初 陣
現地時間23日1100時 インド洋上高度7000m
二機のC―17グローブマスターⅢが護衛機も連れずにインド洋上を飛ぶ事など通常なら考えられないことだ。ましてや、その積荷が自分たち海軍機甲部隊の所有するVTA―09、通称ゼオンと呼ばれる人型兵器である等、もっと考えられないことだ。
更に言うなら今回の目的地がインドネシア本土から1000kmは離れているとは言え、環太平洋連邦軍の絶対防衛圏内に属する島であり、スマトラ島所属のSu―30KI戦闘機からすれば散歩程度の距離に過ぎないと言うことだ。
すでに連中のレーダーサイトはこちらを認識しているとみるべきだろう。
一定の航路上を飛んでいる限りなら、ディエゴガルシアからグアムへの便と勘違いしてくれるだろうが、少しでも申告航路から外れようものならたちまち戦闘機が飛来しこちらの監視に移るだろう。
しかし、これから俺たちはその愚行を行わなければならないのだ。
輸送機が航路を外れ、PREF戦闘機が飛来する前に、自分たちは新型兵器開発施設まで高高度降下低高度開傘降下を敢行、可能ならば新型機を鹵獲し、不可能であれば破壊せよ、という明らかな戦争行為を行えとは。明らかに無茶苦茶だ。どうみても軍上層部は今回の任務で自分達の無事の帰還を目的としているようには見えなかった。それを裏付けるかのように事前に自身らの身分証の一切は剥奪され、更には機体の部隊章までも削り取られるという念の入様だ。
だが、事前のブリーフィングで担当官はあくまでも今回の任務は威力偵察が目的であり、帰還に関してはインド洋上に待機している空母『エクリプス』上から艦載機を派遣するとしていたが、ならば最初からそちらの部隊が出撃すればよいのだ。
それをわざわざ辺境に配備されている役立たずの機甲部隊に任せるという事は端から自分たちは当て馬にされているということだ。
大方上層部の連中は軌道上の衛星からその様子を文字通り高みの見物と決め込むに違いない。しかもよりにもよって小隊長は“良い身分”の人間だから参加しないで良い、とはあからさま過ぎる。本人はしきりに上に対して抗議していたが、内心では儲け物だと考えているに違いない。
どうせ火の粉をかぶるのはいつだって自分の様な市民権だってまともに得られないような下層の人間だ。だが!
「だからってあんな坊主まで行かせることぁねぇだろうが」
隣を飛行する輸送機に搭載されているゼオンの狭いコックピットの中で初任務の緊張に振るえているであろうトムの様子を思い浮かべた瞬間にランディー・オニール曹長はいたたまれない気持ちになった。
「絶対にあいつだけは生かして返してやる」
ひとりごちた言葉だったが、余りに強く呟いたその言葉は低感度に設定したマイクにも引っかかり、同じC―17に搭乗しているエップスに聞こえたらしい。
「は?」という間抜けな声が返ってきたが、オニール曹長はその疑問を黙殺した。
無駄な犠牲は出させない。
それはこれから死地に赴く彼が自身に課した彼自身のミッションだった。
現地時間1130時 ココス(キーリング)諸島ディレクション島
戦端は開かれた。
緑の楽園はあっという間に炎と硝煙の立ち上る、陰惨な戦場へと様変わりした。
申告航路から外れたC―17輸送機からHALO降下したゼオンが3機、突如として襲来したのである。
濃緑色の迷彩が施され、3機がいずれも二足歩行型で構成された米軍主力VAであるゼオンは対空火器もまともに揃っていない小さな島へと無事に上陸を果たした。
「何で、ゼオンがこんな所に!」
「クソッ!ガルーダは手元にあるっていうのに!」
36mmチェーンガンや106mmグレネードで武装したゼオンに対して、連邦側の戦力はひどいものだった。完全秘匿によって計画が進行されていた為、ここココス諸島には拠点防衛用の設備が一切なかったのだ。
手元にある武器と言えば小銃をはじめとする軽火器と数発の対戦車ミサイル程度の歩兵運用が基本の装備だけであり、機甲兵器であるVAに対して太刀打ちするには余りにも心許ない物でしかなかった。
無論、C―17輸送機が接近した時点で本国からの警告およびココス島に向かっていた護衛部隊に援護要請が打電され、最大戦速で急行してはいたが少なくともこの場における防衛に間に合うことはない事だけはその場にいる皆が分かっていた。
方面軍を戦略単位として運用している連邦軍内部においてその担当管区内での絶対的権力はすべてその方面軍の軍令部が握っている。
故に太平洋方面軍のみで秘匿で進められている今次計画をインド洋方面軍が守護する義理は薄く、30分もせずに到達できる本土からの航空支援は望み薄だった。
「敵襲だ!今すぐ積荷をすべて降ろせ!船ごと沈められたら一巻の終わりだぞ!」
艦橋から高野が全艦放送で告げる言葉が艦内に木霊する。当然その言葉はハンガー内で作業用VS“ミヤマ”のシステムセットアップを行っていた隼人たちの耳にも届いた。
「今、敵襲って言ったよな?」
「船ごと沈められるとも言ったな」
「これって、かなりヤバイんじゃない?」
「 “かなり”なんて言葉が適当かは疑問ね。絶体絶命のピンチってやつよ」
顔を見合わせ、思い思いの発言をしていく彼らだったが、正直なところ彼らはこの放送が何かのジョークと信じて疑わなかったのである。
だが、引率の教員だけはさすがに人生経験が違うのか、普段の態度は何処へと消え去り、真剣な目をして出口を探し始めた。
「急いで避難するわよ!」
先ほどの放送を聞いて既にハンガー内にいた作業員たちは2機の新型VAをクレーンへと移す作業に移っていた。慌しい空気の中、彼らは最初に入ってきた出口に向かった。だが、駆け出した直後に突如として襲った爆発音とそれに付随する振動によって全員がバランスを崩すことになった。
彼らの頭上ではワイヤーによって吊るされた水銀灯が、揺れに対応して天井に叩きつけられるようにして揺らめいていた。船全体を襲ったその振動の直接的原因が何であるかは分からなかったが、その振動によって持たされた事象によって自身らの置かれた現況をハッキリ理解することはできた。
いまだ揺れが収まりきらない中で、どうにか立ち上がる事に成功した彼らはふと奇妙な音が発生している事に気付いた。
先程とは異なるものの、ゴゴゴという余りにも分かりやすい轟音が、徐々に近づいてくる。それは彼らに昔みたパニック映画の一場面を思い描かせた。各々で映画のタイトルは異なっていたが、それは何れも大雨によって引き起こされたりするものであった。認めたくないと言う思いがハンガー内の全員の心境だったが、艦内放送はその思いを一蹴した。
「艦底に着弾!各所で浸水発生!各班はダメコン急げ!」
まさか、と思う前に彼らの足元に迫ってきた海水はたちまち踝付近まで迫り、彼らのパニック度合いは一気に加速した。
「うわぁぁ!」
誰が上げた悲鳴だったのかは分からない。だが、誰しもが悲鳴を上げたい心境であったことは確かだ。
どうしよう!ともかく出口だ!
