策 謀
現地時間23日1800時 ディレクション島沖10km
PREF太平洋方面軍軍令部第五課所属戦術打撃大隊旗艦『希望』艦内
クリスマス島からココス(キーリング)諸島に到着した太平洋連邦軍の兵士たちが最初に行ったことは、負傷者の救援と、新型VAに搭乗した民間人5名の拘束だった。
新型機に関する機密保持のため、軍令部直轄艦である『希望』は負傷者と自軍VA2機を回収するや否や残りの処置をインド洋方面軍に託してその場を早々に撤収する事になった。当然、民間人5名もその艦内に共にいた。
だが、彼らの存在は部外秘とされ、艦内でも極一部の人間しか彼らの重要性を認知していなかった。彼らは艦内の貴賓室へ案内され、その扉の外側には完全武装した歩哨が2名立ち、内外の接触を完全にシャットアウトしていた。
そんな中、一人の士官が彼らの元を訪れた。
全身を白い海軍式の略装で固めた男は、中に入ろうとする歩哨を入り口に残したまま、一人で彼らと会談したいと申し出た。おそらくは機密保持の為なのだろうが、それにしてもその行為は非常に勇気のある物と言わざるを得なかった。
貴賓室の中には、自身のおかれた状況に対して憤慨する若者が一名おり、その人物によって既に何名もの兵士が顔面に青あざを作ったり、自身の男性器を抱えて蹲されていたのだ。
「ご用件を伺いましょうか?」
対応の窓口となった教師は流石に大人として最低限の分別を持って士官に応対していたが、その顔には嫌悪感が透けていた。
後ろに控える学生の多くはいまだに状況に着いて行けていないのか、ポカンとした顔を浮かべたり、部屋の内装を興味深そうに見入ったり、ビクビクしたりと様々だったが、リ・フェイだけは如何にして目の前の軍人をボコボコにしてやろうかと、手ぐすねを引いている最中のようだった。
その様子に対して軍人は意に介した事もないようにまずは自己紹介を行った。
「私は環太平洋首長国連邦軍、太平洋方面軍軍令部第五課所属戦術打撃大隊の指揮官を務めております、河野洋と申します。今回、お伺いしましたのは幾つかお聞きしたい事があった為ですが、まずはこのような対応になってしまった事に関してお詫びを申し上げます」
そう言って、サッと脱帽敬礼した河野に対してフェイはまだ怒りが抜け切らないのか、皮肉を投げかけた。
「だったらとっとと俺らを帰して欲しいんだがね。何で一般人を捕まえてこんな軟禁紛いの状態に置いとくんだよ?軍ってのはそんなにエライのか?」
ジェーンがたしなめる目をフェイに向けたが、当の本人はそ知らぬ顔だった。
一方、気にしていないのは河野も同じようで、敬礼から頭を上げた彼はフェイを完全に無視し、ジェーンに対して質問を投げかけた。
「まずは事実関係の確認をお願いします。XTF―25に搭乗されていたのが高槻隼人さん、ジェーン・スティーブンソンさん。TVF―18πに搭乗していたのがキム・スミンさん、ワン・リーファさん、リ・フェイさん。主だって操縦されていたのは、高槻さんとリさんと言う事ですが、よろしいですか?」
「えぇ。私の乗っていたVAに関してはそうでした、彼らのほうは・・・」
そう言ってフェイの方を向いたジェーンに対してフェイはそうだ、と大きく頷いた。
「では、XTF―25に搭載されている24式試作電磁投射砲ならびに近接戦闘用戦術化学レーザーメス照射システムによって敵VTA―09合計3機を撃破したのは高槻さんという事でよろしいですね?」
「え?えぇ・・・俺です」
いきなり話を振られた隼人は思わず戸惑うが、なんとか河野に向き直った。
「分かりました。それでは高槻さんにはまた後で詳しくお話を伺うとして、皆さんにお話ししたい事項が一点あります」
入室した時から硬い態度を崩さなかった河野だが、その時は一層重い声を出したかのように思えた。学生らもその空気を感じ取り、真剣な眼差しを河野に向けた。
「現状に於いてあなた方は犯罪者です。軍の機密に触れ、更には私的に流用している。高槻さんに至っては度重なる静止勧告にもかかわらず戦闘状態を継続している」
