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4-5 誘惑

 訓練後のシャワー。


「あぁー、生き返るぅーい」


 マリア──長い赤髪を下ろし、真水のシャワーで行水。

 髪をかき上げると、左肩の刻印『H.A.K/A.D』の真下から、尻の上のあたりまで、蛇のような魚のような動物の刺青が彫ってあるのが、くもりガラス越しにも見えた。


「マリア、前から聞きたかったんだけど、その動物はなんなんだ?」

「あ、これー? ドジョウだよ、ドジョウー」

「ドジョウ? 刺青としてはめずらしいな」

「ドジョウはね、一部の地域では、踊り子っていう異名を持つんだよ。かわいいでしょ」

「踊り子ねぇ」


 たしかに戦場での彼女は、目をみはるほどの美しさを放っている。天真爛漫な、その戦いっぷりは、見ていて清々しいほどだった。彼女は、頼れる戦友であり、美しい少女だった。


「新しい仲間ともうまくやっていけそうっすね」


 マリアの背後から投げかけられた声に、思わず心臓が高鳴る。


 声の主──紫苑。

 その艶やかな肌から目をそらせない。


 心臓の音が、耳の真後ろで聞こえる。

 平然としてろ、いつも通りにしろ、と頭が命令を下すのだが、どうしてもからだが言うことを聞かない。

 紫苑の双眸が、ガラス越しに、こちらに向けられる。

 顔が赤くなりそうになって、シャワーを正面から浴びた。


 自然と、シャワールームの端で静かに湯を浴びている男に目を向ける。

 ただ一人、湯を浴びているがために湯気に包まれている男──坊主頭の猛犬──虎の刺青──樽本。

 黙々と湯を浴び、からだを洗い流す、かつての分隊長。

 その瞳が、なにに向けられているのかも、定かではない。

 訓練での彼の連帯は的確だった。

 行動にも、なんら異常はなかった。

 その表情を除いては。

 目の下にくまを作り、無精髭を生やし、血走った目で、すべてを見すえる。

 なにもかもが敵に見えてるんじゃないか、と思えるほどだった。


 戦う相手を把握できず、敵としてしか他者を認識できない者たち。

 美奈の無表情。

 樽本の、狂気を孕んだ瞳。


 なにかが足もとからくずれようとしているような感覚に、必死で両足を伸ばし、バランスを取る。

 それが、いまの自分にできる、せいいっぱいのことだった。


 樽本がシャワールームを出る。

 それにつづいて、紫苑、真幸も外に出ていく。


 ついには、自分とおなじく、ゆっくりシャワーを浴びるタイプらしいマリアと、二人きりの状態になった。


「あのさ、一つ、聞いてもいいかな?」


 マリア。

 シャワーを止め、タオルを手に取りながら言う。


「だれでもいいもんなの? 男って」

「なんの話だ?」

「だからさぁー、だれとでも、したいもんなの?」


 おなじくシャワーを止め、タオルでからだを拭き始める。


「さあな。あまり経験の蓄積がないから判断できないな」

「じゃあさ、いまここでする? て聞いたら、あんたは、どうするの?」

「高笑いして出て行く」


 ばん、と音がして、男女の空間を隔てていたくもりガラスの敷居がずらされる。

 マリアが、一枚の白いタオルを巻いただけの格好で、目の前に立つ。


「真面目に答えてよ。これでも真剣に聞いてんだから」

「悪い。すくなくとも、見境なくだれとでもするつもりは、僕にはないな」

「ほうほう。てことは、誰となら、するの? 紫苑?」


 その名前に、一瞬、ぎくりとする。


「さっきもさ、紫苑のこと意識してたでしょ?」

「べつに」

「ばーか、ばればれだよ、雄輝。このぶんじゃ、本人にも気づかれてるかもね。そうですか、雄輝は紫苑に惚れちゃいましたか。やっぱ、迫られて、コロッといっちゃったの?」

「そんな安っぽい男にはなりたくないな」

「好きならさぁ……さっさと伝えた方がいいよ。あんたにとっても、きっと、紫苑にとっても。……あたしら、いつ、どうなるかわかんないんだからさ」


 マリアの横顔。

 悲しげな笑み。


「遅すぎだって、あの馬鹿……」


 マリアが目をこちらに向ける。

 からだに巻きついたタオルの合間から、その肌が覗いている。

 彼女がなにを求めているのか、なんとなくわかる。


 背を向ける。


「マリア。僕にお前を慰めてやることはできない。自分でもわかってるだろ?」

「ば、ばか! べつにそういうつもりじゃないよ。ばかばーか」


 それでこそマリアだ、と思う。

 二人してシャワールームを出る。


「よっしゃ、じゃあ今日は、雄輝の、ザ・告白・玉砕デーに決まりだね」

「玉砕は決定事項なのか? というか、そもそも告白の予定は──」

「紫苑ー、どこだー、出てこーい」

「……聞いてないな」


 やけに楽しそうに、マリアが兵舎を闊歩。

 偶然に通りかかった真幸を捕まえる。


「やっほぅ、真幸ぃ。紫苑見なかったぁー?」

「紫苑さん?」


 興味なんて、ない。

 そう自分に言い聞かせ、紫苑のことは頭からしめ出そうとする。


「ちょっとまえに、樽本さんといっしょに歩いてましたけど」

「はあぁ、めずらしい組み合わせだねぇー」


 興味はない、興味はない、と頭のなかでテロップを流しながら、なにげなく聞く。


「で、なにしてたんだ、二人は?」


 そんな僕を、マリアは、へぇ~ほぉ~という表情でニヤニヤ見ている。


「さ、さあ……。あのぅ、僕、なにかマズいこと、言いました?」


 真幸に言われて、自分が異常なまでに真顔だったことに気づく。


「いやー、なんでもないの、なんでも。じゃねー」


 マリアが笑みを浮かべて僕を引っ張る。

 不思議そうな真幸をのこし、去る。


「どうやら目標は、あたしらの分隊長……いや、樽本曹長と接近遭遇してるみたいねー」

「どうでもいいよ、さっさと部屋にもどって寝よう」

「うわー、ノリ悪いなぁ……ま、あんたがそう言うんなら、いいや。もどろっか」

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