誰がそう考えたのかは分からないが、一同は一斉に一番艦底側の出口に向かって走り出そうとした。しかし、そこは既に海水が轟々とハンガー内に浸入するための最大の搬入口と化していた。
作業員たちはその光景を見るや否や、ハンガー上部に設置されていたキャットウォークに向かう階段を駆け上がり始めた。彼らの目指す先にはキャットウォークから上部甲板へとつながるハッチがあるのだ。だが、艦内構造に疎い隼人たちにとってして見ればそんな事は瑣末なことであり、ともかくその先に出口があると言うことだけが確かだった。
「行こう!」
フェイが先頭に立ち、作業員たちの後ろを駆けていく。ジェーンがそれに続く。
何とか駐機されているミヤマを見下ろせるだけの高さまで駆け上がった頃だった。
これで何とか助かる!彼らはそんな希望を抱いた。
だが、運命の悪戯か、はてまた悪魔の意思か、彼らの頭上で“ブツッ”という厭な音が響いた。
水銀灯を支えていたワイヤーが船の揺れに耐え切れず、捻じ切れたのである。
高速で落下しているはずだったが、何故か隼人にはそれがスローモーションでフェイに向かって落ちていく様子が見て取れた。必死で名前を呼んだ。
このままでは友人が死んでしまう!
フェイも自分を襲う悪魔に気付いたのか、上を見やる。その顔は驚きと恐怖に固まっていた。
助けたかった!
だが、彼の体はまるで金縛りにでもあったかのように微動だにしない。
頼む!やめてくれ!このままじゃ・・・!思考が最悪の結末を導く。
「やめろぉ!」
ようやっと喉から声が出るのと同時に視界が通常に戻る。だがそれは水銀灯の落下速度も戻るということだ。一直線にフェイを目指して落下した水銀灯だったが、それがフェイに直撃することは無かった。
フェイのすぐ後ろで階段を駆け上がっていたジェーンがフェイの腰を掴み、階段から手すり越しに放り投げたからだ。
一瞬宙を舞うフェイだったが、5mも落下しないうちに水位を上げていた海水面に足から着水する。
ザバン!という小気味良い音と、ガシャンという耳に残る轟音が同時に響く。先ほどまでフェイのいた場所には水銀灯が見事に鎮座し、しかも階段をちょうど塞ぐ形になっていた。さらに悪い事に、直撃を受けた何段かは既に破壊されており、今にも水銀灯は階段をぶち破って更に下に落下しかねない状態だった。出口への道を塞がれ、更に侵入してくる水の中に友人を残した状態では彼らに前進という選択肢は無かった。
「どうすんだよ!」
キムがヒステリックに叫んだが、隼人はそんな彼を無視して海水面に彼の友人を探した。
「フェイ!生きてっか?!」
それは勘に過ぎないものだったが、彼にはフェイが生きている様な気がしてならなかった。5mも上から、流れる水の中に落下して床に頭もぶつけず、普通に生存しているとは余り考えにくい状況ではあったが、彼は先ほどまで感じていた友人の死という結末が遠いたように感じられてならなかった。
その期待にこたえるような憎まれ口が水面から聞こえてきたのは間髪置かないタイミングだった。
「俺をブン投げた教師がそこにいるなら、今すぐ俺がされたことと同じことでもしてやってくれ!」
その聞きなれた皮肉の利いたコメントは、一瞬ではあったものの隼人たちの気持ちを穏やかにした。
「悪いけど、それはここから無事に出れたらにしましょう?今の私たちは出口もなくしてさっきより追い詰められてるのよ」
普段からは想像も出来ないほど真剣なジェーンだったが、その落ち着きぶりは隼人たちに不思議な安心感と僅かな疑問を抱かせた。
「なら何か案でも出してくれよ!こっちは早くもこのデカブツの胴体部に手が届きそうなんだがね!」
下から響いたフェイの声は再び彼らに軍の開発した新型VAを知覚させた。そちらに目を移せば確かに水面はVAの脚部を完全に隠し、ハッチの開かれたコックピットに迫りつつあった。
「 “アレ”しかない、か」
誰が呟いたのかは分からない。だが彼ら全員の総意である事は確かだった。
「この中で泳げない人はいる?!」
ジェーンが全員に大声で問いかけるが、隼人はそんな言葉を最後まで聞いているほど冷静ではなかった。イの一番で手すりを乗り越え海面へとダイブする。
下を見た瞬間、一瞬だけ恐怖が有ったが、飛び出してしまった体をどうこう出来るほど彼に運動神経は備わっておらず、彼は体を丸めて衝撃に備えた。彼はカナヅチではなく流水下においても一定の活動が出来る自負があったためである。そして、その隼人の行為に触発された王とジェーンが続けて海水へと飛び込む。
5mといえばかなりの高さであるが、彼らの脳内に溜まったアドレナリンにしてみればそれはなんら恐怖にならなかった。着水した時隼人は背中から海水に打ち付けられたが、余りの痛さに一瞬意識を失いかけた。事実、後から綺麗なフォームで入水したジェーンが拾い上げてくれなければ流れにもまれて溺死していたかも知れなかった。
「ありがどうございまじた」
「いいえ」
鼻から入った水の所為でまともに喋れなかったが、謝辞だけは忘れなかった。同様にして沈みかけていたワンを救出したフェイはそのまま王を負ぶったままサイフの方へと泳いでいった。しかし、その場に居合わせた民間人の数とこれまでの着水音との間には不足分が一つあった。
「キム!何してんだ!早く飛べ!」
復活した直後、着衣の上に立ち泳ぎで、早くも新型VAの近くまで来ていた隼人が未だ階段の手摺を掴んだままのキムを急かす。
「出来るものならもうやってるよ・・・」
水面を見つめ、飛び込まんとするばかりの威勢を感じさせる上半身とは裏腹にその足腰は遠目から見てもハッキリと視認出来るほど震えており、彼が極度の水恐怖症ではないかと思わせた。
「キム!お前学校でちゃんと水泳の授業出てただろ!早くしないとその階段だって崩れるかもしれないんだぞ!」
サイフに張り付き、コックピットへのハッチに手をかけた状態のフェイが隼人についでキムを叱責する。
「海は、・・・海は駄目なんだ!」
「大丈夫だ!確かにこれは海水だけど、ここ自体は海じゃない!せいぜい水深4・5メートルだ!」
「そうよ!溺れそうになってもみんなで引き上げられるし!キムくん、大丈夫だよ!」
「そこにいたらまた上からなんか降って来るんだぞ!飛べ!」
自身の弱点を今更ながらに告白するキムに対して、皆から励ましと叱責が飛ぶ。