「なっ?!それはお前らが!」
「話しは最後まで聞きなさい」
フェイが思わず口を開くがジェーンがそれを嗜める。その様子を見て再び河野が言葉を紡ぐ。その流れの中で、隼人は一体いつ静止勧告があったのかを聞きそびれる事になってしまった。
「また高槻さんには殺人罪も適用されます。・・・いずれの場合も緊急避難や正当防衛と片付けるのは簡単です。ですが、それは太平洋連邦内においてのみです。仮にアメリカ合衆国がICPOを通じて引き渡し請求をしてきた場合、両国間で国際問題に発展する事は確実でしょう。そこで、我々は高槻さんがXTF―25に搭乗した際に告げられた通信ログからあなた自身がPREFの士官候補生であると告げているのを見つけました」
そう言って彼は胸元から一枚の紙を取り出した。通信の一覧が記載された中に一つ、蛍光ペンでマーキングされた箇所があった。
「仮に軍人であったならその事実をタテにしてアメリカおよび北大西洋連合からの圧力もかわせます」
何か厭な予感に駆られたのか、今まで沈黙を貫いていたワンがはじめて口を開いた。
「それって、どういうことですか?」
震える声に対して河野はいたって簡単に答えを告げた。
「あなた方には軍人になっていただきたいのです」
「はぁ?!」
反射的に言い返した彼らの脳裏には一様に『?』の文字があったが、そのマークは一拍置くまでもなく『!』に変わった。
「ふざけんな!何バカな事抜かしてんだ!」
真っ先に反論の口火を切ったのはまたしてもフェイだった。
「そうですよ。僕たちまだ未成年の学生ですよ。そんな強引な・・・」
「少なくとも両親の同意が必要だと思います。後は学校との兼ね合いですか?」
キムとワンが次いで口を開く。
「軍人・・・」
ショックなのか、日ごろの憧れの所為であろうか、隼人はその一言を呟いたきり黙りこんでしまった。そして全員の意見を代弁するかのようにジェーンがゆっくりと口を開く。
「少し、考えさせてもらえませんか?」
現地時間同日1700時 ディエゴガルシア島 アメリカ海軍基地
「死んだ!?全員がですか?!」
キャサリン・カーウィンの元へ彼女の部下の訃報が届いたのは彼らの死から7時間以上が経過してからだった。
「そんな・・・!遺体の回収についてはどうなっているんですか?可能なんですか?」
動揺のあまり、直属の上司である中隊長に掴み掛かりそうになった彼女は周囲の人間に取り押さえられる一歩手前だった。
だが、中隊長はその動きを制止し、キャサリンの思うままにさせた。
これは彼女がはじめて経験する部下の死というものであり、この平和な島においては決して経験しないとタカを括っていた想定外の出来事である。それ故、そのショックの大きさは察するに余りあるものだ。少しくらいは好きにさせてやろうという中隊長ならではのせめてもの親心だった。
そして彼は、彼女に追い討ちをかける事を承知で悲しい事実をさらに告げた。
「回収に関してはほぼ不可能だろう。ここまで事が公になった以上、彼らの身分はせいぜい脱走兵くらいにしかならない。上層部もここでPREFと本格的に事を構えるつもりもないだろう。・・・端から無謀な任務だったんだ」
最後の言葉は彼の偽らざる気持ちだったが、その一言は彼女の悲しみを怒りに変えるのに十分過ぎた。
「無謀?今、無謀と仰ったんですか?中隊長は無謀な任務であることを承知の上で私の部下を送り出したんですか?それも私に出撃禁止命令をした上で?!」
内心でしまったと思いつつ、中隊長はもう反面で開き直る事を決めた。
「あぁ、そうだ。これは上層部からの命令だからな。それに応えるのは軍人の仕事だ」
「だからといって、死ねなんて命令が許されると思っているんですか?!」
「俺個人の意見じゃない。軍人としての在り方を言っているんだ」
「ふざけないでよ!私の部下が、それも全員死んだのよ!それも犬死と同じような死に方で!」
