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3-4 予感

 最初に散歩を始めてから数時間が経過。


 分隊部屋にもどってみたものの、周囲の状況には、いっさい変わりなし。


 座りこむ真幸と美奈、漫画に目を走らせる紫苑。

 つい溜め息。


 そのとき、後ろから、樽本と村崎二尉が入ってきた。


「出撃要請よ、諸君」


 村崎の言葉に、紫苑が「え~マジっすか」とブーイング。

 手にしていた読みかけの漫画をヒラヒラさせる。


 村崎は相手にせず、つづける。


「本日は内閣総理が視察に訪れている」

「棒立ちの監視者〈ウォッチャー〉の代表が、天から視察ってかい」


 となりの樽本が茶化すが、村崎は、やはり相手にせず、言葉を締めくくった。


「その期待に応えて見せましょう。曹長、説明を」


 振られた樽本は、一瞬、村崎二尉に対して意味ありげな睨みを利かせたが、それも一瞬のことで、すぐ、部下たちをふりかえった。

 入り口付近に貼ってある、基地周辺の地図上に指を置く。


「ここ」


 樽本の指が、地図をなぞる。


「一か所の地点に、例の新種がぞろぞろ集まってるってぇ話だ」

「なんらかの攻撃があると?」

「わからん」


 樽本――肩をすくめる。


「なにかあってからじゃあ遅い。ま、総理殿に働きを見せる意味合いが濃いさ」


 地図から指を放し、樽本がこちらへからだを向ける。


「空中部隊および粉砕分隊をふくむ一個小隊が迎撃に当たる。行くぞ」


 文句を言いながらも立ち上がり、部屋を出て行く紫苑。

 真幸も向かおうとして、美奈が立ち上がろうとしないことに困惑し、となりに座りなおす。


「美奈、どうした? 出撃だよ」


 妹にはやたら優しい粉砕分隊長の言葉。


「嫌な予感がするの怖いのダメなの美奈行かないよ行くもんかここにいる」


 美奈の口から、突然、飛び出した我がまま。


「美奈……大丈夫だ。どんなに、あの新種が出てきたって、装備さえ整ってりゃあ──」

「悪いことが起こるの分かるの感じるの今日は嫌お願い今日だけは嫌」


 困り果てた樽本が村崎をふりかえる。

 引っ張ってでも連れて行けという村崎の目。

 樽本――溜息。妹に向きなおる。


「美奈ぁ。そういやぁ、昨日から体調悪かったっけな。今日だけ休ませてもらうか」

「曹長!」


 村崎の怒号。


「村崎二尉、ほかの小隊から優秀な奴を補充してもらうさ。今回だけだ。頼むよ」

「ふざけないで。教習学校を休むのとはわけが違うわよ。代返でもしてもらう?」

「頼む。こいつのぶんまで俺が働く。こいつ、こういう状態になると、まったく動かねぇんだ。母親が死んだときも、そうだった。母親の亡骸の前から、一歩も動かなかったんだ」


 自分が無茶なことを言っているのは分かっている、というふうに目を伏せる。

 樽本らしからぬしぐさだった。

 ふだん、なにがあろうと、相手から目をそらしたりしない男なのだ。


「二尉」


 その男が、困り果てていた。

 相手を脅しつけることだってできる人間だ。

 それが、自分にまつわることなら。

 だが樽本は、最適な選択肢を考慮し、選んだにちがいない。

 その声は、妹を気づかう兄のそれだった。

 さきほど、睨みまで利かせてみせた相手に対し、頭を下げる。

 一貫していない、都合のいいと受け取られても仕方のない態度。

 だが、声や姿勢から、誠実さがにじみ出ていた。

 およそ樽本らしくない、処世術。

 それでも、樽本はつづけた。


「なあ、頼むぜ」


 村崎が目を閉じる。


「いくらお前の言うことしか聞かないからと言って、親族を同じ分隊に所属させたのは、やはり失敗だったわね。これは、私の落ち度よ」


 村崎――その目が、兄妹に向けられる。

 決して、優しいとは言えぬ視線で。

 憎しみ、それに近いものまで、感じられた。

 その瞳には、許しなど、なに一つなかった。


 部屋を出て行く。

 その間際に一言。


「今回だけ。次はないわよ」

「恩に着る」


 樽本、妹の髪をなで、微笑みかける。

「お前ぇはいい子だ。それぁ分かってる」


 樽本――優しい声。

 いつもの荒い気性、雑な態度、獰猛な言動とはちがう。


 みんな、自分にとってのなにかがある。

 自分には? なにかあるか?


 なにもない。

 そんな思いで充満する。心が、空っぽで、埋まる。


 樽本がかがんで美奈と向き合う。


「お前ぇが嫌だって言うんなら、俺がお前ぇのぶんまで戦う」


 軽く額にキスして、出て行く樽本。

 微動だにせず、宙を見つめる美奈。

 彼女を部屋に残し、真幸とともに部屋を出た。

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