だが、その声に対してキムはひたすらに「無理だよ」を繰り返し、ついにはその場にうずくまってしまった。既に水位はVAの脚部を越え、胴部へと差しかかろうとしていた。目の前に新型VAのコックピットが迫っていた隼人はついに一大決心をした。
「キム!分かった!俺が今からこいつでお前を迎えに行くから、そこをそのまま動くんじゃないぞ!」
決断からの彼らの動きは素早かった。
ジェーンが既に手をかけていたVAのコックピットに懸垂の要領で乗り上がると下で立ち泳ぎをしていた隼人を引き上げる。びしょ濡れの二人だったが、シートが汚れるのも何のそのでコックピット内部に進入していった。隼人はVAのコックピットに入るのは始めてだったものの、VAの基本的な操作はVSと同一であり、且つ彼のPCにある軍事画像の中にあったVAコックピット画像による、いわゆる妄想というシミュレーションのおかげで、なんら操縦に不安を覚えなかった。
「いける?」
だが流石に後ろに自分よりVSに精通しているであろう人物がいるという状況下で好き勝手をするほど彼は子供ではなかった。すぐに場所を代わろうとしたが、ジェーンはそれを押し留めた。
「この狭い場所で悠長に交替しているのは時間の無駄よ。あなたもこれくらいの機体なら何とかなるでしょ?」
最後の言葉に自尊心をくすぐられた隼人は直ぐ様計器類に向き直った。
「・・・計器と操縦系統は日華産業製のコックピットの規格と同じですし、起動キーもささったままです。後は燃料が有るかどうか・・・!」
起動ボタンに指をかけ、一思いに押した隼人だったが彼の心配は完全に杞憂に終わった。ピッ、と間の抜けた音が響くと次の瞬間には足元から超伝導モーターの振動音が響いてきたのだ。更にそれと同時に、目の前のディスプレイに次々と光が宿り、真っ暗であったはずのコックピットは様々な色の光に照らされる事になった。
「すげぇ!これマジですげぇって!」
隼人はもはや感情の高ぶり過ぎで明確な意味を成さない言葉を繰り返すだけだった。しかし体は習慣であるチェックプログラムを走らせ、各部に損傷が無いかの確認を行っていた。サブモニターに次々に表示されていく情報を矢継ぎ早に見ながら機体状況を確かめる。
「各部に損害なし。バッテリー残量95%で活動限界までは約3時間。メモリ使用量45%でフリーズなし。アドミン設定でアクセス権限も確保。・・・活動に問題なし!」
振り返り、教師に確認を求めた隼人の目はまるで子供のように輝いていた。そして、そんな隼人に答えるジェーンもまた母親のような目をしていた。無論、彼らは自身らの置かれている状況を十分に認識していたし、友人が今にも溺れそうな切羽詰った事態にあるという事も分かっていた。だからこそ彼らは自身の感情表現をそこまでに留め、即座にキムを救うための行動を開始した。
「フェイ!気を付けろよ。動くぞ!」
そう言って彼は第一歩を踏み出そうとした。だが、フットペダルを踏み込もうとした瞬間、その行動はジェーンによって制止させられた。
「何でですか?!」
良いところを邪魔されムッとした隼人がジェーンを見やる。すると彼女は機体状況を示すサブモニターを指差した。
「減点一ね。この機体は船のハンガーにチェーンで物理的に繋がれてるのよ。今動かしたら機体損傷もしくは搭乗者が負傷するわ」
冷静に告げるジェーンに対して隼人はぐぅの音も出なかった。
「でもそれじゃあ俺ら動けないままじゃないですか?!」
驚きと怒りで興奮していく隼人だったがジェーンはそんな彼をなだめすかしていった。
「落ち着きなさい。こういったハンガー式の格納庫を有した船なら、チェーンぐらい艦橋から遠隔操作出来るようになってるわ。通信を繋いで事情を話せば直ぐにロックを解除してもらえる筈よ」
話を聞きながら隼人は既に無線機をいじり、回線を変更しようとした。しかし、またしてもジェーンはそんな隼人の行動を制止した。
「待って。オープンだとこっちを攻撃している連中にも聞かれるわ。この周波数に設定しなさい。PREFの軍広域帯に繋がる筈よ」
隼人は、テンキーに数値を打ち込むジェーンがどうしてそんな無線帯域を知っているのかを考えたが、そんな考えは一瞬で吹き飛んだ。
『こちら第2班!敵は合計3機のゼオンタイプネイビー!現在対戦車ミサイルとバレットで散発攻撃を実施中!遮蔽物が無く此方の損傷大!繰り返す!敵は、グァァァ!』
広域帯故に一瞬響いた混線は隼人の精神に一発で多大なショックを与えた。
「先生、今のって・・・」
「そこから先は考えちゃダメよ。今あなたがしなきゃいけないのは、機体のロック解除とキム君を助けることよ」
続けようとした隼人を遮り、ジェーンはゆっくり且つはっきり告げた。まるでこういった状況を幾度も掻い潜ってきたかのような口ぶりに、隼人は疑問より先に安心感を覚えた。
「分かりました。・・・こちらは東洋丸ハンガー内新型VAコックピットです。東洋丸艦橋、聞こえますか?」
はっきりとした英語で無線に呼び掛けた事が良かったのか、混線が幾度と起こる広域帯であるにも関わらず目的の場所は直ちに返答を返した。
『こちらは艦長の高野だ!そこに、ガルーダには誰が乗っているんだ?!』
あまりに興奮したのか母国語である日本語が飛び出した高野に対して隼人も日本語で返した。
「東高工大付属の高校生が一名、後ろに引率教師も居ます。艦長、急な話ですいませんがハンガー内のVA拘束ロックの解除をお願いします」
『何?!君はそいつを動かすつもりなのか?!』
「友達がハンガー内部で溺れかかってるんです。もう水位もこのVAの胸元近くまできてます。こいつを使うのが一番早いんです」
『ちょっと待っててくれ!こちらも敵勢力との交戦で既に手一杯なんだ!直ぐに折り返す!』
一方的に切られた通信は事態進展に何の効力も示さなかった。
どうしよう。このままじゃキムは溺れて挙げ句に俺たち自身もVAごと沈んじまう。
こうなったらロックを引き千切って強攻にでるか、と物騒な考えが頭の中で鎌首をもたげた直後に再度通信が入った。
『高野だ。これからガルーダのロックを解除する。但し条件として今この場で“自分はPREFに志願した第17期士官候補生であり、民間人ではない”と宣言して貰えないか?それが絶対条件だ』
「軍人が乗ってる事にするって事ですか?」
大方、さっきジェーンと原が言い合っていたマスコミ対策といったところか。よくもまぁこんな状況でそんな事を考えられるものだ。