再度中隊長に掴み掛かったキャサリンに対し、中隊長も我慢の限度を超え、思わず叫び返していた。
「お前だけの部下じゃねぇ!俺にとっても奴らは部下だ!」
キャサリンはまるで頭を鈍器で殴打されたような感覚を味わった。
彼女の中の怒りは急速に萎んでいった。中隊長の胸倉にあった手を離し、彼の制服につけてしまった皺を整えると、彼女は一歩下がり、頭を垂れた。
「取り乱してしまい、申し訳ありませんでした」
沈痛な声で告げる彼女を責めようとする者はその中に誰もいなかった。
「いや、こちらもすまなかった。・・・カーウィン少尉、第一小隊長として最後の仕事だ。彼らの遺品を整理してやってくれ」
最後の仕事、という言葉に引っかかりを感じなかったかと言えば嘘になるが、遺品の整理という重い任務に彼女は集中しようと考えた。
現地時間同日2100時 ディレクション沖20km 『希望』艦内貴賓室
「だから!何度も言わなくても分かるだろ!俺らが軍人になる道理なんてこれっぽっちも無ぇっての!」
来賓用であろう高価そうなソファーにどっかりと座り込んだフェイは、何度繰り返したか分からない発言を再びした。
「でも、河野さんの言う事だって一理あるだろ?一般人と軍人じゃ法的な扱いがぜんぜん違うってのは事実だ」
殺人犯になるかならないかの瀬戸際にある隼人にしてみれば少しでも有利な方へいきたいと考えるのは当然だった。
「それはあるかもしれないけど、お前が別に何か悪い事をした訳じゃないだろ。そんな逃げ道を考える必要は無いんじゃないか?それに、ここにいる殆どは単にVAに乗ってただけなんだし」
どこから持ち出したのか、部屋の内装にそぐわないパイプ椅子をギシギシ鳴らすほどの貧乏ゆすりをしながらも、自身は関係ないと明確に否定するキムに対してフェイの隣に座るワンは咎める様な目を向ける。
「それは太平洋連邦内だけだと言ってたでしょ?アメリカの中には殺人の時効が無い州だってあるのよ?高槻君に一生爆弾を抱えながら生きろって言うの?」
ワンの視線をものともしないキムだったが、その発言に対して反駁したのは隣に座るフェイだった。
「だからよ!隼人も含めて俺たちが問題を引き起こした訳じゃないんだぜ?誰それがって問題じゃなく、誰も軍人になる必要が無いって話だよ」
「それはあくまでも理想論でしょ。最悪の展開を考えたら、機密に触れて国家反逆罪で死刑って可能性だってあるのよ。それも、ここにいる全員にね」
両手で頭を抱え始めた隼人は最早どうしたらいいか分からない状況だった。
確かにフェイ達はなんら悪い事をした訳ではない。国際問題や殺人罪などと気にする必要は無いのだ。
だが自分は違う!自分が生きる為とは言え、少なくとも3人以上の人間を殺している。直接その死に様を見てはないので実感そのものは無かったが、その結果として目の前に迫る刑罰という言葉は現実味を持って彼に近づいていた。
「軍人になんて冗談じゃないね!僕らをあんな人殺しと一緒にする気か?」
「別に積極的にそうしたいって言ってる訳じゃないわ!ベストではないにしてもベターではあるって言ってるだけよ!それ以上の案があるなら是非とも聞いてみたいわよ!」
「止めなさい」
部屋の中にハッキリと響いた声によってフェイとワンとの口論はさえぎられた。
「お互いとも言いたい情報は提示したでしょ?それ以上は感情論にしかならないわ。特に片一方に譲れないような事情があるときはね」
チラリとフェイを見やったジェーンは隼人の方に向き直った。
「こういう時は当事者に判断を委ねるべきよ。偶然とはいえ、こういう結果になってしまった以上、選択権が彼にないのは不公平じゃない?」
彼、というのが間違いなく自分を指すのだろう事は隼人も認識していたが、まるで達観したようなジェーンの声に一瞬反応が遅れた。
「俺は・・・正直どうすべきなのかは分かりません。確かに今後のことを考えれば軍人になる、って事のほうが良いようには思えるんですが、果たしてそれで俺の人生が良いものになるかって事を考えるとそれも分からないし・・・。そもそも、全然実感がありません。ただ、・・・」
