日 常
2025年 7月19日 東京
練馬学園都市内、新東京高等工科大学附属工業高校
東京、かつては先進国の首都であり、華の都と日本中の人間が押し寄せた地だ。
21世紀初頭に勃発した「対北戦争」で一度は焦土になりかけたこの地は行政機関を外部に放出することでますますの発展を続けていた。米国で言うワシントンとニューヨークの関係が日本にもついに適用されることとなったのである。おかげで東京証券市場はいまだロンドン・ニューヨークと並んで世界三大証券市場の地位を確固たるものとしていた。
そんな東京の西側に「練馬学園都市」はあった。
戦災による区画整理により新しく作られた名前の通り学業に関する施設を一堂に集めた都市だ。昼間人口は百万とも二百万とも言われていてはっきりしない。
その大半は集中して建造された学術機関関係者であり、学生もその一種であった。
そんな多い学生の中に高槻隼人もいた。
国立新東京高等工科大学附属工業高校三年生の彼は、子供の頃からの夢を叶えるべく、わざわざ二時間近くかけて横浜と練馬を毎日往復していた。夢を実現するため、と言ってもそう釈迦力になっている訳でもなく、学業に励んでいるとはとてもではないが言えなかった。
生まれつきの頭の回転はそこそこにあると自他共に認めているのではあるが、如何せん努力値が人の半分以下の彼の成績は下から数えた方が早かった。。
視力は0.2と近眼な上に、ファッションセンスゼロなフレームレスのメガネを掛けていることも重なって、周囲からはオタクなどとからかわれている。もっともその指摘に関して彼個人は否定する要素を保持していなかったため、甘んじて受け入れるしかなかったのが現実だ。
とは言うものの、彼自身は専門を軍事と自負しており、世間一般のアニメやゲームオタクと混同されるのをひどく気にしていた。
「え~っと今週末は模試で、と。ゲッ!再来週もかよ!」
自らのスマホに書き込まれた予定を見、ボヤく姿はいつの時代も受験生という身分には当然のものと写る。
「隼人、次の時間、校庭で“実習”だと」
李・ 鋒は沈痛な表情を浮かべている級友に対して教科連絡をする。両親は共に中国系の筈だが、東京生まれの東京育ちのおかげで、中国語はちょっとしか話せないのに、日本語はペラペラという国籍不明人のようになってしまっている。年齢は隼人の一つ上の18歳で、本人曰く『お前より早死にしそうで嫌』だそうだ。陸上部所属の彼は、自他共に体育会系だが、隠れて頭もなかなか良い。挙句の果てには街頭で雑誌モデルのスカウトを受ける事もざらである程、ルックスも良いときている。
隼人としては自分が引き立て役になっているようにしか思えないが、どちらも勉強嫌いが共通項になってか、そのツルミはクラスメイトのみならず学年中に知れ渡っていた。
「分かったよ。行こう」
重い腰を上げ、フェイについていく隼人だが、内心はワクワクする気持ちを抑えるのが一杯一杯だった。なぜなら次の授業は勉強嫌いの彼らにとって唯一の楽しみである“実習”なのだ。
校庭脇のガレージ前には既にクラスの連中が集まっていた。ガレージといっても、その大きさは大型体育館並のものであり、その中はすでに一端の工場のそれであった。
それもそのはず、工科大付属では、とあるモノの整備資格のための講座や多種多様な企業と共同しての新規パーツの開発といったそれら全般にかかわる作業をこのガレージで一括して行うこととしているのだ。それゆえ、彼らの学校は校舎や校庭よりも倉庫のほうが大きいというバランス的にはなんとも偏った造りになっている。
「全員いるー?」
実習担当のジェーン・スティーブンソンが確認を取るが、「はーい!」とその場にいる全員が手を上げるだけの出席確認は、確認の体すらなしていない。
「ウン、いるわね!」
ほんとに確認とってんのか、と毎度のことだがいい加減だと思う。
