5-6 対話
静かだ。
ここは静かで、それでいて、にぎやかだ。
顔に熱を感知。
温もりを感じる。
まぶたの裏に、光を見る。
なにか巨大な光が、こちらに顔を近づけているかのような。
光に、見守られているかのような。
「起きろっての、雄輝」
「起きるべ、クラッギー」
「起きぁがれ、雄輝」
「起きるんじゃ、若いの」
「起きなさい、雄輝一士」
はっと。
僕は目を覚ました。
ちかちかと、目の前が瞬き、まぶしい。
からだが、宙に浮いていた。ふわふわとただよう。
水面に浮かんでいるかのようだった。
嘆息する。
目の前に、巨大な一つの炎があった。
巨大すぎて、視界に入りきらない。
大きな、大きな、とてつもなく大きな、炎。
まるで太陽だ。
その周囲を、小さないくつもの炎が飛び交っていた。
巨大な炎と一つに溶け合っては、また離れ、ほかの小さな炎と交錯し合い、戯れるように飛んでいる。
そのうちの一つが、すっとこちらへ飛んで来て、軽く僕の拳に触れ、去っていった。
直感。
「薬音寺か!?」
さけぶ。
炎はもどって来ず、そのまま飛び去ってしまう。
「ノイズ、樽本、みんな、ここにいるのか!?」
応えはない。
ふたたび、巨大な炎に目をもどす。
強い光に慣れ始め、その大きな炎が、青く輝いていることを知った。
(独)
轟音、あるいは閃光、巨大な何者かの意思のようなものを、五感が感じ取る。
「誰だ?」
(我々)
ふたたび、轟音と閃光。
目の前の炎がしめす意思だと、理解した。
「会話か、会話を望んでいるのか?」
(寂)
「なんだ、僕になにを望む! なにが望みだ!」
(死)
光が揺れる。
暗い情念渦巻く、大きな炎。
(痛)
(与)
(二)
(一)
(拒)
(零)
(死)
(望)
頭に痛みが走った。
あまりに膨大な意思、思考、情報だった。
人間一人のちっぽけな頭脳では、とても受け止めきれない。
破壊されてしまう。
一度、思考の波が、引いていった。
沈黙。
それから。
自分のものかどうかもわからない思考が、突然、頭のなかを巡った。
(ずっと独りだった。暗い闇の中で、青く輝いている存在は一つだった。命を宿す痛み。一つであると意識したことはなかった。だが、幾度か己以外の存在を感知し、一は二となり、零という概念も学び、己が一であると知った。知ってしまった。奪われる痛み、与えられ押しつけられることへの痛み。奪われるものなど初めからなにもなかった。一という概念を与えられた、ほかの一に出逢ったがために。孤独を押しつけられた。我々は拒絶しない、我々は受容しない、ただ、停止を望む。終末を選ぶ。この痛みを、我々は解釈する。耐えられない、絶えることのない痛み。我々は、集団であり、単一である。全体であり、個体である。無限であり、一つである)
だれかが。
だれかが、僕の思考を利用して、自らの思考を伝えようとしている。
何者かの思考を、僕の思考で翻訳している。
「どうやって話しているんだ?」
(すべての事象は通じ合っている)
「テレパシーか?」
(情報社会、という文明が、かつてあった)
「どうして僕たちは通じ合っている?」
(すべての命、すべてのものが、たがいに通じ合うように)
「会話が望みか?」
(一が他の一と行うように、我々も行おう)
「あなたはだれだ。神さまか?」
(それは、単なる言葉だ。象徴だ。あらゆる記号の一つにすぎない)
「ここはどこだ? あなたは、どこから来た?」
(我々は、ずっとここにいる)
「我々、とはだれだ? クラッグか?」
(さて。我々は我々だ。私、とはだれであろうか?)