『そうだ。君には悪いがあくまでも最悪に備えた保険だ。許してほしい』
「分かりました。じゃあ言いますよ。あ、因みに方面は何にします?インド洋で良いですか?」
『いや、太平洋だ』
太平洋方面軍がなんでインド洋上で新型を試験するんだよ、と内心で突っ込みを入れつつ隼人は自身の運命を変える一言を発した。
「自分はPREF士官学校第17期所属の高槻隼人であります。太平洋方面軍にて研修任務中、この度の事態に遭遇し止むを得ず新型VAに乗り込みました。任務続行のため、ここに現地指揮官たる高野艦長に新型VAのロックの解除を申請します!」
どうにでもなれと彼は予定外の設定を付け加え大声で軍人の物真似を演じた。高野も直ぐ様それに併せた対応をした。
『こちらは東洋丸艦長の高野である。高槻訓練生に現行任務続行のため、新型VAガルーダの操縦権限を与え、同時に同機の拘束を解除する』
その声とほぼ同タイミングでサブモニターの文字が“LOCKED”から“UNLOCKED”へと変化する。
では、と気を取り直して隼人はフットペダルを思いっきり一歩踏み込んだ。
ガコン、という何かが外れる音が響き、メインモニター上の映像が変化する。
彼のVA初搭乗における一歩目は、なんとも味気ないものであった。
「これ本当に前進してんですか?」
民生品であるVSでの操縦に慣れている彼にとって軍用であるVAのコックピットバランサーの性能は優秀過ぎたようである。振動も何もない快適さが却って恐ろしい。
「心配しないで。きちんと前進してるわ。水圧にも負けてない。さ、早くキムくんを拾い上げましょう」
ジェーンが後ろからそっと呟く。その声に何か妖艶な響きを感じた隼人は自分ならこれ位の事などどうにでもなる、といった気持ちに駆られてきた。
「じゃあ、機外スピーカーをオンにしとくわ。あなたは操縦に専念しなさい」
そう言ってジェーンが隼人の肩越しに手を伸ばす。その手がスピーカーをオンにするのと同時に無線のスイッチをオフにしていることに隼人は気付いていなかったし、そんな余裕も無かった。彼にとって重要だったのは一歩ずつ慣れない機体を旋回させながら前進させ、一瞬でも早く機体特性を掴むことだった。
本来なら、機種転換のための訓練には数日から一週間程度の練成期間が必要となる。
だが、隼人は自分自身も驚くことながらその場で初めて乗ったVAの機体特性を徐々に掴みかけていた。
「こいつ、かなり出力がピーキーだな。フットペダルの踏み方がちょっと違うだけでこんなに違う反応になるなんて・・・」
ぶつくさ独り言が出るが、その内容にジェーンは心底驚いていた。通常の兵士であっても、乗り慣れた機種以外のVAに初めて乗ってそこまでの感想を抱ける者なんて、そうそういるものではない。大体の人間は感触の違いに戸惑うばかりで具体的な感想など持ちようがないのだ。
そうだと言うのに、目の前の少年は既にそういった機体の癖を掴みつつ如何に慣らしていくかという事に腐心し始めている。
やはり自分の予見は正しかった!
そう歓喜したがっていた女史の前では隼人は既に階段にしがみつくキムの目前にまで迫っていた。
「キム!聞こえてるか?今から手を伸ばすから、そこに掴まれ!出来るな?」
機外スピーカーからはキチンと出力がなされているらしく、キムは首を何度も上下に振り、自身への救いの手を待った。その様子を確認した隼人は、マニュピレーターによる繊細作業を行うために用意されているモーショントレーサーを装備した。
「軍用VAとは言え、さすがに手先がある機体ならコイツも装備されてるってわけか。どこまで至れり尽くせりだよ」
ひとりごちながらも、手馴れた様子でトレーサーを手に装着する。グローブと肘当てがくっついたようなトレーサーは自身の手の動きを機体のマニュピレーターに正確に反映させることの出来る装備である。
無論、マニュピレーター本体と手先では大きさが異なるため、mm単位の作業は不可能であるが、人を乗せるといったデリケートさが要求される場面では重宝する。
現にモーショントレーサーモードで伸ばされたマニュピレーターによって無事にキムはガルーダの手のひらの中へと無事に納まった。
「よっしゃ!」
実習でもここまで上手くいった事はないくらいの繊細さを発揮することが出来た。
なにせ周囲は流水、初搭乗の機体で震える人一人を救い出せたのだ。しかし、すぐに目の前に新たな問題が出現したことに彼は気付かされた。
「先生、どうしよう。これ以上ここに人が入る余裕なんて・・・」
「大丈夫よ。まだサイフのコックピットには人が入る余裕があるわ。あちらに引き渡しましょう」
ジェーンの冷静な言葉をすぐに受け入れた隼人はすぐに機外スピーカーに声を吹き込んだ。
「わかりました。・・・フェイ!これからキムをそっちに渡すから、3人でサイフに入ってくれ!」
相変わらず立ち泳ぎを続けるフェイは両手で大きな丸を作り、同意の意を示した。
よし、と思うのと同時に隼人は機体を旋回させ、再び前進する。今度はひと一人が腕部に乗っていることもあり、先ほどよりも繊細に進む必要があったが、既に機体特性を掴みつつある彼には何ともないことであった。
既にフェイも艦橋と連絡をつけたのであろうか、隼人の機体がサイフの目の前に来た時には既に駐機用のチェーンは外され、向こう側の受け入れ態勢はほとんど大丈夫だった。再びモーショントレーサーを装備し、慎重にキムをサイフのコックピットへと誘導する。
下の水面に眼をやる度、何かをグッと堪える様な仕草をしていたキムであったが、目の前に現れたサイフのコックピットを見るや、すぐさまそちらへと移乗を果たした。
「・・・これで良し、と」
モーショントレーサーから手を外した隼人はとりあえずの一段落にため息を出した。しかし、彼らの置かれた状況が根本的に解決したわけではない。
依然として格納庫の中には水が押し寄せ、東洋丸自体が沈む可能性が一段と増している。VAの機体にある程度の耐水性能はあるにしてもいつまでも水の中に潜っていてはいずれコックピット内に浸水があるか、あるいは酸素が尽きて窒息だ。
目の前に存在したキム救出という目標が消失した瞬間、彼は自分の置かれた状況自体がそもそも深刻であることを再認識した。
この場にいるのはマズイ。それは確かなことであったが、かといって外に出るにしても一体如何する?隼人は八方塞の様な気分に陥った。