生粋のアイリッシュ系だが、日本語に精通していて、最近の日本人が知らないようなことすら知っている。年齢を聞かれるのを最も嫌う華の二十代後半。外見はべらぼうに美しい。昨年に赴任してきた当初はその様々な特徴に戸惑ってばかりだったが、半年もすれば順応性の高い高校生は何のこともなく接するようになっていた。
そして、そんな彼女が教える“実習”とは工科大学附属の独自教科の一つである。
それはVSと呼ばれる多用途ロボットの操縦プログラムである。VSとは、そもそもは、宇宙に進出した人類が宇宙での作業を効率よくするために発明したロボットである。日本語に訳せば可変型ロボットになるが、変形することが前提条件ではない。
確かに軍事や惑星探査といった局所において可変する必要性が求められる分野においては可変型も採用されていはいるが、基本的にVSは各部パーツを換装することによって、様々な状況に対応する仕様となっているのだ。
中心となるコアブロックに、コックピットと全部位の管制をするOSが搭載され、各部位を状況に応じて換装するのである。そのため、容姿も組替え方によって変わる。特に二足歩行型は子供達に人気が高い。昔は二足歩行型のロボットと言うのはバランスが悪く、使い物にならないと言われていたが、サスペンションなどの改良により、一定の作業に関してはなんら問題がないのが彼らの常識だった。
また、多脚型の脚部パーツも販売されており、斜面での作業も可能であったりするため、今では通常の重機より汎用性に優れていると言うことで、大概の工事現場では昔の重機より各種のVSが良く使われていた。
昔の重機のようなパーツもVSのパーツの一種として出回っており、機能互換といった点からもVSは社会のさまざまな部分に浸透していった。
無限の組み合わせが考えられたVSではあったが、コアパーツの製造を手掛けるメーカーの設定した“互換性”という壁によって同一企業体のパーツ以外の組み換えは非常に困難であり、またアフターケアが受け入れられないことから、事実上製造元の用意したカタログに沿った組み換え例しか見られないのが現状である。
しかし、VSはその汎用性に対応するべく開発された中核となるOSや各種パーツの操作に精通していない者では重大な事故に繋がる恐れが大きく、その資格取得は工業系資格における最高フェイの難易度とも言われていた。そして環太平洋連邦での資格とは、免許場にての実地試験に合格するか、この工科大学附属をはじめとする指定校を卒業することであった。だからこそ普段勉強しない隼人もこの学校に入るべく周囲のコメントは借りるならば『天変地異の前触れ』な位に勉強したのである。
「今回は二足型で作業を行なってもらいます。じゃあ、班ごと始めちゃって!」
ジェーンの一言で生徒たちは各々の態度で実習用VSが置いてあるガレージへと向かっていった。足取り軽く向かう者、いかにもダルそうな態度をとる者、その様相は高校生らしく軽やかだった。その中でもフェイの態度は後者のそれをまさに体現するものだった。
「俺二足型苦手なんだよな、四足型だったら上手くいくのに」
クラスはおろか学年内でもVSの操縦にかけては上位に食い込むフェイの発言は真剣味などサラサラあるものではなく、周囲の学生からしてみれば単なる厭味であった。しかし当人にしてみればそれは切実な問題であり、苦手としていることはれっきとした事実であった。
「しょうがないさ。一応全機種でパス貰わないと卒業できないし」
しかしそういったフェイの態度に慣れているのか、隼人はフェイの発言をさらりと流した。
「おうおう。VS操縦に関しては学校始まって以来の天才と称される貴様にしてみりゃ余裕のコメントってわけかよ」
そう言って隼人の脇を小突くフェイの姿は優等生同士のじゃれあいの一種として周りに写った。確かに隼人のVSの操作技術は既に資格取得者以上のレベルに達しており、学内でも相当の噂になっていた。
