1-5 混浴、大臣の演説
男女共有の小さなシャワールーム。
石鹸で疲れもろとも汚れを洗い落とす、粉砕分隊の面々。
みんなのからだから立ち昇る熱気、シャワーの湯気。
何も身に着けていない八人。
男女の境には、申しわけ程度にくもりガラスの敷居が立てられているだけだ。
「戦闘の後のシャワーほど、スッキリするもんはねぇな」
薬音寺が顔面からシャワーを浴び、言う。
右肩から背中にかけて、見たこともない生物の刺青がある。
本人いわく、バンダースナッチ。
左肩には二つのアルファベットの刻印。
『R.O.T.F.L』=「笑い転げちまうほど面白ぇ〈ローリング・オン・ザ・フロア・ラフィング〉」。
『J/K』=「冗談だっての〈ジャスト・キディング〉」。
「本能に従い身体を駆使する猛獣から、冷静な人間にもどる儀式みたいなもんさ」
「ばーか、あんたが人間だった試しなんて一度だってないじゃない、この野性児」
くもりガラスの向こうで、肌色の身体が大ざっぱに自分を洗い流している。
「それはお誘いか? 今夜のお誘いなのか? おお、マリア!」
くもりガラスの前で仁王立ちする薬音寺。
「ばーかっか! 真幸、ちぎっちゃって」
「どこをだっての!?」
真幸が顔を赤くしてうつむく。その華奢な左肩に遠慮がちに小さく刻印がある。
『P.O.A.H.F』=「何があっても笑ってたいです〈プット・オン・ア・ハッピー・フェイス〉」。
「そうかい。お前みたいな貧乳、こっちから願い下げだっての」
「貧乳って言うなぁ! これは天然記念物なの文化財なの!」
薬音寺がマリアから紫苑のシルエットに視線を移す。
紫苑は、食事のときと同じく、一番隅のシャワーで、機械的に髪を洗っている。
マリアとくらべると、平均的な女の子の肉体。
ガラス越しに見ても、手にした乳性石鹸と似たような肌。
背は低いが、からだの線は意外としなやかだ。
そのとなりには、美奈の鮮やかな金髪と、幼く小さいシルエットもあったが、さすがに薬音寺も、からかいの対象にはしなかった。
「紫苑、お前ってさ、ほんと、意外と胸でけぇんだよな」
「うわぁ、下品っすねぇ。初潮をむかえて間もない感じの少女相手に」
紫苑が、こちらを向いたのが分かる。
濡れて垂れた髪のあいだから薬音寺を見上げている。
「そういうの、男同士でやっといてもらっていいすか」
「あい、わかりました。んじゃ、雄輝&ノイズ、聞いたことなかったけど、お前ら童貞?」
とんだ角度からやってきた跳弾の問いに、ノイズが「んだ」と答えた。
二十五歳の彼の額には、古い謎の手術痕が走っている。
左肩に『G.O.K』=「神様だけが知ってるだ〈ゴッド・オンリー・ノウズ〉」。
「いつまでも、混じりっ気のない自分で居たいだよ」
「それはそれで崇高なことだ、頑張るように。雄輝、お前は?」
なにも答えずにいると、薬音寺が肩を抱いてきた。
「おいおい、俺はお前に撃たれたんだ。これは大きな貸しだぜ。質問に答える義務がある」
「すまなかった」
すなおに謝ると、薬音寺はちょっと困ったように鼻先をかいた。
「い、いや、そいつは、いいんだっての。まだ本調子じゃなかったんだろ。気にすんな」
「みごとに味方殺しの異名を獲得したなぁ、雄輝」
樽本が、からかって声を飛ばしてきた。
全身に虎の入れ墨が彫ってある。
左肩の刻印『T.F.B』=「胸糞悪ぃぜ〈トゥー・ファッキン・バッド〉」。
「いくら敵を倒せても、味方まで撃っちまう奴のとなりで戦いたくぁないわなぁ」
「もういっぺん言ってみろよ、曹長殿。いまのは俺のダチの悪口か?」
薬音寺が言いかえす。樽本はそれ以上なにも言わず、肩をすくめた。
「今後、気をつけろってことだよ、クラッギー。薬音寺も」
とノイズが意訳する。
「わかってるって。軽いコミュニケーションだっての」