そんな中、彼はまたしても後ろからの声に答えを見出した。
「折角これだけの装備がある機体が手元にあるっていうのに・・・私たちは何も出来ないの・・・」
口惜しそうに呟いたジェーンの声を聞き、隼人は即座に火器管制を司るサブモニターに目を移した。トップ画面に表示されていた各種武装の最上部に位置したのは『24式50口径155mm試作電磁投射砲』であった。
魅入られたように隼人はそのままその項目の詳細を表示させていた。
様々な数値が羅列表示されていく中、隼人の目を引いたのは、『初活力:45MJ』という数値だった。
「45メガジュール?!何だよその化け物じみた数字は?!」
戦車の用いる装弾筒付翼安定徹甲弾《APDSFS》の平均的な初活力は、15MJ程度だ。つまり、通常砲弾の3倍の威力という事になる。
尚APDSFSの貫通力は2km先の通常装甲板320mm弱を貫通する。
すなわち、「こんな商船仕様の外装なら簡単に抜ける」
ジェーンの呟いた一言がすべてだった。
「えぇ。そうなりますね。・・・フェイ、聞こえてるか?これからコイツで船の上甲板をぶち破る!亀裂が発生したらそこをこじ開けるから手伝ってくれ!」
『分かった!』
通信を使おうにも周波数帯の分からなかった隼人達は原始的にスピーカーを用いたコミュニケーションを行なわざるを得なかった。
「よし。設定はこれで問題ない」
使用する武器をサブモニターで選択して、メインモニターに表示される上甲板を目標入力する。射角を自由設定する都合上、メインモニター上のロック表示はなされなかったが、それでもハッキリと照準は上甲板のど真ん中を指していた。
後は引き金を引くだけ、という段階になって隼人には一瞬の迷いがあった。
このまま引いて良いのか? 軍人でも何でもない俺が?
「大丈夫よ。これは生きる為に必要な行為なの。貴方が心配する事なんてないわ」
そうだ!生きる為に必要なんだ!ならば怖がる必要なんてない!
「行くぜぇ!」
自身を鼓舞する為、彼は腹の底からの咆哮を上げ、彼の乗る巨人はその脇に抱えた筒から一発の爆炎を上げた。
それはまるで一発の雷の様であった。
腰溜めの状態から放たれたアルミニウム加工の特殊プラスチック弾頭は、秒速2.5㎞というロケットよりも速いスピードで、比喩では無しに空気を引き裂いて飛び出した。余りのスピードと電圧に、加工用のアルミニウムは一瞬のうちにプラズマ化して、砲口からあたかも火炎放射器の如く噴炎を上げる。そして、弾本体は青白い残像を隼人たちの網膜に一瞬だけ刻み付けるのと同時に、上甲板の中央へ直撃した。
甲板上にいる人間たちにしてみれば、その突然の出来事は遥か西方の地で伝わる怒れる海神の鍬を思い出させた。
「トライデントの一撃ってやつか?」
柄にも無く詩人のような事を呟いた、と隼人は自重しながらも、崩れてくる上甲板を掻き分けながら、何とか亀裂を広げてVAが通れるだけのスペースを確保しようとしていた。
『隼人!いっそこいつを突っ込んでみたら何とかならないか?』
そう言ってフェイが出したのは崩れた上甲板の一部であった鉄骨だった。
「ようし、やってみようぜ!」
その言葉を聴くや否やフェイのサイフは槍投げのような格好を取り、亀裂に向かって鉄骨を突き立てた。ガン、という鈍い音が幾度も船倉内に木霊する。
そしてその瞬間はすぐに訪れた。
ガン、という鈍い音に次いで今度は上甲板上に積んであったコンテナが音を立てて亀裂へと落ち込んできたのである。次々と船倉内の水面へと落下していくコンテナによって亀裂は一瞬にしてVA2機が楽々と通過可能なものへと広がった。
無論、それだけの数のコンテナが落下した衝撃は船にとってその沈降スピードをいっそう拡大させるものでしかなく、太陽が仰げるようになった船倉内の海水面は、更なる上昇を遂げていた。
「ここにいちゃマズイ!俺が先に飛び出すから、フェイは後から付いて来てくれ!」
それだけを告げると隼人はフェイの返答を待たず、亀裂から外へ向かってプラズマスラスターの推力を目一杯に引き上げて飛び出した。
同時刻 ゼオン(オニール機)コックピット内
ランディー・オニールは突如として目標船舶内部から飛び出した青白い光に驚くしかなかった。
『レーザー兵器か?!』
『いや、光線が一瞬しか出ないなんて事はない!あれは別の何かだ!』
その驚きは当然自分だけの物ではなく、同様の場面を目撃していたエップスやトムもであった。
「全機、対象アルファから距離を取れ!アイツに狙撃されたら一巻の終わりだ!」
当然、あの試射の次の標的は自分たちだろう。戦術的に考えれば、接敵して対象VAが格納されているであろうあのコンテナ船を沈めるのが正しいのだろうが、部下を死なせないことをプライオリティに置いているオニールにしてみれば、その戦術は余りに危険だと思えた。
どの道、あの船は先ほどから幾度も106mmで横っ腹に何発も穴を開けてやった。
沈むのは時間の問題だ。せいぜい自分らはそれまでの時間潰しとして先程からやかましく無駄な抵抗を続ける島の歩兵集団を叩くことに専念するとしよう。
「各機、散開して残敵の掃討に当たれ!バレットには十分気をつけろ!」
『『了解!』』
目の前で36mmチェーンガンによってミンチにされていく歩兵たちの映像を見ながらオニールは一刻も早く船が沈むことを祈った。だが、彼の安寧を願う祈りは、目の前の船の甲板上のコンテナのごとく、一瞬にして崩れ去ることになった。
粉塵の巻き上がる中から、まるで海神のような深々とした蒼に彩られた一機のVAが空と海の狭間に浮き上がってきたのである。
「あれが、PREFの新型機・・・」
軍人としての本能は任務続行を必死に訴え続けていたが、人間としての彼はその光景のあまりの美しさに思わず一瞬の忘我に陥った。
『・・・小隊陸曹!指示を!』
トムの声がなければもっと長い間惚けてしまっていたであろう。
自分の目標を再び頭に思い描いたオニールはゆったりと滞空している目標に対する戦術を次々に思い浮かべた。そして、もっとも単純且つある種本能的な手段を選択した。
「・・・全機、対象VAに対して一斉射!火力で圧倒する!」
『『了解!』』
返答よりも早くエップスのゼオンのグレネードから106mm榴弾が、トムの機体のチェーンガンからは36mm対装甲用焼夷徹甲弾が飛び出し、対象VAに向かって殺到する。無論、自身の機体も36mmチェーンガンを選択し、引き金を引いている。
