5-9 生き続ける今日を、生まれ来る明日へ
ヘリポートに到着。
「雄輝、紫苑、あんたら、ノロすぎ!」
マリアがヘリの中からさけんだ。
「ほら、早く乗って!」
真幸と美奈が、ヘリのなかから、援護射撃をしてくれる。
回転するローターの風をまともに受けながら、吹き荒れる炎のなかを走り、飛び乗る。
乗りこんだ瞬間、死んだような目をしているキャシーと目が合う。
すぐにでもグレースのことを伝えたくなったが、時と場合ではなかった。
真幸がすかさず扉を閉める。
「行ける、マリア!」
さけぶ。
「了解! 行くよ!」
とマリア。
操縦桿をにぎる。
だが、ややあって、
「あ、あれ?」
とまどいの声を上げる。
「飛ばない――なんで? あれだけチェックしたのに。なにか手順をまちがえた?」
焦り。
再度、あらゆる箇所を確認し始める。
一から。
窓の外。
クラッグや共鳴者たちが、唯一の動きを見せるもの――ヘリのまわりに集まり始めていた。
「マリア、すぐにでも飛ばないと――」
「やってるって!」
必死のマリア。
けれども、慣れない操作は、彼女をとまどわせていた。
もう一度、窓の外を見やる。
ヘリを、共鳴者やクラッグが囲み、幅を狭めてくる――。
「どいて」
冷たく平静な声。
毅然とした、声。
キャシーだった。
顔は、まるで無表情のまま、それでも歩み出て、マリアの代わりに、操縦席についた。
その手が、自然な動作で、次々と機器に触れていく。
魔術のような、奇跡のような、手の動き。
熟練した動作。
卓越した技能。
ヘリが、生まれ変わるかのように、ぐおんと音を立てた。
「お姉ちゃん――」
マリアのつぶやき。
姉の後ろすがたを見守るその瞳に、涙が浮かんだ。
「飛ぶわよ」
キャシーは言った。
泣いているのが分かった。
その背はふるえてはいなかった。
操縦桿をしっかりとにぎりしめ、キャシーはつぶやいた。
「さようなら、グレース」
ヘリが地を離れた。
ぐんぐんと上昇する。
空へ、都市を離れて。
仲間たちは、寄り添うように、窓から地上を見下ろした。
轟音とともに、大地が裂け、大きく割れ始めた。
(我々は、ずっとここにいる)
都市が、呑みこまれる。
建物が砕け、折りたたまれ、落ちこんでいく。
いたるところで、爆発。
クラッグや共鳴者たちも、天に向け手を突き出しながら、地中へと落下していく。
悲鳴〈スペル〉。
いくつも沸き上がるそれらは、混じり合い、重なり合って、新しい歌〈スペル〉を生み出していた。
(すべての命、すべてのものが、たがいに通じ合うように)
祈りのような、哀しみ。
マリアが、こらえきれず、両手で顔を覆い、大声で泣き始めた。
それはきっと、生まれ育った都市を想って。
樽本を、ノイズを、グレースを、そして、薬音寺を想って。
すぐ耳のそばで、もう一つの歌。
紫苑。
その瞳に浮かぶ一粒の涙、唇が導き出す、一つの詩。
流れ落ちようとするその涙を、そっと差し出した指で、すくってやる。
紫苑と目が合う。
歌は、止まらない。
大地から聞こえてくる歌も、いつまでも。
(我々は、共鳴する)
真幸が、となりの美奈の肩を、優しく抱きしめている。
美奈の顔に、なんらかの変化はない。
けれども、どこか安らぎがあった。
都市が、死んでいく。
音を立てて。
たった一つ、孤独に生きつづけた都市が。
守り、守られ、自らの役割を果たしつづけることで、生きた都市が。
刹那、一筋の炎が吹き上がってきた。
このヘリを目がけ、一直線。
「お姉ちゃん!」
マリアのさけび。
なにもかもがスローモーションになった感覚。
美奈を強く抱きしめる真幸。
そして僕は。
紫苑と向かい合う、僕。
現状を、遠くから見つめているかのような僕。
そんな僕たちを意識する。
浮いた僕と、実世界を生きる僕が、同化する。
時間と感覚が戻ってくる。
紫苑と向き合う僕。
その僕が、口を開く。
「紫苑、僕は――」
「私のことが、好き?」
おどろく。
まるで別人の声だった。
答えを言いかけたとき、ヘリが大きく揺れた。
紫苑とともに窓際へと倒れながら、地上を見下ろす。
襲いかかる炎。
キャシーが緊急回避を試みるが、間に合わない。
そのとき。
地中から湧いた炎を受け止める形で、一棟のビルが横から倒れてきた。