いったん言葉を切り、周囲を見回した隼人は自分が何を言おうとしているのか、周囲がうすうす感じていると思った。
「それしか道がないなら、俺は軍人になるしかないと思ってます」
フェイが何かを言いかけたが、それをワンが目で制した。その様子を見て取ったジェーンは、たった一言だけ言葉を発した。
「いいのね?」
「・・・はい」
一人の学生が消え、一人の兵士が誕生した瞬間だった。
現地時間24日0430時 インドネシア連邦共和国
バンカ・ブリトゥン州ブリトゥン島
どんな連合体においても分離独立を目指す人々は存在する。
PREF内においてもそれは例外ではなく、インドネシア連邦共和国のモルッカ諸島アンボン島を中心とするモルッカ解放戦線という組織はそういった人々の受け皿として機能していた。
極小政党とゲリラ的武装集団から構成されるこの組織は、一般に地元住民からの支援と海賊行為を中心に活動していると思われているが、経済面においても実働面においても彼らの一番のパトロンは米国だった。
特に、このブリトゥン島はモルッカ解放戦線の中での特殊訓練キャンプが設置され、インストラクターとして非公式にではあるが、米軍兵士もかなりの数が逗留していた。
多くの兵士は特殊作戦軍に所属する歴戦の戦士たちだった。
彼らの主任務は、域内における混乱を誘うためにモルッカ解放戦線の志だけは立派なチンピラ共を一端のキリングマシーンへと教育していくことだった。
ところがだ。前日夜更けに突如として衛星経由で送信されてきた命令文には信じられない内容が記されていた。そしてその命令には彼らが教育しているモルッカ解放戦線を大量に投入せよとも書かれていた。
箸にも棒にもかからないような連中と共に任務を行わなければならないことに一流の兵士たちは内心では不平タラタラだったが、それを表に出さないことこそがそういった連中との違いであると認識している兵士たちはすぐさま作戦を考え始めた。
目標はPREF太平洋方面軍軍令部直下の強襲揚陸艦『希望』。
満載排水量3.5万トンクラスの大型艦を沈めるなど、はっきり言って歩兵には不可能な注文だったが何も策が無いわけではなかった。
ここブリトゥン島には自分たちのほかにも特殊作戦軍から派遣されてきた“ある部隊”がいるのだ。
彼らなら何とかなるだろう。何せ連中のリーダーは“化け物”なのだ。
アメリカ東部標準時23日1700時 ワシントンDC ポトマック沿岸
夕刻のポトマック川は夕方のジョギングを日課としている人間くらいしか通らないような静かな雰囲気だった。そんな中に一人、濃緑色の軍服を着た軍人が独り居た。
ペンタゴンが近いとはいえ、軍服で街中をブラブラするような人間はあまりここDCにはいない。ベンチに腰掛け、川面を見やる彼に対してジョギング中の人々はなるだけ奇異な視線を向けないように努力していた。
そんな中、彼の胸元に入れておいた衛星電話がリングを鳴らした。
地球上の反対側からご苦労なことだ、と思いつつ彼はゆっくりと電話に出た。
「はい」
『私だ』
なまりが酷い英語が耳に障ったが、それ以上に気になったのは電話先の相手の尊大な態度だった。
「これは中将、わざわざお電話ありがとうございます。そちらは夜明け前では?」
『なに。取り巻き連中と遅くまで酒盛りをしていてな。酔い醒ましにずっと起きていたのだよ』
ビジネスを酔い醒ましと同列に扱うとは、連中はやはりそんなものか。内心での嘲笑を押し殺し、彼は相手の言葉を待った。
『で、首尾は?』
一転して真剣な口調を装ってはいたが、彼にしてみればアルコールの臭ってきそうな程、くさい演技だった。
「偵察任務は見事成功。第二段階へと移行します」
『成功?ゼオン3機を消失してか?ウチみたいな貧乏所帯では考えられない言葉だな』
皮肉のつもりだったとしたら、それを聞いているこちらの方がよほど滑稽に思えてしょうがなかった。何せ向こうはその貧乏所帯の中での内輪もめの真っ最中なのだ。