これで、やつは蜂の巣だ。
主目的である鹵獲は適わなかったが、それでも部下の命を失う事にならずに済むだけで相当の儲け物だ。オニールは内心でほっと一息をついた。
ガルーダコックピット内
『機体がロックオンされました』
機内に響いた警告音とほぼ同タイミングで、メインモニター上に写る全てのゼオンがこちらに対して一斉に全砲門を向けてきた。ヤバイ、と感じる前に全ての砲口からマズルフラッシュが炊かれ、隼人たちは一瞬にして生命の危機に晒された。
どうするかを考える前に、弾丸が機体に着弾して、どうすることも出来ないままに自分は短い人生を終えるのだ。
隼人がそれだけの事を思いつき走馬灯を見かけた瞬間、機体にセットされた自動回避行動プログラムが機体管制を掌った。
『オートアドボイダンス、エマージェンシーモード』
正面から迫り来る徹甲弾や榴弾の雨に対し、回避プログラムの選択した最良回避行動の第一段階は、空中から地上への強制着地だった。即座に後背部のプラズマスラスターが上を向き、最大出力で一斉に噴射される。固体高分子形燃料電池から供給される450kwの電力を全てスラスターにまわすことによって得られる推力はマッハ0.5に達する。それは、機甲兵器として設計されているVAとしてみれば破格の数値であった。その常識外れの機動は、ゼオンのパイロットたちに一瞬ガルーダが消えたのかと思わせるのに十分だった。
ガルーダには垂直上昇・降下能力が備わっていないため、機体の降下には前後どちらかのベクトルが加わる。東洋丸を飛び出し、島の陸地上まで飛行していたガルーダは高度20mから一瞬のうちに接地し、惰性のまま一機のゼオンへと肉薄した。
誰もがガルーダには瞬間移動の能力があると思わせるような事態だった。
一瞬だけ4G近くの衝撃が襲った隼人だったが、それよりも驚いたのは死にかけた直後にメインモニターの映像が銃弾からその発射母機に切り替わっていたことだった。
「・・・何がどうなってんだ?」
それは当然の反応だったが、後ろにいる教師にしてみればそんな悠長なことを呟いている余裕はないようだった。
「何してるの?!直ぐに撃ってくるわよ!目の前の機体に攻撃して!」
「攻撃って言っても、一体どうしろって」
すぐさま火器管制モニターに目をやった隼人は、レールガンの下に表示された一つの項目を見つけた。こいつを使えばなんとか、そう考えるのと項目選択を行ったのはほぼ同時だった。
『|近接戦闘用戦術化学レーザーメス照射システム《TLS》』
そこには、確かにそう記載されていた。
武装選択後、隼人はメインモニター上に表示されるゼオンとの距離を一層詰め、敵機体中央部に表示されたロックオンカーソルにしたがって引き金を引いた。
コックピットからの電気信号を受け取ったレーザー照射システムは共振機内に充填しているフッ化重水素に電力を投入し、誘導放出によって小さな小さなレーザー光線を生成した。その光は共振機内に配置された二枚の反射鏡を、文字通り一瞬のうちに数万回と移動し、そのエネルギーを増幅させていった。
人間の目にして見れば何もない空間に光が一瞬で誕生したかのように見えただろう。そして一定値まで増幅した光は、反射率を調整された反射鏡のうちの一枚を透過し、通過線上にあるゼオンに対して一直線に向かっていった。
150Kwの出力を誇るレーザー光線の光エネルギーは、ゼオンの表面装甲である金属の自由電子に吸収され、装甲面の一点を瞬時に表面から溶融させていった。
この時、通常では考えられないほどの高出力、かつ収束された光線は単に表面一点を溶解させるのみならず、蒸発した気体金属の強い反挑力により溶融金属を押し広げ、キーホールと呼ばれる小さな穴を形成していった。
当初はごく小さく浅いものであったはずのキーホールは一瞬のうちに深化していった。装甲表面からは溶解した金属が次々と蒸気として放出される。そして厚さ30mmの装甲板は、レーザー接触から1秒と経たずにその任を果たせなくなった。
装甲板を貫いたレーザーはそのまま直進した。その進行上にゼオンの動力源である燃料電池の燃料極たる水素充填タンクがあることなどはお構いなしだった。
タンクを構成する鋼板が装甲板より厚い訳はなく、レーザーの進行を妨げるものではなった。通過と同時に亀裂を発生させたタンクからは液体水素が噴出し、外気に触れることで続々と気体化していった。そして気体化した水素は外気中の酸素と結合し、強力な爆発物と化した。
蒸発した装甲板の金属が持つ熱、レーザー光線が本来持っている熱、これらがその爆発物を逃すわけはない。
最初は軽いパンッ、という音だった。
しかし、その音を聞いた瞬間に隼人とジェーンは本能的にまずいものを感じた。
「離れて!」
ジェーンが叫ぶよりも早く隼人はガルーダを90度旋回させ、即座にスラスターを吹かした。再びコックピット内の彼らに対して強烈なGが掛かるが、今度は水平移動のみであり移動することも承知だったため、さして負担に感じるほどではなかった。
むしろ彼らが驚いたのは、彼らが離脱した直後に後方からバン、という爆発音とも破裂音ともとれない音が響いてきたことだ。
ゼオン(オニール機)コックピット内
何が起こったのか、彼にはまったく分からなかった。
突然ロックオンされていたはずの目標がモニター上から掻き消え、同時にエップス機の直前に出現したかと思えば、真っ赤な光で機体を貫き、そしてエップスの脱出がコールされないまま、ゼオンは爆発炎上したのだ。
『パープル3!エップスさん!応答してください!』
無線上ではトムが必死に呼びかけを続けていたが、一連の出来事を見ていた自分には脱出の光景がモニターに写っていなかったという事実をはっきりと認識している。
奴は、・・・死んだのだ。
『応答してください!パープル3!』
「パープル2、やめろ!時間の無駄だ!対象から目を離すんじゃない!」
こみ上げるエップスの思い出を押し殺し、オニールは目の前の目標に集中していった。対象、いや、あの敵はエップスをあの赤い光刃で貫き、急速離脱をした後の動きはまだない。
どうする?中長距離ではあの青白い光があり、至近距離では赤い光がある。さらにあの常軌を逸した機動も脅威の増大要因だ。あの機体に対していったい何が有効な攻撃なんだ?
