Ⅶ ホルンの少年
「そろそろ帰らなきゃ。でも、またお話がしたいな。」
僕がエランテに対して敬語を使わなくなったのは自然な流れだった。
彼もそれを嫌がっていない様子で答えた。
「そっか、残念だけど今日のところはお別れだね。
明日も僕がここにいるかは分からないけれど、また見つけたら声をかけてよ!」
「えっ、明日もここにいるわけじゃないの? 困ったな、そしたら僕は君を見つけられないかもしれない。
せめて泊まっている場所を教えてくれると嬉しいんだけど…」
僕がいうとエランテはハハハ、と笑った。
なぜ笑われたのか分からないうちにエランテは言った。
「僕は宿には泊まらない。星を見ながら野宿をするのさ。お金もないしね。」
なんだか洒落た言い方をしているが要は資金不足で宿に泊まれないのだろう。
暦の上では春となり、少し暖かくなってきたイルオーネだが夜はまだ冷え込む。野宿は正直辛いだろう。
「もしよかったらだけど……。僕んちに泊まらない?」
「泊めてくれるのかい?……星は見れなくなるけど、代わりに君と話ができるということか。
……うん、それもいいかもしれないね。ご迷惑でなければお邪魔しようかな。」
………と、いうわけでエランテはそれからしばらく僕の家に泊まることとなった。
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エランテが僕の家に来て数日が経った。
その日 僕は家のドアを誰かがノックする音で目を覚ました。
目をこすりながらドアを開けると、そこにいたのは栗色のくせ毛とくりっとした淡い緑色の目をもつ少年だった。
背丈と雰囲気から予想するに、歳は8つかそこらだろう。
「あのっ、あのっ! 木の笛が吹けるお兄さんですよね!?」
少年は目を輝かせ、早口で尋ねた。
「あぁ、それは僕じゃないよ。僕はサックスを吹くんだ」
「あ……そうなんですか………。すみません、こんな朝早くに………」
少年はあからさまに残念そうにしていた。
表情がコロコロ変わって面白い子だ。
「安心して。僕は笛を吹けないけど、この家には優秀な笛吹きがいるんだ。」
少年は再び目を輝かせた。
「ほんとに!? その人に会いたいんです! 今家にいますか!?」
「はいはい。ちょっと待ってね………。
おーい、エランテ、お客さんだぞー!」
「はいはーい」と声がする。
彼は僕より早起きだから、きっともう着替えも済ませているだろう。
そういえば僕は寝巻きのままだ。客人が幼い少年で本当に良かった。
「僕にお客さんなんて珍しいねぇー。一体どなたかな?」
奥の部屋からエランテが現れたようだ。
「あ! やっぱりこの家にいたんだ! 笛吹きのお兄さん、僕、こないだの……! 覚えてくれてたりしますか!?」
少年は僕の体の横から顔を出してエランテを見ている。
「えぇと…。誰だっけ?
………あぁ! 思い出したぞ。こないだのホルンの小僧だな。」
「もう! ちゃんと名前教えたでしょ!?
”ホルンの小僧”じゃなくて キアロ だよ!」
「そうだ、キアロだ。
ルーカ、こいつは君の他に唯一僕の笛に興味をもってくれた人物さ。」
「お兄さんはルーカっていうんだね。 僕はキアロ。ホルンが吹けるよ!」
キアロは元気に自己紹介をしてくれた。
僕も微笑んで答える。
「キアロ、よろしく。」
「ところで、なんで君は僕を訪ねて来たんだい。しかもこんな朝早くに。」
エランテがキアロに尋ねる。
「あーあ、僕の名前だけじゃなくて約束も忘れちゃったの? 僕にスティアの曲を教えてくれるって言ったじゃない!」
と、キアロはふくれっ面をする。
「あぁ、そうだったね、すまない。ちょっと待ってて、すぐに笛をもってくるよ。一緒に練習しよう!」
「30秒で用意してね! いくよ? 30、29…」
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エランテとキアロは楽器を持って出かけていった。
僕は1人で朝食を食べている。
あのキアロという少年、エランテに曲を教わると言っていたな。
僕も教えてと頼めばよかったな…………
スティアの楽曲か………
この前聴いたものの他にどんな曲があるんだろう………
スティアはイルオーネからそう遠くはない。
いや、遠いのだが、イルオーネの領土の外にある場所の中では比較的近い方だという意味だ。
そういう縁もあってスティアとイルオーネの間では人の行き来も多く、友好的な関係にあるといえる。
もちろん、スティアと同じ位、もしくはそれ以上にイルオーネと親密な関係にある国もいくつかある。
例えばイルオーネの西にある大きな河を挟んで向こう側、マレイヤという国。
それからマレイヤよりもずっと北にある大国、ハーフェン王国。
他にも、南や東の小国と盛んに貿易を行っている。
………こう考えると、改めて世界の広さを感じる。
自分の暮らしている領域のなんと狭いことか。
外の世界には僕の知らない楽曲もたくさんあるのだろうか……。
朝食を食べながらぼーっと考えていたので、いつもより食べるのに時間がかかってしまった。