「えぇ。“偵察”に関しては大成功ですよ。偵察衛星 がハッキリ“鶏”の姿を捉えてくれました。更には遠近両方の装備まで公表してくれましたからね。ここまで手札を切ってくれればこちらも対抗策を立て易い事この上ないですよ」
『そうか!確実にやってくれるんだな?』
「えぇ。我が国の兵士なら必ず中将のご希望通りあの“ルースター”を丸焦げの“ローストチキン”に仕立て上げますよ」
『期待しているぞ、大佐。では、またな』
一方的に電話を切ったシュエ・ヤンPREFユーラシア方面陸軍中将に対して米国統合参謀本部勤務の大佐は笑うしかなかった。
「内ゲバも此処までくれば最早サタデーナイトフィーバーだな」
ポトマック川に木霊する高笑いは水面へと吸い込まれていった。
現地時間24日0500時 ブリトゥン島特殊作戦キャンプ内
「我々に出動要請?」
特殊作戦陸軍第一特殊作戦群から派遣されている歴戦の猛者を前にしても、特殊作戦軍所属の戦闘適応群の隊員はなんら臆した様子は無かった。
「そうだ。統合特殊作戦軍司令部からも許可が下りている。貴官らにはこれから我々の指揮下で行動してもらう」
「デルタがグリーンベレーの下で働く?冗談は止めろ。立案から遂行まで我々が管轄すべきだろう?」
デルタの上からの目線に対してグリーンベレーの分遣隊長は正直キレそうだった。
「貴官らはここで何をしている?キャンプ内で地元民を教育するのも我々なら、キャンプ周辺の警戒をするのも我々だ!そもそもこの島域での作戦行動に関して命令を受けているのも我々だ!」
「我々が何をしているかだと?物資輸送の護衛に、地元部族との会合、州機関への偽装工作、貴官らが感知しえない特殊作戦の実施をしているが、この他に何かいるのか?命令系統も貴官らと我々は別ルートだ。我々とてこの島域の作戦を命令されているんだ」
売り言葉に買い言葉で両者の怒りが上昇しつつある時、一人の士官が割って入った。
「つまらない争いで時間を無駄にしていい状態か?」
どう見てもデルタやグリーンベレーといった猛者たちの集団とは異質なスマートな体躯をした青年を前にして彼らすぐに挙手敬礼した。それは直接的に彼に向けられたものではなく、彼が着けている中佐のバッヂ故だった。
無論、そんなことは中佐自身が分かりきっている事だったので、彼は敬礼に対して答礼を返すとすぐさまデルタ隊員に向き直った。
「一等軍曹、悪いがここは彼らに分がある。作戦全体の指揮命令に関しては彼らに従ってくれ。・・・それから曹長、なるだけデルタには遊撃を担当させてやって欲しい。その方が活躍できることは知っているだろ?」
柔和に両者の肩をそれぞれ持つ形で仲裁した中佐だったが、その後の言葉は険しい表情に打って変わった。
「それから、“アレ”の使用についてだが、先ほどJSOCから許諾の連絡が入った。本作戦の中核として運用しろとのお達しだ。・・・だが、“アレ”の運用は私がその全権限を負っている。よって私を経由する形での作戦投入になるが、構わないな?」
中核運用しろと言っておいて指揮権が無い、ということは実質的にデルタが中核になるということか、内心で大きな舌打ちをした曹長だったが、確かに今のところ“アレ”はデルタ所有のものだ。ここはおとなしく下がらなければ作戦遂行の障害になってしまう。そんな本末転倒な事態を引き起こすほど自分はバカではないつもりだった。
無言の挙手敬礼を挨拶代わりに立ち去ったグリーンベレーの隊員たちを見やった中佐はデルタの隊員とは別の存在に対して声を投げかけた。
「どう思う?」
「何に対してですか?」
まるで最初からそこにいたかのように影からスッと姿を現したのは、まだ少年のような幼さの残る顔をした少し小柄な青年だった。
しかし、その顔には一切の表情が無く、整った顔立ちの所為でまるで人形のようにしか見えなかった。そんな青年を見、歴戦の戦士であるデルタ隊員も一瞬背筋を冷やした。その容姿に不気味さを覚えたこともあるが、それ以上にこの距離まで接近されていてそれに気づかせないという技術に対しての恐怖の方が大きかった。