オニールは自問し、ある答えを導き出した。
「・・・パープル2!これから俺があいつに接敵をかける!お前は距離をとれ!」
『え?強行接敵ですか?なら自分が、アタッカーを勤めます!』
「バカヤロウ!命令だ!黙って聞け!いいか、俺がダメになったらすぐに西に経路を取って行ける所まで行け!ヤバいと思ったらエジェクトしても良い!」
『曹長!それってカミカゼ・・』
一方的に通信を切ると、オニールは突進をかけた。要は時間稼ぎだ。自分が囮となって時間を稼ぐ。そのうちに奴が逃げれるだけ逃げてエジェクトすればとりあえずこの場は生き残れるだろう。
土台無理な話だったのだ。あんな武装を兼ね備えた機体に既存の、それもオールドモデル3機如きが挑んだところで結果は見えていたに等しい。
「だが、こちらにも意地はある。若者一人、逃がさせてもらうぜ!」
ガルーダコックピット内
一機のゼオンがこちらに対して接近して来た時、隼人は正直何を考えているのかが分からなかった。
「ショートレンジでこっちが有利と分かっているのに、どうして近寄って来るんだ?!」
正直なところ、彼にこれ以上戦闘を持続させる意識はなかった。自分は軍人ですらないのだ。向こうが逃げ出さないならこちら側が逃げ出したいくらいなのだ。
「・・・どうしろってんだよ」
俯きながら呟いた一言に答えてくれる声がその場になければ、彼はエジェクトボタンに指をかけていたかもしれない。だが、その場には彼以外にもう一人の人間がおり、その人間にしてみれば今後の方向性は明らかだった。
「降りかかる火の粉を放ってはおけないわ。・・・大丈夫、どこに居ても相手の攻撃は当たらない。相手がどこに居ても貴方の攻撃は当たる。負ける訳は無いわよ」
何故だろう。心の中で何かが違うと叫んでいても、耳元で聞こえてくる妖艶な声を聞いていると自然と目の前のモニターに映る敵影があたかもゲームの一場面のような感覚に陥ってくる。
「さぁ、目の前に集中して。あの敵を倒すことだけを考えなさい。これは貴方のための、貴方の戦いなの。他の事は何も考えなくて良いのよ」
「俺のため?」
「そうよ。貴方が生きるための、目の前の敵を倒す、それだけで良い簡単な戦いよ」
そうこうしている内に、敵影は徐々に接近してくる。手にはチェーンガンを構えている。このままでは敵が撃ってくる。そうなればこちらはダメージを受けてしまう。
ならどうする?避けるか?いや、それでは根本的解決にならない。
「じゃあ、貴方はどうする?」
そんな分かりきった事を聞くまでもない。
「・・・敵を倒します」
サイフタイプπコックピット内
「なぁ、どうするんだよ?」
先程から何度目になるか分からないキムの不安そうな声に、フェイは苛立ちを隠せなかった。
「うっせぇな!少し黙ってろ!」
後ろの声に惑わされず目の前のモニターに視線を移したいフェイだったが、キムは黙ることで自身の寿命が減るとでも考えているのか、再びその口を開いた。
「先から外で銃声とか爆発音がしてるんだぜ。これってやばいんじゃないか?早く逃げようぜ」
「そんな事ぁ誰でも分かる!だからって外に出てけば俺らもその銃声に巻き込まれるかもしれないんだぞ!」
「でも、ここに居続けたって水に沈むだけだろ!もうコアパーツだって沈みかけてるじゃないか!」
「訳の分かんねぇ奴だな。水が怖いからって爆発音やら銃声がしてる中に飛び込んで行こうってか?!バカは黙ってろ!」
「何?!もう一回言ってみろよ?!」
後ろからキムがフェイに手を上げようとした瞬間、両者の頬が一間隔刻みでバシッという小気味良い音と共に衝撃に襲われた。
「二人とも少し落ち着いて」
コックピット内唯一の女性である王が男二人の言い争いに対して堪忍袋の緒を切らしたのだ。まさかの人物からの実力行使に驚いた二人だったが、ワンの真剣な表情を見ると自分達がどれだけのヒステリーを起こしかけていたのかに気付かされた。
「騒いだところで事態は解決しないわ。私たちは運命共同体よ。まずは冷静に状況を見つめなおしましょう」
ワンは二人の顔を交互に見ながら再び口を開く。
「船外に飛び出すにしても、此処に留まるにしても、リスクは存在するわ。問題はどちらが低いか、という事よ」
ゆっくり区切るように告げるワンだったが、キムもフェイもそれに茶々を入れる気にはならなかった。
「此処に留まる事に関するリスクはすぐに分かるわ。海水が今どれ位の高さにあって、後何分で私たちを沈めてしまうのか、あるいは何分で船が沈むか、という事よ。でも私たちは外に関する情報を全く持っていないわ。爆発音や銃声がしたところでそれが果たして誰の物であり誰に対して向けられているのかは不明のままよ。その点に関する情報が分からない限り外に出る事に対するリスク計算が出来ない。なら、私たちがすべき事は?」
「情報収集、って事だな」
ワンの言葉をそのまま引き継ぐように滑らかな返答をしたフェイは何故か口元に笑みを浮かべていた。
「で、具体的には何を?」
疑問を呈したキムは自身の中に蠢く漠然とした不安が見事に顔に表れている事に気付いていなかった。
ガルーダコックピット内
向かってくるゼオンに対して隼人がとった行動は至ってシンプルなものだった。
左手を前方に向かって突き出す。それだけだ。敵が余程の馬鹿でなければその行為に重要な意味があることは理解できるであろうし、回避か何かしらの行動をとるだろう。
だが、この場合において敵はそんな行動を一切とらなかった。
「猪突猛進だと?!何考えてやがる!」
隼人は敵との距離が30mを割るかというところで再びTLSを起動せざるを得なかった。といっても、今回の目標はコアパーツではなかった。
接近してくるといっても目標が水平に移動している訳ではない。何かしらのブレがある以上、同一点への攻撃はかなり難しくなってくる。なら光線が当たった瞬間に敵の戦闘継続を不可能にするような一撃を与える必要が出てくる。となれば狙うべきポイントは自然と限られる。
