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3-1 漆黒の黙示録〈ピッチブラック・アポカリプス〉

「紫苑」


 分隊部屋。

 薬音寺が二段ベッドの下側にあおむけで転がり、両手でかざすように持ち上げたファッション雑誌のページをくりながら問う。


「お前、さっきからなに読んでんの」


 紫苑が、こちらはうつぶせに寝転がって読んでいた漫画から顔を上げ、表紙をかかげる。


「愛すよ、愛。少年たちの禁断の愛。いわゆるボーイズラブってヤツっす」

「えー、気持ち悪っ」


 と声を上げたのはマリア。

 肩紐で吊るしただけの薄い夏服という涼しげな格好。

 むきだしの左肩には刻印『H.A.K/A.D』=「抱いてキスして踊っちゃおー!〈ハグ・アンド・キス・アンド・ダンス〉」。


 マリアは紫苑の上のベッドに寝転がって、携帯用ゲーム機で遊んでいた。

 チャラチャラと音楽を流すゲーム機を脇に放り、頭を逆さにして、下にいる紫苑を覗きこむ。

 その見事な赤毛のポニーテールが垂れ下がる。 


「どんなの。あたしにも見して」


 紫苑がマリアにも見えるよう、漫画の位置をずらす。

 むむむむ、とマリアが漫画に顔を近づける。

 ほえぇ~、これはこれは、といった顔で覗きこむマリア。

 紫苑がページをめくるたびに目玉を動かしてコマを追っている。


「お前にそんな趣味があったとは知らなかったぞ、紫苑」


 薬音寺が雑誌から顔を上げず言う。


「自分の趣味じゃないすよ。これ、美奈に借りたんすから」

「……げげ」

「美奈だって女の子ールンルンルンルン女の子ぉー」


 すみっこで膝をかかえて丸まっていた美奈が歌うように口ずさむ。


「……美奈ちゃん、俺の近くで突然に電波の入った歌をくりだすのはやめてくれ」

「あ、あのさ、美奈ちゃん、外に出て散歩でもしよっか」


 真幸、美奈のとなりでおなじく膝をかかえ、誘ってみる。

 なかなかに勇敢な行為だ。


 しかし美奈は、顔を膝のあいだに埋めたまま、テンションを一気に落とし、


「外はイヤ外はダメ汚ない黴菌がウヨウヨいるんだ恐ろしいんだ怖いんだ」


 と、相変わらず呪詛のようにブツブツつぶやく。


「平和だねぇ」


 薬音寺が、感慨深げに言う。


 実際のところ、いまこの瞬間は、かぎりなく平和だった。


 あれからのたび重なる戦闘。

 クラッグは、都市の周囲での集結を、定期的に行うようになった。

 例の新種も、そのたびに出現する。

 あの初遭遇の任務の際、あちこちで部隊は壊滅状態に陥った。

 事態を重く見た上層部。

 そのため、部隊は出撃の際、重戦車に対抗するかのごとく物々しい装備を毎度することとなった。


 ベッドに寝転がったまま、左腕を持ち上げ、光にかざしてみる。

 出撃するごとに増えていく傷痕。

 幾筋もの線。


 もはや、部隊内で、自分の存在は完全に英雄状態だった。

 みんなが期待し、求めている。


 それ自体は悪くない気分だった。

 自分がどこにでもいるような感覚。

 しかしそれは、ごくたまに、自分がどこにもいないような感覚をも生み出していた。

 矛盾しているような二つの感覚は、ときに自分自身を、際限なく孤独へと押しやった。

 だが、こうして分隊仲間の連中と騒いでいるあいだは、そのようなこともなかった。


 薬音寺が起き上がり、紫苑に近づく。


「どれ、どんなんなのよ」


 紫苑の差し出した漫画の中身を一目見て絶句。

 すかさず取り上げる。


「ちょっと、なにするんすか。いまちょうどフラグが立ちそうだったんすよ」

「あぁー! ばかばか、もうちょいであいつが受け入れる感じだったのにぃー!」


 薬音寺に浴びせられる二連撃。

 それらを気にもとめぬ衛生兵の嘆き。


