーム開始前にわたしの夫になってしまった攻略対象の一人アーノルド様。
アーノルド様もわたしも、この世界にそっくりな乙女ゲームを知る日本人の記憶を引き継いだ転生者だ。
かたや攻略対象、かたやモブと立場は大分違うけれど。
そんなわたしたちが結婚に至ったのは、アーノルド様が、乙女ゲーム期間が来てヒロインに自分の意思を伴わずに攻略されることを厭うたからだった。
意識的に違うことをしなければ、この世界は大体乙女ゲームの設定に近付くように動いていくらしい。
攻略対象の五人を取り巻く個人的状況も、大体ゲームの設定と同じだったと結婚した後にアーノルド様が教えてくれた。
個人的なことで手が出しにくいので、イーサン王子殿下以外には口出しはしなかったそうだけれど。
わたしもシナリオは一通りやりこんだから、アーノルド様の言いたいところはわかる。
確かに他人には微妙に踏み込みにくい問題を扱ったシナリオが多かった。
この世界が乙女ゲームの元なのか、それとも逆かはわからないけれど、どこかに繋がりのある世界なんだなというところは疑う余地がない。
そして大体同じようになっているということで、アーノルド様は『乙女ゲーム外』であるわたしが悪役令嬢になるエリス様の取り巻きをしているのを知った時、わたしのゲーム前の退場をものすごく心配したんだそうだ。
……言葉は濁されたけど、ゲーム開始前に死ぬんじゃないかと思ってたってことね……
ごめんなさい。
会うたびに体調を訊かれるのは、ゲームのキャラより優しい人だったんだななんて、のんきに考えててごめんなさい……
わたしは自分の意思でエリス様に近付いて、ゲームとは違う状況に自分で持ってっちゃってたのだ。
繰り返しになるけど、この世界は放っておけば多分乙女ゲームと同じような状況になるのだと思うけど、違うことをしたり変えようとすると変わる。
少なくとも、乙女ゲームの始まる時期よりも前にはそうだった。
それでアーノルド様は何もせずにいたら自分が攻略されるかもしれない……気持ちが自分の意思ではないものに操られるかもしれないのが嫌で、先に結婚しちゃえってなったらしい。
そこまで変えてしまえば、後戻りはできないんじゃないかってことね。
しかも結婚を乙女ゲームの開始にぶつけて、出会いイベント時期に学園にいないという徹底ぶりだ。
ただ、相手にさんざん心配した挙句に同じ転生者らしいと察したわたしを選んだのは合理的なのかもしれないけど、良かったのかなあと今でも思う。
いや、わたしがアーノルド様に大切にされてないってことはないんだけど。
ともあれ、今は、目の前のヒロインさんのことだ。
ヒロインさん……なんて、個人を見ていないような呼び方だけど、これは許してほしい。
まだ名前を聞いていないからだ。
ゲームでは名前変更できたから、デフォルトネームとは限らないのである。
デフォルトネームなら、リンディだったはず。
ただ苗字はゲームには出てこなかったし設定資料にもなかったと思うから、本当にわからない。
もっとも前世のことを何もかも憶えているというわけではないので、その辺はわたしが憶えてないだけかもしれないけど。
「……あの、彼女はなんであんな風にしているんでしょう?」
今日はアーノルド様との結婚後、蜜月のための一ヶ月休学が過ぎての復学の日で、さっきまで教員室で復学手続きをしていた。
もうお昼だから、午後の授業から出ようかって移動しているところで、怪しい行動をとるヒロインさんを発見したのである。
うっかり休学中に乙女ゲームが始まってしまっていたんだけれど、ヒロインさんの行動がこんなにも怪しいとは予想だにしなかった。
ゲームでもこんなに怪しかったんだろうか……
「あれは思ってた通りに上手くイーサン殿下のイベントを起こせないからじゃないかな。ゲームだとヒロインと会う時のイベントって基本的に攻略対象一人しか出てこないけど、イーサン殿下は単独行動しないからね。誰かしら、一緒にいる」
「そういえば、そうですね……あれ? じゃあ、ゲームとはそもそも違う?」
「いや、ゲームでは画面外にいたんじゃないか」
「え?」
一瞬、ぽかんとしてしまった。
それはつまり。
「ラブシーンにも誰かいたんでしょうか」
「多分」
「全部見られてた?」
「おそらく」
衝撃の真実? に愕然とする。
言葉を失ってアーノルド様をじっと見つめていたら、アーノルド様がそっと続けた。
「君も画面外にいたのかと考えたことがあるんだ。でも取り巻きを一人だけ画面外に追いやる意味はないから、君は違うなって判断したんだけど」
「はあ」
「イーサンは真面目だから、護衛替わりのお付きの僕たちが席を外さないといけない時、付いてる者が複数いたら残りと待っているし、一人しかいなかったら、一緒についてくる。一人になることはいけないとわかっているからね。そうすると、二択だ。画面外にいたか、ゲームの強制力ってやつで事故的に一人になった状況だったか……イーサン殿下は寂しがりだから、自分から離れることはちょっと考えられない」
イーサン殿下が寂しがりだから、というのは納得する。
その寂しさをヒロインが癒すシナリオだったからだ。
「事故が何度も続いたら、対処されると思う。そうすると結論は、僕たちの誰かが『画面外にいた』可能性が一番高い」
イーサン殿下にはある種の露出狂の性癖があるんだろうかと頭に浮かび、それをいやいやと追いやった。