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5-1 燻蒸の黙示録〈スモーキング・アポカリプス〉

 燃え上がる炎の灯りが、窓から染みこんできて、暗闇につつまれた病室内を照らす。


 窓の外は、すでに阿鼻叫喚の巷と化していた。

 感染した者の叫び〈スペル〉と、それ以外の者の悲鳴。


 樽本が、いきおいよくカーテンを閉める。


「こっから脱出する。この病棟も、もう共鳴者だらけのはずだ。油断すんな」

「あんたはもう隊長じゃない」


 小さくつぶやく。

 意味を持たない発言だった。


「んなこと言ってる場合じゃねぇ。気に食わねぇならのこるんだな」


 武器は、樽本の持っていた拳銃が一丁のみだった。

 あとは、外で調達するしかない。


 マリアがキャシーを立たせる。

 キャシーは、気が抜けたように大人しくなっていた。


 武器を持つ樽本が先頭に立ち、ゆっくりと廊下への扉を引き、顔を覗かせる――が、すぐに顔を引っ込め、鍵を閉めた。


「まずぃな、共鳴者だらけだ」


 その言葉どおり、廊下からは、いくつもの雄叫び〈スペル〉が聞こえてくる。


「あのぅ、窓から飛び降りますか?」

「馬鹿言ってんじゃねぇ、ここは三階だぜ」

「通風口」


 紫苑が天井を指さす。

 樽本がうなずき、ベッドを引きずってきて上に乗り、通風口の網を両手で突き破ってからだを持ち上げた。


「駄目だな、火災で煙が充満してる。こんなかを進むのは自殺行為だ」


 衝撃が走り、室外への扉が燃え上がり始める。


「しかたねぇ、窓から逃げっぞ。無防備だが、パイプを伝って降りよう」


 そのとき、いきおいよく扉が弾け飛び、テレビに衝突して火花を散らす。


 共鳴者たちが、部屋に足を踏み入れてくる。

 廊下は、すでに火につつまれていた。


「樽本、ここは食い止める。外で合流しよう」


 とっさにナイフを抜く。

 もはや、迷いもなく。

 腕に新たな傷を刻む。


 左眼に、焼けるような痛みが走る。

 全身に炎をまとう。

 皮膚が盛り上がり、硬化していく。


 咆哮〈スペル〉しながら、突貫する。

 共鳴者たちを巻きこみながら、廊下へと飛び出す。


 背後では、ほかの者たちが窓からの脱出を始めている。

 樽本の射撃音。


 廊下にいた共鳴者がいっせいにこちらをふりむく。

 咆哮〈スペル〉。


 叫び返す〈スペル〉。


 飛びかかってきた敵の顔面に拳を打ちこみ、そいつのからだをつかむと、密集している敵に向かって投げつける。

 連鎖的な爆発が起こり、灼熱の炎が施設内の廊下を走り抜けた。

 どこかの窓ガラスが砕け散る音が響く。


 戦いながら、頭は別のことを考えている。


 突如として訪れた、樽本への怒り、そして紫苑への不思議な感情について。

 マリアと薬音寺について。

 ノイズについて。

 キャシーと、その娘について。


 受け入れがたい現実を、ただ受け入れて死んでいくことについて。

 あるいは、とことん抗って、それでも死んでいくことについて。


 考えているうちに、自身の異変を察知した。


 からだが急速に冷え始めている。

 周囲の熱が、危機的状況へと変わっていく。


 変身が解け始めていた。


 からだは岩石のように硬化したままだが、身をくるんでいた炎はすっかり消えてしまっている。

 硬質化した皮膚も、もとにもどり始めている。


 焦燥。

 ここで完全に変身が解ければ、周囲の熱に、からだが耐えられないという事実。


 もとにもどり始めているからだで窓から飛び降りるのは危険と判断し、急いで階段へと向かう。


 煙が充満した空間を一気に駆け下り、一階の廊下へと飛び出すと、外部に向けて疾走、だが視界の隅に人影を認知し、足を止める。


 佐々木医師だった。


 待合室のソファーに腰掛け、物思いにふけるように、天井を見上げている。


「どうして――」


 共鳴者と化していないのか。

 しかし医師の目は、共鳴者のそれとよく似ていた。


「君か」


 視線をこちらに合わせず、医師はつづける。


「不思議なものでね、だれよりも長く生きた者は、生よりも死にこそ実感をおぼえるのかもしれない。生は、いつか死に直結するがゆえに、生でありつづけるのか」

「これから、どうすれば……」


 自身の口から声が漏れた。

 変身は、ほとんど解けてしまっていた。

 周囲を火に囲まれ、熱は確実に迫ってきていた。


「外へ向かいなさい。この都市を出て。ここはもう終わりじゃ」

「あなたも」

「わしはのこる。この都市に、あまりにわしは業をのこしている」


 それに年寄りは足手まといじゃよ、と老人は薄く笑った。


 火が、すぐそこまで迫っている。


 ふざけるな、とさけびたかった。

 いまさら、未来を僕たちに押しつけるのか。


 与えられるもの。

 奪われるもの。


 甲高い咆哮〈スペル〉。

 すぐ背後に、共鳴者のすがたがあった。


 自分が、あまりに無防備な状態であることを思い出す。


 轟く銃声。

 砕け散る共鳴者。


 佐々木医師が、拳銃を片手ににぎりしめ、立ち上がる。


「行きなさい。君たちには、生きる義務と権利がある」


 ふざけるな、ちくしょう、ふざけるな。

 意味もなく涙があふれそうになった。


 咆哮〈スペル〉が聞こえ、続々と共鳴者が通路の奥からすがたを現す。


 無理やり、医師を連れて行くこともできた。

 だが、できなかった。

 しなかった。

 医師の目が、それを拒んでいた。


 踵を返す。

 駆け出す。


 単発的な銃声。

 やがて聞こえなくなる。

 ふりきる。

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