2-2 子どもでも作ってみるっすか?
《──現段階、確認の取れている範囲で、この現象は、妊娠していた女性たち全員に起こったことのようです。また、各地で突然、胎児が原因不明の症状により死亡しているということが分かりました。これらが起こったのは、すべてほぼ同時刻、クラッグの大群が都市を包囲したのと同時に始まった現象だと推測されていま──》
「クラッグの攻撃……なんすかね」
薬音寺がテレビの音を消すのと同時に、紫苑が言った。
「人間から出産能力を奪ったってことか? そんなくだらねぇ話、マリアの前でするなよ」
「わかってるっすよ、そのくらい」
電気も点けていない、兵舎の分隊部屋で、テレビから吐き出される光だけが、面々の顔を照らしていた。
画面が切り替わるたび、青や赤や黄色に染まる。
部屋には、自分のほかに、薬音寺、紫苑、ノイズが集まっていた。
マリアは、病室でキャシーにつきっきり。
マリアを心配した真幸も、やはりつきっきりだった。
樽本と美奈は、いつものことなのだが、行方知れず。
みんな、迷彩ズボンに灰色のTシャツといったラフな格好で、テレビをながめている。
せまい部屋。
両脇に二段ベッドが二つずつならび、部屋奥の中心には、カーテンを背後にしたテレビが備えられている。
それぞれのベッド脇の壁には、隊員たちの私物のポスター等が貼られている。
薬音寺のベッド脇には、金髪美女のグラビア写真など。
マリアのところには、キャシーと本人の写真が数枚。
真幸のところには、いろいろな鳥の写真。
ノイズのところには、本人が書いた落書きが山のように貼られている。とくに意味があるようには思えないが、本人はとても気に入っているらしい。
紫苑のところには、様々な標語が掲げてある。曰いわく、「人間万事塞翁が馬」、「人間至るところ青山あり」、「我思う故に我あり」、「巧言令色、鮮なし仁」、「国破れて山河あり」、等々。
「最近、わかんねぇことだらけだ」
薬音寺が、一つ、と親指を曲げ始める。
「ヘリを利用し基地を狙った戦略的攻撃、これまでにない規模での侵攻、今回の一連の現象、それに──」
いま思い出した、という顔をして薬音寺が四本目、薬指を折り曲げる。
「それに、雄輝の件」
そう言えば、と紫苑がこちらを向く。
「大丈夫なんすか? どっか痛かったりしないっすか?」
「平気だ」
手を伸ばす。
テレビの光にかざし、動かしてみる。
「どんな気分だったんだ。自分で状況は分かってたのか?」
「なんとなく。途中まで意識はあった」
「いまはどうだ。たとえば、念じれば変身できたりするのか?」
「わからない。なにが引き金になったのか。薬音寺、こちらからも聞きたいことがある。本当に火傷はしなかったのか?」
「ああ、しなかったな。たしかに熱かったし、あれだけ近くにいたんだから、火傷の一つや二つ覚悟してたんだが、見てみると無傷だった。まったく、お前、いったいぜんたい、何者になっちまったんだ? こうしていると、ただの雄輝なんだが」
「自分でもわからない」
「いつの間にやら英雄だしな。お前は人類がクラッグに対抗するため、神が与えたもうた使者だって声が、早くも信心深い奴らの間じゃ広まってたし。そうでなくとも、お前一人いれば、もうだれも戦わなくて済むっていう馬鹿な話も──」
下手なことを言っていると思ったのか、薬音寺が口をつぐんだ。
ノイズが後を引き継ぐ。
「クラッギー、お前さんがどういうふうに思っているかは知らないだが、妙な考えを起こすんじゃねぇべ。お前さん一人でなんて戦えないだ。戦えるはずがないだ。お前さんになにもかも押しつけるつもりはねぇべ」
「わかっている」
答える。
ノイズの言葉は、胸の上を圧迫していた重圧を軽くしてくれた。
「僕を……怖がってる奴はいたか」
「怖がるなんて奴はいねぇよ。お前はみんなの命を守ったんだ。それで雄輝のことをごちゃごちゃ抜かすような奴がいたら、俺たちが許さねぇし。そんな奴らだらけなら、この都市もいよいよ終わりさ。守る価値もない」
「そうか」
「こういうとき、ありがとうって言うんすよ、雄輝」
紫苑が肩をたたく。
伝えたい気持ちを、とっさにくんでくれたことに感謝する。
「あ、ああ……ノイズ、薬音寺、ありがとう。それに、紫苑。ありがとう」
「え、自分も、すか? んまあ、どういたしまして、すよ」
それから、と紫苑は薬音寺をふりかえる。
「どうして、ここにいるんすか」
「あ? いや、分隊部屋だから……」
「そういうことじゃなくて、すよ。なんでいまこのとき、薬音寺という紳士的な男は、マリアという、はかなげな女性のとなりにいないんすか」
