2-4 自傷と代償
からだを起こす。
となりに紫苑の姿はない。
鮮烈なイメージ──腕に刻まれた幾筋もの線が頭から離れない。
自分のベッド脇の棚から、つねに持ち歩いているナイフを取る。
掌を上に向け、拳を握り締めて左腕を伸ばす。
腕の折り目のすこしさきに、ナイフの切っ先をあてがう。
軽く押しこむ。
しびれに似た感覚とともに、血がにじむ。
ゆっくり動かす。
血が、腕の上に一本の線を描きだす。
かちり、と頭の中でなにかが作動した。
熱さが、らしく来た。
全身を炎がつつむ。
服が燃える。
からだが硬質化していく。
燃えながら生まれた。
拒みながら生まれた。
僕は。
「雄輝!」
意識を保とうと意識しながら、声のしたほうをふりむく。
扉のところに薬音寺とマリア、真幸が立っている。
薬音寺が駆け寄ってくる。
おそるおそる手を伸ばしてくる。
やめとけ──そうさけぶまえに、薬音寺の手が、こちらの腕に触れていた。
彼の手が焼け焦げる様子はない。
熱がっている様子すらなかった。
「あ、あのぅ、どうしよう、医師を呼びますか?」
あわてふためく真幸に、薬音寺が声を上げた。
「馬鹿! こんなところ人に見られたりしてみろ、雄輝に対する処置が一気に変わっちまうぞ。扉、閉めろっての。早く!」
扉の閉まる音。
「雄輝、ここに敵はいない。わかるか? だれもいない」
薬音寺の呼びかけ。
必死でうなずく。
からだの炎がおさまる様子はない。
「わ、どうしたんすか?」
扉が開き、紫苑とノイズが入って来ていた。
「見りゃわかるだろ、さっさと扉閉めろって。鍵もかけとけっての」
なにか言おうとすると、小さな絶叫〈スペル〉となって、口から漏れ出した。
薬音寺にたたかれる。
「しゃべんな! お前はいま、この基地において超危険人物なんだっての! これで、このまま暴走なんてしてみろ、お前、処分されちまうぞ。この都市は、役に立たないものは処分する、役に立つものだけを集めて、密集させて、それゆえの孤独も受け入れて、ただ一つ、荒野のど真ん中で生き残ってる都市だ。そうやって生き残ってきた都市だ、知ってるだろ? しっかり自分を保て、じゃねぇと呑まれっぞ!」
了解と言おうとすると、またも絶叫〈スペル〉が漏れる。
壁がミシミシと揺れ、壁に貼られているノイズの絵がはがれ、すべり落ちた。
何枚もの絵の下から、一枚の写真がすがたを現す。
その写真だけは、どんなに壁が揺れても落ちることなく壁にのこっていた。
自分を落ち着かせようと、ついその写真に集中する。
八人の子どもが、重なり合うようにしてならび、こちらに向かってピースを決めている。
まんなかに映っている、もっとも元気そうな少年。
それが、ノイズなのだと分かったとき、強烈な頭痛が頭を襲った。
からだの周囲から炎が消えていく。
「どうやら落ち着き始めたな。からだの皮膚も、もとどおりになり始めてる。ったく、人騒がせだっての。……雄輝? 大丈夫か?」
「ひどい……頭痛だ」
言葉を発した。
ちゃんと言葉となって口から流れ出た。
からだから、かつては服だった灰が、はらはらとはがれ落ちた。
「ほれ、服着ろよ」
薬音寺がロッカーから取り出し、投げてよこした服を受け取る。
「雄輝、どうしてこうなった。原因はわかるか?」
薬音寺の問い。
服を着ながら、自分の肉体を見下ろす。
腕に刻まれた一本の線。
答えが見えている。
そのわずか上に、もう一本、傷跡が見える。
すでにかさぶたの取れかかったその傷は、前回の戦闘で、焼かれた兵士の発射した弾丸がえぐったものだった。
あのときも、自分は変化した。
腕の上を走る、二本の傷。
それが答えだという気がした。
それにしても。
頭痛が治まる気配はない。
「医者を呼んでくるだ」
ノイズが言った。
すぐに薬音寺が止める。
「ノイズ、頭痛の原因をどう説明するんだ。下手に表沙汰にしない方がいい」
「大丈夫だべ。ちと、親しいお医者さんがいるだ」
部屋を出て行くノイズ。
その笑顔が、壁にのこされた写真の、まんなかの少年とかぶる。
頭痛に耐え、深呼吸をくりかえしながら、床に落ちた幾枚もの絵に目をやる。
画用紙に描かれた、意味もなさそうな絵。
何枚か、裏返っている画用紙もあった。
なにか書かれている。
──はちがつふつか。
見わたす。
裏返っている画用紙には、すべて、おなじように日付が書かれていた。
ノイズにとって、何か重要なものなのだろう。
描いた日付だろうか?
そうとは思えない。
それでは、何年前か、その日付に関連した出来事を、つまるところ、過去の思い出を絵にして描いているのだろうか。