もっとも、噂になった要因のひとつにはVSの操縦以外の授業の成績が平均以下という話題性に富んでいる事があったことは否定できない。
そうこうしている内に、二人はガレージの手前側に駐機してある実習機前に着いた。自分達のクラスの機体は既に二足型にチューンされていた。その向こう側では、他のクラスが整備の実習を行なっている。
教官が質問に答えられない学生を立たせて叱責しているあたり、二年生程度の授業のようだ。三年になって教員に叱られる奴ならもはや学校側によって早々に放逐されるか同じ学年で地団駄を踏むことになる。
割り振られた実習機の前で、彼らはいつもの儀式を今日も展開することになった。
「「お前先にやる?」」
どちらともなく言ったフレーズは一呼吸も乱れることなくシンクロする。
「「お先にどうぞ」」
そして質問に対する返答も再びのシンクロになる。
その姿に驚いていたら新東高工大附属ではモグリだ。彼らのこの姿は二年の頃から至る所で繰り返されてきたのだ。見たことの無い者などいなかった。
「・・・分かったよ!先にやればいいんだろ!」
折れたのは隼人だった。これもいつも光景の一部である。
「あ、悪いね」
その言葉にもはや謝意は感じられない。彼らなりのコミュニケーションの一環だ。
VSの全長は二足歩行の場合は凡そ12m強である。その中央より上部にあるコックピットを含むコアと呼ばれる中核パーツは、およそ3m四方の立方体に近い形をしていることが多い。
そのコアの中にOSや操作用のパネルや何やらが収まるため、お世辞にもコックピットは快適とは言いがたい。仮に身長が180cm以上ある者なら確実にどこかしらの筋を違えるほどの狭さの中で、隼人は持ち前の柔軟性を生かし、苦もなくシートに収まっていた。
「システム起動っと」
液晶の画面に『SYSTEM LOADED』の文字が躍る。
窓もなく、正面と左右の合計三つのモニターのみが外界の視覚情報を伝える閉鎖された空間の中で、隼人はまるで水を得た魚のような気分に浸っていた。
「えーっと、操作プログラムに問題は無しッ、と」
システムにチェックプログラムを走らせながらつぶやく。生徒が本当にシステムを使いこなせるかチェックする為に学校では時たま、わざとシステムに異常をきたすようなプログラムが仕掛けてあったりする。意地悪な限りだと思うが、実地でミスを犯す可能性を鑑みれば、チェックの癖を叩き込んでおくのは学校側の危機管理としては至極当たり前のことであった。
「じゃあ行こうかな」
そう言うが否や隼人の乗った機体は、ゆっくりと足を前に踏み出した。今頃機体の外では『VSが通ります、注意してください』と注意喚起の音声がオートで再生されているだろう。
そして、そのスピードは次第に早くなり、時速20km弱になって安定した。
既に校庭には、準備を終えた機体が何体も並んでいた。
その姿は一昔前の人が見れば卒倒しそうなほどの威容だったが、現代の彼らにしてみれば単に重機が並んでいるだけの光景に過ぎない。
「聞こえますかー?」
拡声器を持ったジェーンが校庭にいた。
「聞こえてたら、右手を上に上げてー!」
皆の機体が右手を上げる。昔は、操作が分からずに左を上げるバカ垂れもいたが、さすがに三年生ではもういない。
「それじゃあ、今日は実際に簡易ビルを作ってもらいまーす!」
後で取り壊しの授業で使うビルだ。作ったって意味ないじゃん、と心では大概の奴がそう思う。だが、これも授業であり、それが彼らの本分であった。労働が始まった。
同日0900時 オーストラリア カーペンタリア
環太平洋首長国連邦地球軍総司令部施設内第二会議室
連邦における最重要方面、それはすなわち太平洋である。