即ち、頭部である。光学式レンズをはじめとする各種センサー類が密集している部位を潰せば確実の敵の動きを止める事が出来るだろう。
その答えは半分正解であり、半分不正解であった。確かにヘッドパーツに直撃したフッ化重水素レーザーによってゼオンの知覚とも言うべきセンサー類は尽くその機能を消失する事になった。だが、かといって機体そのものが停止するといった仕組みにはなっておらず、モニターに映る敵影は徐々に拡大していった。
「センサーが潰されて前に進むしか出来ないってのに、一体てめぇは何なんだよ?!」
半ばやけっぱちになった隼人は、急接近して来た敵に対してガルーダを垂直になるような位置へと移動させ、ちょうど目の前に来た時点で足掛けを行った。
ただ単に前進することしか出来ず、さらには止まる為の情報もない敵に対してこの攻撃は非常に有効であった。前のめりに倒れこんだ相手に対して隼人は今度こそ止めを刺そうと、TLSを敵機背面から照射しようとした。
しかしその時だった。レーダー画面が急にアラートを告げたのである。
「別動機?!逃げ出したんじゃねぇのかよ!」
アラート音の元は背後から急速接近するもう一機の敵影だった。
『オートアドボイダンス、エマージェンシーモード』
またしても機体管制を掌握した自律回避プログラムによってガルーダはその場で90度右回頭し、スラスターを吹かした。
畜生!あと少しで一機仕留められたってのに!
3度目のGに対して隼人は既に慣れを見せ、舌打ちをしていた。
ゼオン(オニール機)コックピット内
「トム!逃げろ!こっちに来るんじゃない!」
レーザーによって破壊されたゼオンのレーダー装置の中で、唯一生き残った振動センサーが伝える音紋は、間違いなくもう一機のゼオンが接近してくる音だった。
思わず、オニールはマイクに怒鳴れるだけの目いっぱいの音量で叫んでしまった。
『曹長!自分は一人で帰るなんて御免です!せめてあなただけでも!』
若者ゆえの正義感か、はたまた映画の見すぎか、彼には判断がつかなかったが、トムの判断が間違いなく過ちであったであろう事だけは分かった。
「バカ言ってんじゃねぇ!今すぐ反転しろ!これは命令だ!パープル2!」
『お断りします!』
こちらの言葉を一刀両断したトムはそのまま通信を途絶した。
空調音のみが響くコックピット内でオニールは咽び泣くしかなかった。
それが悲しみの涙であるのか、悔しさであるのか、あるいは一抹の嬉しさだったのかは彼にも分からなかった。その一瞬後、自分の機体の横で何か大きなものが弾けた様な音がしたが、任務に失敗した彼にはもはや関係ないことだった。
ガルーダコックピット内
突如出現した増援に対して隼人は恐れではなく苛立ちを感じていた。
「いまさら一機で何を!」
倒れこんでいた敵を庇うかのようなポジションに陣取った敵増援に対して、隼人はなんら迷うことなくガルーダの武器管制を再度24式電磁投射砲へと切り替えた。
それも機体管制がいまだ自律プログラム制御下の移動中にである。もはや彼はガルーダを自身の手足のように使っているといっても過言ではないレベルに近づいていた。
「これで終わりだ」
機体管制も自身の手元に復帰し、ロックオン操作が可能になった段階で既に彼は勝負の行方を想像出来ていた。ロックオンカーソルの色が未確定の緑から確定の赤に変わった瞬間、彼は引き金を引いた。
そこには何の感慨も無かった。
それは彼の操作する機体も同様であり、ガルーダは目の前のゼオンに対して何の感情を持つことも無く、自身の持つ人類最速の砲を発射した。
発射とほぼ同時にゼオン胴体部に弾着したプラスチック弾頭は、停止状態なら弾かれる筈の装甲を物ともせず、まるで紙切れのように通過して行った。その経路上にはコアパーツのコックピット部分があり、その中にいたトム・デイヴィス3等海軍軍曹の肉体も同様であった。
直径155mmのプラスチック弾は彼の肩から先を一瞬で吹き飛ばした。
彼にとって幸いだったのはプラスチック弾の擦過が一瞬であったことと、自身の負傷と同時に自機のジェネレーターが吹き飛んだことであった。これによって彼は人類の中で最強の部類に入る砲弾に貫かれたにも拘らず、何の苦痛も無く、その生涯を終えることが出来た。
一機が吹き飛んだのとほぼ同タイミングで隼人は地面に倒れるもう一機に照準を合わせていた。
これで完全に終わりにするんだ。
そう心に呟いた隼人は再び引き金に添えた指に軽く力をこめた。
またしても彼の思いは一瞬で達成された。
ランディー・オニール海軍曹長が乗っているゼオンもまた胴体部を貫かれ、燃料電池に充填された水素が爆発する事により粉微塵に吹き飛ぶ事になったからだ。余りにもあっけない人の“死”という事実をも打ち消すような紅蓮の炎が一瞬だけ南の島に瞬いたが、隼人にそれを自覚するだけの余裕はなかった。
「終わった・・・。やっと」
それだけを呟くのがやっとだった。
極度の緊張状態が持続したため、彼の意識は緊張の糸が切れた瞬間にそれこそ糸を切らしたかのようにブラックアウトしていった。その様子を後ろから見ていたジェーンもまた、初めての実戦に興奮を隠しきれていなかった。
「すごい!すご過ぎるわ!初めての機体なのにここまでポテンシャルを引き出しているなんて!」
彼女の興奮は冷めるところを知らず、狂喜と呼んでも良い位だった。
「これなら、計画を一段階進めてもなんら問題なんてないわね。あぁ、なんて可愛らしいんでしょう」
安らかに寝息を立てる隼人は自身の運命が今日という日を基点に変わっていくとは想像だにせず、ただただ疲れた体を癒そうとしていた。そしてその寝顔を見つめる聖母の様な穏やかな顔をした女性が、その運命を変えるキーパーソンであることもこの時点では知る由もなかった。