4-6 ※気分を害する恐れがあります。
新しい分隊部屋は、粉砕分隊の部屋をそのまま利用することに決まっていた。
マリアが扉の前に立ち、ノブをにぎって首をかしげる。
「ありゃー? 鍵かかってる」
そいつは変だな、と思う。
現段階で、その部屋を用いる人間は、ほとんどいないはずだ。
まだ爪牙分隊の面々は自分たちの部屋から移動していないし、美奈はすでに異動した。
真幸は先ほどすれちがったのだから、のこるは紫苑と樽も──
──樽本さんといっしょに歩いてましたけど──
「おかしいなー?」
歩き出した。
なにかを考える余裕などなかった。
自分のなかの冷静な部分など数キロメートル向こうに置き去りにし、脳が沸々と沸騰しているようだった。
マリアを押しのけるようにして扉の前に立ち、自分でもおどろくことに、一気に蹴り破った。
最初に見えたのは、手前のベッドに腰掛ける男の背中だった。男は服を着ておらず、その背中の刺青──虎の刺青が、こちらをにらんでいた。
そして、そのかたわら──ベッドのなかで目を丸くして、こちらを見つめている少女の存在に気がついたとき──その少女が服を着ておらず素っ裸であることを頭のどこかで認識したとき──喉からは荒々しく息が漏れ、かつての分隊長につかみかかり、思いきり、顔面を殴り飛ばしていた。
樽本が、真っ裸で床に倒れた。
「雄輝、これは、え、いったい──」
いつもの無表情をおどろきの表情に変えた紫苑が、ベッドから腰を上げた。
その肢体を見つめながら、悲しいほど冷たい氷が、喉を通って、腹の底に沈むのを感じた。
だれでもいいのか、と思う。
だれでも、良かったのか。
マリアが紫苑に近づいた。
「さっさと服着なよ。あんたには、ちょっと聞きたいことがあるからさぁ」
その口調とは裏腹に、声は据わっていた。
紫苑が言われたとおりに服を着て、マリアの後について部屋を出ていこうとする。
すれちがう。
「……こういうの、やめようっすよ。自分たち、そういうのじゃ、ないじゃないすか」
小声でつぶやく。
その声は、全身を切り裂く鋸となって、僕のもとにのこった。
紫苑が出て行く。
樽本だけがのこる。
「お前ぇとあいつが、そういう関係だという情報は、さすがの俺でも持ってなかったなぁ」
樽本が裸のまま笑う。
一つ一つ、理性の線がちぎれていくのがわかった。
殺そう。こいつを殺そう。
そんな声が、全身から沸いてくる。
「あいつ、危なっかしいなぁ」
それでも、樽本はやめない。
「お前ぇ、あいつの過去とか知ってるか?」
「……よくは知らない。あんたとちがって、詮索するのは好きじゃないんだ」
「こいつぁ俺の性分でね。あいつぁ、実の父親に性的虐待を受けてたんだ」
衝撃。
そんなこと、知りもしなかった自分。
拳をにぎりしめる。
「ある日、母親が早めに生活のための仕事から戻って、扉を開けてビックリってぇわけさ。ベッドの上で、自分の夫が、自分たちの娘に乗っかってたんだからな。ベッドは大きく揺れてた。娘は、無表情で宙を見つめていたそうだぜ」
「やめろ……不愉快だ」
「だが聞け。そんでもって、あいつぁ、自衛隊に渡された。父親から解放する意味もあったのさ。だがあいつぁ、いつも家を留守にしていた母親より、父親の愛を強く感じていた。俺たちからすりゃあ、父親は異常だけどな。実の娘は、愛されていると感じてたのさ」
紫苑──あなたを忘れない。
頭のなかがくらくらする。
自分が立っていることが、とてつもなく不思議に思えた。
「それから、さらに話はつづく。あいつぁ、自衛隊に入ったときの担当教官にも強姦されてる。そいつぁ、普段はとても優しくて、理想的な教官だったそうだ。紫苑の父親もそういう男で、つまるところ、二人はよく似ていた。父親のような男がまた現れて、おなじように彼女をあつかったってぇわけだ」
愛される方法。
愛される行為。
「あいつぁ、それ以来、人の心を感じたくなると、すぐに相手を誘うようになった。父親みたいな奴が現れりゃ、ことさらにな。話じゃあ、頼まれりゃ、誰とでもヤッてたって感じだ。まあ、こいつは単なるうわさだがな。尾ヒレかもしれねぇ。けど、そうしねぇと、あいつぁ、人のそばに寄れず、安心できねぇんだろう」
──私は紫苑。それが、自分にとって、なにより大切なもの。
「そこまで知ってて──」
限界まで拳をにぎりしめる。
「そこまでわかってて、あんたはそれを利用したんだ」
「否定はしねぇがな。単に興味があったんだ。虚無と虚無がベッドの上でからむと、どうなるか、てぇことにな」
部屋にのこる熱気。
シーツの乱れ。
すべてを壊したかった。
ふりきってもふりきっても、あとからあとから妄想が追いかけてくる。
いますぐ気が狂いそうだった。
雑音に似た耳鳴りが、脳の裏側を削っている。
がむしゃらに暴れだしたい欲求をこらえる。耐える。我慢する。
裸の樽本。それに抱かれる紫苑。
考えるな。
手がナイフをさぐっている。
手がナイフをさぐっている。
手がナイフを──
自分がナイフの柄をにぎりかけていることに気づいて、愕然とする。
幾筋もの線。
「俺を、殺すか?」
樽本が笑った。
ふてぶてしい笑みだった。
そうして欲しいんだ、こいつは、と心の遠くで、ぼんやりと思った。
自分をふくめ、すべてのものに対して怒りが湧いた。
ふざけんな、どいつもこいつも甘えやがって。
ふうっと息を吐く。
全身全霊の力をこめて、両手を開く。
ナイフから手を遠ざける。
「馬鹿言え。殴り返したきゃ殴れ」
そこまで言って、なにやら外が騒がしいことに気づく。
樽本も気づいた様子で、扉のほうに二人して向き直ったとき、その扉を大きく開いて、真幸が駆けこんできた。
おどろいたように立ち止まり、状況に困惑し、息を切らす。
「どうした?」
樽本が問う。
真幸──荒く息をつき、ようやく顔を上げて、
「ニュース、見ましたか?」