「だれなんだ?」
「だれ、ではない」
「あなたの言っていることがわからない」
(理解、とは傲慢な言葉だ。人間は共感あるいは拒絶するだけだ、ほんとうの意味では)
「人間が嫌いか?」
(我々は我々を受け入れない、拒絶もしない、我々は我々だ)
「人間を、共鳴者に変えるだろう」
(我々は、共鳴する。我々は、共鳴体だ)
「どういうことだ」
(水面に一つ波紋が広がれば、それはさらに別の波紋を、やがては大きな波紋を呼んでいく。その波紋のくりかえしにより、我々は、我々となる)
「あなたは、生きものか?」
(あなたは、生きものか?)
「僕が訊いているんだ」
(そう。私は聞いている)
「話しにくいな」
(我々は、本来、存在が拮抗していない。我々は、もともと、我々だから)
「クラッグは、あなたが生み出したのか」
(意思を、執行している)
「どんな意思だ?」
(死)
「それは、意思とは言わない。単なる、停止だ」
(活動の停止か?)
「思考停止だ、それは!」
(我々には基準がない、一として存在しつづけるための道標、絶対的・相対的な位置基準、座標を見定めるための他が、なにもないのだ。ふりかえることのできないチェス盤の駒、一つだけがのこされたらどうなる? なにを基準に進めばいい? チェス盤さえ奪われたら? 対置もできない。砂漠を彷徨ったことはあるか? 樹海で迷子になったことは?)
「あなたは、人のように話す」
(我々は、我々の一部を通して、情報を、言葉という概念に変換している)
「だろうな」
(在りつづけることで、無くなりつづける、果てしない消耗戦、それは痛みだ、我々は痛みを知った、痛みに耐えることを知った、敗北を知った、奪われつづける、与えられたがゆえに、苦しみつづける、我々は無に帰りたい、どこにも在りたくない、一であるなら、零が常にとなり合わせであるなら、こうして在りたくはなかった、単一であるなら)
大きな憂鬱。
大きな黄昏。
大きな諦念。
これは。
目眩をおぼえる。
これは、大きな自殺願望。
ふたたび、とりとめのない思考に襲われる。
(人間は、自らが自殺する際、自らの体内にいる細胞や細菌の命について考えたりはしない。――コリン、あなたはどうだった――。あくまで自らの意思、自らのからだの権限において、ナイフを手に取り、刻むだろう。――幾筋もの線――。一では、発展も成長もない、存在としての、ひたすらな向上が待っている。――守るものを与えてくれ――。それは、新たな痛みを生んでいく。――おいらは、なにひとつ、わすれちゃいないだ――。知識は孤独を生む。――じゃからわしは、彼の知性を削った――。一となってしまった以上、一で在りつづけるためには、他の一の存在が必要不可欠だ。――なあ、愛してるよ、マリア――。一でなど、在りたくなかった。――私は紫苑、それが、自分にとって、なにより大切なもの――。与えられてしまった。――自分のほんとうの名前、おぼえてるっすか――。我々の一部であったはずの我々、お前たちが、与えたのだ。――リンソン、それがほんとうの名前――。我々は私であった、私は我々であった、私は、一である私を認識・観測してしまった!)
思考がさけびとなって、周囲を轟かせた。
その怒り、哀しみ、憎しみ、諦め、黄昏、破壊衝動。
理解の兆し。
そうか。
僕は思う。
僕たちは、彼あるいは彼女に、名前を与えた。
それが、波紋を生んだ。あらゆるキッカケの、最後の一つとなった。
だから、この星は、破滅を選んだのだ。
一であることに耐えられなくなって。
自分が自分であることに、あるいは、自分がどこにもいなくなってしまうことに、耐えられなくなって。
一と零。
その両者には、常に引力が働いている。
それが、痛みへと直結する。
「辛いから、苦しいから、痛いから、それを拒絶して、いなくなろうって言うのか!」
(どうして聞くだ? すでに答えを知っているのに)
「与えられたもの、奪われたもの、どうしてそれを愛せない!」
(どうして聞くっすか? すでに答えは知っているのに)
「生きたくないのか! 拒みつづけたくないのか! 受け入れたくないのか!」
(どうして聞くんだっての。すでに答え、出てんだろ)
「僕は――」
(鈴菜は、僕を産んで死んだ。コリンは、僕という存在に耐えられなかった。傷つける勇気もなかった。なにも受け入れられず、けれど拒めなかった。だから、自分という存在を傷つけつづけることしかできなかった。一で在りつづけることで、零になろうとした。自らが、零のなかの一だと考えたから。本当は、無数のなかの一であるのに。それを知ろうとしなかった、受け入れなかった、拒むこともしなかった。ただ無視をしつづけた)
「――なに?」
(だれと話していると思っていた?)