「くわぁー理解できねぇ! 捨てろっ! 捨てっちまえっ、こんなもん!」

「い・ま・い・い・と・こ・だ・っ・た・の・に・ぃ!」


 マリアが、薬音寺の髪を引っ張る。


「痛だだだ! 痛い! でも『痛いのは最初だけ』!」


 漫画の表紙を見せつけながら、その帯に書いてあった文言をさけぶ薬音寺。

 そこまで言われ、ようやく我に返ったのか、マリアが漫画から顔を背ける。


「……ただの好奇心よ」


 マリア、弁解。

 すこしばかりの赤面。

 その場にいるのが恥ずかしくなったのか、薬音寺の服を引っ張るマリア。


「ちょいと、顔、貸してよ」

「あいあい、姫様」

「うるさい! いいから来なさい! あたしがデートしてあげるって言ってんだから!」

「やおい~」

「うるさい!」


 薬音寺が、マリアに引っ張られ退場する。


「マリアさん、だいぶ元気になりましたね。キャシーさんは最近、見ないけど……大丈夫なんでしょうか」


 問いかける真幸。

 肩をすくめることしかできず。


「マリアが元気になったのは薬音寺のおかげ」


 紫苑が、薬音寺の落とした漫画を拾い上げ、読むのを再開しながら言う。


「最近、薬音寺、頑張ってたっすからね。そりゃあもう、マリアのために、食事に誘って断られたり下手な冗談言ったりスカートめくったり」

「……精神年齢のわからない奴だな」


 とくにすることなく天井を見上げているのにも飽き、からだを起こしてベッドを下りると、あてもなく部屋を出た。


 いったん、兵舎を出て、太陽の下に立つ。


 さて、どうするか。

 一人で食堂にでも行くか、それともぶらぶらと基地内でも散策するか、と考えていたところ、知っている声が聞こえてきて思わず立ち止まる。


 兵舎の外、その建物の陰から、マリアの声が聞こえてくる。


 覗きこむと、薬音寺とマリアが木陰に座り、会話をしていた。

 会話の内容は聞こえない。

 盗み聞きをしなくてすんだことに、ほっとしながら、引き返そうとしたとき、マリアが泣いていることに気づいた。

 自然な動作でマリアの肩を抱く薬音寺。


 ──マリアが元気になったのは薬音寺のおかげ。


 逆に言えば、マリアは、薬音寺の前で弱さを見せられるようになったということか。

 だからこそ、ほかのみんなの前では、いつもどおりのマリアでいられるのだ。


 薬音寺がマリアを優しく抱きしめている光景に、不思議な感じになる。

 あのがさつで、お調子者の薬音寺の意外な一面。

 そして、自分には絶対、ああいうふうに人を優しく抱きしめてやることなんてできないという、諦念に似た絶望。


 その場を後にする。


 なんとなく散歩する気が失せ、部屋にもどろうとする。


「……樽本」


 途中、なにやら思い詰めた顔の分隊長を発見する。


「雄輝、か」


 樽本は、どこかぼんやりと、顔をこちらに向けた。


「どうした」

「いんや。自分のなかで、いくつかわかったことがあるってぇだけだ」


 樽本が、近くのベンチに腰を下ろした。

 自分も自然とそれにならう。


「樽本。妹を放っておいていいのか」

「見失うつもりはないさ」


 決意の篭もった声。

 重い質問をしたつもりはなかったのだが。


「雄輝」


 樽本が小さく言った。


「この都市をどう思う」

「どうって……」

「守る価値が、あると思うか」

「なにを言い出すんだ」

「どうして戦ってる、俺たちは」

「戦わないとやられる、だろ?」


 樽本がなにを考えているのか分からなかった。

 表情からは、いっさいが読み取れない。


「樽本。なにを調べている? なにを知った?」

「裏側だよ。知るってのぁ、そういうこった」


 樽本はなにかを調べている。

 それは、以前から気がついていた。