だが、中佐はなんら気にした様子も無く、青年に対する質問を続けた。
「決まっているだろう?目標と今回の作戦だ。軽空母が目標と設定されているが、どう考えてもJSOCの狙いは敵新型VAだ」
気軽に告げる中佐に対して、青年は無表情を一切崩さずに答えた。
「作戦そのものはなんら問題ありません。現地勢力を含め、こちらの戦力と交戦対象を比較した場合、決して問題のある比率ではありませんし、新型VAに関しても映像データがJSOCから提供される予定です。現地勢力が不確定要素となりますが、作戦の成功率は安定して高いと考えられます」
人間が話しているようには見えなかった。
まるで一昔前のロボットが喋っているようだった。
そんな無機質な反応に対して中佐は満足そうな表情でいた。
「一等軍曹。作戦立案をグリーンベレーの連中が持ってきたら、一応“手直し”をしてやってくれ。何せ今回の作戦はの中核は他ならぬ“コレ”なのだからな」
青年、特殊作戦軍内部に創設された第一特殊作戦部隊第4VA部隊長であるスミス・ゼロ少佐を前に、ジャック・ライアン米陸軍中佐はなんともなしに彼を“コレ”呼ばわりした。だが、ゼロにしてみればその呼び方はなんら自然なことであり、気にするものではなかった。
現地時間同日1100時 タイ共和国プーケット
シュエ・ヤンPREF陸軍中将の元に一通のメールが入ったのは昨日の電話から半日近くが経過してからだった。
それゆえ、彼はともするとメールを読み忘れてしまう所だったが、幸い馴染みの娼婦からの『メール見てくれた?』との電話をもらった為、普段は滅多に開かないサブPCのメールボックスをチェックしたのだった。
メールボックスの最新メール一覧を見て、中将は思わずおっ、という声を出した。
差出人欄が『ユナイテッド・セキュリティ・オブ・アジア』となっているメールを見て中将は当初の目的であった今夜のお誘いメールを無視し、迷わずそちらをクリックした。本文を読み進めていった中将は向こう側との取り決め通り、完全消去ツールを使ってメールをキャッシュごと完全にPC上から消去した。
だが、彼の脳に本文の内容はしっかりインプットされており、後はそれらをアウトプットするだけだった。時と場合によってはアウトプットを実行しないときもあるが、今回において迷いはない。
あの憎らしい太平洋(方面軍)の連中がウチから予算をぶんどって作っているあの玩具を叩き壊せるのならば、いくらでも協力してやる。
その思いから彼は胸元から携帯電話を取り出し、ユーラシア方面軍令部にいる子飼いの部下に連絡をつけた。
「私だ。太平洋方面軍の実験機が今ジャカルタ沖にいただろ?アレ、こちらに持ってこさせられんか?」
その電話を皮切りに彼は数件の電話をかけ、満足した様子でPC画面に目を落とした。娼婦からのハートマークを多用したメールに中将は、今夜は楽しい夜になりそうだと下卑た笑みを顔に浮かべた。
現地時間24日2200時 インドネシアジャカルタ沖200km 『希望』艦橋
「カーペンタリアではなく、シンガポール、でありますか?」
寝入り端に来た衛星電話からの命令に河野は思わず受話器を落としかけた。
『そうだ。・・・ユーラシアの連中だよ。議会内の族議員を動員しての圧力行為だ。ガルーダを予算の無駄遣いだと議会の大勢の前で叩く心積もりのようだ』
苦々しげに吐き捨てた軍令部第5課長の声を聞き、河野はかなりの高位官の間で今回の決定が下されたのであろう事を察した。おそらく不服申し立てが通用するレベルではない。泣く泣く要求を吞んだのだろう課長の思いを汲み、河野は命令を受諾した。
「了解いたしました。これより本艦は転進、シンガポールへと向かいます」
『・・・助かる』
たった一言を残して通信が切れた。
河野は直ちに艦内の幹部陣に収集をかける必要性を感じた。