「なんだよ、それ。俺とマリアは、そんなんじゃねぇよ。そりゃ仲間として心配だけどよ、そばにいることだけが、仲間の行動だとは思えねぇな──痛ぇ!」
みんな、おどろいて紫苑を見つめる。
だらしなく床に投げ出された薬音寺の足を、すばやく立ち上がった紫苑が、思いきり蹴ったのだ。
「な、なにすんだっての」
「行け」
問答無用、紫苑の一言。
はい、と答えて部屋を出ていく薬音寺。
「やりすぎじゃねぇべか?」
「そのくらいがいいんすよ、あの不器用な男には」
どことなく違和感。
紫苑の顔は、いつもどおりの無表情を決めこんでいるのだが、どうもいつもと印象が異なる。
そのことについて、本人に意見するなり疑問を投げかけるなりするべきかと悩んでいると、よっこらせ、とノイズが腰を浮かせた。
「今日はなかなか眠れそうもない夜だべ。ちょっと散歩してくるだ。すでに五人も部屋を抜け出してることだし、消灯時間なんて関係なし。さきに寝ててくれていいべ」
そう言いながら、部屋を出ていってしまった。
しばらく、無音の世界が周囲を覆う。
点けっ放しのテレビから漏れる光が、チカチカと空気を染める。
「雄輝と二人っきりというシチュエーションもめずらしいっすね」
さきに口を開いたのは紫苑だった。
「そう、だな」
「なんか話でもするっすか? 自分、会話というのは、話すよりも聞くことのほうが好きなタイプなんすけど」
「そうか。僕もだ」
「おやや。気が合うんすね」
「そうだな」
「でも、会話において、両方とも聞き役に徹するっていうのは、それはつまり無言ってことで、気まずい空気になるっすよね」
「静かな時間は好きだ。気まずいとは思わない」
「おやや。またまた気が合うっすね」
またしても無音。
次に口を開いたのは、やはり紫苑だった。
「子どもでも作ってみるっすか?」
「……なにを言い出すんだ。血迷ったか?」
「とんでもない。ずっと考えてるんすよ。どうして今回の現象は起こったのか。クラッグによる新たな攻撃の一種なのか。そして、もしかすると人類は、今後いっさい、子どもを産めないからだにされてしまったんじゃないかって」
思わず紫苑をふりかえる。
「そうすると、すよ。自分たちは人類最後の子どもってことになるんすよ。自分たちが全員死ぬか、全員大人になれば、もうこの世界に、人類の子供は存在しなくなる。クラッグとも戦えないし、人類の未来そのものが、消えてなくなる。どう思うっすか」
「たしかにそれは可能性の一つだ」
「いまはたしかに可能性の一つっす。でも、もしこれが本当なら、それは可能性じゃなく、限定された未来になる。限定された未来に、可能性の存在する余地はない。可能性の象徴である子供という存在とともに、人類の可能性の網は閉ざされることになるんす」
「今日はやけに饒舌だな」
指摘すると、紫苑は頭をかいた。
「らしくないっすかね。どうすか、お酒でも呑むっすか」
「酒は好きじゃない。明日の訓練に影響が出てもまずいし」
「酒、弱いんすか?」
「あまり呑んだことがないから分からない。意外と泣き上戸かもしれないな」
「そんな雄輝も見てみたいっすけどね。雄輝は、基本的になにも顔に出さないっすから」
「それはおたがいさまだろう」
「なんか、いつになく会話が弾むっすね」
「そうだな」
「こういうの、いいムードって言うんすかね、業界じゃ」
「業界って、いったいどういう世界を指してるんだ?」
「雰囲気っすよ、雰囲気。雄輝は経験あるんすか?」
「なんの」
「セックスっすよ」
「そういう用語は、女性の口からは飛び出さないものだと認識していた」
「オブラートさが必要?」
「まあな」
「そういうの面倒なんすよ。それで、どうなんすか」
「経験あるように見えるか?」
「まあ、見えないっすね。縁がなさそうっす」
「質問というものは、総じて自らに跳ね返ってくるものだ」
「……遠回しに訊き返してるんすか? 秘密は女のアクセサリーなんすよ」
「なにを言ってるんだ」
「一度、言ってみたかったんすよ、これ。この答えで満足してくれっす」
「なんの話をしてたんだったかな」
「子どもを作ってみようっていう話だったっすよ、確か」
「そんなに乗り気な展開ではなかったと思うが」
「ある種の実験っすよ。興味ないすか?」
「……紫苑。笑えない冗談だ。キャシーのことを考えれば」
「そう……すね。わかってるっすよ、そのくらい。わかって……るっす」
紫苑の声が途切れ、かすれた。
泣くのだろうか、と一瞬、思った。
が、結局、紫苑は無表情をくずさなかった。