 たった一人で、なにかに立ち向かおうとしている。

 おそらくは、妹のために。

 妹が平和に暮らしていくために。


「分隊長」

「そういうふうに呼ぶな」

「あんたは、僕たちの分隊長だ。おなじ隊の仲間だ」

「なるほど。不器用な気遣いだなぁ、雄輝」

「すまない」

「いや、礼を言わせてもらうさ」


 樽本が立ち上がる。


「雄輝、勝手な願いなのは分かってるが、俺がいないときぁ、美奈を頼む」

「もちろんだ。けど、あんたが守るべきだ」

「守るために、俺は行動しなきゃいけねぇ」

「一緒にいてやるべきだ。となりで守るべきだ」

「薬音寺のようにか。あいつが、マリアにしているように」

「知ってたのか」

「なんでも知ってるさ。この世界のことも知り尽くす。未来も知りたいもんだね」


 立ち去る樽本。

 座ったまま、その背中を見送る。


 陽光をはらんだ風。

 そのまま座りつづけること数分、だれかがとなりに座った。


 村崎二尉。


「……めずらしいですね、こんなところに来るなんて」

「その後、からだの調子は?」


 村崎は、顔をこちらに向けることなく、問うた。


「会ったら即座に撃たれると思っていましたよ」

「異常はない?」

「特別問題はないです」

「そう」


 沈黙がつづく。

 横顔を盗み見るが、その表情は、あいかわらず読めない。

 眼鏡の奥、鋭い瞳が、なにに向けられ、なにを思っているのか、知るよしもなかった。


「樽本曹長と、なにを話したの」

「世間話です」

「どのような?」

「これは尋問ですか?」

「まさか。世間話よ」

「随分ととがった世間話ですね」

「こういう性格なのよ」

「難儀ですね」

「私は上官です」

「これは失礼しました」

「……ノイズ二曹の調子は?」

「あいかわらずですが?」

「そう」

「何か特別な関係でも?」

「だれと?」

「ノイズと」

「答える義務はないわ」

「そうですよね」


 村崎が息を吐いた。

 すこし疲れた、という表情だった。

 眼鏡を外し、目を閉じて、顔を空に向けた。

 意外な仕草、意外な表情に、おどろく。


 村崎二尉は、小さく、笑っていた。


「……むかし、すこしね」

「優しいんですね、村崎二尉」

「いま、私がしていることを知ったら、ノイズ二曹は、どう思うだろう」

「僕にはわかりません」

「意外と正直者なのね。それに素直」

「僕が、ですか」

「ノイズ二曹、きっと怒るわね」

「二尉にとって、それは重要なことですか」

「私にとって重要なのは、この都市の存続、この都市の安全、それだけよ」

「都市って……なんですか」

「人それぞれよね」

「二尉がしていることって……なんなんです」

「この都市に必要なことよ」

「確信していますか?」

「……ええ。確信しているわ」

「僕も意外です。二尉はもっと――寡黙なのかと」

「みんな、それぞれの役目、役割を演じている。必要なことを」


 二尉が眼鏡をかけなおす。


「佐々木医師を知っている?」

「ええ、知っていますが?」

「一つ、伝えておいて。今回は、失敗しない、と」

「それは――?」

「伝えてくれるだけでいい。意味は通じる」

「……わかりました」


 話が終わりに近づいていることを感じ取り、からだを村崎に向けた。


「二尉は――」

「私の話をしに来たのではなかったのだけど」


 村崎が立ち上がった。

 こちらをふりむかない。


「けれど、楽しかったわ。まずまずと言える程度にはね」


 そのまま立ち去る。


 のこされたというよりも、行かせてしまった、という印象。


 ベンチの感触が、妙に硬かった。

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