その十分後、会議室に集められた幹部人は与えられた目的地を聞いて唖然とした。
「ここまで来てシンガポールですか?カーペンタリアまでもう1日もかからないんですよ?」
「そもそもこの位置でなんて、ほとんどUターンじゃないですか!」
各所から様々な不平が飛び出す。
基本的に部下たちの鬱憤を溜め込ますことを良しとしない河野はこういった場においてそれらを発散させることを目的としていた。
そのことを大いに理解している部下たちも、ここでぶちまけるだけぶちまけた後は一切の愚痴をこぼさず、その任に当たろうと心掛けていた。
ところが、今回の会議においてはある士官の呟いた一言によって議論の流れが大きく変わる事になった。
「そういえば、艦内にいる民間人5名はどうしますか?とりあえず一名はもう志願書類にサインしていますが、後の4人はまだ何もしていませんよ?」
その場にいる誰もが、河野でさえも失念していたことだった。
仮にこのままシンガポールまで彼らを連れて行ったとして、そこで開放するとすれば、それこそユーラシアの連中に格好のスキャンダルを提供することになってしまう。
だが、かといってここで艦載機を使って近隣の基地へと輸送しようともそこはインド洋方面軍の管轄圏内だ。長距離輸送機を呼ぼうにも、希望自身に大型機を着艦させる設備はない。なら、シンガポールを経由してそこから我々で太平洋方面軍の基地へと送るか?
いや、それではいったい何週間かかるか分かったものではない。
それだけの期間彼らを拘束してそれがマスコミにでも知れようものなら、G計画はおろか太平洋軍令部の面目は丸つぶれだ。議会にも何を言われるか分かったものではない。
「どうします?このままでは、いずれにしてもスキャンダルの要因になるだけです」
「ならいっそこの場で処分しろとでも言うのか?それこそスキャンダルだよ。バカバカしい」
誰しもが明確な回答を出せず、思うがままの事を言うだけの場に成りかけた会議室の流れを引き戻したのは一人の船務担当士官だった。
「ジャカルタに軍令部から長距離機を回して頂くというのは如何ですか?ジャカルタにはたしか各方面軍の軍令部による共同施設があったはずです。近隣空港なら大型機も着陸可能ですし、現状においても有用な機密保持を施せるはずです」
だが、艦長である河野だけはその案に対して懐疑的だった。
「ジャカルタに入港する、ということだろう?だが、現状において我々にジャカルタへの寄港予定はない。口実もなしに動けば技局にも迷惑をかけることになってしまう」
「なら口実があれば良いんですか?」
日本人が主体で構成される希望幹部陣の中では珍しい客家系シンガポール人である黄・光龍が流暢な日本語で発言する。
河野の疑問に対して即座に反発するウォンは何を閃いたのか、口元に軽い笑みを浮かべていた。何か案があるのか、と問いただそうとした河野が口を開く前に、ウォンはさらに続けた。
「ジャカルタからは少し離れますが、バンカ・ブリトゥン州のブリトゥン島になら太平洋方面軍技術開発局の施設があります。民間人と共に収容した技術局の人員を下ろす名目で立ち寄れば、何ら怪しまれることもありませんし、東洋丸の人員に紛れさせれば発見されることもなくなります」
まだ20代だと言うのによく現状の位置からそこまでの案を提示できるものだ、と殆どの幹部は唸るしかなかった。
それは河野自身も同様であり、ちらりと副長を見やり、軍令部へと確認を取るようにアイコンタクトを送った。
「航海長、経路転進。シレゴン通過後はブリトゥン島へ向かえ。操艦任せる」
「転進了解しました。操艦、いただきます」
現地時間25日0600時 ブリトゥン島特殊作戦キャンプ
ジャック・ライアン米陸軍中佐によって米国兵士たちと地元ゲリラの隊長達が参集させられた。
開口一番に中佐は「喜べ諸君!」とまるで演説のような口上を述べ始めた。
「我々の上級司令部から先ほど追加連絡が入った。目標は当初のコースを外れ、現在ここブリトゥン島に向かっている」