そして、その守備を任された太平洋方面軍の司令官以下方面軍の重鎮が列席した会議室は、まさに連邦における太平洋の最高幹部会議の舞台となっていた。そんな中、司会兼プレゼンターでもある軍令部付きの少佐がおもむろに口を開いた。
「現在、各所における戦況は膠着状態にあります。ユーラシア大陸においてはユーラシア方面軍と人民解放軍や北方独立共同体極東軍管区所属の部隊との間で散発的な小競り合いは発生していますが、現在CNISは、アラスカ越しに北大西洋連合と睨み合っている状態ですから、大規模戦闘が起こる可能性は低下しています。またインド洋に関してはインドおよび中東諸国との良好な関係によって、インド洋方面軍とディエゴガルシア島の北大西洋軍とも睨み合いが続いている状態です。・・・ですが、最大の問題点は我が太平洋方面です。現時点においてこそ膠着状態が続いていますが、連合と我々との戦力差は歴然です。このままでは・・・」
悲観的予測が脳裏をよぎったのか、プロジェクターに投射される世界地図を見ていたはずの少佐の視線は自身の足元へと下ろされていた。
「資源で言えば、我々も対抗できうるだけの量があろう」
顎鬚をまるでサンタクロースのように伸ばした老人がいともなく言うが、周囲は戸惑うしかなかった。相手はこの巨大な組織の中でも重鎮中の重鎮と言えるべき人物だ。
元来なら兼任することがない方面軍司令を2つ兼務し、地球と宇宙に巨大な権限を持つこの人物こそが、この連邦軍という組織の親というべきニコラス・キング中将だ。
不遜な態度をとることはもっての外、足を向けて寝ることも憚れる人物だ。下手に反駁するのを躊躇する気持ちは分からなくなかった。
「確かに、・・・地球上で取れる鉱物資源なら、我が太平洋連邦も連合には負けてはいません。しかし、宇宙の資源はと言うと・・・我々はそもそも宇宙港を二つしか保有していません。しかし、現在連合は五つの宇宙港を保有しています。さらに宇宙では月の我が軍との物資の輸送がセクター1をはじめとする連合側とみられる勢力によって強襲される事案が相次いでおり、このままでは、先ずは月が干上がってしまいます」
「となると、やはりハワイを押さえて宇宙への派兵を増派する必要があるか・・・」
地球と宇宙とをつなぐのは基本的には宇宙船だ。一昔前は宇宙船といえば水素燃料を燃焼させることで自立的に上昇するタイプのみしかなかったが、大量かつ安価に宇宙へとの物流を行うには従来方式ではやはり不足点が多くあり、現代ではレールガンの技術を応用させた“マスドライバー”と呼ばれる大規模カタパルトを用いる手法が主流である。
しかし、旧来から宇宙への窓口が地球自転の遠心力を最大活用できる赤道付近にあることは変わらない。ゆえに主だったマスドライバー施設は世界に15箇所存在するが、その多くが太平洋やインド洋といった海上施設である。
そのうちの一つ、ハワイ宇宙港は太平洋地域における最大規模の発射施設を持った施設であり、同時に北大西洋連合軍の太平洋における要でもあった。
「だからこそ、この計画は失敗してはいけないのではありませんか?」
誰もが予想されうる最悪の状況を思い描く中、一番若そうな技術士官が言った。
来たるべき開戦に備えて着々と進行されてきた統合戦力整備計画、その要となる新型機の完成はもはや目と鼻の先となっていた。
全ての将官の目が自身を注視するのを感じながら再びその技術士官は口を開いた。
「現在、G計画におけるXナンバーは最終トライアルを残すのみとなっており、既に実戦投入に関する問題点は解消済みです。首長会議からのゴーサインが降りればトライアル通過した機体の量産に取り掛かる用意も着々と進行しており、今次計画における山場は越えたといって過言ではありません」
自信満々といった口調で喋る士官に対して将官たちの対応はそれぞれだった。