炎とビルはぶつかり合い、激しく閃光を発した。
闇のなか。
まぶしい光が、神々しく、地上から空を照らす。
揺れる機体。
アラームが鳴り響く。
計器類が赤く明滅する。
「神さま!」
真幸がさけんだ。
夜空に走った光――ヘリを覆った光――歌が、まだ聞こえる。
(ありがとう。ばいばい)
「見て!」
マリアの声。
光が薄れていくと同時に、いっせいに下を見る。
ビルは砕け散ったが、炎もまた、ヘリに届かず、消えた。
粉々になったビル。
その破片、粉塵が、宙を舞い、やがては地中に吸い込まれていく。
まるで、このヘリを守るように。
都市が、守ることを目的に作られ、いつしかゆがんでしまった都市が。
最後の最後。
僕たちを守ったかのような。
そんな奇跡を、呆然と見下ろした。
ヘリが、その間に、ぐんぐんと地上を離れていく。
僕は。
紫苑と向き合ったまま。
それぞれがたがいに、どう思っているかをさぐるように。
「紫苑」
口を開いた。
「僕たちは、きっと、愛されているんだ。そうなんだと思う」
紫苑の瞳。
こぼれ落ちる、雫。
「僕たちは、わすれない」
紫苑が抱きついてきた。
強く、しがみつく。
歌がやんだ。
僕に全身の重みを預けた少女は、いつしか歌うのをやめ。
大声を上げて泣いていた。
紫苑。
つねに冷静さをまとった少女が。
強く僕を抱きしめ、背中で拳をにぎりしめ。
号泣していた。
あどけない、少女のような。
華奢なからだを僕に押しあてて。
「泣くなぁ、紫苑」
そう言うマリアが、いちばん、誰よりも泣いている。
夜空を飛翔するヘリ。
数少ない、生存者たちを乗せ、外の世界へと運ぶ、一機のヘリ。
「また、独りぼっちっすね。自分たち」
紫苑が、いつもの調子で言った。
「……これから、どこに行くんすか」
「樽本に頼まれたんだ」
真幸のとなりで、前を見つめつづけている少女に、目をやる。
「明日へ連れて行ってやってくれ、と」
「抽象的っすね」
紫苑が、僕の肩に頬を乗せたまま、ふふ、と笑った。
「でも、そういうの、好きっすよ」
「その位置で笑うな、こそばゆい」
「あら、こういうのは嫌いっすか? ふー」
「だ、だから、こそばゆいって」
「ちょっと、そこのお馬鹿さんたちー」
マリアの苦情。
「機内の空気がファンシーになるから、イチャつくのやめてよねー」
こぼれる、ひさしぶりの笑い声。
そうして、微動だにしない美奈に向きなおる。
「美奈」
「はい、上官」
「休んでいいぞ」
「はい、上官――」
言い終えるか終えないかのうちに。
がくっと美奈の首が倒れ、そのまま真幸の肩へと沈み、安らかな寝息を立て始めた。
「ちょ、ちょっと、美奈ちゃん――」
あわてふためき、困り果てる真幸。
「あはは、よっぽど疲れてたんねー。真幸、起こしちゃ駄目だよー?」
「あのさ」
操縦席から、声。
キャシーが、母親らしい表情でふりむいた。
「結局、どこに飛ばせばいいの? 明日っていうのは、どっちの方角?」
茶目っ気たっぷりの言いように、みんな、笑う。
「いいから。飛べるとこまで飛んでみてよ、お姉ちゃん」
マリアが、人差し指で目を拭いながら言う。
「了解。あいまいなオーダーね。困っちゃうわ」
キャシーが、やれやれと首をふってみせ、操縦桿を動かす。
気丈なすがたに、みんな勇気づけられる。
機体が、キャシーの意思により、ゆっくりと向きを変える。
「どこかに、人のいる場所が見つかるっすかね」
紫苑の問い。
「見つかるさ、かならず」
希望的観測。
楽観的回答。
それでも、僕は。
「見て」
真幸が声を上げた。
みんな身を乗り出し、真幸のしめす方角――正面を見た。
「ああ、もう、そんな時間すか」
紫苑が、まぶしそうに、両手で目の上を覆う。
連れてきたぞ、樽本。
これから、新しく始まるんだ。
胸のうちで、分隊長に敬礼。
分隊の、都市の生きのこりたちは、前を向いたまま、たがいに寄り添い、笑い合った。
やわらかい光が、空に、やがては機内に、差しこんでくる。
遠い水平線上から。
朝陽が、ヘリの直進方向に昇っていた。
「さすが、お姉ちゃん」
マリアが、僕と紫苑に向きなおり、軽くウインクした。
「ちゃんと、明日の方角に、飛んでくれたみたい」
ヘリは、そっと朝陽に溶けこむようにして、まっすぐと、飛びつづけた。