一瞬周囲からはどよめきが起こりかけるが、中佐は手でそれらを制し、話を続けた。
「当初のプランではジャカルタ近辺における不正規作戦等が考えられていたが、現時点を以ってそのプランは破棄だ。この島がメインフィールドに成り得る可能性が高い以上、このキャンプの存在が露見することも視野に入れて行動する必要がある」
現地勢力の代表者がスッと手を挙げる。地元とはいえ大学課程を終え中々に頭の回る人物だ。
「明確なプランは再度練り直すとはいえ、ここの存在を露見させて良いという発想には同意しかねる。ここはジャカルタに最も近い我々の拠点であり、その有用性はあなた方も良くご存知のはずだ。何より処分に関してはアンボンの本部の指示を仰ぐ必要があると考えるが?」
予想通りの反駁といった感じではあった。思考のレベルが近いとこういった点で非常に有益だな、と訛りの少ない英語を聞きながら中佐は内心に呟いた。
「無論、ここのキャンプの有用性は良く知っているつもりだ。だが目標は3.5万tクラスの連邦が誇る最大級の艦だ。沈めるにはいかなくとも相応のダメージを与えられれば君らの名は一気に高まる。その効果を鑑みれば、このキャンプを賭けるだけの価値はあるのではないか?」
ウッ、と言葉につかえた相手を見て中佐はさらに続けた。
「アンボンに対しては確かに義理立てする必要があるが、ここの指揮官は君だろう?君の一存で十分に処分は可能だ。なに、最悪の場合は我々にたぶらかされたとでも言えば良いさ。尤も、現実は君がモルッカ解放戦線の中で最高の武勲者となるだけだろうがね」
口八丁め、と内心に嘲笑していた米兵達を他所に現地指揮官の男は内心での迷いを膨らませていった。
「それで・・・ちなみに目標はいつこの島に到着するんだ?」
お伺いを立てる時間的猶予を確認しようとした現地司令官はライアンの言葉に驚かされた。
「明日の明け方だよ」
もはや自分が決断するしかないということか。現地指揮官は胃の中で胃酸の量が急増した気がした。
現地時間同日0800時 シレゴン沖15㎞ 『希望』艦内貴賓室
朝一から貴賓室に足を運んできた河野は心なしか目の下に隈を作っているように隼人には見えた。
「こんな時間から何の用だよ?」
拘束期間が既に3日近くになり、怒りの臨界点を突破しそうな勢いのフェイは今にも河野に掴み掛からんばかりだった。
だが、フェイの質問自体はその場にいる民間人が全員思ったことであり、河野の答えを待っていた。
「あなた方を解放できる日付が判明しましたので、ご連絡に参りました」
「?!いつだよ!?」
解放という言葉に喰いつき、目の色を変えるフェイ。
しかし隼人にしてみれば、その段階で自身の身の振り方がどうなるのかという一点にしか興味はなかった。
「我々は明日、インドネシア、ブリトゥン島にあなた方と同時に収容した太平洋方面軍技術開発局の面々を下ろす予定になりました。本来なら全員カーペンタリアまでお連れする予定でしたが、諸事情がありまして、いったんブリトゥン島に下りていただくということになりました」
外に出られる、という思いだけではしゃぐ彼らを見、河野はヤレヤレと思いながら次の言葉を告げた。
「あなた方はそこで待機している軍令部の隊員と共にカーペンタリアへ空路で行っていただきます。そこで正式な聴取や書類作成がありますので少々お時間をいただくかと思いますが、それであなた方は日本へとお戻りになれます」
日本に戻る、という単語で民間人たちの興奮はより一層高まっているようだったが、そんな中に一人の例外がいることに河野は気付いた。
「余り嬉しそうじゃありませんね、高槻さん?」
「俺、どうなるんですか?」
予想はしていたが、答えられない質問だった。
「申し訳ありません。まだ上層部からの指示が下りていないので、何とも言えません。艦を降りるのか、或いは留まるのかも」
その回答に隼人は一層沈み込み、その様子を見た一同も喜びはどこへやら、沈み込むことになった。