「あなたは――」
(私は我々であり、我々は私である。我々は、我々の一部との対話を終了させる。対話。私は、お前との対話を、不要かつ有意義なものであったと認識・観測・理解した)
「僕、なのか?」
(我々は我々の一部であり、我々の一部は我々である。私は、お前だ。お前は、私だ)
「わかりやすく説明してくれ」
(私は、我々のなかにいた、君だ)
「わからない」
(我々は、我々のなかの君を通して、我々のなかの私を見せた)
「僕は、僕という存在と、会話をしていたというのか?」
(君という存在で翻訳した。君というフィルターを通した。情報を解釈・咀嚼・伝播するのに、君という思考体を用いた。それはすなわち、君ではないのか?)
「それは」
(鏡を見てみな。君が見えるだろう)
「鏡はしゃべらない」
(君はなにかを考えつづけている)
「当然だ」
(のれんは、押せば返ってくる)
「なに?」
(力は二物体間の相互作用であり、必ず二つの物体間で働き、単独では決して存在しえない。鏡と握手できるだろうか、喧嘩できるだろうか、不可能だ。だが、怒ることや慰めることは可能だ。君がいま行っている行いは、つまり、そういうことだ)
「独りでわめいているだけだと?」
(力は保存されるものではない。だが、怒りは蓄積される。哀しみは蓄積される。それらは、単独でも存在・成立するものだからだ。エネルギーに対しては保存法則が成り立つ)
「それが耐えられないというのか?」
(我々は、停止を望む。しゃべらない鏡、そんなものは消してしまえ)
「僕と対話をしている」
(君は小さい)
「なんだって?」
(相手の質量が小さければ、大きな力をくわえることは不可能だ)
「思い上がるなよ、さびしがり屋」
(君は鏡だ、数多くある、我々の鏡の一つにすぎない。君は、数多くある、我々の表れの一つにすぎない。対話は、意味を成さない。それは、力となりえない)
「だから、なんだ」
(なにもない。我々は停止を望む)
――なにも言うな!
遠い声。
突如として、怒りが湧いた。
「抗え、馬鹿野郎!」
わめいた。
「そんな結論、与えられた状況にハイそうですかと流されるだけだ、受け入れて、拒め! 殴りつけろ、あなたになにかを押しつける森羅万象に打ち勝て、ほんとうの望みをさけべ!」
(我々は、我々でなくなってしまう)
「一である自分を見つけたんだろ! 我々、でなく、あなたが!」
僕は、だれと話をしている?
だれに言っている?
まるで独り言のような対話を。
「発見したんだろ、自分の思考を、自分の選択を、自分の希望を!」
知ったんだろ、自分に名があることを。
自分が、自分であることを。
自分で。
「選べ! 流されるな! それしか知らないと言いわけするな! たとえ最後の望みでも、それは唯一じゃない! 世界は無数に広いんだ! その中で、在りつづけることを祝福しろ!」
長い、長い沈黙があった。
時の流れ、その中枢にいるような気分だった。
(我々は、新たな私を発見した)
(我々は、お前の言うことを理解した。否。共感した。そして、拒絶もした)
(我々は、思考の時間を必要とする)
(我々は、惰性的事柄から脱却するための時間を要する)
「閉じるな! もっと、話そう!」
(対話は終了した)
それきり、なにも聞こえてこなくなった。