「このまま進めばあの敗北を知らない強国を打倒することも可能というわけか」
「だが連合とて手をこまねいて現状を見ているわけではあるまい。彼らが新鋭機を投入した場合それらに打ち勝つことは可能なのか?」
「計画開始から7年、多くの金と人を注ぎ込んでいるのだ。そろそろ成果を出して貰わんと困る」
「左様ですな。宇宙総軍が独自に進めているP計画が次期主力機に選定されればあなた方への投資は全くの無駄という事です」
楽観視を崩さない者、プラグマティストとしての対抗意見を言う者、予算を考える者、様々な対応が飛び出したが、上座にいる中将はそのどれでもなかった。
「試験は何処でだね?」
あくまでも現実的な質問に対して技術士官はまたしても自身の選択に誤りなどないような口調で続けた。
「キーリング諸島のひとつ、ディレクション島です」
キーリング諸島はインド洋のオーストラリアとスリランカの中間にあり、総面積はNY・マンハッタンのわずか4分の一の14平方㎞しかない小さな島々の集まりである。その中のひとつ、ディレクション島は第一次世界大戦中にイギリス軍の通信基地が置かれていた他、ドイツの軽巡洋艦・エムデンが近海で撃沈されたことでも知られている。現在は無人島であり、周囲に主だった島もないため、外界との交流は全くない島であるが、完全秘匿で進められてきた計画の最終段階を迎えるにはまさにうってつけの場所だった。
「なるほど。機密保持にはうってつけだが、確かあそこには常駐部隊がいなかったのではないか?実験施設の用意はどうする?」
「そもそもあそこはインド洋方面軍の連中の縄張りだ。いくら実験とは言え管区を離れての軍事活動は問題だろう?」
いくら実戦投入が可能な状態とはいえ、トライアルである以上データ収集が必要になることは確実であり、そのための施設建造を行う必要性はその場にいる誰しもが認識していた。また、管区離脱違反行為を行おうとしている技術局に対し、反発も出た。
「施設建造に関しましては工兵を投入すれば勘付かれる可能性があります。ここはカモフラージュため軍属ではない人間を採用するのが妥当かと。また管区問題ですが、これはあくまでも実験行為であり、民間委託の形式を採れば書類上何の不備も生じません。それに、・・・わざわざ他管区で我々の成果が上がれば、連邦の最先端が何処だが認識していただけるでしょう」
暗に、軍内における勢力争いに関する話をした技術士官の言葉は将官たちにとって魅力的であり、その点に関しては触れないという不文律がその場にて即座に成立した。
「にしても、あんな辺鄙なところに行くのだ。民間でも何かしら怪しまれることは必至だぞ?」
またしても疑問の声が上がるが、彼には取って置きの秘策があった。
「誰も監視していない身分、例えば“学生”などはどうでしょう?」
彼は自身の唇の端が自然と持ち上がっていることに気づいていなかった。
7月20日1145時 練馬学園都市 高等工科大附属高校
「合宿?」
隼人は思わず聞き返した。いや、隼人でなくとも聞き返しただろう。
「そう、合宿。インド洋のココス諸島って小島で、明後日から4泊5日」
ジェーンがさらりと言うが、その内容は冗談にしか聞こえなかった。
「明後日ぇ!?」
思わず大声で聞き返した隼人にしてみてもそれは半分冗談に対するリアクションであり、内心彼女が冗談であると公言するのを待っている状態でもあった。
「冗談止めて下さいよ。明後日って、・・・突然言われても準備できないですよ。お金もないし。それに親にも許可もらえないだろうし、そもそも、・・・俺受験生ですよ?」
いつまでたっても冗談であるとの一言を言わない彼女に対して隼人もようやくこの発言がどこにも冗談ではないことを認識した。
慌てて逃げ口上を述べた隼人だったが、敵もさる者だった。
