ある時期の食事の思い出
その思い出は8、9を数えていたと思う。少なくとも中学には上がっていない。そんな記憶が曖昧な時期の話だ。あの頃から、20を超える年月を数えた今であるが、その事柄で頂戴して、食べたものはよく覚えている。
隣に越してきた『しょちょーさん』は、まだまだ幼い私の目からみてさえ、丁寧かつ朗らかに接して頂たという印象だった……と記憶する。
彼が隣にいたのは短い期間だったが、その時分の子供心を今の私が要約すれば『大人になるというのならば、この様な人物になりたい』というような感情を持っていたことと思う。
そんな『しょちょーさん』であるが、時折、気分良く酔っぱらいながら、折り箱の様なものを持ってきてくれた事が何度かある。
今となって回数も思い出せるものではないが、特に印象深かったそれは、うなぎの蒲焼であった。
『しょちょーさん』から恭しく戴いた母が、どの様なやり方で温め直したかは忘れたが……今のように、良いやり方が簡単に知れるわけではない。そんな中で行われる稚拙でズボラなやり方であっても、職人に丹精込めて作られたそれは、大変に美味しいもので、それ以上の表現をするのが無粋だと思えるほどだった。
そんな食事に舌鼓を打つ私に、母は言った。
「こうやって貰ったことを他の子とかに教えちゃいけないよ」
当時の私は『こんなに美味しいものをもらったなんて言えないよね』……と、友達にうらやましがられ、やっかまれる事を恐れながら思っていたと記憶する。
しかし、その時から数年を経ち、中学・高校に通うような年頃になって、その言葉の意味は違うことを指し示すのではないか、と思えるようになった。
当時、私が住んでいた建物は、公務員寮。
夫婦世帯の寮に暮らしていたのだが、入り口が相対する故に、ちらりと見えた『しょちょーさん』の部屋には、その奥さんが居るような気配がまるで無い。ゴミなどの置き方が粗雑な、いわゆる単身者の雰囲気を見て取れていた。
そう、短い期間とは言え、彼は単身赴任で本来なら入れない夫婦寮に転がり込んでいた。
――要は、不正の一幕というわけだろう。
そして、母はきっと、それを大声で言うようなことをしてはイケナイ。というニュアンスを含んで諭していたのではないだろうか……。
そんな考えを悟って以来、私は、うなぎを見るたびに過去を思い出し、また、他人に奢られるということに、どうしようもない程、怯えるようになった。それは今も変わらない。
21世紀初頭の10年で流行った言葉を借りれば、『毒まんじゅう』という一種でしょうか……。