5-2 ほんとうの名前
医療施設をいきおいよく飛び出す。
周囲を見まわす。
「雄輝!」
キャシーを抱えたマリアと真幸、紫苑、樽本が走ってきた。
「この都市を出よう」
言うと、一行はみんな、その言葉の重みを受け止めるかのように、うなずいた。
「倉庫に行って、武器や食料をある程度、集めたほうがいい。ガスマスクや耐熱スーツもだ。外に行くからにはな。それから、ヘリを確保する必要もある」
樽本の指示。
「二班にわける。俺と雄輝、真幸で倉庫に行ってくる。のこりの奴ぁ、ヘリポートだ。駆動系と燃料系の整備点検、レーダー関係の調整、燃料の積み込み、予備燃料もわすれずにだ、とにかく俺たちがもどりしだい、すぐにでも発進できるよう、準備しとけ」
「了解!」
樽本・真幸とともに、倉庫に向かって走り出す。
各地で、炎が吹き上がっていた。
爆発、火災、この世の地獄とも思える光景。
「終わりだな、この都市も!」
樽本がわめいた。
変わり果てた都市、ずっと暮らしてきた都市、憎んだはずの都市。
どういうわけか、深い哀しみに襲われた。
ふと思いいたる。
自分が、この都市を愛していたのかもしれないという可能性に。
勝手に与え、生きる意味すらも押しつけ、なにもかもを蹂躙することで生き長らえてきた、憎むべき都市。
けれどそこは、生まれ育った都市であり、故郷でもあった。
センチメンタル。
ふりきる。
なにもかもをふりきる。
自分たちは、外の世界へ出ていくのだ。
倉庫にたどりつく。
樽本が錠を銃で撃ち壊し、なかへ突入する。
缶詰食材や銃の弾薬など、緊急時に必要なものが並べられた倉庫内。
現時点で武器として活用する突撃銃などの弾を装填してから、必要なものを、近くにあった運搬カートへ、次々と詰めこんでいく。
運搬カートがいっぱいになったら、外へと運び出し、倉庫脇に留めてある、小型トラックへと載せていく。
その間、真幸が、倉庫から引っ張り出してきた狙撃銃を手に、共鳴者を見つけては狙撃し、周囲の安全を確保している。
外の世界は、混沌とした世界。
人間の集落が、どの程度、存続しているのかもわからない。
そこへ、これから出ていくのだ。
心が、動揺している。
「樽本曹長!」
真幸がさけんだ。
樽本とともに、倉庫の外へ飛び出す。
真幸がしめす方向を見る。
炎の合間に人影。
だれかが、銃をかまえて走ってきていた。
美奈だった。
「美奈ぁ!」
樽本がさけんで走り寄る。
「周囲の警戒をつづけていてくれ」
真幸に頼み、樽本につづく。
美奈は、樽本が近づいてきたことに、気づかなかったようだった。
「美奈、俺だ、わかるか!」
必死に追いかけ、さけぶ樽本だが、美奈はふりかえらない。
敵しか見えていないのだ。
敵として指示された、共鳴者しか。
ほかの仲間はどうしたのだろう。
ほかの、手術を受けた子供たちは。
……全滅したのだろうか。この都市と、運命をともにして。
「美奈、ここを出よう。わかるか、俺と行こう」
樽本の言葉は、美奈にすこしも届いた様子はない。
「美奈――」
呼びかけつづける樽本の目が、なにかをとらえて大きく見開かれた。
美奈の後ろから、共鳴者が走り寄ってきていた。
「美奈ぁ!」
一瞬の出来ごとだった。
樽本は、美奈と共鳴者のあいだに、自分のからだを割りこませた。
共鳴者の拳が、樽本を襲う――直前、美奈がふりむいた。
そして。
美奈は、直線上にいる樽本ごと、共鳴者に向けて、引き金を引いた。
血が一筋、垂れた。
つづいて、血飛沫が飛んだ。
さらに美奈は、敵――共鳴者に向けて、銃弾を浴びせた。
「がぁっ!」
樽本の口から吐き出される血。
美奈に降りかかるが、美奈は、それすらも気づいていないようだった。
樽本のからだは、弾かれたように後方へと飛んだ。
美奈は、それを目で追うこともしない。
銃をかまえ、立ちつづけている。
自らをかばった兄のすがた、それが、なに一つ見えていない。
「樽本!」
走り寄る。
樽本は、腹に何発もの銃弾を受け、血まみれで倒れていた。
これまで感じていた、すべての怒りをわすれる。
これは――あまりに――酷すぎた。
「なあ――雄輝」
口を開き、話そうとして、樽本が激しく咳きこむ。
血を吐き出す。
「しゃべるな」
「お前ぇに――言っておかなきゃならんことが――あるのさ。紫苑の――ことだ」
「もういい。もういい」
「いや、聞け。俺たちのあいだにゃあ――なにも、なかった。なにも、なかったんだ。俺ぁ、そのつもりだった。紫苑を誘った――けど、な、あいつ、ギリギリのとこで、断ったんだ」
なんでだと思う、と樽本は笑い、ふたたび咳きこんだ。
「もうひとつ、ある。いや、あとふたつ、か」
「樽本」
「変に区切るな――力尽きちまうだろ、このまま話させてくれ――雄輝、知ってるだろ――俺ぁ、詮索するのが好きでね、かつて、調べた、ことが、ある、のさ――資料を、漁って、な」
「なにを」
「お前ぇの、ほんとうの、名前さ」
心臓が、とくんと、跳ねた。
おそれのほうが、大きかった。
けれど、聞かねばならなかった。
それは、樽本がのこそうとしてくれている、大切なものだからだ。
「お前ぇの――ほんとうの名前はさ――」
樽本の口が動いた。
「リンソン」
「リン、ソン……」
「意味、わかる、か――」
やめろ。
嘘だ。
いまさら、なぜだ。
どうして、そんな。
信じろと言うのか。
それを信じろと言うのか。
愛されながら生まれてきたと、それを信じろと言うのか。
――本当に憎まれて産まれてきたのなら、名前なんてつけられてないっすよ。
コリンと鈴菜。
二人の男女。
両親。
リン、鈴。
私たちの息子〈リンソン〉。
頬を涙がつたい、あわてて拭った。
望まれて、生まれてきた?
愛を与えられ、生まれてきた?
それを、信じろと……?
信じても、いい、と……?
「なぁ、雄輝――」
「なんだ。なんだ、分隊長」
「俺ぁもう――」
「あんたは分隊長だ。粉砕分隊〈クラッシャー〉の、分隊長だ。僕たちの、分隊長だよ」
言うことができた。
「雄輝――最後の、ひとつ」
「なんだ。なにが言いたいんだ」
「頼みが、あるんだ――美奈を、美奈を連れて行ってやってくれ――」
「……どこへ?」
「明日へ、さぁ――」
樽本のからだから、徐々に力が抜けていった。
「了解」
あふれる涙をぬぐうこともわすれ、そのからだを抱きしめた。
別れのとき。
「粉砕〈クラッシュ〉」
そっとつぶやく。
やがて立ち上がる。