「ご両親の許可だったら、さっき電話で戴いたわ。準備は、今日の終業式終わってからすぐにすればこちらも間に合うわね。お金に関しては学校の研修って形だから学校側から支給されるわ。受験に関してだけど、確か高槻君は進学希望じゃなくて工科大への内進志望の筈だったけど?」
まさか親にまで手を回しているとは思わなかった。
確かに自身の選択としてはVS操縦や技術面に対する興味から、このまま学内でも志望者の少ない工科大の可変式マニュピレーター専修科への内部進学を希望していたが、その書類を提出したのは確か今朝担任にせっつかれてからだから、ものの2時間も経っていない。どこから情報を仕入れたのか、なにやら悪寒が背筋を上ってくるのを感じた。
「でも、でも・・・」
完全に逃げ道を断たれた隼人はもはやしどろもどろになるしかなかった。
何とか断る口実を探している隼人に対してジェーンは教師が使ってはいけないとされる最大の言葉を発した。
「・・・単位欲しくないの?」
殺し文句とも言える一言に一瞬体がビクッと反応した。隼人はもはや自身の抵抗はなんら意味を成さないことを本能的に悟った。
「・・・・分かりました」
降伏の意思を示した隼人に対してジェーンは満足そうな顔を浮かべると踵を返した。
「じゃあ、22日朝8時に成田でね」
手を振っていこうとするジェーンだったが、ふと思いついた隼人の質問にその足はすぐに止まることになった。
「あの!他には誰が行くんですか?」
合宿というからには誰かしら他の学生が居てしかるるべきだ。仮にここで自分ひとりだけだったとしたら、学校一の美人教師と5日間も南の島で二人っきりという美味しい様な、気が滅入りそうな展開になりかねない。
「ええとね。リ君でしょ。後・・・後藤君に、金君、それから、王さんかな」
指を折りながら勘定するジェーンにホッとした様な悲しいような微妙な感情を抱いた隼人だったが、ふと人選に疑問を感じることになった。
自分とフェイを除けば残りはこの学年でも有数な秀才君ばかりだ。少なくとも自分との接点はほとんどない。
王に関して言えばフェイと付き合っていることを鑑みればなんら疑問ではないのだが、後藤とキムに関して言えばハッキリ言って隼人自身はあまり接点を持ちたくない様なガリ勉タイプで、陰口を叩き合っているような、少なくとも良好な関係とはいえないタイプだ。
「それは何で、選ばれたんですか?」
せっかくの南の島への旅行が呉越同舟の気まずいものになるかと考えた隼人は恨みがましくジェーンに訊ねた。だが彼女の解答は至ってシンプルかつ予想外だった。
「VSの実習試験での上位成績者よ。ちなみに、一位は君ね」
何事においても底辺ぶっちぎりの自分にも一つ位特技があったということか、と隼人は変に納得した。
「あ、そういえば、このまえ渡した論文、読んどいてくれた?」
いきなり話題を振られ、一瞬キョトンとした隼人だったが、すぐさま目を輝かせた。
「ハイッ!あの “|戦術可変マニュピレーター《VA》の組み換え機構撤廃による運動性の向上の提言”ってやつですよね!俺マジで驚きましたもん!今までコアシステムを使って汎用性を高めるって方針しかなかったのに、敢えてフレーム方式を採用することでコストダウンと専門特化性を持たせるべきだって結論が来た時なんて鳥肌ですよ!」
熱っぽく語り始めた隼人に威圧されたのか、ジェーンの体が一、二歩後ずさりする。
「へ、へぇ。そんなに喜んでもらえるとは思わなかったわ。二徹して翻訳した甲斐もあったわね。けっこう専門用語が多いから、一般日本人の英語力じゃ難しかったしね」
顔を引き攣らせながらも返答するジェーンに対し、隼人は更にまくしたてた。