中指を立てる樽本に、中指を突き返す薬音寺。
双方とも、顔は笑っている。
大人の目の触れないところでは、階級など関係なしだった。
それらを眺めつつ、頭の中では、薬音寺の言ってくれたことを吟味する。
まだ本調子ではない。それだけのことだろうか。
いや。
むしろ、調子は良かった。
良すぎたのだ。
極度まで敏感になった身体の反射神経を、自分自身がコントロールできなくなっていた。
あの左眼のうずき。ささやき。フレンドリー・ファイヤ。
これは異常だ、と身体が告げている。
自分の身体のことは自分で把握している。
それが戦場において重要になる。
自分という肉体の性能、限界、各部位のサイズ。他者との距離感。
一つ読み違えただけで、致命傷となる。
あの模擬戦が実戦だったら。
自分は味方の兵士──薬音寺を撃ち殺している。
医師に告げるべきか。
しかし、そうすると長いあいだ、実戦から離される可能性がある。
二度と戦地に赴けない可能性もある。
役立たずの見物人〈ウォッチャー〉となるのか。
シャワールームから出ると、全員、ラフな格好に着替えたうえで、兵舎内をとくにあてもなく散策する。
樽本は、報告書を提出するとのことで、村崎二尉の士官部屋へと直行した。
美奈は兄にしか懐かず、兄がいないあいだは、部屋に閉じこもってしまう。
「曹長殿は、いつもいそがしそうだな。その点、俺たち一介の兵士にゃ、訓練以外、することもねぇしな。どうするよ、甘いもんでも食いに行くか?」
頭の後ろで腕を組み、ぼやく薬音寺。
「ねぇ、暇なんだったら、ちょっと付き合ってくれない? これから、お姉ちゃんのお見舞いに行こうかと思うんだけど」
とマリア。
「お前って、ほんとシスコンな。そんな何回も見舞いとか行くなっての」
「あれ、お姉さん、どこか悪いんですか?」
真幸の心配そうな声に、いやいや、とマリアが手を振って否定する。
「出産よ、出産。真幸は知らなかったっけ? もうすぐ子供が産まれるのよ」
「あ、もしかして、だから最近、禁煙してるんですか?」
真幸が、爪楊枝をくわえているマリアの口元を指さす。
「まぁ、ね。ほら、産まれる前からヤニ人生にしちゃったら悪いじゃない?」
マリアが照れたように頬をかいた。
「それに──」
「煙草なんて、乙女の吸うもんじゃないよなぁ?」
「わあってるわよ! ちょっと、ぐれてた時期があったのよ! もうやめたわよ!」
ばーか、とマリアが口をすぼめる。
爪楊枝をぺっと吹き捨てる。
「うわー、がさつ……」
「うるさい! ばかばかばーか! トイレでおぼれて死んじゃえ!」
「実行したくない死にかたランキングベスト五位に入りそうだな。嫌だっての」
兵舎を出て医療施設の病棟へと向かう。
マリアより二つ上の姉はヘリの操縦士で、産まれてくる子供の父親は極秘扱い。
さまざまな憶測が飛び交うなか、じつは上官だ、との情報もある。
《この都市はセーフティ・ゾーン。人類最後の砦だ。それを守るのも統べるのも私の仕事。私はこの都市の安全を約束する。発展も成長も必要ない。必要なのは、最上を目指す向上。求められているのは永久不滅の安全性だ。諸君は兵士である。私の意思は諸君らの働きで実行される》
道中、スピーカーからは内閣総理大臣の声が聞こえてきている。
「景気付けってヤツか? 大臣ってのも面倒なご身分だな」
「えらそうよね。実際に戦うのは、こっちなのに」
薬音寺とマリアが、それぞれの所感をぼやく。
《諸君らの活躍によって、この都市は守られ、人々は安穏と暮らすことができる。平和も、娯楽も、勉強も、何もかも諸君あってのものだ。この都市が世界だ。この都市は諸君らであり、諸君らこそ、この都市である。我々が、この都市を作っていくのだ》
大臣の声を背景に、病棟へとたどりつく。