「いくら俺らが英語教育世代って言っても喋れるのはせいぜい日常会話が関の山ですからね。それにしても、確かに専門機能に特化するってことじゃコアシステムにはもうかなりの限界が来てるってのはみんな言うことですけど、まさかその解決策がVS開発当初に否定された一体型フレームの採用とは誰も思いつかない理論ですよね!確かにその方が機械の稼動範囲を広げれるし、コストの面で言えばかなりの節約になるってのは確かなんですよ!でも80年代の技術力じゃコアのHDDの容量が少なかったから各部各部に自前のOSをつけて中央でそれを管制するって方法しか思いつかなかったんだと思うんですよね!先生はどう思います?」
「そ、そうね。確かに、VAや特定作業用のVSならフレーム構造は当然向かうべき指向であったとも言えるわね。多分、高槻君の意見もある程度は当たりでしょうけど、あとは政治的要因てのもあったんじゃない?たしか、フレーム方式は当時のソ連が推進してた機構よ。VS開発主体だったアメリカとしては認めたくなかった部分もあるんじゃない?」
あぁ、と感嘆を漏らした隼人の目はますます輝きを増した。
ここでこんな餌を投下したことをジェーンは1時間ほど後悔することになった。
同日 夕刻 神奈川県横浜市 高槻邸
「何でオッケーしたんだよ。あれほど『受験生らしくしろ』って言ってたのに」
トランクに荷物を詰めながら母親に隼人が食って掛かる。自宅に帰るや否や彼は4日分の服や行き先となるココス諸島の情報を調べ始めていた。
なんでもココス諸島というのはグアムやその他の地域にも存在し、インド洋にあるココス諸島は正式名称をココス(キーリング)諸島と呼ぶのが正しい名称なのだそうだ。
しかし。またどうしてそんな辺鄙な所へ、身分上は受験生となる息子を送り出す気になったのか、彼にしてみれば両親の思考回路は全くの謎だった。
「先生が言うにはさぁ、アンタ、VSの操縦が他人より上手いんだって。だから、セクターで働けるって言われてねぇ」
セクターとは宇宙に浮いている円筒状の建造物である。旧世紀中に考案されたスペースコロニーの発想がそのまま実現された代物で、地球と月との重力が安定するラグランジュ点に現在合計で125個が浮遊している。
名目上は各セクターには自治権が付与され、125それぞれの行政府が存在することになってはいるが、実質は建設母体となった国家の影響を強く受けており、現状においても各セクターは自身の母体国家の意を汲んで行動している。また、建設母体が同じセクター同士はセクター郡を構成しており、現在は20の郡が存在している。
それらを統括する機関としてセクター間協力会議という組織が存在することはするのだが、あくまでも協力会議という名目どおり結論の出ない会議を延々と繰り返すだけのお飾りに過ぎないというのが現状である。
元来、スペースコロニー考案の理由は増加しすぎた人口を宇宙へと追いやるための体の良い道具だったが、この世界においてその発想は旧来のものでしかない。環境汚染が進み、資源競争に明け暮れる地上に見切りをつけるように、次々と各国富裕層がリゾート地のように購入していったセクターは今では上流階級かそれを支える技術者や労働者といった一握りの人間だけが行くことの出来る選ばれた場所のようになってしまっていた。
当然、隼人のようにVSを使える者はセクターの維持運営にとって必要不可欠なものであり、セクターにおいては一般技術者等に比べてはるかに裕福な生活を送ることが可能になっている。
ゆえに単なる技術系労働者として一生を終えるか、一端のスペシャリストになるかと問われた両親にしてみれば迷わず後者を選択したというわけだ。
「何?皆さん俺と一緒に行きたいとかって思ったの?」
白っとした視線を家族に向けて隼人が言った。
「そうじゃないけど、息子がセクターに行けるなんて言われたら、すぐにOKしちゃうよ」
「はぁー」
呟きながら彼は護身用として常に持ち歩いているコルトガバメント改造電動ガンを鞄にいそいそと詰め込もうとしていた。まさに、親の心子知らず、である。